ホテルのベルボーイの元に次々に訪れる客達。
原題Four Rooms の通り、この映画はホテルの4つの部屋での出来事をオムニバス形式で構成し、それを一人のベルボーイを中心として作り上げているのでどちらかといえばそれぞれの話が相互に関わり合うパルプフィクションのような形式ではなく、短編映画の集合といえる。
本作はその4つの部屋ごとに監督を変えているのでそれぞれが短編映画のようになってしまったわけで、これがたとえばタランティーノ一人で監督し構成までやっていたならばそれぞれの部屋で起きた出来事がお互いに作用しあうような、もっと見応えある構成にできたのがもったいない。
でまぁそれぞれの話だが、これはおもしろかった。3つ目の臭い話、4つ目のギャンブル話、特にこの二つはラストに集約されるような構成なんだが、そのラストまでのもって行き方、そしてラストの一瞬の潔いタイミング、計算されたものだろうが見ていて素直におもしろい。ためてためてためてラストあっさり、こういう方法好きです。はい。
ライフ・イズ・ビューティフル ★★★☆☆
ユダヤ人のグイドは度重なる偶然から、ドーラという女性に出逢い、そして結婚して子供ができる。その子ジョズエが5歳になったころ、ナチスの強制収容でグイドとジョズエは収容所送りとなり、そしてドーラも後を追う。状況を理解できないジョズエに対し、グイドはこれはゲームだと教えていく。
なぜなぜなんでどうしてと、疑問愚問は非常に多いけれども、これが強制収容所という現実にあった歴史的な惨劇を舞台にした御都合のフィクションであると捉えたならば、素直に面白い映画だと思う。御都合部分はフィクションだとしてもああいう理不尽が過去にあったのは事実だし、またグイドのように生き生きとした人があっさりとも粛清されていったというのも事実であろうし、まぁ見ていてあまりのギャップに辟易することも多かったが、全体的なストーリーは面白かった。
しかしあらためて考えるとこれは無理な部分があまりに多い。まずそんな偶然に会わんし、それに仮にも強制収容所、あんな自由勝手に子供をかくまったり、あんなことやこんなこと、ファンタジックというか現実にありそうもないことをやられてしまうのは正直たとえ作り話だとしてもその部分はかなり引きます私。
けれども前に書いたとおり、この映画ではそこ追求したら駄目なんだろう。それはそれでどうかと思うが、最終的にああいう終わり方があって、まあまあ最後の感じはよかったのでOKなんじゃなかろうか。自分は基本的にファンタジーや寓話のたぐいは好きではないけれども、それでも見終わった感じは悪くないので、普通に見る分にはかなり面白いということだろう。
こういう感動ド真ん中の作品を見たときは、自分はあまり感動しない種類の人間なんだなぁと思ってしまう。せづねぇ。
あの子を探して ★★★☆☆
中国の山奥の村に、代用教員としてやってきたミンジ。彼女の目的は金のみである。正式な先生が戻るまでに生徒を一人でも減らさなければお金がもらえるという約束になるが、貧しい家庭のホエクーが町に出稼ぎに行ってしまう。どうするミンジ。
ものすごく中国ったらしい映画。最後にはいかにもな貧困山村の現状めいた言葉がサラッと、そりゃもうそういう映画なのですよと言わんばかりにサラッと乗っかってて、なるほどと思うとともにそれまでの展開と併せてものすげぇ中国臭かった。なんでも、貧困山村から毎年100万人の児童が出稼ぎに行かざるを得ない状況になり、そのうちの2割ぐらいがなんとか財団のおかげで学校に復帰してるそうです。大変だね。
で、こういう風に画面はだいたいが貧乏ったらしい。これは「貧乏ったらしく見せる」とかじゃなくて、もうそのまんまナチュラルボーン貧乏ったらしなのである。そういえばおぼっちゃまくんのビンボっちゃまは、正面だけスーツを着て後ろが尻丸出しというおもろい格好をしてたね。
そしてまあこのミンジという少女がまたすごい嫌なやつで、とにかく無理矢理でも自分のいい方に持っていこうとする。これは粘り強いというか、正直自分に対してあんな理不尽なことをされるとムカついてくるのでまずこのミンジに全然ついていけなかった。
それに冒頭では思いっきり綺麗なチョークを踏みにじり、それを全部ホエクーのせいにしてあやまれあやまれとぬかしやがる、そのくせ町に出ると墨汁を大事に使うというこの変わり様、いやこの変わり様こそなんだということなのかもしれんが、あんな理不尽野郎がどんな苦労しようがどうせ理不尽我が侭で解決するんだろうと、それまでの流れから思ってると案の定うまくいきすぎな展開、話全体に自分がついていけなかった。
