これまでの映画感想を振り返る PART5 完結編 ☆★☆★☆

「見た映画については必ず感想を書く」という俺ルールについてのこれまでを振り返る話その5。

ついにPART5、本編最後である。なんせ「完結編」なんだから、なんらかの完結を迎えねばならない。それでは、と、それでる前に、見る映画の入手方法についてこれまで一切触れてこなかったので一応書いておこう。

・ソフトの入手方法

映画の場合、視聴環境は主に映画館または家になると思うが(あと飛行機の中とか携帯端末とか)、よっぽどすぐに見たい映画でない限り家で見ている。映画館は割合にして5%ぐらいか。映画館は集中度や没入感、音響の面で家を圧倒するが、なんせ他人様がいるもんでそっちが気になる事もあり、また家の場合つまんなく感じると、ギターの運指練習をしながら観たりできるが、映画館での拘束は最後まで観ると決めている以上、解消しようがない。

家視聴のうち半分がレンタルだ。まだブルーレイ環境がないためDVDがほとんどで、VHSしか在庫がない過去のドマイナー作品のみ、未だにVHSでも見る。逆に言うと、「VHSで残す価値(需要)がある」という事でもあるため、今VHSで在庫されているものは大抵の場合超個性的な作品が多い。後述するぽすれんの場合、1回10本前後借りて2,000円程度だ。PART4の評価ポイントデータは、俺個人についての統計データとしてかなり信用できるサンプル数に達している。それによると、厳選したところで45%の「ふつう・まあまあ・つまんない・クソ」があるのだから、映画館とレンタルの10倍近い料金差はかなりでかい。

後の半分はスカパーの映画チャンネルになる。こちらは月単位のパッケージとして配信されるものの中から気になるものを観るという、半受動である点がレンタルや映画館と異なる。ジャンルや年代も幅広く、意外と1-2年前の作品で見逃していたものがあったり、監督特集は数ヶ月にわたって10-20本まとめて観れたり、ハマればレンタルよりも便利だ。数年前のイマジカのキム・ギドク特集は、まさに見たいタイミングで特集を組んでくれたので、スカパーの良さを感じるプログラムだった。昔わざわざ新宿TSUTAYAまで借りに行ったATG作品やマイナー・ヨーロッパ映画も結構やってくれてあなどれない。反面1本も見ない月もある。

セルDVDについては視聴目的ではなく、レンタルで見た後特に印象的な作品や、数年後見直すとまた違った感じになるであろうものを、保存目的で購入することがほとんどだ。現在映画以外のソフトも含めると数十枚セルDVDを持っているようだが、パッケージ開封すらしていないものも結構ある。

・レンタル屋の変遷

レンタルの入手元は色々変わっていった。最初期の「記憶のみ」を観ていた頃は、その当時日本に進出していた「ブロックバスター」で、VHSビデオをレンタルしていた。料金は正確には覚えていないが、大体1本400円前後だったのではないかと思う。あるいは3本1,000円とか。やがてブロックバスターが日本撤退し、しばらくは大手でない個人営業のレンタルビデオ店を利用していた。その後2000年頃に、ゲオがレンタル全国展開を始めたような気がする。つーかWikiで調べると、まさにゲオがブロックバスターを買収して、レンタルのフランチャイズを拡大したのが2000年頃のようだ。そしてしばらくはゲオの5本1,000円を利用していた。一度に5本・10本借りるようになり、このくらいから映画鑑賞が習慣化する。またこの頃ようやく、VHSとDVDが半々ぐらいになった記憶がある。

TSUTAYAは何やってんだ。あるにはあったが、店舗が小さく在庫も料金もゲオに負けていた。その後2000年代中期に大型店が近くにできて在庫数でゲオに勝り、さらに定期的に出されるクーポンを利用すればゲオ並の5本1,000円も可能になって、ゲオからTSUTAYAに乗り換えた。そして最近までTSUTAYAだったのが、ここ1年は主にぽすれんを利用している。

ぽすれんは宅配レンタルサービスだ。ぽすれんのサイトから見たい映画を選んで、諸々の発送手続きをすると、なんか知らんがメール便で勝手に送られてくる。返却は郵便ポスト。現時点では最大12枚まで一度にレンタル可能で、旧作の100円レンタルの場合送料含めると、12本で1,500円となる。1本当たり125円。レンタルビデオが出始めの頃は1本1,000円が普通だったらしいが、今や1/8だ。100円レンタルはいわゆるロングテールの下側需要を狙って始められたサービスだと思うが、やってみるとかなり好調らしく、期間限定が延長に次ぐ延長で今に至っている。

ここで、店舗型と宅配型それぞれの特徴を挙げてみよう。

・店舗型

店舗型は閲覧性が高い。入店すると大体入口付近に最新作が並び、その近くに準新作のトップ30みたいなのがあり、旧作は50音順かカテゴリ別に配置してある。ピンポイントで見るものが決まっている場合は関係ないが、「とりあえずビデオ屋行ってから見たいのあるか探そう」という徒手空拳の場合には、この閲覧性の高さは重要である。

