能無し麻薬王の人生波瀾万丈浪花節だよ人生は物語。
タイトルblowを辞書で調べると [[米俗]] (麻薬を)吸う と下の方に出る。これから察するにタイトルからして隠語の麻薬という象徴的なもので、実際ストーリーの中でもマリファナ→ブロウ(コカイン)という風に取り扱う品物が変化していく。
本作は実際に1980年代初頭に隆盛を極めた麻薬密売王の実話をもとにした映画で、主演を張ったジョニー・デップは大変お気に入りだったらしい。自分にとっては単なるアホ丸出しな多重犯罪者としか思えなかった。
そもそもこいつがこうして手記かなんか書いて名優ジョニー・デップが主役をやるぐらいの映画まで出来てしまうのはたまたま、麻薬→金儲けた→調子に乗った→捕まった→金無くなった→金欲しい→また麻薬やるか→以下堂々巡り、というまあ、端から見て派手派手な人生だったからのことであって、これは全然、ナチュラルボーンバカで周りに相手にされない→暴走族→ショボくれた犯罪(暴走族の同胞をバットで殴ったとか)で少年院→更生できず出所後即暴力団→バカだから鉄砲玉として大往生、みたいな漫画のようなアホ丸出しと根本的には変わらない。「ナニワ金融道」の、サラ金地獄になったやつ(11巻ぐらいの)と同類。
だから最後まで娘に未練があるとか、親父ごめんなさいとか言われても完全に自業自得だし、それは自分のダメさ(しかも猛烈に悪い方向のダメっぷり)・バカさがもとなので同情の余地もないしバカはさっさと死ねと思う正直。最後に本人の写真(恐らく50歳ぐらい)が出るんだけど、あれなんか漫☆画太郎の漫画に出てくるダメ親父のような顔で、まさしくダメ!な感じ。
たとえばもし最後の所でこいつが麻薬で儲けて娘とカリフォルニアに行っていれば、これまでの人生からして確実に過去に迷惑掛けまくった周りのことなど気にせずのうのうと暮らす可能性が高く、金がなくなったらたぶんまた麻薬だし、そこまで考えが及んでこのカスを受け入れられない。ということで映画も受け入れられない。たぶんそもそもの視点が違うのだろう。麻薬が若者に蔓延しているらしいアメリカでは、ひとつの警鐘としての映画だったのかもしれない。
ただ、流石の演技者ジョニー・デップはすごかった。
カテゴリー: 映画
ゴーストワールド ★★★★★
世の中のすべてに嫌悪感を抱いているイーニドとレベッカ。彼女らがひやかし半分でイタ電した冴えない男シーモアに、なぜか興味を持ってしまう。
今完全な思いつきで、アメリカで言えばブリトニー、日本で言うなら浜崎あゆみ、マジョリティーの感覚がわからんのでズレてたらごめん、要するに時代時代のポピュラーとされるものが、そういうものに敏感な思春期~思春期ロスタイムまでに受け入れることができたかどうか。この映画をおもしろいと感じられる線引きはそのへんにあると思う。
本作にはこういう、社会との違和感を感じている三人の人物が登場する。一番軽度がレベッカで、こいつはエセ。ただ思春期特有の反抗的な感情が、後述する真性のイーニドに触発されただけ。イーニド・シーモアの引き立て役としてあっさりと社会と折り合いを付けてしまう。二人目が冴えない男シーモアで、こいつは世に言うオタクのデフォルメであり、すでにそういう違和感のようなものをクリアして「俺は俺、俺の道」的なものを確立している。そして一番キツいのがイーニドで、こいつは全てにおいて違和感しかない。何もかもがイヤ。イヤと感じている自分もイヤ。で最後は結局フェードアウトと。
このように書くとなんだか本作がすごく感じの悪い、煮え切らないような映画のように思えるかもしれないが実際はかなりおもしろい。三者の感情の移り変わりというのが見事で、特にイーニドとシーモアのキャラがいい。このシーモアをやっているブシェミという役者、度々出てきては印象に残る俳優である。
というのも、冒頭に書いたとおり線引きで引っ掛かったかどうかが重要で、自分自身も本作の登場人物同様社会との違和感を強く感じたこともあった。少し客観視できるようになった今でも少なからず感じてはいる。そういう人も多いだろう。
