鮫肌男と桃尻女 ★★★★★

桃尻トシ子は親戚の叔父の経営するホテルの従業員。刺激のない生活に嫌気がさしている。そこに突然現れたヤクザとなぜか一緒に逃げる。
凄い映画だった。全体に漂うスピード感だけとってもこれまでの日本映画にあまりないものだ。日本文化と相まって、これまでの日本映画はゆったりと流れるテンポのものが多く、それが一方では泥臭さにもなりまた一方では趣きとなって多数の傑作が生まれた。
しかしこの作品のスピード感は現代っ子監督ならではの感覚だ。これは大げさに言えばハリウッドの既存のエンタテイメントに対する挑戦状だろう。
鮫肌=浅野忠信、トシ子=小日向しえ、という主役がまずいい。浅野は言うまでもなくかっこよく、小日向しえという女優は初めてみたんだが、この人もこの映画の雰囲気にかなりあってて、「演技せねば」的素振りを微塵も見せずあくまで自然にやっている。二人の行動も車の中の会話も、ほんとにどうでもいいことでそのどうでもいい中に魅力が溢れている。世を跋扈するエセ女優は死んで欲しいと思う。
浅野の鮫肌は原作のイメージにしっくりきて、もうこれ以上はいらないってほどに彼だけで満足できる。男でも松田優作と浅野忠信には惚れる。
脇役もすばらしい。鮫肌を追いかけるやくざのボスが岸辺一徳。若頭が鶴見慎吾。鮫肌の元相棒が寺島進。とくに岸辺一徳がいい感じ。原作の田抜以上に田抜っぽい。鮫肌とのトランシーバーでのやりとりなんかもう、凄くいい。映画でああいう感じって、ほんとあるようで無いんだよな。
肝心なのは映画独自のキャラの山田だ。これを演じたのは我集院達也(若人あきら)。太字にする理由もわかるだろう。主役を食わんばかりの楽しさだ。しかもたぶんありゃ演技じゃない。監督にも「そのままでいいです」とか言われたんだろう。
この石井克人監督、もとはCM監督らしいがそのCMでもアスパラドリンクのCMの第一作目に我集院を起用してるし、次回作「PARTY7」でも浅野・我集院を起用している。よっぽど気に入ったんだろう。そりゃ気に入る。
映画が原作を超えてる大きな部分は、この山田だ。彼(というか我集院)の笑いがこの映画にピッタリ、それを汲んで映画ができていることが凄い。これで終わりかと思ったらまたクライマックスでおいしいところを山田がもっていくし。もう山田がメインと言ってもいいぐらいだ。
これは世界に通じるエンタテイメントだ。日本が世界に通じるのはアート作品だけじゃなく、エンタテイメントもあるという一本でしょう。

ウディ・アレンの影と霧 ★★★★☆

霧が濃いある夜、わけもわからず自警団の連中に呼び出された男、彼は連続殺人魔を捕まえるという大それた羽目になってしまった。一方サーカス一座の芸人女、彼女は恋人の浮気に腹を立て街を徘徊していた。流れに任せて動く両者、運命とは身を任せるものなのか、それとも切り開くものなのか?
 
まず驚いたのは、本作が1992年の作品であること。モノクロ映画で、しかも話の筋やディティール等、戦前の喜劇のような作風なのでそれがかえって新鮮だった。そういえば見てるうちに「こいつマルコビッチっぽいな~」と思って見ていたんだが、なるほどそれなら合点が行く。
本作は男(ウディアレン)とその周りの人々とのやりとりから、彼ら独自の観念を男にぶつけて、見ている側にもその観念を認識させることで全編がつながっている。連続殺人魔自体は話の本筋ではなく、それを元にした人々のやりとりが本作の見所だといえる。
コメディ仕立てがかえって普遍的なテーマをサラッと投げかけ、気付くまもなく次から次に、そしてそんな中に男も女も自分なりの答えを見つけ出し前進する。この奇妙な霧の濃い夜の話、それはとんでもなくイレギュラーなひとときでもあり、また日常の出来事の積み重ねでもあるようだ。

blood the last vampire ★★★★☆

小夜がオニと戦う。
48分と非常に短い映画で、実際すぐ見終わってしまう。それだけにストーリーもそんなにひねったりすることなく、まあアニメらしいといったら至極アニメらしい映画ではある。ただこの映画が他のアニメ映画と異なる点は、それが単なる映画としてでなくて、”未来のアニメの習作”的ポジションで作られている点だろう。
アニメにCGを合成するのは(というかコンピューターでアニメをつくる)、3・4年前からあったようなことで、例えば「青の6号」とかはもう、フルCGでできたようなアニメでストーリー云々かんぬん以前にアニメの可能性というか、実写との棲み分けのような、これまた”未来のアニメの習作”だったわけである。
でまあそれを凝縮して48分で見せたのが本作で、これが寺田克也の絵をもうバリバリに使いまくり、妖怪大戦争になってる。妖怪が咆哮をあげるシーンは実写映画以上に映画映画しててかっこいいし、アニメならではの素材よろしく、この世のものでない映像が血をブシャーっとぶちまける様、大層なものを見せてもらった。
一応ストーリーの含みもあるわけで、小夜がぽつりと漏らす一言に後々わかる含みがあったり、初っぱなで「オリジナル」というフレーズがありそのタイトル、これはつまりそのあああれかと、そうしたらばラストに自分でぶった切ったオニさんを愛でる小夜の図、ということも納得できるわけである。
アキラののりが好きなら、面白いんじゃなかろうか。