というわけでこのミンジの性格がまったく駄目で、見ててもう納得いかないことだらけで感動どころじゃありません。最後の村長まで「寄付で新しい校舎を建てます。」だと。なんでこんなに貧乏ったらしさが徹底してるんだろう。「これを機会に貧困山村を援助する団体がもっと増えろてめえ」とか「我々の最低限の取り分以外はほかの農村にまわせ」とかどうして言ってくれない。自分勝手すぎる。
そういう自分勝手な奴らの行動に子供の思いも消失、残ったのは後味の悪さだった。
マグノリア ★★★★☆
警官と彼に訪問されたコカイン女、その女の親父でカリスマクイズ司会者、そのクイズ番組にでている天才少年、昔でてたけど今はバカでゲイの男、一方で死にかけた老人とその若い妻と主治医、そしてその息子は売れっ子ビンビン作家、、、という話。
↑。なんのこっちゃわからんでしょう。でもそうなんだな。この映画はこれらの人々の偶然の連なりをストーリーの主軸としている。それぞれにそれぞれのストーリーがあり、そしてそれが一応偶然という形で関連している、そういう点では最後近くまで彼ら一人一人の心情も画面で出して、非常に雑というか、当たればもうけものだけどもそれでいいんじゃねえのというような作りだった。
しかしラスト、ここでとんでもないギミックがあるんだが、これはもちろんいきなりこんなバカにしくさった展開だったので見ている側も爆笑したろうが、見終わってからすごぅく後味悪いものとなった。それまではわけがわからんながらも、一応人間の心情を描くという点でストーリーはまっとうに進行しているわけだ。それも普段何かによって遮られる感情を、一度に多くの人間が噴出させてるわけだ。心理描写としておもしろくなりがちな展開だと思う。それがいきなりギミックで寸断され、そしてまたラストのラストに心情描写に戻る。じゃああのあれの偶然のギミックはなんなの一体と、ただバカ笑いのためかと、正直そういう煮え切らない感覚になるのです。
なので話としてはぼんやりとした「雰囲気で稼ぐ」タイプの映画だと思うが、それが突き抜けきれず途中へんなおもしろを入れたのが、映画の後味で最悪な状態を招いたような。もちろんその場面はおもしろいんだけど、映画全体に対する効果は逆のマイナスだと思う。
作品自体は平均の★★★だけども、ジュリアン・ムーアが「ファック」やら「コックサッカー」「プッシー」とか汚い言葉を連呼してたのがおもしろ要素としてプラス1。
スターリングラード ★★★★☆
1942年、ドイツに侵攻されたソ連軍のスターリングラードでの攻防。それに伴う各国のスナイパー同士の戦いの話。
まずおーいと言いたくなるのが、おまえら独人・露人だろうが。なんで英語話しとんのじゃと。
そこはまぁ、別に映画自体がおもしろけりゃ些末なことでないのと言われたらばそうかもしれんが、この言語というのは結構大事で、たとえば特徴的なイタリア映画やフランス映画というのはある意味それぞれの言語がもたらす影響というのがその映画全体のイメージを決定しているといってもいいほどのもので、で本作は、たとえば英語を話してるのに書いてる字はロシア語とか、もうそこがもんのすごく矛盾してるのです。これはかなり気になるし、ロシア人が「サウンズグーッド!!」なんてもう、おもいっっきり英語じゃねぇかよそれよと思うようなセリフをしゃべるので、ストーリーに入り込んだところがそこで一端途切れてしまう。これは凄くもったいない。
上のものごっつい矛盾を除いた部分では、結構おもしろい映画である。まず自分はメタルギアソリッドではできる限り狙撃で殺るのが好きだったし、ゴルゴは一巻も持っていないけど「ゴルゴ学」は持っているというほどのスナイパー好き、それにつけて本作ではスナイパー同士の緊張感ある戦いというのがとてもいい感じで、まず序盤の方でスナイパーの魅力というか狙撃を全面にだして、また最後もスナイパーの対決という構成から、後々が冗長になっても全体の印象としてはよくなるように作ってあると思う。
しかしまぁ、確かプライベートライアンもそうだったけど、この戦争映画というのの作りに冒頭が一番人殺しシーンが多いという印象がある。やはりポイントは冒頭とクライマックスの衝撃、これが見終わった後の印象を決定付けるということだろう。またそれがわかってる映画というのは観やすいし、観ていておもしろいものが多い。