極私的な話になるけれど、高校の頃はハードロックしか聴いてなくて、つうかそれしか聴ける音楽ないと勝手に思ってて、ZARDとかBzをマジで死ねと思っていた。存在が死ねという感じ。それが今たとえば、流行りのジャパニーズHIPHOPに対しては「勝手にやっていいけどこっち側のフィールドに来ないでね」ぐらいの感情しかない。こっち側に来られると死ねと思うが。
それに以前は、こういう崇高なハードロックという音楽を聴いている自分は音楽センスという点で上(←少年ナイフだ)、ZARD聴いてるカスどもより確実に上、正直こういう優越感さえあった。今は区別してるだけ。その点イーニドはパンクロックの件あたりから察するに、まだまだ差別の段階である。それが故、周りとは違う価値観を持つシーモアに惹かれたのだろう。
ついでに書くと自分はオタクではない。自分にオタクの素質があることは知っているから、こう断言できる。今は彼らほど熱くなれるモノ、一つに没頭できるモノがない。だから自分は軽々しくオタクであるとは決して言えない。だが世間ではかなり広い範囲をオタクと言っている。これはオタクの人達に申し訳ないと思うので、もう少し文化的な背景が醸成されるといいですね。
違和感を感じる以上、レベッカのようにあえて封印する必要もないと思う。ただイーニドの違和感には最後まで「社会=クソなもの」という差別的な感情が抜けなかった。
あーなんだかまとまらんな。だってしょうがないかもな。自分が持ってる、そしてこれからも一生持ち続けるであろう感情の行く先を少なくとも3パターン見せられたんだからね。せづねぇよね。アメリカン・ビューティに近い映画だが、テーマがvividなものだから文もかなり私的になるし、ハマる。
そしてもう少し大人になればもうちょっと客観的に書けるかもな。今はもう、このままメチャクチャでいいや。ごめんなさい読みにくくて。でもこの映画今一番のオススメかもしれん。かなりおもしろいです。それにこんなに文が進んでいるし。
特に「違和感」の自覚がある人は是非見なさい。イーニド達の抱く感情、たとえば「ファンキー!」女とか、タンポン+ティーカップの評価とか、かなり自分の感情と遠目にリンクするだろう。そして彼女らの周りの人々の客観視したセリフも理解できると思う。
最後に、ヌンチャク男は爆笑です。
クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶモーレツ!オトナ帝国の逆襲 ★★★★☆
ノスタルジーの世界にどっぷり浸かってしまった大人達を救うため子供が奮闘する話。
まず前置きなんだけど、俺は「クレヨンしんちゃん」をこれまで見たことはなかった。何曜日かの6-7時ぐらいにテレビ放送があることも知っているし、アクションで連載されている(されていた)ことも知っている。ただ、知っているだけで見たことはない。かといって毛嫌いしているわけではない。特段興味がないから見てないだけです。
ではなぜわざわざこの劇場版アニメを見たのかというと、色んな雑誌やインターネット上の口コミなどでこの映画が「ふつうに見ておもろい」という感想を散見したからで、その点期待度は見る前から大きかった。
感想の中では特に子持ちの30代・40代と思しき人々から概ね好評で、それは本作のテーマが簡単に言えば「家族・人として生きること」といった人生を重ねることで深くなるものだから、それが恐らく「クレヨンしんちゃん」を見たい子供を映画館へと連れて行く、あるいはビデオやDVDとして購入したりレンタルする当該子持ちの親に対して直球ド真ん中で放られるからなのだろう。
要するに一般を対象とした宮崎アニメ以外の、東映まんがまつりとかアニメ映画の想定観客はまず子供、基本的にこういう場合それに付帯する親の存在はツモ即切りなんだけど、本作の場合その付帯する親の方に重点を置いている。それは子供が絶対わからない街の風景やオート三輪などなど、「昔」というのが説明なしに配置してあることからも見て取れる。
たとえばしんちゃんの父親が自分の靴の臭いを嗅いで現実に戻ってくる、まさにその時に自分の人生を振り返っていった部分では、多くの大きいおともだちが自分の人生と重ね合わせ、最後のしんちゃんの言葉に己を省みたことだろう。だからして、人によってはもんのすごく深遠で壮大な、未来と過去と人間の想いというのを感じまくるのだろうな。
