さようなら、ベーマガ

ニュースステーションで久米宏と一緒に出ている椎名林檎を見ていると、何故か真中瞳を見ているような気がする。ってほくろだけだよな。

どうもMacコミュニティ界隈では開発版Safariのデベロッパへの配布停止について盛り上がっているようで。

発端はデベロッパ向けのみに配布していたバージョンのSafari(ブラウザ)が広く流出してしまったことに業を煮やしたAppleが、これの配布を止めたというまあありがちな話。で、これに関して、日本で有名なユーザーサイトが(このサイトからもリンクが貼ってあるけどここからはもう移転している。早いとこリンクを整理しなきゃ)この流出ファイルに直リンクを貼っていたことがあって、その後リンクは外したものの、流出ソフトを取り上げること自体はサイトの運営方針としては間違っていないという見解を曲げずにがんばっていたところで配布停止が決まったために祭りになった、と言う感じかな。端折りすぎだけど。

最初の時は軽い気持ちでリンクを貼っただけだったみたいだから(だからすぐにリンクを外した)、さっさと軽率だった旨を表すれば良かったのにと思うのだが、なんか言い訳しているうちに著作権や契約の解釈がどんどんおかしな方向に進んでいき、最後には配布停止に対して「よかった」と発言したことがトリガーとなって、特に今回直接被害を被ったデベロッパなどから怒りを買うこととなったみたい。まあ俺がなんか書いてもしょうがないので、同じくうちのサイトからリンクを貼ってあるPoseidon(田中俊光)氏のサイトを読めば参考になると思う。

「マイコンBASICマガジン」休刊

たぶん俺より上の世代でコンピュータ業界に進んだ人たちの大半は読んでいたんじゃないかな。みんなソースリストを見てプログラムを打ち込み、打ち間違えからプログラムを覚えていったんだ。俺も中学の頃、友達の98noteにプログラムを打ち込み、2/3くらいい打ち込んだところで、本体のROM BASICだとフロッピーに保存できないことに気づいて、奇声をあげながらリセットを押した苦い思い出が…。

俺の高校時代の部室には、’84年から当時の最新号まですべて揃っていた。ベーマガを懐かしむ声の中には、判型が変わってから読まなくなったという言葉もあったが、俺が読み始めたのは’91年終わり頃から。確か判型が変わったのが’90年くらいだと思ったので、ちょうど全盛期を過ぎたあたりから読み始めたんだな、俺は。まあもう8ビット機がほぼ絶滅した頃だったからね。Windowsも3.0が出た頃で、ちょうどマイコン文化から新たなPC文化への端境期と言えるだろう。「遅れてきたマイコン少年」だった俺を、Oh!Xとともに導いてくれたのがこの雑誌だった。

結局プログラミングも大してできない軟弱なSEとなってしまったが、未だにプログラミングに興味があるのもこの雑誌のおかげかな。何はともあれ、日本のパソコン文化と歩を揃えて歩んできたベーマガ、そしてスタッフのみなさん、長い間お疲れさまでした。

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