銀子の唄

もうすぐ予選があるらしいが、やっぱどうもこの、興味が湧いてこねえ。これは2002年の頃からだんだんと自分の中で大きくなった感情であり、また昔から持っていた感情でもあるからそれの確認になるのだけれども、○○の代表だから・・・という結びつきはかなり薄い気がする。好きな選手もいねえし、みたい選手もない、それでもこれまで持ちこたえてこられたのはまず海外リーグという代替があまりにも遠い存在であったこと、また曲がりなりにもこれまでの代表には目指そうとしてる地点があり、その過程を楽しむのもひとつ含まれていた部分があるからだ。ただそれさえ2002では、トルコチームという存在によって簡単に捨て去ることができるほどユルい結びつきだったと思い知らされた。

これはなにも、今の代表を応援してるやつはアホだと言ってるのではなくむしろ逆に俺がアホというか、アホなわけで、なんつーかさっき昔と書いたがこれは高校の頃、なんか知らんが当時所属してた高校が甲子園に出場しやがったため、初出場だったもんで全校総出で応援しに甲子園まで行こうと、これはわかる。つーか応援に行けるというのがうれしいわけではなく、ただ友達と神戸あたりに夜行バスで行けること自体がうれしかっただけで、正直野球は見てもいいけど甲子園とか別興味ねえしなぐらいの感覚だった。

でその初戦で勝ちやがったものだから、次からタチが悪くなる。そのまま全校生徒が止まるほど寄付金もねえし、主要メンバー(このへんの人材選びもうさんくさいんだが)だけ残してあとは郷里へ、なんと2回戦は半強制のテレビ応援のようなものになる雰囲気だった。

ここで待てと、そんな普段野球なんぞにな~んも興味ないくせに、なんやおまえ自分が所属しとる高校がテレビに出てたら諸手をあげて応援つうのができんのかよと、おまえらアホか、じゃあなにかあの神戸に行ったときのポートピアランドでのはしゃぎ様は半笑いかと、もう半分は微妙に甲子園の応援のワクワク感コミコミかと、そりゃもう理不尽きわまりない感覚に陥り、幸いに半強制だったので俺ともう一人だけ、ついにテレビ応援はしなかった。

つまり、そういうシンボル自体が求心力となるのはよっぽどでないと無理ある気がする。これは確実に損な性分なんだけども、正直な気持ちなもんでしょうがない。てことでFAカップ見よう。

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