人狼 ★★★★☆

戦後、独立主権の回復した日本では、国内で反政府系組織と国家治安部隊との抗争が続いていた。治安部隊の中でも武力特務隊である特機隊の構成員、伏はテロリストの検挙に躊躇し挙げ句に爆死させてしまう。なぜ伏は撃てなかったのか?そして彼の周り、公安と特機隊には政治的な思惑が巡っていたのだった。
まずアニメのくせに見やすい。これはどういうことかというと、アニメでは口の動きや、体の動きや、風景の流れや、そういう実写ムービーではあり得ない部分で気がかりになる点がどうしてもでてくる。しかもアニメで所謂”アニメっぽい”映像でないものを作ろうとすればするほどそういう細かい点の煩わしさのようなものはいっそう目立ってきて、なんとなく見た後すっきりしないことが多かった。
しかしこの作品はそういう細部がかなり作られている。会話は少ない方なんだが、そのアニメーションのタイミングとか、銃の銃具合とか、ガンアクションのガンアクション具合とか、細かいくせにかなり大事な細部について親切な感じがする。だから見やすい。
ストーリーのポイントとしてある童話が用いられるのだが、その童話と話の重なり様、また離れ様など抽象的ではあれ、見ていて引き込まれる。彼がその童話のどのポジションなのか、また彼女は、これはクライマックスにかけて入れ替わったような感じになるんだがその効果がおもしろい。
はじめ彼は撃てなかった。しかし。互いに組織に生きる者として、殉ずる者として、ああいう締め方は好きだ。「そして彼は狼になった・・・。」か。えへへ。

青春デンデケデケデケ ★★★★☆

かつてベンチャーズブームが起こっていた時代のとある高校。彼らも少なからず「デンデケデケデケ」のオープニングリフにやられたクチだった。やがて楽器を手にし、バンドを組み、文化祭でコンサート(あくまでコンサート)、青春系さわやか映画である。
日本にエレキブームをもたらしたのは間違いなくベンチャーズだ。つまりその、聴く→演奏するというステージを開拓した意味でである。ベンチャーズ自身も日本びいきなようで、何度となく日本に訪れ加山雄三の「君といつまでも」をインストルメンタルカバーしたりしてる。往年のギターサウンドファンにはおなじみの寺内タケシとブルージーンズなんかもかなり影響うけているだろう。
このベンチャーズのサウンドというか奏法は当時相当斬新だったと思う。題字の「デンデケデケデケ」として語られる代表曲pipelineは、スライド(厳密に言えばグリッサンドか)・チョーキング・ハマリング&プリング・そしてアームプレイと、この一曲で基本のテクはかなりちりばめられていて、しかもこの曲は誰でも知ってるキャッチーな曲だから演奏していて楽しいし、しかも基礎を磨けると。アレンジもやりやすいので、pipelineとかdiamond headは練習用にちょうどいい。
映画というかベンチャーズ話になってしまったなぁ。まあこの映画もベンチャーズに魅せられた少年がバンドを組んで、練習して、というおもしろ話なんでいいでしょう。このノリで。
しかしひとつ疑問に思ったのが、伝聞によればこの当時エレキギターは「不良」の象徴だったはず。それが本作では微塵も感じられず、まわりの人間すべてが応援している。それはおそらく方針として、さわやかに描こうというのがあったのだろう。
映画のつくりも非常に初々しい。観てて恥ずかしくなる場面も多少ある。しかしそこはこの映画の全体的雰囲気でゴリ押せてしまう。というか自分自身ベンチャーズ大好きなので、この映画はおもしろく観ることができた。

道 ★★★★☆

大道芸人ザンパーノに新しい相棒ができた。その女ジェルソミーナ、芸はできないわラッパは吹けないわ、ザンパーノは持て余し気味である。そんな二人も各地を旅する間さまざまのことがあり、紆余曲折、やがてそれぞれの道をみつける。
人生は基本的に思い通りにいかない。「思い通りにいかないから人生というとてつもなく膨大な退屈な時間を埋めることができるのだし、人生に意味を見出せるもんだ」のようなことはたびたび語られるのだが、それはある程度思い通りにいっている人間の視点からの意見であるのはもっともな話で、万事が万事うまくいくはずのないダメな種類の人間には全然響かない語りである。
そしてまた、ザンパーノもダメなにおいがする奴だ。浮世家業の大道芸人、しかも演ずる芸はひとつ、それでいて見栄っ張りの強欲家ときたもんで、典型ともいえる。そこに現れたのが純粋無垢なジェルソミーナ、彼女の振る舞いに翻弄されつつもザンパーノは次第に彼自身の心に揺り動かされてしまい、結果的に大きな悲劇を招いてしまう。
ただザンパーノは、最後の最後に運命的なめぐり合わせから救われることになる。いやもう、ここで救われるだけザンパーノはまし。往々にして救われないのだから。そこが悲哀と絶望の分かれ目である。

