リストランテの夜 ★★★☆☆

兄弟で切り盛りするレストラン。兄は職人気質で腕は立つ料理人で、弟が支配人である。兄のその気性ゆえ、レストランには客がめっきり入らなかった。弟はレストランの成功者の老人に教えられて、スーパースターをレストランに呼んで再起を図ろうとするが・・。
まあなんと言おうか、とくにこうおもしろいっ!ってほどでもなく、めちゃくちゃつまらんってほどでもなく、ふつうに見る分にはそこそこ楽しめるのではないでしょうか。
よく言えばよ!よく言えば!日曜洋画劇場にかなり向いてる作品だ。家族そろってボーっとみれる超安心ムービー。
あでもキスシーン結構あったな。実家にいた頃、当時はレンタルビデオ屋も近くにはなかったんで、仕方なしにテレビの吹替を見ていた。そん時も例えばこう、おお!ジョニー!なんてすてきなジョニーなんでしょう!たぶんアンタがジョニーって名前の男の中で、まあそりゃJonny be Good のジョニーには負けるかもしんないけど、悲しみジョニーよりは間違いなく素敵なジョニーってヤツよ!
おおおマリア!愛しのマリア!愛しの女コマンドーマリア!・・・・とかもう、ああなるほどね、もうすぐね、そうかそうか・・・・。・・・・・。・・・・・・。それまで座って見てたのを寝ころんで見るようにしたり、もうそういうシーンになりますサインを送られた瞬間、俺と姉ちゃんは暗黙の前提のうちに「互いの顔や仕草が見えないモード」にチェンジしたわけです。
そしていざまあそういうグッチョングッチョンなシーンをお互いの呼吸を計りながらやりすごそうと思いきや、親がやたらと反応しやがる。「あら~」とか「まあ!」とかならまだしも、グッチョシーンが長ければ「チャンネル変えろ」って言うの。
ありゃ~・・・。まあ確かに親としては「チャンネル変えろ」が正統派の親かもしれんけどさ、その昭和バンカラ派のサインはつまり、肯定。そう、肯定したことになるのよ!ねぇアンタ!そこまで含んでその合図かよ?
もちろんそういう含みはなく、親としてただもうその場をやり過ごしたいがために彼らは極めて適切なパスを送るのだが、確かにそのパス正しい。正しいけど、点には結びつかないよって当時は思いつつチャンネルを変えていたものでした。
なんだかんだで長くなった。終わり。

孔雀 ★★★☆☆

アサノは、沖縄の竹富島で生まれた。目に入ってきたものを特別な言葉に置き換えてすべて記憶できる特異な能力を持つ彼の心は、いつしか記憶そのものにむしばまれ、疲れきっていた。そんなある日、ふと彼は海に向かって走り出す。見渡すかぎりの青い風景の中で彼は記憶の闇から開放される。行きついた場所は香港の裏町だった。記憶から一切開放された(ほとんど何も覚える気がない)ゲイのマスターが経営するバーに流れつくアサノ。孔雀色のソファに埋もれながら彼は自分の居場所をようやく見つけるのだった。
今回はストーリー紹介をパブリックな映画サイトから引用した。というのもはっきりいってストーリーがよくわからんのである。最終的にアサノ、ケビン、まあめでたしめでたしで終わったようだが、それまでの顛末がよくつかめない。
というのもこの監督のクリストファー・ドイルという人、なんでもウォン・カーウァイの下で撮影監督をしていたらしく本作が初監督作品らしい。確かに彼の映像センスはこの映画の大きな要素で、ラストでアサノがこの映画で重要なファクターである海、この中に入っていい感じに振り向く、これは結構いいものだ。
如何せん内容がよくわからんだけに、まるで岩井作品を見たような、なんだか映像だけで(悪く言えば)誤魔化されたような感じがする。確かに本作も岩井作品もその映像の美しさに置いて凄いと思うが、やっぱ映画は脚本あってのもの、かえってそのことを確認させられた。

狼~男たちの挽歌 最終章~ ★★★☆☆

殺し屋(チョウ・ユンファ)は、ある殺しの依頼で関係のない女を失明させてしまう。彼女に視力回復の手術を施すため、殺し屋は大金のかかった殺しを、これが最後に引き受ける。しかして依頼主の裏切りにあい、仲間の裏切りにあい、警察にも追われる殺し屋。バイオレンス友情?ガンアクション。
香港のバイオレンス監督、ジョン・ウー作品。シリーズものの最終から見るという筋にはずれてしまったことをしたのだが、過去のはなしとの繋がりらしきものはないので、すんなり観れた。
印象的なのはアクションシーン。まずかなりの割合で二丁拳銃を装備し、一人殺すにつき六~八発ぐらいバンバンバンバンバンバン~バンバンと撃ちまくる。これでもかっちゅうぐらい拳銃をハジくので、瞬発的な格好良さから、だんだん「こいつホントに殺し屋かよ」的猜疑心が生じてしまうのです。
俺が抱く殺し屋像はなんといっても一発で相手の脳か心臓をブチ抜く大胆で冷静な野郎なのです。それこそ殺し屋。この殺し屋もボートの上からターゲットを打ち抜いたのだが、まず一発目を脳にブチ込む。それに飽きたらず、二発目、三発目とブチ込むのです。まあ、用心に用心を重ねてということかもしれないが、やっぱ一発で決めて欲しい。
そうは言ってもアクションシーンの連続と、もう一人の主役とも言える刑事と殺し屋の対決シーンは凄い。特にラスト、なんだか友情なんか芽生えてしまって、たった二人で一個師団ぐらいのマフィアの軍団をブッ潰したんだから、友情ってすごいなぁっておもいました。

