今更Amazonアソシエイト

トップページを見ると字しかないので、画像によるコントラストを得ようと、ほんと今更&安直だがAmazonアソシエイトに登録した。ハッスルサーバーの禁止事項では「Amazon,楽天などの大量の商品を検索、表示、リンクさせるサイト 」となっているので特に問題はない・・・と思う。

映画の場合、紹介タイトルのパッケージだけでなく、本文中の固有名詞や元ネタについてのリンクとしても使っている。これを見つけて貼るのが案外楽しい。ただ過去のが300近くあるためそれ全部に手作業でやるのは現実的でなく、支援ツールをいくつか探したが、表示に関するものが多かった。表示については評価☆を表示できたり、ヴィジュアル的に優れているものも多いが、結局凝りすぎて破綻する可能性が高いので、このまま公式のを使う。今後の更新で過去のも少しずつやっていこうと思っている。

2010 FIFAワールドカップ 南アフリカ

サッカートピックを最後に更新したのは2006年7月、2006ドイツワールドカップの決勝の頃だった。それから4年、毎年8月~翌5月までのヨーロッパリーグ観戦と、早春~秋にかけての自転車3大レース+ワンデーレース観戦は、すでに日常となっていて、なんら特別な事ではなくなっている。アーセナルは今年も無冠で終了。この4年は補強で失敗してきたわけだが、ヴェンゲルが長年言い続けてきたように、ソング・ディアビ・デニウソンがようやく使い物になって、これでセスクをキープできて、ラムジーも復活して、シャマクやらハイクラスのキーパーやらバックアップの充実ができれば、来年こそ・・・いけるかもしれない。

逆に、その間断続的に行われるインターナショナルマッチに関しては、イレギュラーな、非日常的なものとして興味が薄らいでいる。これは日本代表に限らず、代表戦そのものに興味がなくなった。むしろ、リーグ戦の日程を乱したり、マッチデーの週は強制的に国内リーグ戦が休止となるため、邪魔ですらある。また過密日程による個々の選手への負担→怪我、そして代表戦での怪我(今シーズンのファン・ペルシ)など、実際クラブや国内リーグにも余計な負担を与えている。今大会もすでにロッベン・リオ・ドログバ・ナニなど活躍が期待されるスタープレイヤーが怪我で離脱している。ワールドカップは主要選手がリーグ戦で消耗した後に行われるのである。

ワールドカップは4年ごとだが、その間に、例えばヨーロッパでは欧州選手権(EURO)、アジアではアジアカップがあって、ワールドカップと同じように予選リーグ、本戦リーグ、決勝を行う。よって実質的にインターナショナルカップは2年周期だ。予選に使えるのは恐らく15ヶ月ぐらいか。ヨーロッパ(UEFA)の場合、この15ヶ月でどのように予選リーグを行っているだろうか。

現在UEFA加盟のFA(サッカー協会)は53。加盟国ではない。ワールドカップはFIFA主催の大会なので、国ごとではなくFAごとに出場資格がある。例えばフェロー諸島はデンマーク領だが、フェロー諸島FA(これもFIFA?)はUEFAのリージョンで予選リーグに参加し、毎回いいカモになっている(ただまれに波乱あり)。またフットボール発祥国のイギリスでは、FIFA設立前に既に存在していた英国四協会にそれぞれ出場資格がある。逆にIOC主催のオリンピックではこれが仇となり、「イギリス代表」を結成できず、もう長い間発祥国が出場していない。

そして今回の予選では、53を6×8+5×1の9リーグに分けて予選を行ったようだ。6チームのリーグ戦の場合、ホーム&アウェイで1チームあたり10試合行う。こう見ると意外に少なく感じるが、10試合を通常の国内リーグ戦に換算すると、実に2ヶ月~2ヶ月半の試合に相当する。この分日程が詰まるので、週2試合だとか、中2~3日で試合が続くとか、負担の多くは選手や所属クラブにむけられる。これだけではなくて、予選に付随する国際親善試合を入れると、恐らく14~16ぐらいにはなる。

この負担を減らす方法がないわけではない。ワールドカップの場合、UEFAに与えられた本戦出場枠は13。現状これを、9リーグの1位チームと、2位チームの中から勝ち点の多い順に8チームがプレーオフ、勝った4チームとを組み合わせて、9+4で13チームを選んでいる。リーグ2位チームへの救済措置もあるというわけだ。減らす方法とは、この救済を無くし、すべて予選リーグ1位通過のチームを本戦出場チームとすることである。

53/13=4.07、つまり4×12+5×1の13リーグに分けて予選を行えばよい。4チームのリーグ戦の場合、ホーム&アウェイで1チーム当たり6試合行う。これでもまだ多いが、4試合=1ヶ月分の試合が減るのなら良いだろう。リーグ戦も4チームならば成立する。

