武士道残酷物語 ★★★★☆

江戸時代から昭和30年代まで、自分の先祖の残念な人生を振り返っていく話。

江戸時代の封建社会の理不尽さを描いた作品。極端ではあるが、こういうの見ると昔ってすげえと思う。主君が死んだら、主だった家臣が後を追って殉死する。流石にこの風習は江戸の初期、第4代の家綱の時代だったかに法律で禁止されたが、戦国時代あたりから少なくとも家光の時代までは、殉死が「忠義を示す絶好の機会」として捉えられていたということだ。あーーーーー、すげえなやっぱ。

つまり死は家を繁栄・維持させる手段である。個人は家の中に埋没し、その家は世間を形成して国のために存在し、その国は大名のためにある。ここでようやく個人(大名=主君)が家に先立つ。大名の上には徳川幕府があり、頂点に個人(将軍)がいるが、江戸時代の日本は実質的には一つの強力な国がある連邦国家のようなもので、各藩の政治体制は極端なトップダウンだ。トップダウンの場合、トップの資質が優れていれば、民主/共和制よりよほど機能する。逆の場合は最悪で、本作のようになる。

特に酷かったのは天明期の田沼時代、剣の達人である先祖が、まず自分の弟子と結婚させる予定だった娘を身売り同然に江戸に送られ、妻に殿様の一時的な酔狂で死なれ、挙げ句に弟子と娘を自分の剣で殺してしまう。それでもなお、主君の名を尊ぶ心理は、先祖や家を考えての耐え難い我慢なのだろう。仮に怒りにまかせて主君に刃向かったとしたならば、自分は当然処刑されるとしても、家は取り潰され、一人残した幼児は転地の上平民か、最悪非人にまで貶められる事になる。それを考えての態度であり、また主君の方もわかってもてあそんでいる。

そして現代、このきちがいじみた封建社会は、特攻隊出撃の際の特攻兵と帝国海軍との関係性、また(当時の)現代社会における会社員と会社との関係性に置き換えて当てはめている。この構図・残酷さは確かに普遍的に通ずる感覚であり、今なお残る日本的価値観・封建社会的家重視の名残なのだろう。

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