それぞれのカテゴリを横断的に見ていくと、昔見ようと思って見逃していたものや、タイトル一発に興味を引かれるもの、同一カテゴリで抜けていたもの(監督コーナーなど)を、網羅的に見る事が出来るため閲覧の効率は高い。宅配型の場合、網羅的に閲覧するにはPCをグリグリいじらねばならず、適していない。例えば同じ100本のタイトルだけザーっと見るにしても、店舗でDVDの背を見ていく方がはるかに情報量が多く時間効率も良いだろう。

・宅配型

宅配型は利便性が高い。店舗型の場合、まず店に出向き、店内を馬鹿みたいに徘徊して、通路の狭さに苦痛を感じ、最下段のアイテムを見るときはうんこ座りか己の体前屈能力との勝負、目的のタイトルがあっても正確な配置場所はわからず、レジでは並ばされ、一連のマニュアル対応に従い、そして、これが店舗型一番のデメリットだが、返却せねばならないのである。宅配型の場合、家のPCでゆっくり快適に探す事ができ、目的のタイトルはキーワード検索で特定でき、レンタルから数日後には家の郵便受けに入っていて、見終わったら郵便ポストに投函し、完了である。この点は店舗型はどうやっても勝ち目がない。

また料金的にも店舗型より安い傾向にある。これはネットショッピング全てに共通する事だが、地代と人件費を圧縮できるためその分レンタル料金を安くすることができる。ゲオとぽすれんがスポットレンタル100円を始めてから、店舗型との料金差は大きく広がった。地方によって、店舗のゲオとTSUTAYAが近くにあって熾烈な競争をしているような地域だと、場合によっては1本50円程度でレンタルできるようだが、店舗型の基本線は未だに1本400円である。

一方確実性という点では、ソフトを直接受け取り、レジまたは返却ポストに戻すという手続きを踏むため、店舗型に間違いはまず起こらない。宅配型は、メール便(現時点では佐川の飛脚メール便)と定形外郵便の併用で、どちらも手渡しでなくポストに投函で終了となるため、万一の間違い(メール便の遅配・ポスト荒らし・ビニールの破損による事故)が起きる可能性はある。俺自身こういう事は経験していないが、一度でも起きてしまうと、利用を控えるかもしれない。

この点VODは宅配型のメリットを残しつつ、返却不要というので理想的ではあるが、高速ブロードバンド環境や専用ソフト・ハードの普及、コンテンツ保護、コスト面など、問題は多そうである。アクトビラなどは面白い試みではあるので、今後の動向待ちだ。

・在庫

次に在庫についてだが、店舗の場合、当然各店舗にあるだけが実質的な在庫となるので、在庫数は店の売り場面積に依存する。メジャー系や新作は大体どの店舗にもあるので無視するとして、旧作、特にマイナーな作品は店舗によって大きく差がある。例えばTSUTAYAの場合だと、新宿・渋谷TSUTAYAにだけしかない作品はかなり多い。この二つは在庫の豊富さで有名であるから、むしろ例外的な店舗なのだが、映画をよく見る場合、大型店でないと在庫に満足できないだろう。

宅配の場合、システムは厳密にはわからないが、恐らくどこぞの配送センター(たぶん千葉)に集中して在庫され、在庫量はレンタルサイトとリアルタイムで連動している。ひとつに集中しているため、店舗格差は当然無く、メジャーも新作もマイナーも条件は同じだ。ただし、マイナーはそもそもの在庫量が少ないので、それを全国のレンタル希望者と争奪することになり、マイナーだが人気は高い(いわゆるカルト的)作品については、レンタル自体が困難である。

まとめると

  利点 欠点
店舗型(TSUTAYA・ゲオ) ・閲覧性の高さ
・思いがけない発見
・レンタル手続きが不便
・在庫が地域によりマチマチ
宅配型(ぽすれん・DMM) ・利便性の高さ
・料金が安い
・全国均一の在庫
・網羅的閲覧には不向き
・在庫数によってはレンタル自体がかなり困難な場合がある

となる。

なんじゃこれは。感想の感想を書くはずが、店舗型と宅配型レンタルの比較になっとるじゃないか。どうなっとるんだ!

天狗じゃ~~~~~~~!!天狗の仕業じゃ~~~~~~~!!!

これでいいか。

これまでの映画感想を振り返る PART4 頂上決戦 ☆★☆★☆

「見た映画については必ず感想を書く」という俺ルールについてのこれまでを振り返る話その4。

なんかとことんやってやろうという気になってきた。そろそろ本題に入った方が良い気がするが、その前に、感想のフォーマットについてこれまで一切触れてこなかったので一応書いておこう。

・タイトル/日付

タイトルと日付はそのままで、タイトル横の☆や★は評価ポイントだ。そのすぐ下、本文一行目の太字になっている部分が映画のあらすじである。タイトルは原則として邦題に準拠している。日付は「公開日」ではなく「俺が見た日」である。

・評価ポイント

評価ポイントは、★★★★★が最大点で、☆☆☆☆☆が最低点の原則5段階評価にしている。縦に並べたときの見やすさを考えて、+ポイントを★、ポイントなしを☆にした。評価の基準だが、

