この世界には二種類の人間がいる。

木、金と続けて飲んだので週末はお疲れモード。土曜の夜も早く寝たし、日曜に至ってはわざわざ東京ドームの内野指定席まで行って昼寝してしまった。

とは言っても、やはりこれを見逃したのは痛かった。27時間テレビでの鶴瓶の丸出し。放送事故のスペシャリストが深夜の生放送に出るんだからちゃんとマークしておくべきだった。残念。

「この世界には二種類の人間がいる」なんて書き出しの文章は、大抵、この次にたいしておもしろくもないニ択の答えがくるのがお約束だ。だからここではあえてニ択にならないようなもので二種類に分けてみる。「何にも考えていない人間」と、「その人間の発する言葉を深読みする人間」だ。

例えば、普段から頭に浮かんだ単語をそのまま口から発して適当にしゃべっている人間(俺のことだ)がいたとする。その話を聞いた相手は何のことだかさっぱりわからないのでもう一度聞き返す。しゃべった当人は、特に意味はないといえばいいのにその場で適当に意味をつけて返してみたりする。そんなことをしているうちに、その人がなまじ世間の人が一目置くような実績を持つ人だったら、聞く側が「一見なんだかわからない話をするが、実はものすごく深遠なことをしゃべっているんだな」と勝手に感心してしまうようになる。ということが絶対起こってくると思うんだよな。特にスポーツ選手のインタビューなんかだと。

で、何を言いたいかというと、俺も人から一目置かれるような実績を上げれば、今のように脳直で適当な単語を垂れ流していても周りが勝手に意味を作ってあがめ奉ってくれるんじゃないかと予想したのだ、ということ。これから俺の人生の目標は、「どんなくだらないことをしゃべっても、うざがられずにありがたがられるような人間になる」ということにしよう。これ、会社に提出する「将来の目標までのキャリアプラン」の中に書いちゃってもいいかな?たぶん今日中に書いて月曜の朝に出さないと怒られそうなんだけど。

急に思い出した

ゴルフ尾崎兄弟・飯合に挑戦

という文字をテレビ欄で初めて見たとき、これはジャンボ尾崎をはじめとした尾崎三兄弟がキャンプかなんかやる番組だと思って見てみると、「めしあい」というプロゴルファーとゴルフ対決をやっていたことがあった。

ちなみに「はんごう」は「飯盒」と書くらしい。

マイ・レフトフット ★★★★☆

生まれながらの脳性麻痺で左足がかろうじて動く感じのクリスティ・ブラウンの人生を描いた話。
わしが通った小学校では障害者学級があって、子供の頃はデリカシーなんてものは存在しないから今思えば随分ひどいことをやっていた。言葉の暴力なんて技も知らないガキの分際では、よくちんちんを見せてもらったりしていた。正直変態だが、子供の頃他人のちんちんを見るという行為は文句なしに面白かったのである。よって障害を持つ子供に対していじめを行っている感覚など無く、なんとなく面白いなあって感じでちんちんをよく見ていた。
障害を持つ人に対して変に過保護になったり、また別ベクトルで蔑んだりマイナスの視点から見るというのは、もともと過保護オンリーでこれまでやってきた障害を持つ人ならばともかく、上記のように親さんの考えで障害を持たない子供と同じように育てて行くという方針でやってきた人にとってはそれはもう、うっとおしいことこの上ないだろう。もちろん社会的な障害者に対する援助(バリアフリーってやつだ)はありがたいだろうが、ヘタに聖人君子的な視点で、あるいは生まれながらマイナスの宿命を負ったという視点で見られると、それだけでも相当のプレッシャーとなると思う。
クリスティもまた兄弟と同じように育てられ、ふつうに育っていったが、やはりいわゆる反抗期で少し面倒な事になってしまった。以前「ザ・ノンフィクション」かなんかで見たのだけれども、クリスティと同じような部分麻痺の若者がデリヘルを呼ぶシーンがすごく印象的だった。なんとなく障害者を純真無垢な感じで見てしまいがちだが、普通に育てば当然性欲もあるだろうし、それなりに精神的な葛藤もあるだろうし、それはデリヘルの若者であれクリスティであれ、自分であれ同じであろうと。
なにしろクリスティに対する家族や社会の関わり方がよかった。母子の描き方もいいね。

