イノキボンバイエだけはゴネてみます

この前のは朝一に見たニュースに衝撃を受けた反動で、ただ単にコピーペーストしただけであるから、正直あれは掲示板に書く類の事であって、現在この日記システムは非常に便利である反面まったく修正ができないということから仕方なしにそのまま残っている。それについては特に問題はない。問題は、いくらなんでも思いつきすぎ。

できればこの「マサ斎藤&タイガー服部が新日離脱」という大半にとってどうでもいいニュースが上の方にあるのは芳しくねぇなあと思っていたところ、いい感じのタイミングで鬼畜が長い文を書いてくれてよかった。内容はよくないことに関するが。で、一応コピーペーストではないちゃんとした文章を書かねばなんか悪いかなぁという気がするのでなんか書きます。

実家に帰ると非常に助かるのが、飯が勝手に出てくるということ。その反面飯を家族そろって一緒に喰う必要がある。で、山の郵便配達でも書いたとおり筆者の実家では飯を喰う掘炬燵スペースにテレビがどっかりと設置してあり、それを付けっ放しで飯を喰うというのが日常化している。それは、母親が飯を作りながらニュースを聞くためにテレビを付けているのがそのまま飯の席に及んでいるという状態であり、テレビを付けなければ気持ちわりぃとか無言の食卓になるということはない。ニュース等が会話のネタになるのは飯の席以外でもよくあることだし、あえて消す道理はないという感じ。

しかしこの場合にかなり重大な懸案事項となるのがその、「実際に映し出されるテレビ番組」なのであって、一人暮らしの場合は家で飯を喰う際に実家と同様テレビを付けて飯を喰うが、そのときは大抵がこのサイトの現在メインコンテンツの一つである映画を見ながらか、プレミアリーグを見ながら喰うことが多い。それは飯を腹いっぱい喰ってその余韻に浸る時間として、自分には2時間ぐらいがちょうどいいから自然とそうなる。別にショートバージョン(一時間くらい)の場合は大映ドラマかアニメ×2、要するにほぼ固定化していてその選定基準は「自分だけが見ていて楽しいもの」これだけだ。

一方家族に限らず複数で飯を喰う場合はそういう独りよがりな我侭はあまりやんないほうがいい。趣向の違うそれぞれがどこかで妥協し、道筋を定める必要があるのだが、こっちは飯を作ってもらっている身分、妥協するなりにも主張するには分が悪い。自然、母親の趣向に合わせたテレビ番組が傍らで放送されながら飯を喰うことになる。これがやってらんない。

かつて一人暮らしをする前、中学高校という「反抗期ど真ん中」な頃は実家で家族で飯を喰っていたけれども、その頃は反抗期よろしくテレビ番組においても一々が気にかかり激しく反抗し、自己の言い分を無理矢理通したことが多かった。しかもゴーストワールドでも書いたように、この崇高なハードロック少年が、飯を喰いながら「爆笑ものまね王座決定戦」など見れるかぁという気概があったが、一通り落ち着いた今ではなんとか耐え忍ぶことができるまでに成長した。

例えば29日の飯時の番組ラインナップ

NHK ニュース7+利家とまつ・加賀百万石物語・総集編[前]

日テレ  超合体!特大生放送!!バンキシャ!プラス1

TBS 2002総決算!さんまのからくりTV超特大号

フジ 大掃除終わったかぁ両さん&ルフィとまずはアニメにどっぷりSPこちら葛飾区亀有公園前派出所

テレ朝 M-1グランプリ2002

テレ東 テレビ三賞受賞記念「壬生義士伝

実家の環境ではBSも映るので

衛星第一 スポーツドキュメント「W杯日本代表”勝利と敗北”」+特集・米イラク・攻防の行方

衛星第二 NHKニュース7+あなたが選ぶ・思い出の紅白・感動の紅白!