★★★★★ 面白い。最高。時間を忘れる。クセはあるが俺に合ってる。
★★★★☆ 完成度が高い。面白いがオチが弱い。何か引っかかる。ハリウッド優等作。
★★★☆☆ 無難。つまんなくないが面白くもない。万人受け。ハリウッド大作。
★★☆☆☆ ”なんか”つまんない。御都合が気にかかる。
★☆☆☆☆ つまんない。クセがあり俺には合わない。気持ち悪い。
☆☆☆☆☆ うんこ。例外。評価不能。

と、多少のブレはあるが大体こういう感じである。例外的に、B級映画と純粋なコメディは★3で最高評価となる。次にインデックスリストを適当なGREPツールで検索し、それぞれの割合を出してみた。

評価 割合 近似評価の割合
★★★★★ 105 19.9 55.5
★★★★☆ 188 35.6
★★★☆☆ 142 26.8 35.3
★★☆☆☆ 45 8.5
★☆☆☆☆ 34 6.4 9.2
☆☆☆☆☆ 15 2.8
合計 529 100 100

評価を付けていないものや、関連ファイルがあるのでフォルダのファイル数と評価合計数とは若干(でもないが)異なる。こうみると、やはり自然と評価は高い方に寄っていく傾向にある。それもそうで、何も誰かに強制されたり完全無作為で見る映画を選んでいるわけではなく、パッケージやタイトルで「面白そうだ」と思ったのだから、まあこの数字は当たり前ちゃあ当たり前だ。

15あった☆☆☆☆☆は以下の通り(タイトルのみ)。

小人の饗宴
アメリカン・クライム
LAST PRINCESS
アイ・アム・レジェンド
ワールド・トレード・センター
ALWAYS 3丁目の夕日
残虐全裸女収容所
PRIMER
オープン・ウォーター
ディープ・コア2002
パッション
あずみ
ジーパーズ・クリーパーズ
けものがれ、俺らの猿と
AVARON

このうち評価不能(小人の饗宴、アメリカン・クライム、パッション)を除いた12本は、掛け値無しに俺的クソ映画である。中でも、「ALWAYS 3丁目の夕日」は世間様とのあまりな乖離ぶりに愕然とさせられ、「ディープ・コア2002」は誰にも通ずるであろうクソぶりだったのを、よく記憶している2本だ。

・あらすじ

あらすじはどこかから拝借するのではなく、見終わった後ストーリーを大雑把にまとめる感じで構成している。たまにあらすじでなくイメージ表現の場合もある。最初の頃は結構マジメに、登場人物の名前もキッチリフォローして、あらすじ的なあらすじを書いていた。それが段々簡略化され、名前も忘れたら「なんとか」「○○」で済ませ、やがて「一行勝負」の俺ルールが確立された。例えばアップロードされてる分で一番古い(記憶のみは無視)ジャッキー・ブラウンのあらすじは

銃の密売屋であるオデールの周りには愛人の女、相棒、そして現金の運び屋のジャッキーがいる。そのジャッキーが現金運びの途中に捕まってしまう。自分の事をあれこれチクられることを恐れたオデールは、保釈金融業者をつかってジャッキーを助け出す。そしてジャッキーとオデールは、彼の全財産50万ドルを運び出すためにある計画をブチ立てるのだが・・・。

タランティーノの映画はストーリーが複雑なので、あらすじとしてはこれくらいあってもいいかもしれない。これがキル・ビルになると

結婚式で親族を惨殺された嫁が復讐の旅に出る話。

とこのように変わった。「~~話。」でなるべく終わらせるのも俺ルールだ。

以上が感想フォーマットとなっている。PART4にしてようやく外堀を埋められた。PART5ではなんとか、本来の目的である「感想の感想」について振り返りたいところだが、どうなるかは書いたときのノリによるので、そこんとこは俺にもようわからん。

これまでの映画感想を振り返る PART3 代理戦争 ☆★☆★☆

「見た映画については必ず感想を書く」という俺ルールについてのこれまでを振り返る話その3。

別に仁義シリーズから感化されて、狙ってこうしたわけではないが、結果的にシリーズものになってしまったので、今決めたが、このシリーズはPART5でもって完結させることにした。「感想の感想」をPART5まで引っ張るとはアホの限りだが、これまで培ったテーマに対する脱線力を駆使すれば、意外と簡単にいけると思う。

そもそもなぜ感想を書くのか。これは実際、書いてみると理由がよくわかる。なんらかの表現を見た後、その漠然とした印象を言語化するのは非常に難しい。実用書やドキュメンタリーであればテーマは明確であり、重要なポイントは論理的に導けるが、表現の場合、基本感想は「よかった」「ふつう」「つまんなかった」しかない。印象とはそういうものだ。

ただ言語化することで、その漠然とした印象が、説明可能なものとして表出されることがある。言語化にチャレンジすると、そうなることがたまにある程度だ。だから書き始めはとても苦しい。「なしてせにゃならんのか」と、自分で決めた枷に大抵の場合自問する。それを何とか越えたら、見終わった後思ってもいなかったような印象が、言語化してまとめる事で新たに持てるようになり、ひらめきや解決の瞬間は結構快感である。