予選リーグの組み合わせによっては本戦優勝も狙えるようなチームが2チーム・3チームとか重なる可能性もあるが、それはそれで「予選から死のリーグ」の面白さもある。逆にミラクルでフェロー諸島が本戦に出場できる可能性も今よりは高まって、そういう意味での面白さもある。実際今大会でもロシアやスウェーデンのような、個々人を見ると世界トップレベルの選手がいるのに本戦に出場出来ない場合もあるわけだから、なんら問題はないと思う。

問題あるとしたらやっぱ経済面か。何度も何度も例示して悪いが、フェロー諸島にとってインターナショナルマッチの経済効果は意外と大きいかもしれない。イングランドFAカップは伝統的にFA所属であればアマチュアクラブさえも出場可能な大会で、ちょっとの運があればマンチェスター・ユナイテッドと8万近い収容のオールド・トラッフォードで試合ができる。FAカップの収益は基本対戦クラブ同士の折半だから、アマチュアクラブにしたらこの1試合で向こう何年分の収益が得られる場合もある。それで設備を改善したり、良い選手を買って上のカテゴリに昇格できるかもしれない。つまりFAカップはカップ戦だけでなく、裾野の拡充にも寄与しているわけだ。ワールドカップやリージョナルカップは規模も相当大きくなって、経済効果も大きいため、こういう側面もないわけではないだろう。

結局治安の問題は解消されずに南アフリカワールドカップが開幕する。日本からの観戦ツアーも定員に達していないケースも多いらしく、また日本代表も初出場の時から比べても、一番状態が悪いかもしれない。なんか、オリンピックに近い感覚がある。特に応援したいチームも、そのバックボーンをまったくトレースしなかったから無いし、今更ミーハー的に見ることも不可能だし、こうなりゃ一周してボーッと見てやろうかと思っている。

お早よう ★★★★★

テレビがあこがれの存在だった時代、近所付き合いの話。

見ている途中で、平凡な日常を描く内容と映画制作レベルの高さとのギャップに戦慄を覚えた。比喩表現ではなく、本当に恐ろしくなった。恐ろしい、いや、そういう感情ではない・・・・。なんというか、うまく表現できないかもしれないが、とにかくこの感情を具体的に説明してみる。

まず最初に書いたように、本作の舞台は、ある時代(昭和30年代ぐらいか)の平凡な一社会である。そこには世間が当たり前に存在し、その成員も世間の掟に無条件に従っていた時代である。今のように、核家族化・親の過保護とかモンペア・マイルールとか、掟をぶっつぶす価値観を世間が大ナタでぶった切っていた時代だ。今見ると昔懐かしかったり、在りし日の良き日本であるとか感じたりするが、制作された時代においては、極普通の生活を描いたに過ぎない。

その極普通が、なんつーか、表現するのが難しいんだが、極端に?極普通なのである。”普通””平凡”であることに完璧さを求めている。今ざっと部屋を見渡すと、俺の生活に必要なものがいくつも目に入る。それらは全て(記憶忘れもあるが)何時かの理由があって其処に在る。連続している。生活はアナログだ。本作で描かれた、画面に映される登場人物の生活の証は、証としてシンボリックに意味をなし、それ自体は生活ではない。この極普通はデジタルなものだ。冒頭、集合住宅の間から、右→左に何人か人が出てくる。あのタイミング・手前から奥に向かう画面構成・光のコントラスト、すべて瞬間であり、1である。そこから生じるデジアナの齟齬に、違和感というか、恐怖感のようなものを感じたのかも知れない。これでも上手く説明できてねえなあ。

で俺は、終始この完成された、完璧な普通の生活を見せられて、心は阿鼻叫喚、画面に提供される圧倒的情報量の処理にもがき、打ちのめされてしまった。林家の住人や、そのご近所みんなが宇宙人やロボットのように感じられ、むしろあの14型ナショナル謹製テレビにホッとさせられたのである。押し売りが持ってきた鉛筆は、なんか違う鉛筆かもしれない。芯が硬いとか言ってたし、トンボ鉛筆ではないし、サイボーグの鉛筆かもしれない。楢山行き決定の産婆の婆さんはエイリアンかもしれない。いや、それぐらい恐ろしかった。そんな中、「ナショナル」と書かれたテレビ、厳密に言うとテレビの箱は、俺が持っている膨大な直線のどれかと、ある所で交わってくれる。この安堵感は本作にして得難い休憩ポイントだった。

このように見方によっては、「シャイニング」とか「ファーゴ」の要素も含まれた得体の知れない恐怖感を感じてしまうが、単純に一本の映画としてみても相当面白いし、また恐い恐いと書いたが笑ってしまうシーンも多かった。笑いについては、漫☆画太郎の世界観に似ている。

タイトル「お早よう」に込められた意図と、日本的世間の交わりが本作のテーマだが、現代においてずいぶん解体された世間と、まだずいぶん残っている世間の残滓との乖離やギャップに悩むマイノリティの人間として、興味深いテーマであった。「余計なものがなくなったら、味も素っ気も無くなっちまう」「無駄があるから良いんじゃないかな」と語る兄ちゃんが、天気の話をするラストは、普遍的に通じる人間にとっての大切さを示唆している。