アサノは、沖縄の竹富島で生まれた。目に入ってきたものを特別な言葉に置き換えてすべて記憶できる特異な能力を持つ彼の心は、いつしか記憶そのものにむしばまれ、疲れきっていた。そんなある日、ふと彼は海に向かって走り出す。見渡すかぎりの青い風景の中で彼は記憶の闇から開放される。行きついた場所は香港の裏町だった。記憶から一切開放された(ほとんど何も覚える気がない)ゲイのマスターが経営するバーに流れつくアサノ。孔雀色のソファに埋もれながら彼は自分の居場所をようやく見つけるのだった。
今回はストーリー紹介をパブリックな映画サイトから引用した。というのもはっきりいってストーリーがよくわからんのである。最終的にアサノ、ケビン、まあめでたしめでたしで終わったようだが、それまでの顛末がよくつかめない。
というのもこの監督のクリストファー・ドイルという人、なんでもウォン・カーウァイの下で撮影監督をしていたらしく本作が初監督作品らしい。確かに彼の映像センスはこの映画の大きな要素で、ラストでアサノがこの映画で重要なファクターである海、この中に入っていい感じに振り向く、これは結構いいものだ。
如何せん内容がよくわからんだけに、まるで岩井作品を見たような、なんだか映像だけで(悪く言えば)誤魔化されたような感じがする。確かに本作も岩井作品もその映像の美しさに置いて凄いと思うが、やっぱ映画は脚本あってのもの、かえってそのことを確認させられた。
ア・ホーマンス ★★★☆☆
自分の過去を知らない風(松田優作)は、流れ着いた街でヤクザの抗争に遭遇、そして今や何の価値もない仁義を重んじる山崎に出会う。彼の漢気に感じた風は、孤立無援となった山崎に友情に似たものを感じる。
暗い。グニャグニャする。率直な感想だ。
松田優作監督・主演作品。1986年の製作らしいが、当時これが商業映画として受け入れられたのだろうか?松田優作の演者としての独特の存在感、物憂げな暗さはまさしく彼自身で、受け手としてもそれを見て優作を感じ、またそれを期待しもしたと思う。例えば「野獣死すべし」のために山籠もり、奥歯を2本抜いた、そんな感じのエピソードである。
そんな彼が監督として映画全体に関われば雰囲気が暗くなるのはまあわかるが、はっきりいって人物の心理がよくわからない。オレはわからないものをわかるわかるといえないし、それはみっともない。
セーラー服と機関銃 ★★★☆☆
ヤクザの組長が死んだ。後継者としてあがったのは、普通の女子高生**(名前忘れた・薬師丸ひろ子)。やがて彼女は組長として、弱小な組を率いる。
カ・イ・カ・ン。以上。疲れた。
PiCNiC ★★★☆☆
なんというか・・・。壁歩き?
よくわからん。映像美が。よっぽど「野獣死すべし」のほうが美しいと思うんだが。でもいいシーンはある。賛美歌のシーンとか、最後とか。全体に漂う退廃的な雰囲気もいい。岩井作品はねえ、どうもねえ・・・。
エリザベス ★★★☆☆
宗教上・経済上国家的危機の状況の中、女王に即位したエリザベス一世の物語。ある意味彼女が一生涯処女を貫いたという通説に、違った見解を出している。
前半部分、イギリス国教会が成立する過程までは間延びした感じで、前半がなければ後半が成り立たないというほどのものでなく付け足しみたいな感じだ。まあそれも歴史的に見てもエリザベス即位までのイギリスは、カトリックとプロテスタントの対立、そしてスペイン王朝の介入など国内は分裂状態で、スペインに助けを求めるほどだったんだから、ダイナミックに描くわけにはいかない。どうしてもイメージとして暗くなってしまう。
しかし救いはロバート卿がいたこと。エリザベスはロバート卿とイギリス国との板挟みで、最終的にイギリス国の隆盛を取った、そういう意味でエリザベスは処女なのだぁ。こういうのは結構すんなり飲み込める。高校の世界史の時でも「エリザベス一世は一生処女だった」なんてウソつけよ!とか思ってたが、「私はイギリス国に恋しました。」まあアリか。それにしても当時世界史の先生がこの話にかこつけて、「おまえらも処女か」とかって興奮気味にしゃべりちらしてたのは、ありゃあセクハラだな。
