刑務所から釈放されたボーン・ブラウンは5年ぶりに親に会いに行く。彼はその5年間、政府の仕事に就いているとウソをついていた。ボーンは帰路、女を拉致してウエンディと命名する。ウエンディに妻を演じさせ、二人に奇妙な関係ができてくるのだが、やがてボーンは服役の原因となったある人物を殺しに出かける・・・。
ヴィンセント・ギャロ脚本、監督作品。調べると彼はアナスイとかのモデルでもあり、画家でもあり、本作のような演者でもあり、またバンドマンでもある。ヴィジュアルも格好良く、さらにマルチな才能があるんだから、もう羨ましいを通り越して、これからも頑張れよ、って感じには素直にはならない。
この映画、会話の一つ一つや手法はとても面白い。特にグーンとボーンの電話はおもろい。しかしストーリー全体をみればとっても悲しいのである。ラストはある種のハッピーエンドになったが、あれがハッピーエンドで終わらなければ、ヴィンセント・ギャロちゅうヤツはマルチなくせにこんな陰湿なのかいって思ってしまうところだった。
而してそのハッピーなエンドに至るまでの話、これは見ているうちに段々きいてくる。ボーンがあまりにもかわいそうで目も当てられないほどに。そのバックグラウンドは恐らく両親にあると思うが、ボーンが「親友」というフレーズを多用するのがなんとも痛ましい。
そこに表れたのがレイラ=ウエンディである。このクリスティーナ・リッチという女優、良く言えばグラマラス、否デブで短足の女なのだが妙にかわいい。全身みると「デブってるな~」「足みじけ~な」とか思うんだが、あの顔とあの体型が妙にソソる。
この女はボーンに拉致られるということになんの抵抗もなさそうだし両親にも愛想良い。同情が愛情に変わったなんて単純なもんじゃないが、とにかくボーンをほっとけない気持ちになったんだろうか。それはボーンの表面的には表れない優しさ、誠実さをレイラが感じたのかもしれない。
そういう顛末で、悲しさ全開の男ボーンがハッピーエンドに終わった。正直よかったよかったと思いました。ほっとしたと言おうか、ハッピーということに賞賛を送りたくなるほどだった。それだけでこの映画は満足。爽快感さえある。平たく言えば、ダメ人間がハッピーエンドを迎えたことがうれしかったんである。
満足のまま幕は下りた。刹那、日本のプロモ会社の宣伝につぐ宣伝。写真大会、パンツプレゼント。そんなもんんいらんのじゃ。そういう輩に-1。
カテゴリー: 映画
マイケル・コリンズ ★★★★☆
今でもイギリスからの完全なる独立を目指すアイルランド、その創生期に活躍したマイケル・コリンズを主人公にしたノンフィクション。結構考えさせられる。
日本に生まれてよかったと長年思ってる。落ち込んだとは言われようが経済大国だし、物は豊富にあるし、拳銃を原則として所持できない。それを前提としたテロがない。まあ最近は包丁とか車とか監禁とかのテロ行為はあるけど。
この映画のイギリスーアイルランド問題にしても、イスラエルーパレスチナにしても、どっちが悪いとは言えないもので双方言い分があるもんだ。
マイケルコリンズにしても望んでテロしてるわけないだろう。それは信念に基づいた行為だから正当化されるわけで、件の日本のやんちゃテロとは違うものだ。しかし信念を貫き通そうとするのは往々にして煙たがれるもので、とりあえずアイルランドの自治の足がかりでも良しとする派と、絶対的な独立を目指す派とに分かれたあたりから悲劇の最後は想像できた。