ただスナイパー全開ではなく、天才スナイパーとそれを見いだした軍人、そして女の三角関係を持ち出した構成は見てて非常にハリウッドくさく、あれは正直いらんです。スナイパーの戦いが凄くいいだけに、よけいに邪魔に見える。それを差っ引いてもとても面白い映画だと思う。
太陽を盗んだ男 ★★★★★
ダメな理科教師○○は修学旅行中図らずもバスジャック事件に巻き込まれてしまう。それが触媒となったのか、突如ある考えがひらめき、それを実行してしまい、なんとうまくいってしまうというとんでもない話。
一言で言えば、沢田研二と菅原文太をオモチャにした映画。
1979年作品。これ重要。それは例えば西部警察が日産自動車をバックに付けて好き放題車やライフルでドッカンドッカンやってた時代。それがOKだった時代。そんな時代の、そんな映画です。だから今の時代にこんぐらいのテンションで作ろうと思っても色んな理由で不可能だろうし、仮にやろうとするならDOAのようにCG使ってなんとか巧みにやるしかない。正直、これを観るとDOAはなんだったのと思ってしまうよなぁ。
だって、1979年というと沢田研二はまだジュリーで「Oh!ギャル」とか歌ってるころでしょ。そしてまた文太兄ぃは仁義とかトラック野郎とか硬派なやつにばりっばりの主役ででてる頃でしょ。そう考えるとこの映画ほんと凄い。キャスティングの時点で成功してる。
当方今まで色んなハリウッドのガンアクション、カーアクションを観てきましたが、もちろんこれからも観る機会があるかと思いますが、純粋な物でこれ以上の作品というのはおそらくない。まずストーリーの概要の部分で負けるだろうし、そして本編の場面場面のインパクトの部分でも負けるだろう。それぐらいスケールの部分ではものすげぇことになっている。
しかも、そのテンションにまかせてガンガンいくだけでなく、むしろそうなるのは後半からクライマックスにかけてのことで、冒頭および太陽を作る課程は不気味な映像。いろんな感情が急に切り替わり、そのたんびにジュリーがへんな動きをしたりするから、変。
もう、観てください。これが日本のアクション映画だ。
魔界村
プレイヤーは、魔王アスタロトにさらわれたプリンセスを助けるため、騎士アーサーを操り各面をクリアするという当時として設定はよくありがちな内容のアクションゲーム。ただしその無数の同類アクションゲームの中から後々までこの魔界村の名前が残っている理由はなんといっても難易度。そして悪魔風でかっこいいキャラクターとBGMなど全体の雰囲気である。
全6面の、1週目をクリアした後に全体がスピードアップした2週目クリアで真のエンディング。よって本当の意味でのクリアまで都合12面の大冒険である。各面のラストにはボスが待ちかまえており、1面は一角獣、2面は一角獣×2、3・4面はドラゴン、5面はサタン、そして6面は道中にそれぞれのボスと戦い、最後にアスタロトとの対戦という構成。
1985年といえば自分はまだ幼稚園か小学生のはじめ頃、さすがにそのころゲーセンに行ってるほど不良ではありません。ただ中高生のころよく行ったゲーセンでは、普通のゲーセンのように主力の筐体で最新のゲームを常に更新し、店の経営に資する一方で、一時代前とか古き良きゲームは店の隅っこの方にひっそりと置いておく、という方針をとっていたのである。
しかも、主力の最新ゲームが1PLAY50円に対して、その時代遅れのゲーム群は1PLAY10円!!金額だけで言えば最新ゲームの5倍遊べるということで、自分及びまわりの貧乏学生はむしろ隅っこの10円ゲームを主に遊んでいた。そのなかに、昔のHボタンを連打したらアレな部分が見える脱衣麻雀とか、戦いの挽歌とか、そして本作などが置かれていたのである。
さらに、それら10円ゲームの筐体はこれまた古ーい、おそらく昔ゼビウスあたりに使われていたであろう筐体に、無理矢理ストリートファイターの6ボタンコンパネをはめ込んでいて(6ボタンだと色々対応できるから)、古さ故に筐体自体がイカレて、時にクレジットが無制限になったり、プレイ中にいきなりリセットされたり、良くも悪くも面白いことがよく起きた。本作魔界村が無限クレジットになった時があったが、その時は全然知らんやつ同士で回しあい、散々やり倒したあげくに小指が無い店のオヤジにぶん殴られたという面白い経験もある。
