まさるとしんじはなんとなく生きていた。もともと殺気立って気の荒いまさると、一見おとなしいのだが内に毒気のあるしんじ。いつものようにカツアゲ・煽り・どうしようもなくくだらないことばかりやってる。それがあるきっかけからボクシングを始めた。
これまでの北野作品と違い、表面的に拳銃やら刀やら、血がブシャーっとかそういう見た目の殺伐とした雰囲気ではなく、内に秘めた殺伐さというか、全体的な絶望感というか、それでいて実は最後の最後にいいやそうじゃないよと語られるというのがまず非常に良かった。
単純に青春挫折、自己の限界を知る、なんて言葉でくくってしまうとあまりに安直すぎて、実際それは枝葉末節にすぎず、ううむ、なんというか怨念めいたすさまじい生きること、それでも生きていくことへの決意のようなものを感じるわけです。観た後で。
というのも、映画の主人公はまさるとしんじだけども、この映画に登場するやつすべてに生きることがあり、例えばラーメン屋の○○ちゃん(名前忘れた)やあからさまに下っ端ヤクザの○○(これまたあからさまに下っ端な感じで区切りがつけられる)、登場する背景のある人物すべてに絶望的な生きることの影がちらついている。
今→昔→今、という構成なんだが、最初と最後に登場する漫才のシーン、それを傍らで見つめる某、この某の存在が何気ないようでかなりインパクト強い。まさるやしんじのように一瞬でも光を見た様子がなく、それでいて笑っていられる。もう凄かった。
ラストがああなるのは青臭いとか綺麗すぎとか思うかもしれないが、この映画でこの構成、そして周りの人物との兼ね合い、映画としてカルト的な支持よりも、観る側を含めて登場人物すべての退廃的絶望感救済のためには、ああいう終わりしかないんじゃないかと思う。
自分にとってはまさるとしんじの生き方よりもその周りの人々の生き方の方が断然インパクトだった。モロ諸岡演ずる○○さんなんてもうなんだろ、彼さえいなければ!ではないけど、こういう場面があるから観てる側は自分の過去、また生き方について一瞬なりとも考えるのではないかと思います。
あとね、ああこの暗い湿っぽい青がキタノブルーかよ!って思うと思う。
U-571 ★★★★★
第2次世界大戦中の連合軍は、ドイツ軍の新しい暗号解読ができなかったため、潜水艦Uボートの前に劣勢だった。そのドイツ軍の暗号装置”エニグマ”を奪い取るため、連合軍はアメリカ海軍艦S33をドイツの戦艦と偽装して、ドイツのUボート U-571を奪い取る作戦を決行する。
戦争映画ではあるが、プライベートライアンやシンレッドラインのような戦争主義映画ではなく、戦争を舞台にした超パニックアクション映画といえる。ザ・ロックとか乱気流とかコンエアー系の、御都合だけどそれ以上に見ててドキドキ面白いアクション映画。
アレがこうなってから以降は(肝心なとこなので具体的には書かない)もう緊張の連続で、絶対そうなるはずないのにまるで自分がUボートの乗組員であるような感覚を持つというか、主人公らが圧倒的不利な状況にあるので、話にグイグイひきこまれる。
全体的に静寂と緊張がバランスよく展開されていて、ドッカンドッカンはまあいいにしても、静寂の部分の緊張感というのはかなりうまい。Uボート映画は色々あって、海事戦を描くのはあるけれども、静寂のなかのドッカンドッカンの恐怖というのは見てるだけでも緊張してくる。
というのも彼らが常に大量の汗を噴出させてるわけで、そこには汗が似合う濃い顔、ヒゲ面、黒人、なんかしらんけど臆病っぽいやつ、これだけ逸材がそろうと汗の表現で緊張を演出できる。
また一方で副長タイラーの極限状態での成長ってのもありそうなんだけど、まあこれはよくある定番のテーマでもあるが、この映画ではそういう臭いはうすい。物語の序盤で「ダメ副官」のレッテルを貼られてるのに、実際ヘタレもへったくれもない、やればできるいい子なんです。この子。
非常に面白いと思います。
サイダーハウスルール ★★★★★
医療施設も兼ねている孤児院で育てられたホーマーは、辣腕産婦人科医ラーチによって医師としての技術や知識を教え込まれる。そうして彼は自ずから、またもって生まれた天性から、医師として一通りの事ができるようになった。しかしその感覚がない当の本人。そこにある若い連れ合いが堕胎手術のために孤児院を訪れた・・・・!