ブルー・ベルベット ★★★☆☆

お見舞いの帰りに人間の耳を見つけた(←この時点でやばい)男がえんやこらする話。
あんまり人間の耳は見つけることはないですよね。でもその点がこの映画ではというかデビッドリンチの場合ありきにしてしまうので、そりゃぐにゃあ~とはなってしまう。
そうこれ、たとえば耳みっけてガー叫んだりおーこわおーこわとか、俺様は一平和を好む市民でありたい、どっちかいえばあり続けたいみたいな姿勢は放棄して、望むべく異常な方向へ主人公が突き進んでしまうのであります。これはまことにおかしな事で、通常人間は耳を見つけた場合、まずスルーするという人、これが大体6割、次に素直に警察になんか言う人、これが3割、後1割は食べたり、自分用に取っておいたりするという予測できない行動パターンを醸し出すはずであるが、この主人公はまず3割の部分に属することで日常から異常に踏み込んでいくときの明確な境界がわかりにくいというナイスな演出がなされているようです。
とこのように、リンチの映画を見たら上記のようなぐにゃあとした文も書けてしまうわけですね。怖いですねー

マンチェスター・ユナイテッド → レアル・マドリード

このニュースをインターネットで知ってムカついて、久しぶりに朝テレビを見てたんだがなんか今日、日本に夫婦で来るらしい。安全でワーワー言われるだけの日本にいるうちに、こういうでかいニュースを発表するのはいい選択かも。


ただこれまさしく電撃な移籍なわけで、当初最有力視されていた移籍先はレアル・マドリードの宿敵バルセロナだった。次にユナイテッド残留。可能性が低い移籍先としてACミラン・そしてRマドリーという順番だった。


バルサ移籍の裏付けとして、先日行われたバルセロナ会長選挙にて「ベッカムを連れてくるぜ」を公約に掲げたラポルタ会長候補が新会長に当選したという背景がある。まずこの詐欺紛いの当選劇をラポルタ新会長がどう弁明するかが外野での見所の一つ。まあでもバルサの庶民派なイメージ(戦力的にはどこが庶民だって感じだが)とベッカムの貴公子イメージには違和感あること請け合いなので、これもよかったかも。

http://www.sponichi.co.jp/soccer/kiji/2003/06/17/05.html


またそれだけではなく、バルサ移籍話はベッカムの思惑外のところ(経営陣の間)で進められてきたものの、表面上はバルサ移籍に大きく傾いたうえでのRマドリー電撃移籍はバルセロニスタを非常に憤慨させ、彼らが今なお嫌がらせを続けるフィーゴ並みの敵意を持って迎えられることも考えられる。

http://www.sponichi.co.jp/soccer/kiji/2002/11/25/11.html


以上がRマドリーの外でありうる間接的な影響の話。それよりRマドリー内での直接的な影響の方が深刻である。


現在スペイン・リーガエスパニョーラは最終節を残すだけとなり、依然マドリーとソシエダの優勝争いは最後の最後にマドリー優勢の中でいまだにもつれている。少なくとも現有戦力でリーガ優勝を狙えるチームではあるということだ。もっともマドリーはリーガだけでなくUCLをも視野に入れた戦力作りが求められ、結果的に2002-2003シーズンはイタリア勢にしてやられたということになる。


ただこれも結果論ではあるが、敗因は攻撃陣のタマ不足ではなく、カバーリング等の攻撃の下地作りを担うボランチのポジション(具体的にはマケレレの欠場)と、最終ラインの脆さ(具体的にはイエロの不調)だった。よって一番補うべきはディフェンス能力に長けた選手だと言えるのである。


で今シーズン(ロナウド加入後)のベストメンバーはこんな感じ(4-2-3-1)


