Software Design 1990年12月号

一言で書くと、「Cマガジン?」。
とにかくCの話が多い。あと創刊号もそうだけど、総ページ数に対するプログラムリストの比率が高い。まあこれはこの時代のプログラマ向け雑誌はどれもそうだから違和感はないけど。
当時(といってもこの1,2年後)自分が読んでいたのは電波新聞社の「マイコンBASICマガジン」(ベーマガ)、ソフトバンク(現ソフトバンククリエイティブ)の「Oh!X」や「C MAGAZINE」だったけど、やはりこれらもプログラムリストがページの多くを占めていた記憶がある。ただこれらの雑誌の判型はA4変形。SDはB5ということで一回り小さいせいか、リストが横向きに印刷されているため読みづらい。

そのほかやはり特徴的なのはUNIXの記事が多いこと。この辺に現在につながる流れが見える。

Software Design 1990年11月号

半ばコレクションアイテムとして購入していたSoftware Designの総集編。1990年の創刊から2000年までと2001年から2012年までの2冊どちらも購入したままとなっていた。
先日dankogai氏の書評を読み、アナログを電子化しているから表紙の端が黄ばんでいると言われて「おー確かに」と確認していたら、せっかく創刊号からあるのだから全部読んでみようという気になってしまった。

というわけで、今回から毎号読んで簡単に感想を書いていこう。もちろん時間は有限なので興味のあるところ以外は流し読みで。

創刊号は1990年11月号。筆者がPCに興味を持ち始めたのは中学2年の頃でこれが1991年。つまりちょうど筆者のコンピュータ歴にほぼ沿った発刊となっているわけで、記事に出てくる固有名詞がいちいち懐かしい。
今のSD誌はインフラ周りの記事が充実していると感じるが、創刊号は時代を反映してプログラミングの話題でぎっしり。
巻頭特集はOOPで、その基本的な内容そのものは今でもおそらく通じる(自分はプログラマとしては落第なのであまり偉そうなことはいえないが)。ただ使用言語はほぼすべてC++。今だとJavaだよなあと思いつつWikipediaを確認すると、Javaの開発が始まったのがちょうどこの年なのね。誌面にはNEXTのObjective-Cの話も出てくるけど、この2つの環境に触発されて始まったそう。それにしても、NEXTの子孫のiOSがこれだけ反映し、Objective-Cがこれほど使われるようになったことを考えると感慨深い。
他にはANSI Cの解説記事も。ANSI Cの制定ってようやくこの時期なんだ。そういえば初めてC言語を勉強したこの時期の別の雑誌の記事で、「ANSI Cのプロトタイプ宣言が気にくわない。K&Rの方が良い」と書かれていたのを覚えている。このほか、連載記事も含めてほとんどがC言語がらみのプログラミングの話だ(中にはマシン語も)。

一方で今のSD誌につながるUNIX関連の記事も創刊号からかなり豊富にある。先のC言語の記事群がほぼすべてMS-DOS環境を前提にしていることを考えるとかなり思い切った構成に感じる。でもこの時期は結構XENIXに存在感があるんだね。意外だった。

というわけで創刊号はざっくり読了。2号目以降はここまで長く感想は書かないと思う。

SQLアンチパターン

 今回は新しい本でも。RDBMS、特にSQLがらみでありがちなトラブルを、ユーモアを交えて紹介しているのがこの本だ。日本語版には最後に「漢のコンピュータ道」奥野氏が執筆した章が追加されている。

 全編、「ああ、あるある」、「これやっちゃったなあ」と、SQLを使った開発・保守をした経験がある人なら心当たりのある事例のオンパレードで、にやりとしたり、背中にいやな汗をかいたりしながら読み進めることができる(そういえば、前職のシステムはこのアンチパターンにどっぷり浸かっちゃってるな。今も無事に動いてるだろうか……、など)。

 全体的に脚注での監訳者のフォローが充実しており、単なる翻訳ではなく、深い読み込みやサンプルプログラムの精査が行われたことがわかる。一部勢い余って本文のコラムにまで進出しているのはご愛敬か。

 個人的な思い込みかもしれないが、世間にはリレーショナルデータベースの理論(元は数学の集合理論)とオブジェクト指向をともに理解し、どちらも自在に操れる人は少ないと感じている。モデラーとプログラマとの間の相克はよく聞く話だ。本書で取り上げられているアンチパターンでも、プログラマがリレーショナルデータベース理論に疎いことが大元にあるものが多いと読んでいて感じた(まあ題名からして、プログラマに分の悪い内容であることは致し方ないが)。個人的には、昨今NoSQL(特にkey-value型データストア)が人気なのも、プログラマからわかりやすい・扱いやすいものだからではないかと考えている。データベースをただのデータストア(データ置き場)としてしか使わない例はよく聞くし。

 内容としては論理設計・物理設計・SQLクエリ・ソフトウェア開発と題材が大きく分かれ、非常に幅広くかつ実践的なものとなっている。正規化・浮動小数点の丸め誤差・テキスト全文検索・SQLインジェクションの問題と対策がすべて扱われていて、かつ300ページ程度に収まっている本はなかなかないのではないだろうか。そういえば先日取り上げた「プログラマが知るべき97のこと」でも浮動小数点の丸め誤差の話が出ていた。ありがちなトラブルなのだろうか。

