広島・尾道から東京にいる子供らを訪ねた老夫婦の話。
今回小津初体験ということで、代表作の本作を選んだ。もともと小津についてはヴェンダースから逆戻りして知ったということもあり、自分の大好きな監督が尊敬する監督、それも代表作ということで敬意を込めて、見る前から★5は決定済みだ。
敬意はさておき、率直な感想としてはとても素晴らしい映画だった。映画の世界に小津ブランドが確立されているのもよくわかる。映画監督が、これほど映画そのものを支配できる様は中々見ることができない。たぶん日本一世界で有名な黒澤明作品でさえ、監督の力だけでなく、志村喬や三船敏郎、あるいは仲代達矢あたりが強烈な個性を発揮しないと、推進力は損なわれただろう。しかし小津作品では、主役の笠智衆や当代のトップアイドル原節子ですらも、色は消され、小津色にすっかり染められている。
だから小津作品にとって、俳優は恐らく映画を構成する一つの要素、コマでしかなく、たぶん、たぶんだが、監督の指図通りにやってくれたなら、誰でもいいんだと思う。それを物語るように、登場人物のセリフは棒読み気味で機械的であり、そこに俳優個人の色付けや感情は表現されない。もちろん、本作で言えば美容室をやっていた長女や、大阪にいる次男のように、「家族関係の崩壊」を明示する記号としての、感情の表出はあるが、それは監督のコントロール下にある。
そうして(商業主義とは別の意味で)機械化されたオートメーティッドな作品は、監督と俳優が互いに強調・協力して作り上げる一般的な映画とは異なり、独特の印象を見る者に与える。老夫婦の淡々とした語り口、現実離れした現実との関わり方は、機械化された故幻想的であり、また感情が無い分、世間に生ずる様々な情景を、客観的に描写してくれる。長男や長女の身勝手な態度や、自分で「ずるい」と言った次男嫁の態度を、我々は日々の生活で自分の中に見つけられる。
サッカーファンの俺からすると、これは1974西ドイツワールドカップにおける、リヌス・ミケルス率いるオランダ代表のローテーションフットボール(後のトータルフットボール)を初めて見た衝撃に匹敵するかも知れない。笠智衆にクライフほどの奇抜さはないが、この時代にこういう作品を作っているのは、とても先進的なことだ。