             ロナウド

             ラウル

ジダン                          フィーゴ

          マケレレ    XXXXX

R・カルロス                      サルガド

          エルゲラ     イエロ

             カシージャス


   XXXXXの所にはF・コンセイソン グティ カンビアッソあたり


これに「右サイド・デビッドベッカム」という選択肢が加わるのだが、問題はじゃあフィーゴどう使うのよという点に集約される。ここで選択肢は3つぐらい。


1.右サイドポジション争いさせる → どっちにしろ数十億が無駄に(マクマナマンがすでに無駄になってる

2.フィーゴ左サイドへ ジダン真中 1ボランチ → フィーゴ左? しかも1ボランチはかなり不安

3.フィーゴ移籍 → これが最適かも。ただフィーゴ及びフィーゴリスペクトの選手達は激しくムカつくだろう


2の1ボランチだが、来シーズンマケレレ放出がほぼ決定的とされているだけにますます不安要素は大きくなる。そう実際、ベッカム加入よりもマケレレ放出の方がリアルに大問題だったりするのが現状。で早速ユナイテッドへの主力選手放出(フィーゴorマケレレ)・フィーゴのインテル移籍がニュースになっている。いずれにしろこの2選手の今後の動向が注目される。


次にベッカム自身はどうなのかという問題がある。彼はフリーキッカーとして世界最高峰の右足を有し、またここぞという大舞台で直接フリーキックを何本も決めてきた。新人の頃のハーフラインからの超ロングキック・2002出場を決めたギリシャ戦でのロスタイムロングFKはファンならずとも印象に残る一本だ。得点に絡むのも大体がFKか右からのクロスということになる。


ただフィーゴと比べた場合、フィーゴには精度のいいクロスの他にインに切れ込むドリブルがある。Rマドリーの右サイドからの展開は大体この2択から作るだけに、ベッカム後の右の展開がどうなるかは見物だ。


つまり、重点補強ポイントであるディフェンス面に使うべき補強資金をこちらに回し、しかも優勝がかかったこの時期に、チームを組織面からも混乱に陥れかねない「ポジションバッティング」を敢行するというのは、戦力補強以上の何かが作用していると推測できる。


さて話は変わり移籍された側、赤坂康彦流に言うとマンチェなんだが、元々超優良企業(確かプレミア1試合で毎試合満員7万人ぐらい集める)な上にこれで多額の移籍金が得られる。でどこを補強するのかという話だが・・・・

とりあえず今シーズンのベストメンバーはこんな感じ(4-4-2)


                  F・ニステルローイ

          スコールズ

   ギグス                        ベッカム

          XXXXX      XXXXXX

  G・ネビル                       ブラウン

          シルベストル    ファーディナンド

                 バルテズ


    XXXXXの所には ヴェロン ロイキーン バット P・ネビル など


ベッカムが抜けることで右サイドのレギュラーがなくなるが、ここは普通にスールシャールを使うことで特に問題はなくなる。実際スパイクがどうのこうのとなったときはスールシャールが起用され、結果的によかったわけだし。移籍候補に挙がっているロナウジーニョなんかもあり。ましてやフィーゴなんてどうなんだろう。


またこれまでFKはベッカムが蹴っていたが、これもヴェロンがスタメン定着してくると問題なくなる。スコールズも蹴れるし。


正直明確な補強ポイントはない。強いて上げるとギグス・バルテズぐらいだが別に特別劣るわけでもないのでなんとも。意外なまでにベッカム移籍が響いてこない。


このようにベッカムというスターの移籍に絡んでくる事柄というのは単純な戦力補強というよりも金の問題にプライオリティーがあったりするわけで、その点マンチェは別に金に困ってるわけじゃねえけど売るきっかけも出来たことだし今が売り時かなと判断し、「売りまっせ」と各方面に打診したところもっとも理想的な(企業イメージという点に置いて)買い手が現れたため売っぱらったと。買った側のRマドリーにとっては、選手としての価値だけでなく、広告宣伝効果に大きな価値を見出し勝負をかけたとも見れる。


