太陽 ★★★☆☆

WWII終戦直前~直後の昭和天皇・裕仁の話。

本作は昭和天皇の人柄を描くという内容ながら、ロシア人監督が制作している。公開は2005年。なぜこの年なのかはよくわからないが、「なぜロシア人が制作したのか」という部分は皮肉にも日本人であるからこそよく理解できる。それほど、日本において天皇周辺をモチーフにして表現の自由を適用するのはかなり困難であるということだ。

彼らは言うだけ番長でなく、実行する。過去何度も実行しているからこそ、無言の圧力に裏付けがある。ロシア制作の本作ですら、主義主張は全くなく、当時現人神として奉られていた裕仁が一般人になる過程を、その人柄を中心に描いているのみだ。

裕仁を演じたイッセー尾形は、映画の方向性によっては最悪彼らに実行される場合も想定されるわけで、この出演だけでも相当評価されるべきだと思う。イッセー尾形と言えばサラリーマンや変わった人物の形態模写で見せる一人劇が主だが、本作でもその延長線上で、昭和天皇・裕仁の形態模写をやっているようにも見える。独特の会話法や唐突な発言、「あっそう」、これらある程度一般に認知されている昭和天皇像をイッセー風にデフォルメすることでコミカルに見られる。占領後写真を撮影しに来たヤンキーがチャップリンのようだと「ヘイ、チャーリー」と裕仁に呼びかけるシーンがあったが、見終わった後でメタファーだと気付いた。焼け野原の日本とそれが一切影響していない天皇の立場とが、チャップリンのシニカルな演劇のようだ。

ということで、ロシア制作の天皇描写という点で見る前は色々想像してしまったが、まあ普通に考えれば、この辺が妥当というか、現在描写できるのはこのぐらいだろうな。昭和生まれと平成生まれの比率が逆転したらまた、状況は変わるかも知れない。


オーストラリア ★★☆☆☆

オーストラリアの話。

長い。この内容で3時間弱は体感でもかなり長かった。ストーリーは「意地悪な大地主と、それに挑戦する新参の弱小女地主」という勧善懲悪のパターンになるかと思いきや、2時間弱の所でそれは寸断され、WWIIの戦禍を加味した親子(厳密には違うが)の再会感動話に変わってしまっている。

これでは、それまで育ててきた悪役としてのフレッチャーが全く活かされないし、見てる側も消化不良でなんのこっちゃわからんし、かといって再会話が見るべき内容かと言えば過去にアホほど描かれた描写であるし、なぜ二部構成のような内容にし、時間を長くしたのかがわからない。敢えて「オーストラリア」というタイトルを付けているのだから、前述の前半部分の勧善懲悪をベースに、アボリジニの扱いや発展の歴史を描くので十分魅力的な作品になったと感じる。

実際牛追いに出発する前、カウボーイ+ミセス・ボス+子供+召使い+料理人+酔っぱらいという組み合わせで牛追いの旅に出かけるというのは、漫画のようだが道中の出来事に期待がもてるキャラクターの組み合わせだったのにあっさり死ぬし、水を求めてアボリジニの秘境に行くくだりもなぜかばっさりカットされダーウィンに飛んでしまうし、使えば面白そうな部分をことごとくはずして時間を削って、その分をなぜか再会感動にねじ込んでいるような印象だ。

とこのように、内容としてはいい材料を活かしきれず中途半端に感じるが、ただし主演がニコール・キッドマンということで、そのパーフェクト超人ぶりは少々の年齢を重ねても揺らぐことなく相変わらず見栄えが良い。前も何かの映画で書いたが、単なる美人さんというよりは存在として魅力的である。

闇の子供たち ★★★☆☆

タイの幼児売春と違法臓器移植の話。

安いエンディングテーマとともに、「もしあの子達が人身売買されず、田舎で普通に暮らしていたらの想像図」が挿入されたところで、くりいむ上田の如く「火サスか!」と心の中でつっこんだ。本作のように、テーマ自体を扱うことで骨太のストーリーが紡ぎ出される類の作品に、最後「実は児童売買を追求していたまさに本人が、ペドであった」のような、サスペンス的どんでん返しは全く必要ない。

本作の主旨は恐らく、トラフィッキングと言われる人身売買・売春・臓器提供・強制労働のような、現実としてある社会の陰部を生々しく描くことにあると思う。そうすることで本作を見た者はこのような状況を認識し、最低でもこういう事がなくなるように願ったり、あるいはなんらかの行動を起こすかも知れない。誘惑に負けそうな時、本作を思い出して思い留めただけでも、役割は達成しているだろう。ストーリーはこの主旨のもと進行し、それらがいかに劣悪であるかを伝えるに十分な描写だった。子供達を買う大人の醜さは何度となく登場し、ブヨブヨの体は象徴的なモチーフとなっている。だからこそ、最後のどんでん返しは蛇足も蛇足、映画自体の評価を一変させるほどの酷い結末である。