ただ俺はそこで制作者側の意図を猛烈に感じたので、あまり乗り気にはなれなかった。むしろ一応子供がいて、一緒に子供映画をサラッと見に行くぐらいの家庭がある親というポジションならば意図が見えても感ずるものがあるかもしれん。その点自分は若すぎた。この映画のノスタルジーが醸成されているほど年を重ねている訳でもなく、かといってテーマがわからない訳ではない中途半端な年、そこはこの映画の適正年齢に合っていない。俺にとって高橋名人ぐらいがド真ん中のノスタルジーであって、60年代・70年代は通過していない、未知のものなのだから。
それより最後の歌で高校の頃の弁当を思い出し、ちょっと感動してしまった。このへんが若さ故の過ちだな。
オーシャンズ11 ★☆☆☆☆
泥棒名人オーシャンと11人ぐらいがカジノ金庫を襲う話。
話自体はよくできてるというか、もんのすごくスムーズに進行するので見ていて飽きる・タルいということはない。かといって吃驚もない。至って普通。しかしそれはキャスティングの豪華さから考えてそれ以外でも豊富な資金が用意してあったことは想像できるわけで、そうなるとたぶん複数の脚本家・アイデアマンの発想の積み重ねであろうから、基本的に物語がまずくなるということはない。ハリウッドそれ自体が嫌いでなければ、泥棒モノという一般受けする素材がメジャーとして真当だし至極興行的な作品。
以上のことから、この映画もハリウッド超大作エンタテイメントによくある、只々一時的な享楽を満たすためのスナックムービー・ポップコーンムービーでしかなく、魂が揺さぶられる一生モノの映画だということは絶対ない。しかしそれはそれで一時的に確かに「いい感じ」ではあるから、映画として正当な作品かもね。
ただこれだけの豪華キャスト、ピンで主役をやったり主役の敵をやったりする俳優がこれだけそろった形はもう、享楽エンタテイメントしかない、それがまあ色んな意味で無難、こういう落ち着き方は安直すぎて、なにからなにまで普通で、そういう背景まで含めてポップコーンだ。
つい最近CSで何を血迷ったか「芸能人オールスター野球大会」という番組を放送していたので見たんだけど、当時の都市ちゃん・マッチ・起きた弘幸・ヒロミGO・チャチャとかもう、それはそれは「オールスター」な人々が野球をやっていて、実際見てる側には野球なんてどうでもよく、それがラグビーでも相撲でもいい。ただビッグエッグができたての頃だし野球は国技だし、てことで野球になったのだろう。要するに当時のスターがそろってなんかやってればいいのよねそれは。自分は爆笑しながら見たが、瞬発力の笑いなので10分ぐらいで飽きた。
ポップコーン兄弟はまだ野球やっているんだろうか。
ジーパーズ・クリーパーズ ☆☆☆☆☆
やさぐれ姉弟が車で帰省中、へんなジープに絡まれてトラブルに巻き込まれるという前代未聞な話。
導入部分の自然さはよかったが、あの(ルイコスタ+レコバ)÷2のようなバカ弟が「ホラー映画ぽく穴の中をチェックしたい」とかぬかしやがった時から急激に冷めまくった。それが冒頭~10分ぐらい。早っ。
ホラーの導入としてはかなり大昔の作りだな。なぜ今更こんな方法をとったのだろう。もっと観客が納得できる方法はいくらでもあるのに。理屈立てて持っていってもいいし、それこそホラーだから「なんだかよくわかんないけど穴の中に入っちまったよ」でもいい。これさえデビッド・リンチとかで使い古されているが。それがあんた、「死体を見つけるのは市民の義務だから」だとよ。お前ら死んでいいです。
結局最後までどっちつかずな展開だった気がする。最後はなんだかゆる~い超能力者がゆる~いポジショニングで登場してよくわかんなかったし、まあどうでもいいや。
ロッキー3 ★★★★★
チャンピオンとして不動の地位に落ち着いたロッキー・バルボアの前に不逞な挑戦者があらわれた。
今回もまたバカな話から始まる。挑戦者はハングリー精神丸出しでストイックに練習、方やロッキーはあからさまに適当な練習風景。またこの挑戦者も特攻野郎Aチームのコングとそっくりな奴で、すごくハングリー精神丸出しぷりが似合う、いかすナイスガイだ。
結局ロッキーは一度このコングに負けるのだけども、そこに現れたのが前回までの前振り芸人アポロ。この前々世界チャンピオンのおかげでハングリー精神を取り戻し、あとはロッキーぽく熱く進行する。