と朝一からムカついて書いてみたわけだが、移籍が決まった以上ベッカムがリーガにやってくる。そして多くのサッカーファンははそれを宣伝媒体ではなく選手として見ることになる。どうなることやら。

リーガ終了後加筆

結局マドリー・ソシエダともそれぞれ「らしい」方法で勝利し、マドリーがリーガを征した。間違いなくマドリーは強いチームだったが、印象的には今シーズンはソシエダのシーズンだったと言ってもいいと思う。

そして優勝直後デルボスケ監督解任&イエロ戦力外が発表された。じゃあセンターはパボン使うのか?あるいは簡保復帰?このフロントとの乖離ぷりはすごい。来シーズンいろんな意味で大丈夫かよ。

コンピュータリテラシーとは?

どうも。ごぶさたです。

突発的に話を振り、かつ先週月曜日(5/26)放送の「伊集院光 深夜の馬鹿力」を聞いているものとして話を進めますが、あのオープニングトーク、間違いがあります。永田プロデューサーの祖父、永田雅一氏がオーナーをしていた大毎オリオンズは、大映ユニオンズと毎日オリオンズが合併してできたチームです。毎日オリオンズが第一回の日本一になったとき、永田オーナーは大映スターズのオーナーです。つまり優勝していません。もちろんその時の監督は西本さんではなく、毎日は湯浅総監督、若林監督兼投手という体制で優勝しています。

西本監督が率いて優勝したのは大毎時代の’60年。この時のオーナーは永田さんですが、この年の日本シリーズでは三原監督率いる大洋にまさかの四連敗(しかもすべて一点差)をしています。その際、西本監督が満塁の場面からスクイズをやって失敗したのを永田オーナーが責めて西本監督と口論になり、史上初めて(そしておそらく唯一の)リーグ優勝監督の解任をしました。西本監督の恨みとはこのことですが、この時日本一にはなっていません。伊集院さんは先ほどの毎日オリオンズと記憶が混同しているのでしょう。

ついでに書くと、西本監督はこれ以外にも、8回か9回日本シリーズにでた(つまりリーグ優勝した)にもかかわらず、一度も日本一になれなかったため、悲運の名将と呼ばれています。以上うんちく終わり。

上のうんちく、全く資料に当たっていない(記憶のみに頼っている)ため、間違いがあるかもしれない。もし見つけたら、「こいつも自信満々で書いている割には脇が甘いな」と馬鹿にしてくれ。

先週の金曜日、出身大学のゼミの先生(中嶋先生)の研究室に遊びに行った。

先生、定年まで後2年だというらしいのに、大学の教養教育についていろいろと悩んでいるらしい。一応俺の意見(俺も一応大学生だし。といっても先生は「社会人の意見」として聞いていたが)も参考になるかなと思って少ししゃべらせてもらった。その中でちょっと引っかかったのが、文系学生に教えるコンピュータリテラシーについてだ。

先生の話によると、未だに「ワードとエクセルの使い方」を教えてコンピュータリテラシーとしているところが多いそうだ。今更特定ソフトのHow toを教えてどうするんだと俺は思うんだが。先生は、デザインを競わせることによって自分でソフトの使い方を覚えたり、アーキテクチャに振り回されないデザインセンスを学ぶ、ということをやりたいようだ。

しかし、俺が思うに、わざわざ大学で学ばせるのだから、HowよりWhyを重視しなければならないのではないか?例えば、メールをやりとりする場合、通常はテキストメールで送り、HTMLメールを送ると場合によっては嫌われる。これはなぜか、ということを考えさせなければ、単純にHTMLメールは出さないと言うルールを覚えさせるだけで終わってしまい、その背後にある、様々な通信環境を想定しなければならないこと、ウイルス感染はどのような経路で発生するのかを連想して考えることができなくなってしまう。ワードとエクセルにしても、これらのソフトが主に使われる理由を考えさせることで、リプレースが難しいというソフトウェアの特徴や、マーケティングの話まで考えさせることができるのではないだろうか。