現在なおIRAとして活動しているやつらは、信念もってんだろうか?「とりあえずテロ」はやめてほしい。俺は信念あるテロで死んでもしょうがないと思うが、とりあえずテロ、やんちゃテロなんかで死ぬ、また身内に死なれたら、あらゆる手段で敵をとろうと思ってる。
史実映画としては傑作です。
燃えよドラゴン ★★★★☆
門外不出の少林寺拳法を破門となり、その力で富を築いたハーンが武術大会を開いた。各地から強いヤツが集まる中、少林寺からリー(ブルース・リー)が参戦。目的はハーンを倒すことだった・・・。
ブルース・リーのハリウッド進出最初にして最後の作品。
70年代初期に制作されたこの映画が、今なおある時は真剣に、ある時はお笑いの一要素として良くも悪くも題材とされるのは、それだけブルース・リーという人物の凄さが不偏的だからだ。
彼が「ジャッキー以前」として語られるのではなく「ブルース・リー」たるのは、彼がアクション活劇スターではなく真の格闘家だからなのだろう。ジャッキーの場合アクションスターだから、ガラスを突き破ることが求められる。5階ぐらいから落ちることが求められる。それはまあ当然のことで、アクションだからだ。あくまで活劇である。
そうはいっても基本的にはこれもアクション映画だから、「アチョ~ォウ」的なものがあったり、ヌンチャク振り回したりはする。しかし格闘家として彼が得た境地、かいつまんで言えば「武道に流派なぞ関係ない」「武道は己に克つことを目的とする」こういった哲学的なものが随所に見られる。
この考え方は古くからは宮本武蔵が五輪の書に記しているし、グレイシーなんかはそれを追求してきた。ブルース・リーもまた格闘家として達人の域にあるのだろう。ムキムキの体に血管が浮き出ているし。
とまあ、映画として単にアクションにとどまらない本作ではあるが、如何せんこの映画を観る前にお笑いの方でそのパロディをかなりみてるので、ブルース・リー独特のステップや「アチョ~ォウ」には正直笑ってしまう。テーマ曲(ターーーー、タッタってやつ)の、ターーーー、タッタのあとに「アチョ~ォウ」っていわれたら、正直「何でアチョウだよ」って思っちまうんだな。
あとブルース・リーがノータッチの部分。ハーンが客人をもてなすシーンは明らかにアジアを馬鹿にしてる。てゆうか真ん中のスモウレスラーはなんだありゃ。日本なめんな。そういうハリウッドスタッフに-1。
蘇る金狼 ★★★★☆
3億円事件に酷似した1億円強奪事件が起こった。普段はマジメ一筋で通っている普通の経理社員、その実殺しのプロである朝倉。しかし彼の最終目的は1億円程度のカネではなかった・・・。監督村川透、恐らく遊戯シリーズ3部作の集大成的作品。
・・・・・結局わからなかった。「蘇る金狼」?タイトルの意味が。
本作はアクションスター松田優作の集大成的作品であり、もっと言えば村川透meets松田優作全開の作品なんである。まず優作独特の存在感、声質、走り方、色々含めて「かっこよくなければならない」んだけども、もうフツーにかっこよろしい。俳優としての格好良さの突き詰めはああなると思う。
なんというかもう存在自体で決まってしまうもんで、あんな風に存在が格好いいのは希、今のところ松田優作ぐらいしか見ていない。
はっきり言えば、話自体は別に対して凄いわけではない。アクション映画に必須の強烈な敵が出るわけでもないし、ドンデン返しもない。これは遊戯シリーズからそう。
しかし観る側は、強烈な敵の活躍(主人公を追いつめることね)とかそのドンデン返しはいらない。もちろん優作演ずる主人公を背景としたドンデン返しはアリだけど、一番見たいのは優作の格好良さなんである。それが全開ならすべて良し。