でもまあ、なんつうかその今回はエイドリアーンなかったね。代わりにアイ・オブ・ザ・タイガーがテーマ曲になったのかな。
ロッキー2 ★★★★★
前回の激闘で賞賛されたロッキーがいろいろ。
話は前回の終わりの方から始まる。そしてロッキーはまさしく成り上がりもんといった感じで散財し、瞬く間に落ちぶれていってしまう。このへんなんか、現実でありそうな落ち着き方に忠実でいい。そこに追い打ちをかけるのがあのバカチャンピオンアポロ。このバカがいるおかげで物語は進行しているといってもいい。
でもまあなんつうかその、これもまたエイドリアーンだよね。
ロッキー ★★★★★
場末の拳闘場で日銭の試合を重ねていたやさぐれボクサー、ロッキー・バルボア。突然世界チャンプとの対戦が決定しててんやわんや。
ひとつのアメリカン・ドリーム寓話であると同時にこの作品によって監督・脚本・主演のS・スタローンもまたリアルワールドでアメリカン・ドリームを突っ走ることになるというこれまたひとつの、またスタローン自身にとっても金字塔でしょう。
まあなんつうかその、エイドリアーンだよね。
山の郵便配達 ★★★★☆
中国の山奥で郵便配達員をやっている親子の話。
これは各家庭の方針によってそれぞれ違うであろうが、俺の実家では晩飯のときに大体テレビを付けたまま飯を喰っていた。その場合プライムタイムに見る番組の選定に少し考えるべき所があって、要するにエロトークがあるような内容の番組を見るのは好ましくない。飯の席が大変気まずくなるからだ。よって当時かなりコアなダウンタウンファンであった俺は、月曜8時には「HEY HEY HEY」を見ながら飯を喰いたかったけれども、彼らはこの時間帯でも平気で地雷を撒くというのは前々から知っていたため、仕方なく同時間帯で無難な「世界丸見えなんとか」という番組を見ながら飯を喰っていた。
今思えばHEY HEY HEYなんて半分はクソな歌の集まりだし、DTも一番手を抜いてる番組だし、それが今でも続いているというのがよくわからん。一方で世界丸見えもまだ続いているようである。ちなみに昔のDTDXは、普段DTが交わらないようなゲストを呼んでの一時間トーク番組だった。それが今は下世話な不良債権芸能人の吹き溜まりになっているのは悲しいことである。
すげえ前置き長いな。まあその、かつて飯を喰いながらよく見ていた世界丸見えで、この中国山間部、過疎の山村特集というのがよくあって、その中でもこういう郵便に限らず配達系のドキュメンタリーは多かった記憶がある。
でやっと映画の内容だが、こういう淡々とした進行はいいと思う。特段イベントはなく、それよりも父子の情の交わりを描いた感じ、それが表情に表されるというのは清々しい。
ただ終わり方が納得いかない。これからやっと始まると思ったときにバッサリと切られた。本作にクライマックスなど求めてはいないが、じゃああの女はなんだったのよとか、これから彼はどうなるのよとか、その後の予想が頭の中でも巡らないぐらい、ブチ切られる。ここが口惜しかった。
エル・マリアッチ ★★★☆☆
ギターケースにギターを入れてる歌手と、ギターケースにマシンガンを入れている悪人。おれがあいつで、あいつがおれで。
監督とか脚本とかにロバート・ロドリゲスの名前があったのでたぶんそうなんだろうが、内容から見るにこれはあのデスペラードができる前に作られた作品だと思われる。配役もデスペラードに比べてしょぼいつーか、全員知らんし。
内容はもうハチャメチャ。理屈で考えたら矛盾だらけで、歌手はやたらとマシンガンの扱いに慣れているし、本来歌手よりも当然うまいはずのギャングどもが歌手に打ち抜かれたり、出し抜かれたりと、おいおいそりゃねえよいくらなんでもドジですよあんたとつっこみいれたくなるほど、あのギャングバカ。
しかし本作の場合そこは枝葉末節で、内容から察するこの限られた予算の中で見せたい部分は銃の打ち抜き方。始まりからしてかなりいい感じの映像になっているので、内容の矛盾なんて構わず酔いしれることができる。
その点、後半から映画の体裁を保ちだしたつーか、なんとか終わらせようということでなんかもう、無茶苦茶な話になってしまい最後の最後でその枝葉末節の長回しにより気にかかったてのがあった。