ボスまでたどり着く間には数々の敵&ギミックが盛りだくさん、中でも後々に単体主役を張るまでに出世したレッドアリーマーとの数度のガチンコ勝負はとても燃える。
一番雑魚敵であるゾンビくん達にしても、このゲームでは全く雑魚として切り捨てることはできない。通常スクロール系アクションゲームの雑魚敵というのは画面の端っこから出てくるので、いざ自分に対峙するまでに準備が出来てるのでほぼ対応できるのだが、魔界村の場合ゾンビは下からボコボコっと生まれてくるもんだから、これが3匹くらいまとまって追いかけられると結構怖い。
さらに5面では火の玉小僧と骨みたいなのを投げる茶色い飛行物が徒党を組んでアーサーに向かってきて、さんざんなまでにえげつない攻撃をしてくる。
そう、特徴とはボスよりもボス以前の方が難しいということが一つある。
そしてアーサーははじめ鎧を着ているけれども、これが敵にやられた場合にその鎧が脱がされ、裸一貫で勝負していくことになるということ。この、やたら難しいけれども即死ゲーではないという点も重要である。これが故に魔界村のノーミスクリアというのは、理不尽なやられ方をしてもまだ挽回のチャンスがある(たまに途中で鎧をくれるから)ということもあり、自分のテクを試すのによく使われるようだ。
俺ですか。俺は・・・5面の途中にいるアリーマーによくやられます。あと6面のアリーマー連続の所。・・・・・まだノーミスクリア達成してません。はい。
1.十字架を入手せよ
まず自分の場合、一度「十字架持ってねぇとアスタロトの所には行けないんですよボケ」という英語の字を見た経験があって、確か素っ気なく5面に戻されて、そのときすごく苦労して辿り着いたのにそりゃねぇぜと、ほんと凹んだのでこれは絶対クリアせねばならない条件。
理想としては、5-6面までは標準の槍か、短剣で進み、5-6面で十字架入手、というのがいいのかもしれない。敵による火の玉とか弾とか、飛弾攻撃が多くなるのが5-6面からだし、それまでは画面端まで届く槍か短剣が使いやすい。たいまつと斧は攻略となると却下。たいまつクリアはおもしろそうだけどなぁ。
とにかく、十字架が出たらその時点で取るべき。
2.対アリーマー
専門の攻略サイトには恐らく完璧な対アリーマー戦法があると思うんだが、自分はだいたいこんな感じ。
基本的にアリーマーは接近戦で臨む。そうするとアリーマーが地上に降りて、こっちに向かってくるからそれを連射で撃破。あるいはアリーマーが飛んでいる状況になると、とにかく動いてこちらの場所を特定させず、そして武器で牽制しながら機会を待って接近戦を狙う。それと、この場合は牽制中に何度かアリーマーに攻撃してることもあるので、意外に特攻しても大丈夫だったりする。
要するに、接近して向かってきたところに連射。これでいい。
3.対ボス
・一角獣→基本的にはタイミングを計って3発ずつくらい。大ジャンプをされるような状況にもっていかないようにすることが大事。
・ドラゴン→まずは最初の攻撃で尻尾の大部分を壊すのがベスト。あとは逃げながら遠目に撃つのがいい。こいつは色々イレギュラーな動きをするから、接近戦はとどめを刺すの以外はやらないのがいい。
・サタン→連打。飛んできたら気合でかわす。
・アスタロト→体の真ん中にある変な顔がヒットポイント。弾の出る間隔を見て、ジャンプして一発。これを繰り返して時間をかけて倒す。
この後、レッドアリーマーシリーズはしらんが、魔界村シリーズはアーケードで大魔界村(のちにMDとPCESGに移植された)、SFCで超魔界村、そして最近魔界村シリーズの続編と位置づけられているマキシモがPS2で登場し、まだまだ忘れられてない。変なとこで謎魔界村ちゅうのもあったな。
そのなかで、個人的には大魔界村と超魔界村はかなり難しく、全クリアはもんのすごい時間と気力を要する(超魔界村はラスボスが鬼すぎ)。しかし、本作は難易度高い高いと言っても一応クリアが可能な程度の難易度で、まずこの魔界村の雰囲気を楽しむ、そしてあわよくばクリアしてしまうということも可能のなので、今からやるなら最新のマキシモではなく本作を通過してみるのがよろしい。
にしても名作というのはどれも、音楽とともにあるなぁ。
ハンニバル ★★★☆☆