まあそんな簡単じゃないんだろうけどね。大方の学生は教養に対してそんなにやる気もないだろうし。

個人的な話や短いネタ、通信教育の勉強に関しては別サイトで書くことにしました。

こうしの日々是勉強

こっちはもうちょっと大きなネタの時に書こうと思います。

WXIII PATLABOR THE MOVIE 3 ★★★★☆

東京湾界隈での連続殺人事件を解明するため二人の刑事がうろうろする話。
一作目の主人公はレイバー隊員の遊馬、二作目の主人公はレイバー部隊の隊長後藤、そして三作目は・・・・刑事二人。はじめはパトレイバーについてなんも知らん俺でも一・二作と見るうちに大体ポジションは掴めたわけで、それこそ二作目の後藤はいい感じだったし、今回はどうなのかと見てみるとレイバー部隊はほとんど登場しない。特に前半はチラッと登場するだけなので、こういう脚本でこういう映画を作りたいとなった時にあまりにも地味だから「これじゃスポンサーもなくて予算も取れねえし、じゃあパトレイバーで企画通すか」みたいなことなのかなあとしばらくは拍子抜けだった。
ただ前2作がそうであったように、脚本・演出のクオリティはかなり高い。一々ディティールに拘ることができるのは映画のなせる技だし、地味だと書いたがハードボイルドの魅せ方って地味を淡々と描いて緊張感を持続させるのが本道。見てワーキャー騒ぐものでもなく、じっくり堪能する感じ。
冒頭の船のシーンからそうであるように、示唆に富んだ会話の内容・仕草などが後々効いてきてつながっていくところなんかは、ただボーっと物語を追うのではなく能動的に映画を見る姿勢ができてだれることはない。その時は何気ないアイテムだけど後々わかってくる構成がよく、説明シーンを大幅に無くしてある。それも、言葉のニュアンスより映像のニュアンスを重視した方法をとっている。
正直この映画ではパトレイバーの連中及びレイバーはかなり違和感がある。怪物についてはまだ冴子との繋がりでこの世界観の範囲内に収まってるのだが、なーんか、体裁を整えるために突然パトレイバーを引っ張ってくる感じがする。
あと意外に大事なのかもしれんが、たぶん本作は押井守が関与していない(クレジットにでないし)。それ故パトレイバーとは離れた物語になってしまったのかも。
総括すると、脚本・演出は好きな部類。最後のダメぶりも好きな部類。ただ新旧刑事の描き方があまりに典型的で、かつこの内容でパトレイバーを冠するのは自分としてはそこは拘わりないのでどうでもいいが、この種の映画を映画館で気合入れて見ようとかいう人ってのは恐らくそこを一番拘わるんじゃないかなあということでマイナスポイントにしておきます。

シベリア超特急 ★★★☆☆

ドイツから満州へのシベリア超特急車内で起こる連続殺人事件を山下大将がズバッと解決。
この映画を見るのはこれで2回目で、一回目はどういう形だったか忘れたけど今思えば通常版だった。そして途中で耐えきれず見るのをやめてしまったんだねー。今回はそのリベンジ、特典映像付きの完全版である。やっぱこれ、完全版を見なければそれこそ完全に水野ワールドに突入したとは言えないってことがわかる。だって通常版では記憶が確かならば冒頭の伏線と最後のどんでん返しは端折られていたと思う。結局やりたいのってこれなんだから、そのための長~い劇中劇なんだから、これ完全版でないとダメだよね。
正直に書くと、あのどんでん返しのシーンでまあそのなんだ、ちょいとゾクゾクっと来たわけですよ。その瞬間こっ恥ずかしくなった。映画でやられた感を感じて瞬時に自分で自分に対して恥を知れ恥をな感じになってしまう映画って滅多にないし、それがこの映画を象徴しているんだと、妙に薄ら笑いながら納得してしまった。
仮にあのつっこみ所満載な演劇を、この羞恥プレイに行き着くための計算されたベタベタ具合だったとしたら・・・マイク水野、あなどれん。
そんなわけねえか。