戦後まもなくの広島、山守組内部の争い。
本編PART1 – PART5は5部作として完結し、本作から新たなシリーズとして結局PART3まで作られた。本編からの共通点は山守組長夫婦のみであり、広能昌三以下本編に登場したキャラクターは一人もでない。ただ時代は遡り戦後まもなくからストーリーは始まるので、俺のようにタイトルだけでなんの情報もなく見ると少しわかりにくい。山守=金子信雄はあまりにキャラが強く(本編中恐らく最も、広能よりもキャラが強い)、本編とは別物である事を明示するために、別キャストに変えた方がわかりやすかった。
本編との方向性の違いは、主役である菅原文太の役柄でよくわかる。本編における広能昌三は、ヤクザ者としてのカタギでない極道精神・スジをきっちり通すことを何よりも重んじ、その点で情に厚く見る側も感情移入しやすい、もっといえば(ヤクザ≒犯罪者であるのに)応援したくなるようなキャラクターであった。彼を通してヤクザの抗争を見るにつけ、若い連中が無意味に消費されていく現状や、ヤクザ的初心を忘れ欲や権力に突っ走る重鎮連中のあがきぶりに、ニヒルな社会を投影していたのが本編5部作である。
一方今作から続く新編3部作における三好万亀夫は、スジは通すものの欲もあるし権力も望んでいる。利用できる状況は己のメリットになるよう活用し、要領よく立ち回るのである。青木の弾避けとして連れて行った女に言った本音:
「ほいじゃわりゃなんなら!こっぱ銭で体売る朝鮮Pじゃろうがい!おう!!!!」
ここで俺は方向性の違いを強く認識した。三好は、広能ではないのであると。
※朝鮮P=朝鮮パンパン または 朝鮮prostitute と思われる
ストーリーの流れは本編5部作と変わらず、というかどんな規模であれ「戦争」が起きる時というのはそういうものなのだが、何らかのきっかけ(仁義シリーズの場合誰かの出所または死)でバランス・オブ・パワーが崩れ、また均衡状態に戻すために各自がそれぞれの思惑で動くというものである。しかし、それに関わる人間模様が、本編と新編では明らかに違っている。人によってどちらが好きかは好みの問題になるだろう。個人的には、つーかアキラが出てるし、ニヒリズムで描かれる本編至上主義者だ。