NHK-BSD 興奮!熱狂!サッカーワールドカップの31日間

BS日テレ [映]「大統領の陰謀」

BS朝日 高校野球スペシャル”耐えて勝つ”・明徳野球の真実+有田焼の魅力のすべて

BS-i NEWSアカデミー・2002卒業試験スペシャル

BS JAPAN ポケモン+TVチャンピオン「精巧ミニ家作り王」

BSフジ 日本の名車「フェアレディーSR2000」+欧州鉄道の旅

こういう環境なら、一人暮らしの場合はおそらく衛星第一か、NHK-BSDを見る。喜んで見る。しかし実家では筆者一人しか楽しめないのでその選択は消える。たぶん妥協点としてのBS朝日「高校野球+有田焼」という渋い選択はアリだ。誰もあまり関心がないけど、気に障るようなものでもないという。その着眼点を母親及び周辺に持ってもらいたい、がたぶんそこまで配慮はない。

結果的にはおそらく2002総決算!さんまのからくりTV超特大号が放映されながら飯を喰う羽目になるのだろう。それは。テレビ番組でゴネる歳でもないし。

家族が爆笑しているその横で筆者一人が苦痛な飯の席を余儀なくされ、心理的ストレスを抱える図が想像されて悲し。

Death Or Glory

そろそろ私も日記更新しなきゃな、と思ってたのです。何かネタないかな、と今朝シャワー浴びながら思ってて、で何か適当なネタが思いついて、よし適当なネタが思いついたぞ、それについて適当に書こう、あくまでも適当に書こう、とにかく適当に書こう、何故なら私の日記は(そしておそらくほかの二人の日記も)いつだって適当だから、適当に適当に適当に、となったわけです。ところが今朝出勤してホームページを開いてみたらすでにbitchが本日の日記を書いてるではありませんか。日記を更新すると結果的に前の日記を下げてしまうことになるので、同じ日に日記が二つ更新されるのはあまり好ましくないと常々から思っている私は、当然今日は見送ることにしました。明日があるさ、と。

しかしそんな悠長なことを言ってる場合ではなくなった。ショー・ストラマーが死んだのだ。そう、クラッシュのジョー・ストラマーである。自分が外交官の息子であるということに全くめげずに、”Career Opportunities”や”White Riot”などの曲を歌った、あのジョー・ストラマーである。というわけでbitchよ、すまないが、君の日記を下げさせてもらう。

では私はクラッシュというバンドにどれぐらい思い入れがあるのだろうか。とても。相当。かなり。めちゃくちゃ。死ぬほど。と、まあ、そんな感じの単語を並べてもらえれば。「London Calling」は間違いなく私の生涯トップ10に入るアルバムであり、セックス・ピストルズがどうしても好きになれないのも、クラッシュと比べるとやはり音楽的な幼稚さが目立ってしまうというのが大きな理由だと思う(本当はフェアじゃないんだけどね、そういうのって)。パンクはもちろん、レゲエやダブにも興味を抱いたのも、元はといえば彼らが原因である。

そんなバンドの精神的支柱だったジョー・ストラマーが(音楽的支柱はやはりミックだろう)逝ってしまったのだから、そりゃショックはでかい。ただ泣いたりとか、へこんだりとか、そういうのはない。「そうか、逝ったか」ってのが率直なリアクションである。もちろんショックではあることに変わりはないけど。クラッシュが私が生まれる前にデビューし、鼻ったれのガキの時に解散したというのもあるかもしれないが、超リアルタイムだったニルヴァーナのカートが死んだ時もそんな感じだったと記憶している。

そもそも自分のアイドルが死んだ時に泣き崩れたりする人の神経が分からない。hideや尾崎豊など、「寄るな、とにかく寄るな、何でもいいからあっち行け」と言いたくなってしまうような音楽をつくってた人たちに限った話ではない。カート・コバーンが死んだ時も同様のことが起こったが、ニルヴァーナ好きの私にはそれもやはり理解できない。現に今私の敬愛してるミュージシャン、例えば中川敬や中村達也などが死んでも自分がそのような行動に走るとは思えない。音楽家だけでなく、スポーツ選手や作家、政治家もそうだ。その人たちの作品や功績から我々がどんなに感銘を受けたとしても、本当にその人のことを知ることはできないし、そのような錯覚を抱くのは思い上がりのような気がする。悲しいという気持ちはもちろんあるが、自分の家族や恋人や友人が死んだ時の悲しみとは全く次元が違うだろう(私は実際に大切な人を失った経験はまだないが、それぐらいは容易に想像できる)。言いかえれば、ファンの悲しみなど、実際にその故人に親しかった人のそれに比べれば屁みたいなものであって、度を過ぎた悲しみ方をするのはその人たちに失礼ではないだろうか。