また、これは個人の性格にも関係あるんだが、映画を見て見たら見っぱなしで一週間後、一ヶ月後には「見たこと」以外、あるいはそれすらも全部忘れるというのはもったいない。おぎやはぎの小木は年間百本近くの映画を見るそうだが、その内容は全く覚えておらず、そんな映画好きなのに「今までで一番好きな映画は?」「ロッキー!」これぐらい、逆に突き抜けていればそれでもいいと思う。要するに貧乏性であり細かいことが気にかかる性格にとって、インプットしたものをアウトプットで一々返していく事は、精神衛生上必要だ。

ではなぜ映画か。世の中には過去の蓄積も含めて膨大な量の表現がある。文章・絵画・音楽・映像・ゲーム・漫画など様々あるが、この中で「感想」として印象をまとめるのに映画は一番やりやすかった。なんらかのストーリーがあり、起承転結のフォーマットがある。なにしろ「始まって、必ず終わる」のである。例えばカンディンスキーの絵を見て感じた印象を、言語化するのは易しくない。展覧会の図録にキュレーターがこれでもかと、ベラベラベラベラ書いているが、あれ読んだことはないが「お前マジか」だ。

また映画は「つまんなさのリスクヘッジ」ができる。レンタルソフトの場合最近だと1本200円程度で入手でき、時間も概ね120分前後になぜか決まっている。見終わった結果つまんなくても、この程度の損失であれば、面白さを追求するのに十分許容できる。

以上が、まず映画を見ること、そしてその後感想を書くことの、動機付けになっている。どうだろうかこのでっち上げぶり。PART3にして未だ、我が書いた感想のまとめ的な事を一切やっていない。というわけで(この言葉も「閑話休題。」並に便利だな)、いよいよ本題に入るのか?、それは俺にもわからない、PART4に続く。

これまでの映画感想を振り返る PART2 ☆★☆★☆

「見た映画については必ず感想を書く」という俺ルールについてのこれまでを振り返る話その2。

2010年01月時点での映画タイトル数は、カテゴリで表示されている分で257。対して俺のローカルフォルダにはファイル数551。つまり公開した感想は約半分だ。こうなる理由はまず、「書いたものをサイトに反映させるのは面倒くさい」これがでかい。感想はいつでも見れるようにローカルに残しておきたいので、昔から使っているホームページビルダー6の自作テンプレートでまず書く。それをサイトに反映させるには、まずログイン、これがまたIDとパスワードがクッキーに残ってなかったりして、調べるために昔送られてきたメールを全文検索して漁ったりして、ほんでもってようやくWordpressの編集画面にたどり着く。

新規投稿
HTML直接編集に変更
タイトルと本文をローカルからコピペ
カテゴリ指定
日付を書いた日に変更
公開!
HTMLタグを見た目との兼ね合いで加除
更新!

ログイン含め、実に7-9つの手順を経ねば、ローカルファイルはサイトに反映されないのである。正直なところ、俺にとっては「昔見た映画の感想がヴィヴィッドな形で残っている」事が一番重要であり、それを公開するのは、ほんと正直なところ、ついでな感じだ。もちろん見てくれた方が何か感じたり、何かのきっかけになるとうれしい。ただ個人的には書いてローカル保存で完結しているので、結果的に約半分の感想がサイトに反映されていない。現状ログインして編集画面に行った際に、最近のものからいくつかまとめてアップロードする形を採っている。2007年10月の「ワールド・トレード・センター」から、2009年02月の「ダークナイト」まで、1年4ヶ月ほどずっぽり抜けてるのは、映画を一切見ず感想も書かなかったのではなく、「単に一連の手順がめんどくさかったから」である。

例外はあり、例えば最近の「山谷(やま) – やられたらやりかえせ」感想のように、極少数ではあるが興味ある人にとって多少参考になるようなものは、積極的にアップロードするようにはしている。その他俺の文章のメインであるところの、平たく言って「うんこちんこ的」な感想は、まあ、前述した感じだ。

・・・・・。

いかんいかん!!!!この流れは例のあれだ。テーマが脱線しまくって結局テーマに触れず茶を濁して終了のパターンだ。仕方がないが、個人的にはあまり使いたくない、スマートでないこの方法で流れをぶった切ろう。

閑話休題。

これって司馬遼太郎のやつだっけ。というわけで閑話休題の、当初想定していなかった、PART3突入である。

これまでの映画感想を振り返る ☆★☆★☆

「見た映画については必ず感想を書く」という俺ルールについてのこれまでを振り返る話。

下にKou-shi(この名前の由来が由来だけに、なんか周辺の人が死刑確定しちゃったりして、名前だけでも時間を感じさせるなあ)が振り返っているように、このサイトは複数人で運営されている。して俺の場合は、基本映画とサッカーの感想に絞っている。当初色々書いていたが、ある程度まとまった量を出せるのが、結果的にこの二つになった。見る側としてよく活用させてもらっている、商品レビューもやろうかと思うことはあるが、レビューを発信する場合、写真や比較・ベンチなどの性能評価で手間がかかり、ある程度内容のあるものでないと、検索でたまたま見た人のガッカリ感がハンパ無い。