アイズ・ワイド・シャット ★★★☆☆
内科医ビルとその妻は互いに信頼の置けるパートナー。しかし、ふとした会話から互いの根底に存する思想がぶつかり、妻への信頼が揺らいでしまう。そんな折、ビルは知己からとあるパーティーの話を聞いてしまう。スタンリーキューブリックの遺作となった、かなりエロい作品。
真実と虚構、正常と異常、対局する二つが融合した状況を扱うものが多いキューブリック作品の中で、本作はその境界がはっきりしていないといえる。ロリータにはあの教授がいたし、時計仕掛けのオレンジには悪たれガキ、フルメタルジャケットにはデブ。
そういった、いわゆる異常者がいないのである。なんというか映画全体の雰囲気が異様なんである。なので見ている最中になんだかこんがらがってくる。なにいってんだこいつはとか、なんでそうなるんじゃとか、疑問だらけになってなんかよくわからんうちに物語は進行する。
まさしくこれこそビルへの感情移入、その結末がある意味原点回帰だ。つまり最早両者の対立軸と言ったものは、そんなものはないと。あるがままをあるがままに受け止めよと、そういってのけやがる。
しかし話ももとより、やはりキューブリック作品の醍醐味は、その映像手法、音の使い方など、五感を多分に刺激するヴィジュアル感覚だろう。ピアノの短音が妙に耳に付き嫌な感じだ。
しかしなんだか・・・。どうしても比べてみてしまうのだが、はっきり言ってしまえば過去の作品の方が相当面白い。これが駄作だとは言わないが、あんまり面白いともおもわないのである。
御法度 ★★★☆☆
幕末の佐幕攘夷主義集団、新撰組に二人の武士が加入した。北辰一刀流の田代と、商家出身の加納惣三郎。美男子である加納に、もともとソノ気のあった田代が、ソノ道を教える。やがて加納にソノ気があるといううわさは組内に広がり、様々の問題が起こる中、統率を重んじる幹部達、近藤勇・土方歳三・沖田総司らは解決に動いた・・・!
大島渚監督の最新作。そういえば、昔過激描写で話題となった「愛のコリーダ」が近々(2000年秋)渋谷のミニシアターで上映されるらしい。機会があれば見たい。でも渋谷嫌いだからたぶん見ない。
まず目を引くのが出演者。話題作りかどうだか松田優作の遺子、松田龍平が事実上の初主演である。ただどうしても優作と比べてしまう・・・・。優作と比べられたらかわいそうだが、あの独特の雰囲気や存在感はなかった。少なくともこの映画では。しかしあの切れ長の目はいい。
映画の内容は簡単な話、衆道(ホモ)の攪乱なのである。しかし事は単純でない。一方で近藤・土方・沖田・伊藤の天然理心流系新撰組オリジナルメンバーを柱とした、いわば軍隊の規律を重んじる部分と、外部からの加納という美男子が持つ妖艶な魅力、これによって互いが互いに不信感を抱いてしまう、少なくとも土方はそういう風に描かれている、肝心なのはこの描写だと思うが、如何せんそこまで引っ張るのが長い。
できるなら、その後の4幹部の関係も見たかった。土方の不信感が特に近藤にどう影響するか?崔洋一は本業は監督ながら結構いい味だしてた。結局クライマックスは一つだけ、なんだか物足りなく感じてしまう。
ストーリーの骨子はかなりいいと思う。しかし・・・・。こういうなんというかやりきれなさみたいなものは、「アイズワイドシャット」を見終わったときのモヤモヤに似ている。
π(パイ) ★★★☆☆
天才数学者が、自然界のあらゆる事象を数式化、その法則を解き明かそうとしてついに216の数列にたどり着く。それは株式の相場をもすべて予測できる法則を秘めており、やがて数字にとりつかれた数学者は、自らも数字によってイカレてしまうという話。