シックスセンス ★★★★☆

メンタルケアを生業とする医師○○は、ある子供の治療を試みる。どうみても変だとしか思えないその子供の言動、またそれ自体に苦しめられている子供自身、医師はやがて語られる子供の言葉によって事態を理解し、また自分自身をも省みるのだった・・・!
タイトルからして第六感、人間の五感視覚聴覚味覚触覚嗅覚+得体の知れない第六感、それである。このへんで映画の雰囲気から察するにそういう感じの映画かなというのは大体わかる。
したがってそういうものものしい雰囲気を醸し出すため、またラストのああいうもっていき方をするために、物語自体は少々冗長な感もある。が、すべてはラストのための布石であると考えると、観終わった後には冗長さもどこかに行ってしまい、まあいい映画でしたねと締めくくれるのはナイス。
このラストの感じは、福本系漫画に見られる「気付きのシーン」をゆるーくした感じでまあ悪くないです。ちなみに気付きのシーンは↓

ポストマン・ブルース ★★★★☆

郵便配達員の○○は日々を前向きな諦観とともに生きていた。しかし彼の知り合いのチンピラ、××の一言が彼の日々を変えることになる。一通の私信を盗み見たことで知り合った女と殺し屋、彼の周りをとりまいてゆく奴等が彼の運命をも決めるのだった・・・・!
話の中心となる三人の男達は互いが互いの運命を掌握している。その運命にこたえようとする彼らの行動、それが友情というものか。この映画はそこらへんのあからさま友情物語よりもよっぽど友情という感情を抱かせる作品だ。
タイトルからしてかなり切ない感じがするのだが、その切なさを前提に彼らは生きている。苦しい顔して訴えて苦しい苦しいというよりは、その苦しさを前提として前に生きる。それこそがエンタテイメントの提供する楽しさじゃあないのか。
ラスト、三人はおそらく解放されたのだろう、観ている側もすがすがしい気分である。死んだふたりが手をつないで歩く、こういう終わりもこういう映画なら全然アリだね。 

デスペラード ★★★★☆

恋人を殺されたギター奏者Mは殺し屋となり、恋人を殺したブッチョを探していた。とある酒場でブッチョの情報を得たMは、自己の目的のため、そして未来のためにブッチョをぶっ殺す。久しぶりに凄まじいガンアクションを観た。
高校の頃この映画の宣伝を見た覚えがあり、そして今の今まで肝心のタイトルを忘れていたんだが今回観て鮮烈に思い出した。当時映画を見始めたばかりでハリウッド系大作アクションを好んでみてたんだが、それがかすんで見えるくらいのガンアクションの凄さ、これは絶対観んといかんだろうと思いながら当時は観ずじまいだったのである。たぶん地方まで配給がなかったし。
ハリウッドガンアクションの御都合的な部分(主人公は絶対急所に当たらない、主人公のショットは当たるが敵のはハズレる、など)は初めから考えない。ガンアクションの要は派手さよりも緊迫感。御都合部分を考えてたらそもそも緊迫感なんて生まれない。
この映画はジョン・ウーの派手さとタランティーノの緊迫感があわさったような、凄まじいガンアクションなんである。タランティーノは出演しているものの、むしろジョン・ウー的エッセンスの方が濃い。弾はガンガンに撃ちまくるし、ここぞの一対一は緊迫感抜群。
でもまあ、こういう映画を続けざまに観てるとだんだん飽きてきて、また受けつけなくなりそうだから、たま~に観るのが一番適した映画の種類なんじゃないかと思った。

最も危険な遊戯 ★★★★☆

国防システムの巨額な受注を巡って二つの企業が争う中、一方の企業の社長がもう一方の企業とつながりのあるギャングに誘拐された。そこで、誘拐された側の企業の会長が殺し屋鳴海昇平(松田優作)に、社長を取り戻すよう依頼する。しかし事態は逆に進展し、鳴海自身が狙われるハメになるが・・・。
松田優作の魅力が堪能できる作品。つーかそれだけ。十分それで満足できる。まず優作がもつ独特の雰囲気、いかにも殺し屋みたいな雰囲気で十分。「野獣死すべし」ではキレ役だったが、こういうバックボーンを感じさせない殺し屋みたいな役は、純粋にアクションを楽しめるのでいい。
前半ではガンアクション。かっこいいとしかいえない。で、後半は走る。松田優作の走る姿は本当に様になる。もうなんというか、これがオーラかという感想です。「ここのところがいい」とかでなく、走る姿全体で見てかっこいい。まあ話の内容でなく、松田優作ありきでどうしても観てしまう。それはそれで満足するんだからしょうがない。