とはいえ、ジョー・ストラマーに関してはその心配はないだろう。カートや尾崎何たらの時とは違って、ファンの多くは分別のあるいい大人であり、醜態をさらすような人がいるとは考えにくい。これが1983年とかだったら話は全く違ってただろうが。おそらくみんな彼の冥福を祈り、自分にとってクラッシュの音楽がどんな意味を持っていたかちょっと考え、酒でも飲みながら「London Calling」をかけたりするのだろう。私も家に着いたらそうしたいと思う。

…と思ったんだけど、あのアルバム1年以上前から誰かに貸してるんだよね。い、い、痛え…。まあ「London Calling」が駄目なら「Sandinista」でいっか。

とにかくストラマーさん、素晴らしい音楽をありがとうございます。ぜひロックンロール天国でジョンやジョージに向かって「Phony Beatlemania has bitten the dust」と歌ってください。

タイガー服部離脱かよ

武藤&長州 全日とWJ交流へ

電撃極秘会談が実現

全日本の武藤敬司(40)とWJの長州力(50)が23日夜、電撃接触した。都内で専大レスリング部の納会に同席し、約30分間にわたり密談。キャッチしたスポーツ報知記者の目前で、がっちり握手した。両巨頭の直接会談で団体間に太いパイプが生まれ、交流試合などに発展する可能性も出てきた。
http://www.yomiuri.co.jp/hochi/battle/dec/o20021223_10.htm

マサ斉藤が新日本離脱

年の瀬の新日本を、またもや「離脱ショック」が襲った。新日本は23日、後楽園大会で、取締役のマサ斉藤(60)と、審判部長のタイガー服部レフェリー(56)が退団したことを発表。2人とも、長州力(50)率いるWJプロレスに加わる可能性が出てきた。

http://www.yomiuri.co.jp/hochi/battle/dec/o20021223_50.htm

長嶋茂雄の真実

 昨日会社の同期との忘年会を行ったのだが、そこで少し感傷的な気分になってしまった。そんな気分を一新するため、今朝は「ちんちん」と「ちんぽ」の語源の違いについて調べようと手元にある「日本語大辞典」を開いたのだが、どちらも「陰茎」としか書いていなかったので即座に断念。別の項目をぱらぱら開いてみると目に付いたのが「長嶋茂雄」という言葉(この辞典は妙に人名をフォローしている)。この単語をみて、以前から気になっていたことをちょっと調べてみようと思い立った。

 気になっていたこととは、長嶋の「しま」は「島」と「嶋」のどちらだろうか、と言うことである。私は以前(たぶん小学生ぐらいの時だと思う)、ありがちな長嶋おもしろ辞典的な本もしくは雑誌の中で、この秘密について以下のように書いてあったことを記憶している。

 「長嶋は本来『長島』という名字であったのだが、入団時の契約の際、なぜか間違えて『長嶋』と書いてしまい、登録名も『長嶋』になってしまったため、そのまま『長嶋』で通したのだ。」

 もちろん、いくら長嶋といえども、自分の名前を間違えるということは考えづらいし、たとえ間違えたとしても他の人のチェックも入るだろうから何らかの意図があって登録したと考えるのが普通だが、意図はともかく、一応今まではこの説を信じていたのだが、改めて調べてみるといろいろな説があることを知ったのでちょっと挙げてみる。

 この問題についてよくまとめてあるページが、「ダラ球界公式サイト 野球カルト倶楽部」内の「長嶋」か「長島」か?というページだ。筆者は野球四コマで有名な漫画家のなかむら治彦氏。氏の豊富な資料からも結論を導き出すのは難しかったらしく、というより資料をそろえるほどに結論がわからなくなっていったようで難しい。一応氏の結論としては、本名が「長嶋」、新聞や雑誌などでは当用漢字を使うのが原則であるために「長島」を使用、しかし第二次長嶋政権から本人の意向により紙媒体でも「長嶋」に変更、というところのようだ。というわけで私が聞いていた話とは全く違う。

