選挙 ★★★★☆

2005年、川崎市議会議員補欠選挙に公募の落下傘候補として”自民党公認”で出馬した、山内和彦さんの話。

2010年現在、山内さんは川崎市議会の議員名簿に載っていなかったので、恐らく映画内で言っていた2007年の改選までで、市議会議員としての務めを全うされたのだろう。映画を見終わって、果たしてこの人はまだ政治家をやっているのかどうか、そこが一番気になったのですぐに確認した。いや、ある意味貴重な体験が出来て良かったですね。本作は一切演出のない素のドキュメンタリーであるから、選挙運動中に垣間見える山内さんの性格から考えると、はっきり言って政治家には向いていなかった。

驚くべきなのは、政治家としての資質や適性が無い人でも、「自民党公認」が付くと当選できてしまうという事だ。これがどういう意味かは本作を見るとよくわかるが、選挙を戦うにあたっての物的・人的リソース、作戦の展開、その他必要な要素は、すべてあらかじめフォーマット化されていて、その通りにやると実際当選できてしまう。山内さん自身の活動自体はペラペラである。日本の選挙戦ではおなじみの選挙カー・街頭握手・老人への媚び売りを使って、「小泉自民党の公認候補、や・ま・う・ち、和彦です!」この言葉を呪文のように連呼する。こういう時に「よろしくお願いします」は日本的最強の言葉だ。

正直誰でもできるし、誰でもいいんだろう。山内さんの場合は東大卒というイチゴが乗っていたから尚更良い。政治家個人としてのマニフェストや、市議としてやりたい具体的な法律や行政への提案内容は、選挙そのものとは全く関係ない。カーネル・サンダースへの握手はギャグというか、自分に向けられたメタな皮肉に感じられた。

つまり山内さんは自民党公認としての御輿であって、本作でも何度も念を押されていたが、その組織力をフルに動員して当選させてもらったに過ぎない。当時絶大な人気を誇った小泉首相が応援演説に来ても、外様の彼は選挙カーの櫓の上で並び立つことすら許されないのである。これが、ずーっと感じていた違和感の理由だと思う。山内さん個人の活動を見るだけでは、どう考えても有権者約20,000人の得票と結びついたとは思えない。組織力恐るべしである。御輿が御輿を担ぐのはとても滑稽だったが、他にもラジオ体操やゆる~い下ネタを絡めた馬鹿話など、政治とは無関係の、違和感有りまくりの選挙戦こそが、結果的に得票に繋がるのは恐ろしい。だからこそ造反議員に対する厳しい言葉は、本作で選挙戦の実態を見ると納得できる。

そういう意味ではこれは民主主義の限界を示唆している。最初の方に出てきた、酒屋のおばさんが「水路の改修をして欲しい」という願い(市議会議員に訴えるものとしてこれほど適当なものはない)を反映させる手段としての一票と、「公認だから」の思考停止での一票が、同じであるのは民主主義の限界だ。意味ある10,000票が、思考停止の組織票20,000票に負けてしまうのだ。これは日本ムラ社会による民主主義の換骨奪胎だけではないと思う。アメリカでもNRAやAIPACのようなロビー団体が選挙に大きな影響力を誇示している。

本作の山内さんの場合はあくまで例外として、一般的な候補者は、自発的に立候補するぐらいだから政治を通じてやりたいことはいくつかあるだろう。それを実行できるようになるためには、まず「選挙で勝たなければならない」のである。政治と選挙がまったく別物である事が、民主主義の最大の問題点だろう。俺は選挙カーが使われる限り、日本の民主主義には参加しない事にしているのだが、騒音以外の何者でもない選挙カーも一連の「選挙セット」の一つであり、ずーっと変更がなされないのだ。

そもそも日本に民主主義はあっただろうか。戦前は納税額による制限選挙だったので、一般市民の民意が反映されていたとは言い難い。戦後はGHQの管理下以降、しばらく間を開けて例の自民党55年体制に突入し、バブル崩壊で経済がポシャるまで続いた。こうして見ると日本は長いこと政府と官僚主導の利益誘導型政治を行ってきたのだとわかる。バブル後の今は、変化の過程における混迷期と位置づけても良いかも知れない。

今の時点で根付いてないなら、いっそもう民主主義とか止めちまえばいいのではないかとさえ思えてくる。代替手段はわからないが、当面はその道を究めた学者さん連中の合議制とかにして、違った視点も必要という意味で異色の人材を少し入れて、民主主義は今の参議院のように、補完的役割でいいんじゃねえかと。今は学者のゴールは大学教授だろうが、そのまた上にゴールを設けることで、結果的に教授のポストも空いて研究者の活性化にも繋がる。

優れた政治家もたくさんいる事はもちろんわかっている。一方で民主主義だからこそ成立している無意味な政治家も大勢いる。選挙の都度扇動家やメディアに乗せられて世論を形成するバカな連中が選んだ人間が、バカの代表であるのは至極当然である。今の日本における政治の迷走も、その一番の原因はなんであろう、その都度メディアに乗せられて現体制を批判している民衆(=民主主義)そのものなのだから。

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