原作・脚本が小説家のものらしいので、というかガープの世界と同じ作家らしい、まあふつうに考えられるのはその原作小説を大幅にハショッたのが映画になったんだろう。当方小説はあんまり読みませんので、その具合というのはわかりません。が、往々にして小説の映画化は最早別物、比べることはできないほどだというものであります。
でこの完全オリジナルの映画は、戦争の時代設定で「堕胎」を中心テーマと起きながらも実はさにあらず、これは主人公ホーマーの流板武者修行日記のようなものであります。孤児院やら堕胎やら、テーマは重いんだけど映像はかなりサラリと観れる。
それはホーマー自身が最初から孤児院にいて、そして堕胎が身近にあって、彼自身感情の高ぶりも見せず淡々と振る舞う、また先に書いたようにこれがテーマであってテーマでない、テーマはホーマー自身だということがあるからだろう。
むしろホーマーに感情移入してしまうような、別れのシーンや最後のレントゲンやラストシーンや、彼が大きくなっていく、またなっているシーンに大きく感情が高ぶり、あ~なんかやっぱこういう映画っていいなこのやろう。
そこであらためて思うのがサイダーハウスルールっていうタイトルなわけで、そこには『流板ホーナーの武者修行日記ではださいからこのタイトルで』という流れは当然なく、それはたしかにそのルールが2度登場するんだけど、そこでサラッと語られる事がこの映画を象徴してる。思えば堕胎がありやなしやにしても、愛情の裏っ返しの×××にしても、それこそサイダーハウスのルールにしても、すべて己らが決めているってこと。
こういうテーマの重さに対して、この爽快感!いい映画だった。
全く関係ないが、ホーマーっていう名前を打つとき、ついホーナーって打ってしまい(mとnって近いでしょ。キーの位置。)、あのヤクルトのホーナーを思い出し、たしかめがねデブだったよな、あれがあのヤクルトの青いというか水色みたいなユニフォーム着てたんか、そうかそうか、バントでホームランか、ってなりました。頭ん中で。
ジャッキーブラウン ★★★★☆
銃の密売屋であるオデールの周りには愛人の女、相棒、そして現金の運び屋のジャッキーがいる。ジャッキーが現金運びの途中に捕まってしまい、自分の事をあれこれチクられることを恐れたオデールは、保釈金融業者を使ってジャッキーを助け出す。そしてジャッキーとオデールは、彼の全財産50万ドルを運び出すためにある計画をブチ立てるのだが・・・。
クエンティン・タランティーノ監督作品第3弾。
第1弾の「レザボアドッグス」をまだ見てないのだが、パルプフィクションと比べると、なんだかスピード感が感じられない。かといって面白くないわけでなく、最後なんかよくできた話である。しかしあの「どうでもいい話の連発」とか、「不条理」なんてものがあんまりないのである。ただそこはタランティーノ作品、表面的にはないが各人それぞれが身勝手な「カスの主張」を持っていて、それがてんでバラバラ、最後には一気に吹き出してしまうというエッセンスは感じられる。
時間軸のずらし方など見せ方のうまさは相変わらずだが、見終わって率直に「スゲェな」とは感じない。なんかフツーの感じなんである。だけど面白い。今回は自分の好きな音楽をいっぱい入れてきたような気がする。
しかし俺はタランティーノにタランティーノ的なものを求めるのである。パルプフィクションの印象があまりに強烈だから、またそれが残ってるばっかりだし、それも仕方ない。
猿の惑星シリーズ ★★★★★
宇宙航行中に不慮の事態で不時着したとある惑星。そこには酸素もあれば水もある。ここはどこかと徘徊っている宇宙飛行士達のもとに、突然猿達の群れが襲いかかってきた!捕まった男は怪我で声が出せなくなっているその傍らで、猿どもが言葉を発している!さてどうなる?