 しかしこの話にも当然諸説あるようで、たとえば98年12月のニュースにはこのようなものがある。このニュースによると戸籍上の名字は「長島」。うーん、戸籍上の名字からして「長島」説と「長嶋」説の2通りがでてきてしまった。さすがミスタG(なんとなく燃えプロ風に)。

 これらの情報を元に、私なりに予想を立ててみようと思う。私の予想では、戸籍上は「長島」。登録名は「長嶋」。紙媒体では当用漢字の規定のため表記に揺れがある、とこういうところだろうか。どうも「戸籍が長嶋」説の方が有力のようなので間違っている可能性も高いが。

 まあこんな無関係な人間の分析よりも、一茂氏や三奈さんから聞いた方がよいのだろうが(本人はちょっと信用できない)。

 このように、人の名前もちょっと追っていくといろいろとおもしろい事実が浮かび上がることがあるだろう。同じ野球の例では、たとえば元読売・横浜の駒田徳広氏は、小さい頃から「とくちゃん」と呼ばれていたために自分でもすっかり「とくひろ」だと信じ込んでいて、入団時も「とくひろ」として登録していたが、改めて戸籍を調べると「のりひろ」という読みだったことを初めて知った、という話がある(参考リンクなし。俺が聞いた限りの話)。登録名も後に「のりひろ」に改めている。卑近な話だと、私の母親の名前「恵子」が、実は旧字体の「惠子」だったということを数年前に戸籍をチェックして初めて知ったし、中学時代、友人に「自分の名字にある「原」という字は、戸籍に書き込むときに上の点を親が入れ忘れたために、正式には上の点がない字なのだ」という話を聞いたこともある。あなたも一度戸籍をチェックしてみてはどうだろうか。

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fOULとダイノジで有名な、大分県は湯布院に行ってきた。初大分だったが良い温泉場であったと思う。

大分の人は話し方が広島あたりに似ている。「~だけえのう」を多用していた。

あとこれは東京で生活し、また改めて九州に帰ってくると思うことだが、本州では意外と、ていうかほとんど「柚子こしょう(柚子ごしょう)」の存在が知られていない。湯布院でも柚子やカボスをつかった辛味を扱う店が多かったが、本州ではあまりメジャーではないのかも。

柚子コショウというのは青唐辛子や赤唐辛子を練ったものに柚子を混ぜた香辛料で、ワサビやカラシのような辛味以外に変な味がついているのではなく、爽やかな辛味を持ち味とする。オールマイティに使える香辛料として七味唐辛子とタメを張るであろう。例えば七味唐辛子が得意とするうどん・そば、苦手とする刺身、両方とも柚子コショウは相性最高であるし、刺身には何も考えずワサビをつける人が多いが、これからのトレンディは柚子コショウだ。マイ柚子コショウ。マイ柚子コショウを常とするべし。

荒れた唇とリップスティック

 風邪がなかなか治らない。まあ先週から引いているくせに無理して大学のサークルに遊びに行ったりするのが悪いんだろうな。鼻水は何とか治まったのだが、唇がひどく荒れてしまっていて、口を開けるのも痛いという始末。当然仕事にも身が入らない(別に何もなくても身は入っていないが)。という訳なので、会社帰りにリップスティックでも買うことにした。

 目黒で「BSD magazine(ASCII刊)」と「プロ野球ドラフト全史(ベースボール・マガジン社刊)」を買ってから家路につき、リップスティックは自宅最寄り駅のドラッグストアで買うことにした。店について商品を探すと、そこには似たような商品が二つ。勘の良い方はおわかりだと思うが、あったのは「メンソレータム薬用リップスティック(ロート製薬)」と「メンターム薬用スティック(近江兄弟社)」。ちなみに値段は前者が約300円、後者が約250円。皆様ならどちらを選ぶだろうか。私はこれまでメンソレータムユーザーだったのだが、今回はメンタームを買うことにした。それには安かったと言うこと以外にも一応理由がある。