つい最近PCケースを探していて、「Sileo500」という防音加工されたケースに決めた。これについての記事を探そうと検索すると、まずオフィシャル、次に価格.comのレビューとコメント、してAmazonのレビュー、ニュースとショップ、youtubeのレビュー動画、とこのへんの定番系を見た後、個人のサイトやブログでのレビューを見てみる。もちろん詳しく(写真付きで)書いてくれている所もある。ここなんかは詳細な外観写真・スペック、さらにノイズの録音素材も提供してくれて、非常に素晴らしい。小坂忠であれば「き・み・は・す・ば・ら・し・い」と言うかもしれない。こういうサイトは内容があるため参考になり、記事として残す意味がある。ただ必ずあるのが、

Sileo500買った。来週届く予定。超楽しみ。

↑ブログが普及して、htmlもFTPも知らなくても日記が書けるようになってこんなの増えた。検索して見たページがこんなんだと「テメエ検索に引っかかるから書くなよボケ」と、書いた人にはとても申し訳ないが、率直に思ってしまう。この記事も、Sileo500というキーワードがあるにかかわらずなんら情報はないが、一応超詳しいサイトのリンクの紹介で、最低限の有用さは保たれていると思う。さらに最近ではTwitterが検索に引っかかるようになり、

Sileo500ってケースいいかも

↑とかまあなんだ、Twitterってそういうもんなんでしょうよ、て感じのやつまで検索に引っかかる。個人批判ではないので文章はあくまでイメージだ。PC関連はいわゆるギークが多いのでこういうことは少ない。とにかく、内容が伴っているかどうかは個人の主観であるから別として、残すものに関してはある程度の質か量がないと、なんかいかんような気がする。インターネットは無償だからこそギブアンドテイクが大事だ。

・・・というわけで、感想でもよくあるパターンなのだが、テーマとは全く脱線してしまったので、「これまでの映画感想を振り返る」についてはPART2として改めて書く。

上意討ち 拝領妻始末 ★★★★☆

会津松平藩家臣・○○が、嫁であり殿様の側室・お市の方をマッチポンプ的に略奪される話。

あらすじを一行で表現しようとすると、やはり「マッチポンプ」が適切ではないかと思う。あらすじの補足をすると(ストーリーのほとんどがこれに費やされるため)、お市の方は一度松平の殿様の側室として菊千代(長男ではない)を出産したが、産後療養から戻ると殿様が別の側女とねんごろになっていた。怒ったお市は殿様に平手打ちの御乱心、一度は側室となった女であり、この騒動の原因は100パー殿様にあるため、適当な家臣の妻として娶らせることにした(拝領妻)。そして数年経過、長男で世継ぎの△△が死んでしまい、菊千代が会津松平の嫡男となった。そうなると、その母親であるところのお市の方が一家臣の嫁さんであると立場上とてもややこしくなる。そういうわけで、一旦押しつけたに等しいお市の方をもう一度内儀として返却せよと言われたことが、騒動の原因である。ああーーーなげーな。つまり殿様とお市の方がうまくやっていれば、○○とお市の方は知り合うこともなく、それを返せと言われても、この数年ゼロから育んだ互いの愛情をどうしてくれんのよアンタ!と、家臣と側室が藩にキレたわけだ。こういうの、昔読んでもいない読書感想文の字数稼ぎでよくやった。

当時の時代背景を考えると、この話はかなり有り得ない。いやそりゃ、現代人の感覚で言うと封建社会ってのはわけのわからんシステムだし、権力の理不尽さに抵抗した○○及びそのオヤジ、お市の方の感情も理解できるし、彼らの取った行動を全面的に支持したい。ただ時代的には享保年間という江戸の中期(吉宗が張り切ってた時代)、しかも設定がなんと、葵の御紋を見ながらシコれるんじゃないかってぐらいの親藩中の親藩、保科正之以来の徳川LOVEを貫き戊辰戦争ではあんな感じになった会津藩であるから、なおのことこの「家臣が藩に逆らう」というのがとんでも有り得ない設定に感じてしまう。

ただこの○○のオヤジ、こいつはかっこよすぎる。「俺はこれまで□□家の養子として、カスみたいな人生を歩んでいた。ここらで一丁かっこつけようではないか」つって、やってみたところかっこがつくんだからたいしたもんだ。この頃の三船敏郎ってこういうかっこいい役がとても似合っている。かっこつけがかっこつけるとただのかっこつけだが、三船がかっこつけるとかっこいい。ここで「格好良い」ではないのは結構ポイントであって、あの感じは「かっこいい」と言うのがふさわしい。

非常にかっちり作ってあり、全くあそびの無い映画だったが、虚飾にまみれて上辺だけ八丁味噌にクチナシ色素ぶっかけてぬりたくったようなゴミ映画が量産される昨今の日本映画の状況を思えば、この重厚さはストレートに勝負していてとても素晴らしい。

新年にあたって、当サイトのこれまでを振り返ってみる。

あけましておめでとうございます。と書いてみたが、実のところ今年は喪中で正月らしいことはしていないので、ちっとも正月気分にならないうちに一週間以上過ぎてしまった。休み明けの仕事も特に普段と変わらなかったので、なおさらそう感じる。

さて、今年は2010年、ということで、新しい十年紀(decade)が始まることになる。このような機会はそう無いので、せっかくだから赤の扉、じゃなくて、このサイトのこれまでを振り返ってみたい。