シリーズ全5作。後の作品になればなるほどグダグダになってるのだが、シリーズ全体で観るとなればこれは面白い話だった。とにかくスケールがでかい。一作目のラストはあまりにも有名で、詳しい事の顛末は知らなくても、最後だけなぜか知ってるという人もいるだろう。
而してそこで止まっている人が多い。是非続きは観ねば。確かに一作目がウケたから続編作りました、的な臭いはつよい。しかしそこは素直になろう。おもろいから。この映画はもう、全五作を観て初めて帰結するといってもいいくらいで、この物語特有の過去から未来へと往来して行く様は凄い。
ストーリー映画でパート5まで続いた作品は後にも先にもこれぐらいだろう。未体験の方は一気見もあり!である。
ファイトクラブ ★★★★★
日々に生きた心地がしない、彼は常に感じていた。そんな中同じ病気を持つもの同士が痛みを分かち合う会に出席し、死の反対としての生に目覚めはじめる彼。やがて一人の男に会い、痛みを分かち合うのではなく、痛みを共有することで生を感じる、ファイトクラブができる・・・。
黒澤明の「生きる」で志村喬が演じる役所の男は、死を感じたときに初めて生を感じようとした。そして行き着いたのが生きて活きる、まさしく生活である。その点この映画では全くの逆と言えるかも知れない。日々の生に活を感じられない奴等が集まるファイトクラブ、それが肉体的な痛みを感じることで活きた心地を感じ合う。
面白いのは、彼だけが狂気になれなかったことと同時に、もう一人の彼は一人狂気であったことを思い知らされた時の彼の言動である。その時に最早ファイトクラブは必要でなくなった。痛み→死の裏に生を感じるのではなく、やはり活を見いだすことを選択した。
前作セブンの破綻っぷり、本作もラス前までは破綻してたんだが、前作同様破綻の中に人間らしさが見られるラストの選択、これらの映画をたんなるサイコ野郎のブッ壊し映画と見るより、サイコに接した普通の人間の人間らしさの選択、と言う視点でみると相当面白い。
時計じかけのオレンジ ★★★★★
四人のチンピラを率いるアレックスは、毎日セックス&ヴァイオレンスに溢れていた。他のチンピラどもとケンカ、浮浪者をリンチ、きまぐれに強姦、なんでもあり。平時親の前ではいい子を装うこのクソガキもついに年貢の納め時。刑務所に収監されたのだが、ある手段を用いれば刑期が大きく短縮される。果たしてアレックスはどうなる?
数あるキューブリック作品の中でも最高の出来だ。
まず本編とは関係ない部分で、言葉の面白さに特徴がある。スラングと言ってもいい記号化された言葉が溢れ、丁寧にも字幕には下線まで引っ張ってある。「強姦」=「デボチカをトルチョックしてインアウト」、「あほ」=「くそボルシーのヤーブロッコあほ」意味不明。特に「あほ」の場合、「くそボルシーのヤーブロッコあほ」とした方がより「あほ」を強調しているように感じられる。最後に「あほ」言ってるからね。つい女性のことをデボチカと言ってしまいがちになる。
内容についてはシナリオが示唆に富んでいる。原題「CLOCKWORK ORANGE」は、題名からしてあやしい感じだが、そのとおり映画はアレックスだけでなくその内容も剥けば見えてくる見応えのある内容だ。
アレックスは治療でセックス&ヴァイオレンスを拒絶、吐き気を覚えるほどになった。刑務所は悪人に偽善と虚飾を教え込み、本質的な犯罪の解決にはなっていないと学者は語っていたが、この治療は悪の要素を悪人から除去することで犯罪抑圧を計ろうとするものである。
確かにアレックスは悪を拒絶した。しかしそれは善でもない、悪でないだけである。結局彼は自分で抑圧を解放し、而してもとの時計じかけのオレンジ、表面イイコチャンの中身クソガキに戻ってしまったのである。
こういうアレックスをフィルターにして観るとどうか。特に後半、人間は所詮みんな時計仕掛けのオレンジだということがよくわかる。極端なアレックスに象徴されるように、正と負の二つの感情、そのどちらかが抑圧されれば均衡を失う。それに気付かない人間の滑稽さ。ラストの内務大臣とアレックスの記念写真、アレックスがなんだかヒーローに見えた。
そしてこのシナリオ以外の部分も、BGM・小物に至るまで官能的・本源的な感覚を覚えるほどで、完璧な作りだ。キューブリックにかかればスローモーション&クイックといった技法も全て美しく見えてしまう。一貫したクラシック、ヴェートーヴェンが後半に連れて大きなものとなる、こういったキューブリック節ともいえる映像は見事。「I singin’ in the rain・・・」トルチョックは強烈!
ジョジョ第三部のオインゴ・ボインゴ兄弟、彼らは時計仕掛けのオレンジがもとでゲームオーバーになるんだが、オインゴの能力が「顔を変える」というのも、なるほどといった感じじゃないかな。
ユージュアル・サスペクツ ★★★★★
拳銃泥棒の容疑で尋問を受けたキートン、マクマナス、ホックニー、フェンスター、ヴァーヴァルの五人。彼らはそれぞれ犯罪歴があるのだが、これがきっかけで五人でシゴトをすることになる。ヤクの強奪を成功させた五人に新たなシゴトの依頼が入った。依頼主は「カイザーソゼ」。果たしてカイザーソゼとは・・・?そして彼らはどうなる?