 元々、メンソレータムはアメリカ人のウィリアム・メレル・ヴォーリズが、日本での布教活動のための資金作りとして1905年にアメリカのメンソレータム社から販売権を取得し、販売を始めたのが日本での販売のルーツだそうだ。このときに設立したのが近江兄弟社という会社である(設立は1920年)。ちなみに近江兄弟社の社名は、所在地の近江八幡市と「人類皆兄弟」のキリスト教精神を表すもので、べつに近江さんという兄弟がいたわけではない。

 というわけで、元々メンソレータムは近江兄弟社の商品だったのだが、1964年に創設者のヴォーリズが死去した後経営が悪化し、1974年に倒産してしまう。この際、近江兄弟社はメンソレータムの販売権を返上し、リトルナース(メンソレータムのふたに書いてあるあれね)の商標も売ってしまう。その結果、翌75年にロート製薬がメンソレータム社から販売権を取得、ついでにリトルナースの商標も手に入れてメンソレータムの日本での販売を開始し、現在に至っているのだそうだ。

 そんな悲運の近江兄弟社だが、その後再建を図り、大鵬薬品の資本参加などで見事に復活する。その鍵となったのが、かつてメンソレータムをライセンス生産していた工場を利用して生産した商品、「メンターム」である。こうして、ドラッグストアには今でもほとんど同じような商品が二つ並んでいるのである。ちなみにメンタームのシンボルマークは「メンタームキッド」と言うんだと。

 ちなみにメンソレータムの元祖である米国メンソレータム社だが、88年6月にロート製薬に買収されてしまった。と言うわけで、現在メンソレータムは名実ともにロート製薬のものである。

 ちなみに創設者のヴォーリズという人は建築家としても有名で、各地にヴォーリズ設計の有名建築が存在している。また教育にも熱心で(元々英語教師だし)、近江兄弟社学園も設立している。近江兄弟社高校は甲子園にも出場しているね(1993年夏)。企業の名前が付いた珍しい高校だと言うことで当時話題になったことを俺も覚えている。それにしても多才な人ですな。

 というわけで、こんな近江兄弟社の心意気をかって商品を買ったというわけだ。早速唇に塗ったらすっと痛みが引いた。いや助かった。ちなみに上記を調べるのに使ったサイトの一部がこれ(直リン御免)。このほかにも「メンソレータム 近江兄弟社」でぐぐると一杯出てくるが、細かい部分の記述は一致していない部分も多い(近江兄弟社の公式サイトですら)。そのため上の歴史も間違っている部分が入っている可能性があるので、使うのなら慎重に使ってくれ。

http://www.dik.co.jp/seken/GOGEN/oro.htm

http://www.maboroshi-ch.com/sun/pharmacy.htm

http://www2.plala.or.jp/happy100/zatsugaku/littlenurse/littlenurse.html

隣人が恐い

いや、もうタイトルのまんまですから。隣人が恐いです。何かすごく恐いです。

といっても別に彼がパンチパーマのやーさんとか、暴走族の特攻隊長であるというわけではない。多分。おそらく30代前半ぐらいの、少なくとも容貌はいたって普通の人である。30代前半ぐらいで家賃4万5千円のアパートに住んでるところに関しては何か事情があるのかな、とは思ったりもするが、私もいずれそうなってしまう可能性もあるのでそれはさておき、ということにしておこう。家賃に金使うぐらいならほかのところで贅沢するというライフスタイルを選択したのかもしれないし、何か夢や目標みたいなものがあってそのために節約生活を強いられているのかもしれないし、ただ単に普通に貧乏なだけのかもしれないし、何よりもそれは本人の勝手であって、ネット上のこんなアホサイトで私のようなアホに勝手な憶測をたてられる筋合いは全くないのであって、というわけで隣人さん、ごめんなさい。でもあんた恐いです。