ア・ホーマンス ★★★☆☆

自分の過去を知らない風(松田優作)は、流れ着いた街でヤクザの抗争に遭遇、そして今や何の価値もない仁義を重んじる山崎に出会う。彼の漢気に感じた風は、孤立無援となった山崎に友情に似たものを感じる。
暗い。グニャグニャする。率直な感想だ。
松田優作監督・主演作品。1986年の製作らしいが、当時これが商業映画として受け入れられたのだろうか?松田優作の演者としての独特の存在感、物憂げな暗さはまさしく彼自身で、受け手としてもそれを見て優作を感じ、またそれを期待しもしたと思う。例えば「野獣死すべし」のために山籠もり、奥歯を2本抜いた、そんな感じのエピソードである。
そんな彼が監督として映画全体に関われば雰囲気が暗くなるのはまあわかるが、はっきりいって人物の心理がよくわからない。オレはわからないものをわかるわかるといえないし、それはみっともない。

アイズ・ワイド・シャット ★★★☆☆

内科医ビルとその妻は互いに信頼の置けるパートナー。しかし、ふとした会話から互いの根底に存する思想がぶつかり、妻への信頼が揺らいでしまう。そんな折、ビルは知己からとあるパーティーの話を聞いてしまう。スタンリーキューブリックの遺作となった、かなりエロい作品。
真実と虚構、正常と異常、対局する二つが融合した状況を扱うものが多いキューブリック作品の中で、本作はその境界がはっきりしていないといえる。ロリータにはあの教授がいたし、時計仕掛けのオレンジには悪たれガキ、フルメタルジャケットにはデブ。
そういった、いわゆる異常者がいないのである。なんというか映画全体の雰囲気が異様なんである。なので見ている最中になんだかこんがらがってくる。なにいってんだこいつはとか、なんでそうなるんじゃとか、疑問だらけになってなんかよくわからんうちに物語は進行する。
まさしくこれこそビルへの感情移入、その結末がある意味原点回帰だ。つまり最早両者の対立軸と言ったものは、そんなものはないと。あるがままをあるがままに受け止めよと、そういってのけやがる。
しかし話ももとより、やはりキューブリック作品の醍醐味は、その映像手法、音の使い方など、五感を多分に刺激するヴィジュアル感覚だろう。ピアノの短音が妙に耳に付き嫌な感じだ。
しかしなんだか・・・。どうしても比べてみてしまうのだが、はっきり言ってしまえば過去の作品の方が相当面白い。これが駄作だとは言わないが、あんまり面白いともおもわないのである。

エリザベス ★★★☆☆

宗教上・経済上国家的危機の状況の中、女王に即位したエリザベス一世の物語。ある意味彼女が一生涯処女を貫いたという通説に、違った見解を出している。
前半部分、イギリス国教会が成立する過程までは間延びした感じで、前半がなければ後半が成り立たないというほどのものでなく付け足しみたいな感じだ。まあそれも歴史的に見てもエリザベス即位までのイギリスは、カトリックとプロテスタントの対立、そしてスペイン王朝の介入など国内は分裂状態で、スペインに助けを求めるほどだったんだから、ダイナミックに描くわけにはいかない。どうしてもイメージとして暗くなってしまう。
しかし救いはロバート卿がいたこと。エリザベスはロバート卿とイギリス国との板挟みで、最終的にイギリス国の隆盛を取った、そういう意味でエリザベスは処女なのだぁ。こういうのは結構すんなり飲み込める。高校の世界史の時でも「エリザベス一世は一生処女だった」なんてウソつけよ!とか思ってたが、「私はイギリス国に恋しました。」まあアリか。それにしても当時世界史の先生がこの話にかこつけて、「おまえらも処女か」とかって興奮気味にしゃべりちらしてたのは、ありゃあセクハラだな。

御法度 ★★★☆☆

幕末の佐幕攘夷主義集団、新撰組に二人の武士が加入した。北辰一刀流の田代と、商家出身の加納惣三郎。美男子である加納に、もともとソノ気のあった田代が、ソノ道を教える。やがて加納にソノ気があるといううわさは組内に広がり、様々の問題が起こる中、統率を重んじる幹部達、近藤勇・土方歳三・沖田総司らは解決に動いた・・・!
大島渚監督の最新作。そういえば、昔過激描写で話題となった「愛のコリーダ」が近々(2000年秋)渋谷のミニシアターで上映されるらしい。機会があれば見たい。でも渋谷嫌いだからたぶん見ない。
まず目を引くのが出演者。話題作りかどうだか松田優作の遺子、松田龍平が事実上の初主演である。ただどうしても優作と比べてしまう・・・・。優作と比べられたらかわいそうだが、あの独特の雰囲気や存在感はなかった。少なくともこの映画では。しかしあの切れ長の目はいい。
映画の内容は簡単な話、衆道(ホモ)の攪乱なのである。しかし事は単純でない。一方で近藤・土方・沖田・伊藤の天然理心流系新撰組オリジナルメンバーを柱とした、いわば軍隊の規律を重んじる部分と、外部からの加納という美男子が持つ妖艶な魅力、これによって互いが互いに不信感を抱いてしまう、少なくとも土方はそういう風に描かれている、肝心なのはこの描写だと思うが、如何せんそこまで引っ張るのが長い。
できるなら、その後の4幹部の関係も見たかった。土方の不信感が特に近藤にどう影響するか?崔洋一は本業は監督ながら結構いい味だしてた。結局クライマックスは一つだけ、なんだか物足りなく感じてしまう。
ストーリーの骨子はかなりいいと思う。しかし・・・・。こういうなんというかやりきれなさみたいなものは、「アイズワイドシャット」を見終わったときのモヤモヤに似ている。