「脳が数字に殺される。」こういう副題が付いていたんだが、観ているこっちは脳が映画に壊されかけた。まず観たときは体がしんどくて、だる~い気分で始まり。モノクロ映画なので、こういう気分の時に例えば走り回る映像があると、当然画面がぶれまくってなんか神経が逆なでされるような気になった。イライラ。
さらに、数学者の精神状態を表そうとしたのか生理的に受けつけがたい音が延々と垂れ流される。電話のベル音とかドリルの音とか。あと全体的にテクノが含んであるんだが、自分の体の状態、精神状態によってはただイライラしてくるだけだというのがよくわかった。結局観るときの気分、体調によって感じ方は大きく異なるということだろう。
考えようによっては観ているこっちも精神が壊れかけたんだから、それぐらい入り込める映画ともいえる。ただしそれは映像の話で、確かに新感覚ホラーなのかもしれん。過去にあったホラー映画の、瞬間的な視覚による恐怖とは異なる、五感を駆使したジワジワくる恐怖というか、恐怖を通り越してイィィィィィーーってなるような、もう精神に突き刺さるものだ。
そう考えると陽気な気分で観てるよりは、最初からだる~い気分で観てる今回は結果的によかったかもしれん。仮に陽気な気分で観てたら・・・・・?想像を絶するな。
東京日和 ★★★☆☆
写真家アラーキーとその妻陽子の話らしい。
竹中直人監督・主演の映画は、これまで「無能の人」「119」とあったが、それに一貫してみれるのは、なんというか、静寂というのが正しいのかわからないが、とにかく「静」だと思う。
そういう意味では「無能の人」が一番しっくりきたし、逆に「119」はなんとなく終わった感じだった。静けさというのは見る人によっては爆弾を抱えているもので、たとえば自分の場合「119」は面白くないと思う。しかし「119」最高だと思う人もいるだろう。つまりアクションなんかの激しい映画に比べて、静かな映画は見る人によってはほんとに120分の苦痛となることだってあるわけだ。まだ激しい映画だったら若干万人が楽しめる余地が在るはずだ。だから、静の映画の宿命として、ニュートラルがないとも言える。
そこでこの「東京日和」。いい映画と思う。まずしがない写真家・アラーキーというのもいい感じだし、妻の陽子は情緒不安定でかわいい。日々のたわいのない出来事に互いの愛情を感じるのも、この夫婦ならありえることだ。
ラストシーンで陽子が編集者の名前を間違えた理由を気付く。こんな何気ないことで妻の大事さを感じるのは、それまでの暮らしが大きな前提となり、見ているこっちもじんときた。
しかしねえ、さっきの「ニュートラルがない」ということで言えば、どうでもいいといえばどうでもいい話だし「退屈だった」という人もいるだろう。また、仮に陽子が中山美穂でなく、そのへんのババアとかだったら絶対成立しない話ではある。その点-1。
ユメノ銀河 ★★★☆☆
これまでの人生、何の起伏もない平坦な道をただ淡々と歩んできた(らしい)女車掌トミ子が、連続殺人鬼と目される新高という男に、「殺人鬼」ということへの憧れにも似た恋心を抱いてしまうという話。
非日常への羨望というのは誰しもあるもので、またそれが日常に刺激がなければないほど強まってくる、一種狂気じみてくる、でまあ現実の話ならそこに落とし穴があるというのがよく聞くことだ。不倫とかね。
トミ子は自分が狂気であることを客観視しながらも、それを捨て去ることはできない、そんなこんなで「私って、狂気だわ」なんて考えてるうちにラスト、線路の踏切で「オーライ」の声。それは「こんな私もオーライよ」的なものも含んだ声に思えたが。
結局新高という男が本当に殺人鬼なのかどうかはわからずに、女車掌同士の噂が噂をよんで、こんな狂気じみた死に繋がったんじゃないのかなぁ。女車掌という仕事はやってられないわ、みたいなことを冒頭に言ってたし。
人間、普通でないことを求めてそんな自分に恍惚感を覚える。トミ子の場合はそれがすぐ死に繋がったが、あらゆる刺激の強すぎる現代ではまずそこに繋がらない。だから本作の時代設定、またモノクロであることが活きてくるのだろう。