では何が恐いのかというと、キ○○イなんです、彼は。

もともと私は隣人というものに対して割と許容力のある人間だと思う。朝の5時に隣人が女と生殖活動に励んでいる音で起こされても、彼の持続力に感心こそすれ(本当に長いんですよ、これが)、それに対してうんざりすることはない。午前3時に念仏を唱えてても別に全然OKである。彼が倉木麻衣や小柳ゆきなど、少し私の理解の範疇を越えていると言わざるを得ないような音楽をかけてても、私もおそらく彼の理解の範疇を越えているような音楽、例えばザ・フォールなど、をかければいいだけの話である。例えザ・フォールが彼だけでなく私の理解の範疇を越えていたとしても。ていうか私も隣のことを気にせずに音楽を大音量でかけてしまうタイプなので、隣人が同様に私のことを気にせずに色々と不思議な音を出してくれるのは、かえって気が楽である。お互いに相手が発する音に関して文句は言わないという暗黙の了解が成立していると私は勝手に思っている。

しかし最近彼がキ○○イだということに気づいてしまった。

普通でないのだ、彼の部屋から発せられる音が。もちろん音楽や生殖活動の音などは限りなく普通の音ではあるが、そのほかにも彼は大声で奇声を頻繁にあげる。「ウオオオオオ!」「ウキャー!」「ウキョー!」「グエエエッ!」って。ね、普通じゃないでしょ?往年の少年漫画は独特な叫び声の宝庫であるが、それらのキャラがドラえもんのもしもボックスの力を借りるなどして現実世界に足を踏み入れたら、彼らと隣人は次のような会話交わすだろう:

ミスターカーメン「マキマキー!」

ストレイツォ:「MMMMMMOOOHHHHH(ムンンンンンオオオオオオオ)!!」

ジャギ:「あいひひ ぷけけ・・・ どぉえへぷ!! うえ!えお!! へぎ!! ぶひゃ!! であ!! ぶ!! はわわ!! げうっ!! ばわ!!」

隣人:「ウキョー!」

まあさすがに本場の人たちに比べれば隣人のはある程度見劣りするのは否めないが、要はこれで会話が成り立ってしまう、ということだ。恐ろしい世界である。先程「別に全然OKである」で片づけた念仏も、よく考えればちょっと変である。

もちろん本質的に彼の発する音は私にとって迷惑ではない。私が訳の分からない音楽を大音量でかけてる以上、彼にも訳の分からない奇声を大音量で発する権利は十分にあるはずだ。それは分かっている。分かっているのだが、それでも一抹の不安、否、恐怖(と言い切ってしまおう)を感じてしまう。

隣人が恐い。

レミングスの攻略

1.はじめに
2.パスワード
3.ステージ攻略
4.エンディング集 (激重い)
5.後書き
更新履歴
2002.11.11 TAXING LEVEL 04 (作成開始)
2002.11.13 TAXING LEVEL 10
2002.11.18 TAXING LEVEL 20
2002.11.20 TAXING LEVEL 24
2002.11.22 TAXING CLEAR!!!
2002.11.25 MAYHEM LEVEL 8
2002.11.27 MAYHEM LEVEL 14
2002.11.29 MAYHEM LEVEL 20
2002.12.04 MAYHEM LEVEL 30
2002.12.12 SUNSOFT CLEAR!! (ALL CLEAR)

散財の精算

 12月といえば、大方のサラリーマンにとって、嬉しいビッグイベントが訪れる季節である。もちろんクリスマスではない。そう、ボーナスである。しかし昨今の不景気な世の中、至る所からボーナスカットの話が聞こえてくる。ご愁傷様です。

 かくいう私には無事に出ました。ボーナス!まあ雇用契約で定額支給が決まっているので(だから厳密にはボーナスではない)当然といえば当然なのだが、来年はボーナスが出ないとか、昇給停止だとか、日本から撤退するとか(私の会社は外資系)きな臭いうわさが飛び交っているので、ひとまず安心といったところ。

 ところで、このところボーナスを見込んで普段よりも多めにカードを使っていた気がしていた。ちょっと気になったのでカード会社のページにアクセスし、今月の使用履歴をチェックしてみた。その結果は…

18万円…。

 うーん、どうやら想像以上に無駄遣いをしていたようだ。

 ただ、さすがに学生時代のような「持っている金はすべて使い切る」ような金の使い方をしていては、社会人として訪れるいざという時(会社を辞めるとき、勝負をかける時とかね)に困ってしまう。そうでなくとも無計画な人間と見られて(いや実際無計画なのだが)社会人としてはあまり評価されない。というわけで、今回の私の買い物、いったいどこに無駄遣いが忍び込んでいるのかを分析してみることにした。