羊たちの沈黙のラストから、国外逃亡中の連続殺人犯ハンニバル・レクター。その彼に顔を剥がれた大富豪メイソンは、復讐せんと彼をおびき出すためFBIに圧力をかけ、捜査官クラリス・スターリングを10年ぶりに彼の担当に戻させた。そのころクラリスは担当する事件で多くの死者を出し、世間から非難を浴びていた。
前作「羊たちの沈黙」が1991年公開、10年ぶりの続編である。当時をプレイバックしてみるとその前年ぐらいに「氷の微笑」というサスペンスが上映されて大当たり、主演のシャロンストーンの股座が見えた見えないで中学生大はしゃぎしたもんです。そういう時にタイミングよく「羊たちの沈黙」が公開されて、またエロサスペンスかと期待してみるとなんともグロサスペンスだった、中学生大萎えという思い出がある。
で前作はレクターの手のひらで踊るクラリスという構図が絶妙でとても面白かった記憶があるのだが、本作ではあんなに狡猾で裏の裏まで見通してるかのレクター殿がナマクラ野郎に成り下がっており、あの強大なレクター先生はどこへ行ったのよと思ってしまう。
大体が捕まっちゃだめだろう。あんなあっさりと捕まってはキャラ付け台無しだ。それよりも今回はクラリス大好きレクターという位置づけが強調されたようで、もうそれはそれはクラリスにやさしい。自分の手も差し出すぐらいだ。
そして話題になってた脳味噌シーンは、グロいというよりも笑いが先に来た。あれ怖いより爆笑だろ。確かにおかしかったのだが、なんかこう全体的にひきしまってなかったです。
なので、前作を見て大好きというようならばトーンダウンしているのでお勧めできない。ただ脳味噌シーンは笑えるので見るといい。
スリーピーホロウ ★★★☆☆
1900年にさしかかろうとしている19世紀末のアメリカ。そのはずれにあるスリーピーホロウという村で連続首切り殺人事件が起きた。犯人調査に向かう捜査官某がそこで見たのは、その村の同族的閉鎖環境から生まれる怨念めいた事実だった。
一応ホラー映画のカテゴリに入ると思うが、今日日のホラー映画はどれもこれも、とりあえずCG使ってなんやら怖いのをつくっとけば客は怖がるやろう、どうせホラー映画なんて暇つぶし以外ありえんのだからねーと考えているのかどうだか、さっぱり怖くないのです。
本作の場合その首切り映像等をCGによってリアルに表現しているようだが、正直なところ怖いという前に、「ようがんばったな技術屋」という感想が漏れてしまうわけで、CGではなんの感情も生まれないというのはここ最近の通念のようです。虫は生理的にびっくりしたが。
そうなると、全体から醸し出す怖さを追求するようなストーリー重視の勝負になってくるのだけども(要するにB級映画の方法では勝負できない)、本作では犯人が結局魔女ありきのファンタジックなものだったので自分は入り込めませんでした。後半明らかになる裏の操り師にしたってなんかグダグダだったし、どうもこう、ジョニーデップmeetsC・リッチというわりになんだかパッとしてない作品でした。
ただこの全体の世界観がアリならば、結構おもしろいんじゃなかろうか。いずれにしろ自分はファンタジーというカテゴリは苦手です。
コピーキャット ★★★★☆
精神異常者の連続殺人を研究している女。彼女は一度殺されかけ、それがために外出恐怖症になっている。そして数年後、かつての連続殺人を模倣するような連続殺人が起こった。
「氷の微笑」「羊たちの沈黙」がブレイクして、後を追うように二番煎じを狙った頃の作品です。しかしこの頃の二番煎じは内容が内容だけに見応えがあった。日本でもマークスの山とかあったなぁ。あれもおもしろかった記憶がある。
で本作は、途中で犯人を明かして警察の追撃を追っていくような羊タイプの作品です。それはそれで見応えはあるんだが、どうしても都合のいいように話が進みすぎてしまって、よく言えば優等生映画、さらっと淀みなく見ることができるような映画なのだけども、それは全然くせのない、終わってからおもしろいはおもしろいけど全く感動しないような作品です。
羊の場合、犯人とクラリスの間にレクターというでけぇ悪党がいて、くせがあっておもしろいのだけども、本作は基本的に善VS悪、それもあんまりにもサクサク行き過ぎるから最後に向かってジリジリ責めるような焦燥感もないし、サスペンスと言うよりも普通のドラマを観てるようだった。なんか物足りんのよね。
しかしまぁ、全くおもしろくないというわけでもなくそこそこ観れます。オープニングの方法がいい感じだったので期待したのだけども、全体的にはふつうだった。