俺と市町村合併支援

今日は四日目

昨日、こんな住民投票があった。

「リコール:合併反対の村長失職 群馬・富士見村」

現在、全国の市町村は合併に揺れ動いている。慢性的な財政不足のため市町村を減らしたい国は、2005年までに全国の市町村数を1000程度まで減らすよう、特別法などを作って各自治体に合併を促している。これを「平成の大合併」という。

「平成の」というからにはもちろん以前も似たようなことが起こったわけで、大合併は以前に二度行われている。

まずは「明治の大合併」。1889年(明治22年)に市制町村制が施行され、全国の町村が合併により71,314から15,859へ一気に減らされた。次に「昭和の大合併」。1953年(昭和28年)から1961年(昭和36年)までの間に行われた合併で、市町村数は3,472(昭和36年6月時点)となった。

例として、北海道札幌市を挙げてみる。札幌は明治の大合併では特に変化はなかったが、昭和の大合併の前後で周辺町村を軒並み編入している。

昭和16年4月円山町を合併。

昭和25年7月白石村を合併。

昭和30年3月琴似町,札幌村,篠路村を編入。

昭和36年5月豊平町を合併。

昭和42年3月手稲町を合併。

戦前の円山町は別として、札幌の中心部以外の地域は軒並みこの時期に合併した部分だ。この間に札幌の面積は合併前の約14倍となっている。

今回の「平成の大合併」でも似たようなことが起こってくるだろう。有名なのは浦和、与野、大宮が合併してできた「さいたま市」だが、今後メインとなってくるのは小規模自治体同士の広域合併となると思われる。例えば、静岡県裾野市も、こんな合併論議の中にある。

合併向け具体的研究へ 東部広域都市づくり研究会

研究会の様子(Googleキャッシュ)

こんな感じで、各市町村でも合併か否かということでずいぶん揺れ動いているようだ。

それでも全国では着々と市町村の合併が決まってゆく。干拓問題で揺れる長崎県諫早市と周辺5町は2005年3月に合併する。合併の際にいつももめるのが、対等合併か吸収合併か、新しい市名は何になるのか、だが、このケースの場合、それぞれのメンツを保つために対等合併とする一方、市が諫早市だけなのでそれほどもめなかったのであろう、新しい市名は「諫早市」、市庁舎も現諫早市庁舎を使うことが決まった。(関連リンク)

で、これら合併推進の総元締めが市町村合併支援本部というわけだ。市町村合併マニアは是非チェックしておくと良いと思う。

次回の予備テーマは【公正取引委員会】です。

よろしくお願いします。

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