・東急ハンズで買った本棚:?5,302(二回払いの二回目)

 これは止むを得ないだろう。ただでさえ本があふれていたし、何よりCDが散乱していたのがみっともなかったので。それにこれは2回払いの2回目であり、実際は先月の精算に含めるべきものなので「今月の無駄遣い」とは言えない。

・北海道国際航空:?22,000×2(往復?44,000)

 いわゆるAirDo。これも帰省には絶対必要なものなので止むを得ない。そもそもこれも11/9に買ったものであり、本来は先月の精算に含まれるべきものなのだが(航空会社からカード会社への請求が遅れたのだろう)。

・ビデオカード(Millennium G550)とFDD:?22,554

 これは、実家に送るPCを整備するために必要だったもの。ビデオカードがなかったため、現在使用しているG400を実家に送るPCに挿し、代わりにメインマシン用のビデオカードを買ったのだ。いわば親孝行であり、子供として当然のことをしたまでである。

・SigmarionII:?21,000

 これは一見無駄遣いに見えるかもしれない。何しろPDAとしてはJornadaが確固とした地位を築いているし、今のところさっぱり使用していないからだ。しかし、このマシンにはNetBSD/hpcmips(いわゆるPC UNIXの一種)を入れるという大目標があり(現在挑戦中)、その作業を通じてBSD系UNIXをさらに深く学習し、その成果をこのサイトへフィードバックしようと計画しているため、この出費はいわば自分への投資、加えて公的な支出ともいえる。

・19インチフラットディスプレイ、ゲーム、ビデオ:?28,308

 19インチディスプレイは、先ほども書いた親へ送るPCに、現在持っている15インチディスプレイをセットで送る予定であるため、これも必然的に必要となったものである(普段使っているのは液晶ディスプレイだろというツッコミは不可)。さすがに19インチとなるとDVDの映像も迫力が段違いである。これは買ってよかった。

 ゲームはBRANDISH4というパソコンのものだ。最近の私は実に2年くらいまともにゲームをしていないのだが、かつて学生時代、寮でこのシリーズの1~3までをクリアした経験を持つ。そんな私なのだから、このゲームをプレイするというのは義務とさえ言えるものである。さらに、これを発見したのは立川のハードオフ。地元立川のメーカーである日本ファルコムのゲームを買うというのは地元経済へも貢献する神聖な行為である(中古だろ、というツッコミは無しの方向で。ついでに手前は世田谷区民だろというツッコミも無しでお願い)。

 最後にビデオ、「Number プロ野球永遠のライバル列伝」だが、これも山田VS落合の対決が収められているということだけを書けば説明不要だろう。

・レンタカー:?13,225

 これは先日のDead Pigeon管理人合宿の際に使用したものである。実は先週の土日に3人でドライブという名の合宿を挙行したのだが、これによりさらにサイト内の連帯は深まり、私のドライビングテクニックが(事故らない程度に)磨かれ、新横浜ラーメン博物館で有名ラーメン店そっちのけでインスタントラーメンのCMに見とれることができたなど、数々の利益を得ることができた。そのため、この投資も決して無駄なものではない。

・シーケンスソフト兼ソフトシンセ「Reason2.0」(キーボードつき限定セット):?52,290

 こいつは一番の大物である。衝動買い度数も高い。しかし、自分のPC遍歴を振り返り、もともと私がPCを触り始めた(もう10年になるのか…)理由が「DTMがやりたい!」というものであったことを考えると、苦節10年にしてやっとそのスタートラインに立ったということが言える。ソフトは期待にたがわぬ出来だし(シンセとアンプなどをつなぐラック裏側のケーブルまで忠実に再現していて、ケーブルが揺れたりする)、これで少なくとも1年は遊べそうだということを考えると決して高いものではない。

結論:今回無駄な買い物はしなかった!!

 こうやって見てみると、一見衝動買いに見えるものにもはっきりと購入目的があり、決して無駄に金を浪費しているわけではないということがわかった。これからも今回のように、必要なものにしか支出しない倹約生活を心がけることとしよう。

 ちょっと無理がある?