村川監督の良さは、そういういらないファクターを取り除いて「松田優作格好いいだろ」的スタンスで展開してるところだ。だから優作の映画はいっつもおなかいっぱいになる。
そして村川映画につきものは官能音楽。ラッパ時々フラメンコっちゅう感じであれは優作が持つ存在感にマッチする。とにかく格好いい。それしかない。
殺人遊戯 ★★★★☆
鳴海昇平シリーズ第2弾。大物組長を殺した鳴海は、数年後その組長の秘書と娘に出くわす。秘書はあるヤクザの組長のスケに、娘はキャバクラで働いていた。そこにその組長と、組長と敵対する組の組長から、同時に殺しの依頼が入る。
「最も危険な遊戯」ではあくまでクールで、殺し屋としての顔しか見せなかった鳴海昇平。今回は物語の冒頭でチンピラのようなのらりくらりとした表情を見せる。また松田優作作品ではしばしばヘボい脇役として登場する阿藤海が、今回は鳴海の子分のような役で、しかも後半は鳴海と一緒に戦ったりする。しかしねぇ、「最も危険な遊戯」では鳴海が殺したヤクザの組の組員だったような・・・。まあその辺は気にせず。
・・・・はっきり言って書くことはない。優作だからだ。もう十分楽しめるということだ。相変わらず演技・役作りに真摯で、それだけにかっこいい。
処刑遊戯 ★★★★☆
鳴海昇平シリーズ第3弾。鳴海は捕まっていた。捕らわれるまでの記憶を遡ると、女の存在。その女をネタに、殺しを依頼される。ターゲットは元殺し屋。しぶしぶ承諾する鳴海だが、鍵となった女も含めて、それはすべて仕組まれたことだった・・・。
相変わらずのサングラス&銃の手入れ。面白い。要は遊戯シリーズは面白いっちゅうことだ。
シュリ ★★★★☆
現代の朝鮮半島。過去の対立は沈静化し南北友好ムードの中、水面下では北のスパイ工作による諜報戦が続いていた。南の諜報部員、ユジョンヲンは恋人イミョンヒョンとなにげない生活を送りながらも、北の動きを探っていた。そして北の第8部隊が液体爆弾を奪い大変なことに。
この俳優さんどっかでみたな~、韓国だしと思って調べると、やはり八月のクリスマスと同じ俳優さんだった。この人八月のクリスマスではかなりいい表情で、こういうほのぼのしんみり系が異様に似合うなと思ってたんだけど、本作のように熱い漢のドラマで見せる熱い表情もバッチリ決まってます。
あえて言えば、ハリウッドの一級エンタテイメントアクション映画を意識したつくりで、見せ場の一つに長回しのガンアクションがあるところなんか、またいろいろな面で都合良くいくところなんか、さらにそうはいっても話に一本筋が通ってるところなんか、ほんとによく作ってあると思う。なかなか真似しようと思ってもこうはうまくいかんもんだ。
物語の冒頭で見せる、ミンヒョンの思わせぶりな表情や言葉、そして彼は南の諜報部員、言ってしまえば前半で読めるんだけど、この読めるというのがよかった。読みが裏切られたらそれはそれでおもろくなるし、また読み通りでもラストに納得のできる結末さえくれれば、それこそマンセー!!
アクション、アクションで追い打ちかけて、ラストに感動→モノローグ。このパターンはパターン化されようがなんだろうが、話がよければ抜群におもしろいものです。シュリの場合、まずバッキンバッキンに鍛えられた北のスパイの決意めいた意志の強さを見せつけ、そしてわかっちゃいるけどミンヒョンの弱々しい表情とその実との落差、またそれに対抗するジョンヲンも南の諜報としての意志の強さ、熱いハートに漢のドラマあり、最後ミンヒョンも漢になった!