さて、そもそもこのサイトを始めたのはいつだったか。右側のアーカイブは2001年4月から始まっているが、実はこれはこのサイトオープン以前からbitchが公開していた個人サイトのコンテンツを譲り受けたもので、実際に開設された日ではない(それにしても、2001年4月といえば筆者とbitchが大学を卒業した直後だ。ここから現在までコンスタントに良質のコンテンツを書き続けるなんて驚異的だな、とbitchを持ち上げてみる)。自分でもすっかり忘れてしまったので、Internet ArchiveのWayback Machineを使って調べてみた。当時はplalaのDDNSサービスを使っていたので、それを入力してここの右上を確認したところ、どうやら2002年10月に開設したようだ。

サイト開設時期がわかったので、次に開設した頃の自分の記事を読んでみた。やはり懐かしいな。そして書き方が若い、というのが印象。まだこの頃は20代半ばだしな。まあbitchの筆致が今とほとんど変わらないことと比較すると、単に筆者がバカだっただけかもしれない。

当時の記事で特に懐かしかったのは日本シリーズ開幕という記事。1段落目のオナニーネタはどうでもいいとして、そういえばこの頃は入社2年目にして職場でリーダーだったな(ただし二人チームの)、とか、この頃はまさかフィオリーナおばさん退場後の某社に自分の勤務先まで買収されるとは思わなかったなあ、とか、隔世の感。ところで、Jornada(ただしOSはWindows7希望)の復活は社内のどこにリクエストを上げればよいのでしょうか?

その後、2003年頃まではbitchの映画・ゲームの良質なコンテンツと、筆者のどうでもいい日記が混在する混沌とした状態が続いている。たまに二人(もしくは鬼畜学園を入れた3人)で企画ものをやったりもしているのだが、その中でも筆者が当時楽しんだのが俺がんばってみる週間だ。エキサイトサーチストリームでランダムにテーマを決めて書くというもので、bitchの振り返りではかなりきつかった旨が書かれているが、筆者は結構楽しめた憶えがある。またやってみるのもいいかも。

また、この頃bitchのコンテンツの質に追いつこうと筆者が用意したネタが、当時入学した慶應義塾大学の通信教育だった。しかしながら、当時仕事が忙しくてなかなか学習を進めることができず、結局このネタで本格的に書き始めるのは2008年に入ってからという体たらく。実はそろそろ卒業も見えてきたので、それまでにはもう少しこのネタでのコンテンツを充実したいものだと思っている。それが2010年の目標か。

話を戻すと、2004年以降はほぼコンテンツ作成はbitch、システム管理が筆者と役割分担のようになってしまい、コンテンツ数も減少してしまう。それでもここまで続いたのはbitchのコンテンツが定期的にアップされてきたからで、管理者としては本当にbitch様々である。

さて、ここまで過去を振り返ってきたところで、今年の当サイトの目標を考えてみたい。まずは筆者が大学通信教育関連のコンテンツを増やすこと。実は、最近いくつかの慶應通信関係のブログを見たところ、当サイトにリンクを張っていただいているものがあった。ありがたいことだが、現在のコンテンツ数では中途半端で申し訳ないので、もう少しコンテンツを増やして通教生に役立つ情報を提供していたいと思っている。あとは、鬼畜学園に久しぶりに記事を書いてもらうこととか。やつは相変わらず忙しそうなので無理かもしれないが、特に音楽関係の記事を書いてくれると読みたいんだがなあ。

といったところで、今年もよろしくお願いします。

山谷(やま) – やられたらやりかえせ ★★★★☆

1984年頃、労務者が暮らし仕事を得る通称”山谷”地域における、労務者とその周辺の話。

本作において「労務者」は「労働者」と区別して表現されている。明確な定義付けは恐らくなされていないと思うが、労働者がたとえば「資本家 対 労働者」「春闘」などで語られるような、団結力で権力と同等に闘い権利を主張する人々(平たく言えばサラリーマンなど)だとすると、労務者は本作で見た限り、資本家(経営側)と直接闘争することが無い。ストーリーは労務者の春夏秋冬を撮り続け、その生活や労働の実態を描写することで構成されるが、労務者が直接闘うのは、彼らが日頃仕事の世話をしてもらう「手配師」であったり、その仕事先の「下請け雇用主」であったり、資本主義の構造下ではむしろ労務者に近い人々に対して闘争が行われる。

これは見事に、かつての帝国主義時代の植民地で、植民地住民の間に無理矢理差別構造を作って管理を容易にしたり、江戸時代の身分制で農民・商工人の下に穢多・非人を置いて不満を下に向かわせた武士社会と、同じような構造が用いられていて残念すぎた。そして現代においては、相対的剥奪感によって中産層と貧困層を分断する形で現在進行中の問題でもある。

そして労務者の不満を資本家まで至らしめないための防波堤として、国家から警察、民間から右翼やヤクザが彼らの近くにいつもいた。警察にとってヤクザは排除すべき存在であるが、状況によっては都合良く黙認される場合がある。飯場やドヤ街のような、個々人の気質などで犯罪が日常的に行われる地域では、税金で賄われる警察力で治安を維持するよりも(維持は不可能)、彼ら労務者から直接ピンハネする代わりに管理を委託する形での、ヤクザによる暴力での統制の方が、体制側にとって都合がよい。