ストーリーが延々と映し出されるものでなく、一人のストーリーテラーのもとに場面場面が切り取って映し出される、そういうシナリオ構成がまずいい。そうすることでサスペンス系に必要な終末に向かうにつれての期待感が増幅されるし、最初はよくわからなくても後で段々わかっくる、こういうのが逆に印象深くするのだろう。
そしてそういう終末への持っていき方があって、その期待感に対するだけのラストが待っていることがまたこの映画の面白さだろう。序盤から断片的に語られる「カイザーソゼ」、こいつは誰だというのがラストに弾けるのが当然だが、実はもう一つのラストが待っていた!
・・・・こういう映画での欺かれる側(この場合は刑事さんかな)が驚愕してしまうのを観て期待感を処理する、サスペンス系に典型のラストの処理だが、この映画はなんとラストに観客をも驚愕させてしまうラストを用意していた・・・!なんとすごい。この映画が単なるサスペンス映画でない感じを受けるのはこういうラストだろう。
つまり我々観客も、カイザーソゼに欺かれていたのだ。ビックリ。
ラン・ローラ・ラン ★★★★★
ローラの恋人マニはギャングの卵。そのマニが偉い人から預かったカネを電車に置き忘れてしまう。受け渡しの時間まで後20分。ローラが走る。
映画の冒頭で、ガードマンがサッカーの話をする。「ボールと90分。後はすべて推測だ。」
本編での事実は大きくこのふたつ。
1.マニ(ローラの彼氏)の持ってた金がパクられた。
2.11時40分から12時までの出来事である。
要はこの事実の中でドリフの「もしもシリーズ」のように、3つの未来の可能性が考えられる。「ローラの死」・「マニの死」・「ハッピーエンド」いずれも事実と虚構の中にあるということだ。
題字のごとくローラはとにかく走りまくってるんだが、その20分の間の少しのずれでローラとマニだけでなく、途中でぶつかるババアやチャリに乗った若者の未来(一生)がめちゃくちゃ変わってしまうという、そこだけとってもこの映画の見せ方が把握できれば楽しめるところだ。
そもそもローラの「走る」という行為が未来へ向かっていくことで、それは決して自分の力で未来を切り開くものでない、すべて他人任せで未来が決まる、走ればなんとかなるだろうという主体性なきギャンブルのようなもので、結局ローラ、マニの「死」が残ったということだ。
結局未来なんてどんなに自分が道筋を用意しようとも、周りとの関わりの部分で決まることがあまりにも多すぎて、この映画のごとく未来の可能性の一つを歩んでいるにすぎない。
いやこの映画ではローラに念力という未来へのパワーを授けている。「ムキィーー」とかいって絶叫すると、ローラに望む未来がもたらされるというすばらしい力だ。こういうのもアリね。
ローラは念力でハッピーエンドをてにいれた。・・・いやハッピーエンドか?「もし私が死んだらどうする?」なんて言ってる所のローラとマニの主体性のなさからすれば、死の裏返しの生も、生=ハッピーとは言えないのかな。
とにかくこの映画は「そんな未来あるかよ」っちゅう未来を用意してます。スーパーバイオレンステクノお笑いムービーとでも言っとこうか。ドイツ映画ということでテクノ満載です。
ダイヤルMを廻せ! ★★★★★
資産家である妻が、彼女の友人である作家に心ひかれてゆく。自分の身を案じた夫は、妻の財産を狙った完全犯罪を計画し、旧来の友人にその実行を依頼する。ところが夫の友人は、逆に妻に抵抗され挙げ句に死んでしまう。そこで夫は妻に殺人の罪を被せようと画策するのだが・・・。
さすがに巨匠と言われるだけあって、ヒッチコックの作品はどれも面白い。まず驚異的なのはこれが1955年製作であること。なんとカラー!55年というと、日本では後の世界のクロサワが白黒フィルムで「い~の~ちぃ~み~じ~いぃ~かぁ~しぃ~~」なんてやってるちょっと後。それでこの映像クオリティなんだから、当時のハリウッドはかなり飛び抜けてたんだろう。
サスペンス映画よろしく、結局はミスが命取りとなって夫は捕まるのだが、そのミスが「必然のミス」とも言えるもので、つまりこの映画の伏線の張り方、クライマックスの持っていき方などは、後々の映画に大きく影響したことだろう。今見ても全然色あせていないことからわかる。
最近よくあるサイコサスペンス、「超」のものをもちこんで何でもアリにしてしまってパワープレイで成立させてしまうような作品は、サスペンスである以上やはり無理があり緊張感は持続しないし、ヘタしたら退屈なだけになる。それよりサスペンスならこういう古典的な推理ものが王道だし見応えある。