この予兆は少し前から見られる。NGOのリーダーが人身売買反対を叫ぶデモで、それまで一緒に働いていた男が実は闇組織側のスパイだったという、そして何故か彼は自殺願望者の如く公衆の面前で銃を抜き警察とドンパチをやってしまうという、マンガのような展開はそれまでのシリアスな展開とは大きく異なる。

ではなぜこのような展開になったのか少し考えた。マンガのような裏切りと、無意味などんでん返し、この二つから考えられるのは「エンタテイメント性・フィクション性の付与」である。作品としての過激さを緩和するためのバランス措置というか、最後の方で帳尻合わせれば、このようなリアルさに嫌悪感を抱く連中にも言い訳が立つという、特定の観客に対する逃げ口である。またペド男とカメラマンが、組織側の男と買収済みの警官に銃で脅されるシーンで「お前らのような日本人を見るとクソな気になる」みたいなセリフを言ったが、まさにそういう、東南アジアなどに行って児童買春をやったことのある連中に対する、「過去のはチャラ、これからはナシで」という配慮を含んだメッセージのようにも思われる。

売買春そのものは、歴史の流れから考えても未来永劫無くなることはないだろう。かつては男権社会の犠牲だったり、貧困だったり、ほとんどが受動的なものだったが、現代では手っ取り早く金を得られる手段として能動的に行われる場合もあるからややこしい。ただし、本作で描かれた児童売春や日本のいわゆる「援助交際」などは、例え能動的であっても責任能力に問題がある。ペドの自覚がある人は是非本作を見て、今後どうするか考えてもらいたい。



ペドの人はなんとかこういうので我慢して欲しい

都会のアリス ★★★★☆

アメリカからドイツへ帰郷する男が偶然知り合った女性に娘を託される話。

ヴィム・ヴェンダース初期の作品ということでもちろんテーマは旅、ロードムービーである。彼の描く旅は基本楽しくない。総じて虚無感や、未達成・敗北などという、旅が本来備えている非日常への期待というよりは、非日常へ挑戦した結果ダメだった者の、「行き」というより「帰り」の印象が強い。

男は雑誌かなんか(イメージとしては飛行機に乗ると網に挟んである機内誌の旅特集)の取材でアメリカの印象を捉えようと試みたものの、多様な印象を表現できないでいる。アメリカからドイツへ向かう行程は、娘と関わることで移動から旅となり、その日暮らしに近かった男の時間は、娘の家探しで意味を持つ。この変化はアメリカでは獲得出来なかった実体験のイメージ化を、必要から導き出すことにつながった。移動・食事・休憩・宿泊一切に子供の事を考えた意味が生じ、二人の関わりで互いに生気を得ていく過程は面白い。

映画であるから、「やがて家は見つかり二人は離れる」というゴールは早い内に想像できる。しかしその過程をこれほど魅力的に描くのは、静寂が見ている側にも心地よく作用するからだろう。ほんの少しだったが、二人が親子のように振る舞う時間、体操や写真を撮るシーンはこれからも記憶の断片に残りそうだ。つーか卑怯ではあるが、オーディションで映画の主役級に抜擢されるほどのポテンシャルを持った少女が、小憎たらしいと、必然的に魅力的である。

一部コンテンツの待避

先週末、急にレンタルサーバの事業者から「高負荷なので何とかしろ」というメールが来た。

google Analyticsで調べてみると、どうもかつてbitchが作ったレミングスの攻略ページにアクセスが集中しているっぽい。このページはブログとは独立してbitchが直接HTMLを作成したものなので、とりあえずfc2の無料ホームページスペースを急ぎ借りてコンテンツを移転した。

今日になってもう一度google Analyticsを確認すると、やはり週末からレミングスの攻略ページへのアクセスが跳ね上がっている。いったいなぜ今頃レミングスなんだろうとちょっと調べたら、先々週のゲームセンターCXで24時間レミングス攻略なんてのをやっていたのを知った。最近TVを観る時間がなかなかなくてCSの契約を切っていたので気づかなかった。そういやカイの冒険の時は途中で寝てしまって結局クリアを生では見られなかったなあ。

というわけで、レミングスの攻略は別館に移りました。一時的に/game/lemmings/index.html が無くなっていたのでアクセスできなかった人もいたかもしれませんが、現在は復活しています。以上、ご連絡まで。

2011年4月3日追記

レンタルサーバを帯域制限のかからない別業者のところへ移設したため、コンテンツを元に戻した。