従ってよほどの脱法行為が行われれば警察は介入する(せざるを得ない)が、それ以外は基本的にヤクザと同調し、彼らを「生かさず殺さず」の状態にする。本作のメインはこの「資本家以外 対 労務者」の闘争シーンなのだが、この構造が厳然と存在し、彼らの叫びがうやむやにされるのが理解できるので、再度書くが残念すぎた。大元の部分で労務者を搾取しピンハネする、本作で出てきたところの精神病院やビルを建てるゼネコンなどは、高い壁で囲まれ、法律面では警察及び司法に守られている。この時代は山谷や筑豊など限られた地域での事だったが、現代ではヤクザや手配師が派遣会社に名前を変え、非正規雇用の範囲拡大で全国各地に薄く広く及んでいる。

実際彼らの立場にならなければわからない、経験しない事もたくさんあった。彼らはよく並ぶ。そして混雑する。朝は手配師の所で混雑する。仕事が終わっても酒場で混雑。シャッターの下からヌルリと侵入して窓口に駆け込む。混雑して、なんかの給付手帖のようなものを受付に投げ込む。厳寒の年末に収容所で並ぶ。収容されなければ道端で凍死する。とにかく印象深いのが「混雑」と「混沌」である。

そして汚い。汚いは語弊がありまくるが、なんつーか、色彩が無い。服はもちろん、街並みも、労働環境も、飯ですらも、モノトーンである。だからこそ、夏祭での歯の抜けた笑顔や、ぐでぐでの踊り、旅芸者のおやまにちょっかいだすおどけ方が、とっても悲しくもあり、美しくもある。

急にディズニーランドが頭に浮かんだ。いやディズニーに用はない。USJだったかもしれない。その中で、行ったこと無いので分からないが追加料金をいくらか支払えば、1時間とか1時間30分とか平気で並ぶアトラクションに、専用口から並ばずに乗ることが出来るという。

「お金を払えば」「並ばずに」、か。なんかこう、今回よくよく感じたのは「並ぶ」とか「混雑する」とかは、まさに搾取なのである。本来提供する側がコストを払って解消すべき問題を、受益者側が負担させられている。「俺様は自らの意志でうまいラーメン屋様に並んでいるのであって、自由市民の人権発動バリバリである!」とか「並んでいるときはDSでなんたらいうRPGをやっているから or なんたらいう本を読んでいるから、時間の無駄でも搾取でもない。むしろなにもせず並んでいる連中に比べて時間を効率的に利用しており、しかも並んだ結果の便益は同等に享受できるわけだから、俺って利口ちゃんなのよ!」とかとか、そういうことじゃないんだよな。よくわかった。「並ぶ・混雑する」構造そのものが搾取であるのは、本作を見て理解できた一番の収穫かもしれない。

そこで俺よ。さて目の前に並ぶ状況が、ある。
1.搾取と分かってそれにしたがう。なんだかんだで利口だね!
2.搾取だから並ばない。並んでいるやつはきちがいである!
3.「お前ら並ぶな!搾取と闘争せよ!」と一人声高に叫び、人々にきちがいだと見なされる。
選択肢は基本この3つしかない。 YESか、NOか、YESをNOに変えるか、だ。

しかし実際3つとも正解ではない。書いたとおり、「並ぶ」状況がある時点で全負けだ。資本家とは「並ぶ」「混雑する」を作り出す側だとも言えるかもしれない。結果俺は、並ぶ状況があり、並ばざるを得ないときは、黙して並ぶのである。

ただこれには一つだけ、解決方法がある。「並ぶ・混雑する」に参加しないことだ。そもそも並ぶ状況があることに、一番の問題がある。現実には非常に困難だが、なるべくなら「自らの意志で、並ばず・混雑しない」ことが肝要である。

話は大きく反れ、テーマは定まらなかったが、このような思考の機会を与えてくれたことはこの映画を見て良かった点である。DVDなどソフト化はされていないため、なかなかお手軽に観る事は難しいが、興味深い作品であった。

山谷制作上映委員会
http://homepage3.nifty.com/joeii/


 

今回は明確な意志でもって見に行ったので、覚え書きついでにいくつかの関連事項を記載する。

・俺とヤマ

売春の社会史を調べていて、日本の売春の歴史を遡ると自然と吉原へ向かう。そこからまず「飛田新地」の存在を知る。飛田は大阪にある、吉原と同じかつての赤線地帯であり、大戦前は公娼制度のもと遊郭が林立して風俗街を形成したという。飛田には大正時代に建てられた絢爛豪華な建物がまだあるようで、重文?に指定されているものもあるようだ。しかもここは江戸時代の吉原・張見世システムが伝統として現代に残っているらしく、嬢が店のショーケースのようなものに出張って客を待っていて、その横にはおなじみ遣り手婆もいるらしい。機会があれば見物に行ってみたい。

その「飛田新地」を調べていると、そのすぐ側に西成あいりん地区があるというのがわかった。正直この、「あいりん」という言葉をつい数ヶ月前まで全く知らなかった。で同じように吉原にも「飛田 – あいりん」に相当するものがあり、それが山谷、通称ヤマだったのである。

