硫黄島からの手紙 ★★★★☆

1945年2月、大日本帝国軍 vs アメリカ軍の戦争の話。
硫黄島の戦いを題材とした「父親たちの星条旗」と対をなす作品。本作では大日本帝国陸軍の視点からストーリーを構成しており、元パン屋で赤紙招集により激戦地に派遣された、やや戦争行為自体に懐疑的な一兵卒・西郷と、硫黄島の戦いの指揮官・栗林中将、この二者を主役として描いている。
1941年12月8日に開戦した太平洋戦争で、1944年6月までに日本軍はマリアナ諸島を全てアメリカ軍に占領されており、この段階で東南アジアからの天然資源の補給路を寸断され、B-29による爆撃範囲は東京・名古屋・神戸まで含まれるほどで、戦争の勝敗だけ見ればこの時点で決まっていた。つまり大戦末期の戦闘というのはいわば「いかにして負けるか」、その負けっぷりの奮闘により、アメリカから最大限の譲歩(≒大戦終結まで天皇制維持は断固として譲らなかった)を引き出すという、「負けて勝つ」の戦いだったのである。硫黄島の戦いは日本軍にとってそういう戦いであったと同時に、アメリカ軍にとっては日本本土爆撃をさらに進めるための拠点奪取の戦いでもあった。
史実映画というのは、ストーリー的な起伏よりも、その史実をいかに忠実に、しかも映画のある程度決まった尺の中で描いているかの方が重要だ。その点、硫黄島の防衛陣地構築風景から始まり、栗林中将の長期作戦、実際の戦争の経過もきちんと描いていて、こうして作られた実写を見るとアメリカ軍の物量作戦の強烈さ、また日本軍の(残念ながら)負け戦っぷりが非常によく分かる。そうすると自然な感情として「こんな事はやりたくねえな」と思うはずだ。これが戦争映画の存在意義であり、皮肉にも出来が良ければ良いほどその思いは一層強まる。
さらに史実についての理解も深まる。俺自身、栗林中将が米国に滞在していたという事や乗馬の金メダリストがいた事は全く知らなかったし、当たり前の話かもしれないが「硫黄島の防衛戦は手作業で掘ったんだ」と再認識したし、「上陸に際しては敵を十分引きつけた後、『メディックを狙っていけ』」という細かい作戦も知らないことだった。
地上戦の描写についてはハリウッド大作のなせるスケールというか、例えばこれ日本資本で制作されていたとするとほぼCGでやっつけたような地対空戦や戦車を交えた塹壕戦を、ドッカンドッカンの派手派手に作り込み、冒頭30分の静寂の中での防衛戦構築と対比する形でその衝撃はでかかった。「あーあんなスピードでプロペラ機飛んできて、地対空兵器があんな機関銃だけじゃあ、それじゃあまあやりたい放題だよなあ」と実写で見て分かるのは素晴らしい。艦砲射撃に耐える地下壕での兵士や、硫黄島の戦いでの最強兵器・火炎放射器での丸焼き、集団自決、アメリカによる捕虜の虐殺もきっちり描いていた。
ただいくつか気になる点もある。まず歴史を知らない人からすると、時間の流れが全くわからないと思う。あれでは穴掘りからアメリカ軍上陸まで一気に起きた出来事のようだ。またあの、西郷を日本刀で斬ろうとした中隊長のポジショニングがなんかわからん。たまーに出てきては「あー戦車が俺の地雷を踏んでくれなくてむかつくぜー」的な事を言い、そんならおまえ、爆弾抱えて戦車に突撃しろよと思ってしまう。別にいなくても問題はない。栗林中将を演じたハリウッドでたぶん一番有名な日本人、ケン・ワタナベも実際問題、あんま演技がうまいとは思えなかった。実戦になって全員がハイテンションになり、ある程度ごまかしが利くまでの冒頭30分や、途中に挟まれるアメリカ滞在中のモノローグなんか正直、日本のテレビドラマ級の演技だ。西郷の現代的な言葉使いもすげえ気になる。このへんは、アメリカ制作ということで仕方がない部分かもしれない。
当時の軍国主義meets天皇陛下万歳思想が軍にも一般にも浸透している中、バンザイ突撃することや「生きて虜囚の辱めを受けず」と潔く自決する事というのは正しい行為で、むしろ西郷のように「自分が生きること」を優先することは間違っていた。ただそれを現代の日本人が映画で見る場合、ほとんどは西郷の考え方を正しいと思うことだろう。
2時間弱という尺の問題から、当然描いていない描写もいっぱいある。日米双方共に約2万人ずつの死傷者を出したが、その惨状というのはこの映画からは見て取れない。硫黄島の戦いを理解するならば、本やドキュメンタリーを見た方がいい。ただ総じて見ると、戦いをニュートラルな目線で網羅的に描き、当時の日本軍がいかに負け戦で負けていったかを、活字ではなくインタビューでもドキュメンタリーでもなく、戦闘を実写で見ることのインパクトは相当なもんがあった。次回アメリカ視点で描かれたという「父親たちの星条旗」を見てみる。

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