ハリウッドがたまに見せる冷静なアクションとは対照的なこの熱さ。そりゃあハングルでウンジャカ言われるといやでも熱くなります。多少の変な部分とか理不尽さは熱さで吹っ飛んだ。
映画が終わった直後、突然「男の力こぶシリーズ!!」とかって、ドルフラングレンとジャンクロードバンダムという2大超B級スターの映画宣伝が始まった。熱さにまかせて突っ込んだのかもしれんが、モノローグで熱さは冷めとるんです。もう遅い。でもこれとシュリが同列と考える配給会社はどうかと思うぞ。
雨あがる ★★★★★
浪人三沢は雨に足止めをくっていた。同じ旅籠に泊まる農民達に酒を振る舞うのだが、それは武士として御法度である賭試合で得た金でやったことだ。彼はあらゆる野試合で勝てるほど剣の達人であり、その腕を買われて足止めをくってる藩に招かれた。
雨がしんしんと降って降ってもう幾日も降るようなことになると、外に行くのも圧倒的に不便だし、なんかの拍子に濡れるわ大気が冷たくなるわで、あまりいいものではないわけです。自然と気分も沈みがちになる。
三沢は優れた剣客ではあるけれども、一つの藩に長くとどまることができない。その優しすぎる性格がゆえに、体面を重んじる武士にとっては反面的に嫌われるためである。そんな彼も農民にとっては気さくなお侍様、こんなよどんだ雨の気分に自ら御法度を犯しても施しをしてしまう。
タイトルの雨あがるは、文字通り雨があがってそれぞれの旅路が始まることをあらわすけれども、三沢が人々に気付かせるという意味もふくんでいるようだ。情けは人の為ならず、なにをしたかではなくなんのためにやったのか、彼とその妻は人々にこのことを気付かせてくれる。
見ていてかなりスカッとする。いい映画だ。
TAXI 2 ★★★☆☆
ダニエルはふつうのタクシードライバーじゃない。客に頼まれればスピード狂の馬鹿野郎になる。その腕を買われ、刑事エミリアンに協力することになるのだが、今回の相手は日本人のギャング。
前作の1がかなりテンポの良い面白い映画だったので、本作はどうかと思ったが、まあ全体的なノリは変わっていなかった。所々に変なギャグが入り、それがまあ面白いので単純に楽しめる。ダニエルとエミリアンもキャラ濃いいヤツで、また今回は署長がさらにキャラ立ってるので楽しい。
ただし1に比べてやばいのが、ストーリーがかなり薄いってこと。1ではストーリーがまずありきで所々にギャグが入ってる感じだけど、2はなぜかギャグありきのストーリー、それだけにイタリアーノが見るジャパニーズ像ってのが料理しやすい題材だったんだろう。その料理しやすさが異様に鼻につく。
このやばさは、単純にダニエルやエミリアンやその他周りの人々のおもしろさによってカバーされてるんだけど、もしこのギャグすらはずしまくってたらそれはもうとんでもない映画になっていたという、、、博打だ。
救いなのがテンポの良さとわかりやすさ。これだとストーリーの臭さもなんとかいける。90分程度というのもいい。
エクソシスト ★★★★☆
普通に生活している母子に、突然おかしなことが起こる。精神異常になってしまったのではないかと思えるわが子に母もついつい発狂!ついに精神医学に見限られてしまった母が救いを求めたのが、宗教の悪魔払い、エクソシストだった。
なんかで聞いたことだが、これが公開された当時(1980年くらい?)、こういう宗教めいたホラー映画というのはこれが初めてで、なんでもキリスト教に深く関わりのあるむこうの方々なんかはそれはそれはショッキングなムービーだったらしい。
翻って現代の日本男子。無宗教な男子にとってこれがどういうポジションかはよくわかりません。ただ単純にホラー映画のようなものとして見るしかできません。やはり悪魔に乗り移られた女の子の蜘蛛歩きとか、首グルングルンとかが怖さとしてフィーチャーされると思うけど、それ以上に怖いのがカラス神父の表情。
彼はまあ、神父であり精神医学者であり、はじめは悪魔とかそういう概念のものをはなっから否定してはいたのだけれども、それが自分の目の前で起こることで段々とその表情が変わっていき、最後には悶絶してしまう、オギンオギンのゲロンゲロンよりもカラスの方がよっぽどイッてます。
ホラー映画といえば観者の虚をつくような、シーンとしたところでいきなりバ~ン!とか音が鳴ってウリィィイイイイイイイイイイイイ!ピギャァアァアアアアアア!とかなるようなのが多いですが、本作はそういう飛び道具のない、純粋な心の恐怖をついたオカルト映画といえるのじゃないでしょうか。