・映画の上映環境について

その調べる過程で、本作が不定期ながら上映されている事を知り、ちょうど良い頃合いだったので見に行くことにした。場所は中野のPlanBという、中野駅から中野通りを南に20分ぐらい行った所にある。地下鉄丸ノ内線のなんとかという駅が最寄り駅だが、どうせ中野に行くのであれば、まず北口のブロードウェイに行ってからの方が良いだろう。

会場はコンクリートの打ちっ放しに100人程度収容できそうな、地下室?のような場所で、LIVEハウスとも少し違う、小演劇などを行うような場所かもしれない。とにかくそこに、奥に段になった備え付けの木製長椅子と、横にパイプ椅子を10ぐらいと、中央をゴザに座布団という素晴らしい試聴環境で、まあ通常映画を上映するような場所ではない。それが逆に、本作が映画館から締め出されているという証の裏返しにも感じられた。客数は60-70ぐらいか。こんな極めて情報少ない映画にも、人ってなんらかの方法で知り集まるもんだなあ。

地下に下りるとすぐ受付、そこで当日券1,200円支払った。事前に予約連絡をするか、今回受付でもらったチラシを持参すると1,000円に割り引かれるようだ。

上映は16mmか35mmかはわからんがフィルムを映写機で回し、プロジェクターのスクリーンに投影するというシステムだった。画面サイズは問題なし。上映中フィルムのカラカラ音が聞こえるが、映画が始まると音声でかき消されるので特に問題はない。途中フィルム交換でインターバルがあった。映像はフィルム特有の暖かい印象であり、フィルムノイズも目立たず保管状況は良いと思われる。

音声は残念ながらアナログのままで、今例えば1980年代のNHKアーカイブスを見るとわかるように、こもり気味で聞き取りづらい。さらにプチプチノイズも多く、あまり良くない状況だった。当然現代のようにインタビュー音声にテロップが挿入されるような事はないので、聞き逃したら終いである。特に台湾の人?の話はなまりがきつく、何を言っているのかさっぱり分からなかった。音声はリマスタリングする必要があるように感じられた(今後も上映していくならば)。

新・仁義なき戦い 組長最後の日 ★★★☆☆

戦後まもなくの北九州・小倉、なんとか組のなんとかの一人の戦い。

新編PART3はPART2路線を踏襲し、その後のVシネマヤクザ映画で描かれるような、典型的なヒーローヤクザ像のキャラクターを菅原文太が演じているだけである。アクションヤクザ映画であり、さらに舞台も広島ではなく小倉、なんとか(見終わってすぐ名前も忘れるぐらいキャラに魅力が無い)が属するなんとか組(同左)と対立するなんとか組2も、文太を引き立たせるための舞台設定に過ぎない。新編とはいえ深作仁義はこれで完結するのだが、これはこれである意味自らとどめを刺した(ヤクザ映画だけに)とも取れるのではなかろうか。

こうして見ると、山守や、槇原・旭・江田らがいてこその広能であり仁義であったとよくよく思い知らされる。まあなにしろこれでシリーズは終了、全体を含めてこの評価としておこう。

新・仁義なき戦い 組長の首 ★★★☆☆

戦後まもなくの広島、流れ者黒田と大和田組の争い。

新編PART2はこれまでの流れと大きく異なり、あたかも本編PART2が山中と勝利の人物描写中心だったかのように、流れ者黒田が中心に描かれている。ヤクザの組織としての変化やそれに関わる人々の心理を描くのが仁義シリーズの、単なるアクションヤクザ映画と一線を画する要素だったように思うが、本作は「仁義」の名を借りたアクションヤクザ映画である。

したがってこれまでとは違い、正直見るべき部分があまりない。黒田をはじめその舎弟・ポン中の男・二代目を狙う相原・梶芽衣子やひし美ゆり子の愛人に至るまでことごとく漫画のように記号化された、キャラクターとしてのデフォルメが完結しており人間味が無い。その昔「○暴株式会社」というとても面白いヤクザ漫画があったが、キャラの造形はまさしくあの漫画のように単純でわかりやすく、まあ見ていてつまらないということはない。

ただ「仁義」シリーズにそれを求めている人は少ないのではなかろうか。本編5部作が完結し、次の「新・仁義なき戦い」を新路線でやってみたところ興行収入が思わしくなく、PART2でアクション路線に変更ということなんだろうか。個人的にはこれも新シリーズとして前回となんらかのつながりがあるかと思っていたので拍子抜けだった。さて一応深作作品としての「仁義」は次で最後になるわけだが、この流れだとどういう作風なのか全く読めない。いっそ広能も前の三好も黒田も復活して、もちろん山守・若杉の兄貴・旭・槇原・江田とかもう全員復活して、ドバーッとやりゃいいんでないの。

ただ良かったところ、まず三上寛が黒田の舎弟2として、バランス・オブ・パワーを崩す殺人を犯すという重要な役に抜擢されており、しかも「仁義」シリーズのテイストでは有り得ない、およそ三上らしくない歌まで歌わされて、なぜ三上寛なのか死ぬまでわからなかった。それと当時20代後半と思われるひし美ゆり子、これについては容姿もおっぱいも全て現代でも通用する。誘い方はいかにも漫画だったが。