 といったところで、DBAというよりRDBMSと連携するアプリを開発しているプログラマに是非読んでほしい本だ。でもタイトルからして筆者のようなRDBMS好きばっかり読むのだろうな。版元がオライリーというところが救いか(プログラマの目につきやすい)。

プログラマが知るべき97のこと

 今回の本は、前回の王選手の本と同時にブックオフで買ったもの。多くのー流プログラマがそれぞれ自分の思うテーマでショートエッセイを書き、それをまとめたものだ。タイトルからプログラマとしての心構えといった概念的な話が多いのかと思ったが、意外にもプラクティカルな内容も同じくらい取り扱われていた。

 内容は様々だが、通底するテーマは「職業プログラマとして(つまり開発チームの一員として)品質・保守性の高いプログラムを作るには」だろう。テストの話やコードのリファクタリングの話が多いことにそれが表われている。そのほか、若干ながらプログラマが成長するための心構えについて書かれたエッセイも目についた。あと「達人プログラマー」についての言及が多かったのも特徴か。やっぱりこちらも必読書なんだろうな。

 全般的にオライリーの本にしては気楽にすらすらと読める本であり、筆者のような職業プログラマとはとてもいえない程度のプログラミングしかしていない人間にとっても、これまでの経験と照らし合わせて「あるある」「そうだよなあ」という納得感のある話ばかりで、突飛な話はない。といってもそれはこの本の内容の薄さを表すわけではもちろんない。おそらく各々のプログラマとしての経験に応じて様々な気づきを与えてくれる本なのではと思っている。

 ぜひこれを職場の若手(と書くと自分はすっかりおっさんになった気がする。でも未成年の子なので本当に若手なんだよ)に読ませたいなと一瞬思ったが、仕事としてのプログラミングをまだしていない彼にとっては、まだまだ難しいだろうなあ。

王選手コーチ日誌 1962-1969 一本足打法誕生の極意

 2013年ももう2月になった。今更今年の抱負を書くのも変だが、今年はこのブログを有効活用しようと思う。bitchが書かなくなって久しいけれども、復活までのんびりと続けたいので。
 そこで、しばらくは読書感想文でも書こうと思う。慶應通信を卒業してからも本は継続して買って読んでおり、引っ越して巨大になった本棚もそろそろ埋まるくらい本が増えたのだが、1度読んで終わり(もしくはまだ全部読んでいない)本も多いため、再読のきっかけとするためにブログを使おうかと思っている。目標は週1回エントリすること。

 というわけで、第1回目は表題の通り、王選手を育てた荒川コーチの本だ。実は昨日ブックオフで買って一気に読んだものなので、全然「本棚の本の棚卸し」にはなっていないのだが、それはそれ。
 本書は王選手を指導していた荒川コーチが、当時つけていた日誌をほぼそのまま公開したものだ。高卒ルーキーとしてはまあまあだが周囲の期待には応え切れていなかった王選手が、荒川コーチの指導によって急速に才能を開花させてゆく様が臨場感を持って書かれている。あの一本足打法誕生の日もしっかりと記録されている。
 近年、「王は真面目、長嶋は天真爛漫」という当時マスコミがつけたイメージが実は逆だったということが徐々に明らかになっているが、この日誌にも、ちょっとよくなった王が練習をサボり気味になることで不調になってしまうという繰り返しが何度も登場する。
 ただ、それ以上に印象深いのは、まるで息子の成長を見る父親のような荒川の様子だろう。調子がよいと天才だと喜び、不調になると心構えがなっていないと憤る様は、どっしりと構えた師匠よりは父親に近い。日誌の最後、そろそろ王選手が独り立ちする頃の記載を読むと、少し寂しそうですらある。しかし、王選手を教え始めたときの荒川コーチはまだ32歳(1930年生まれ)。現役でもおかしくない年齢なのだから、揺れ動く心は致し方ないのだろう。それでも今の自分と同年代の人間がここまで人をコーチできるというのは、我が身を振り返ってみてもすごいとしかいいようがない。
 日誌には何度も「気」という言葉が繰り返し出てくる。この「気」についての解説がほとんどないため、意味をわからずに読んでしまうと、単に精神論をぶった痛い人にしか見えない。この意味を知るために、「打撃の神髄 榎本喜八伝」を併せて読むことをおすすめしたい。

 最後に、最近話題の「体罰」についても触れられていることが興味深い。王が門限破りの常習犯だった堀内に対して鉄拳制裁をしたことについて、荒川は日誌の中で厳しく批判している。あとがきにも体罰はもちろん、指導する際に醜い言葉(罵声)を使うことを強く戒めるよう、世の指導者に求めていることに注目したい。

オープンソースカンファレンス 2012.DBに行ってきた

最近このブログも放置気味。まあ自分はもともとあまり記事を書いていなかったのだが、bitchもすっかり書かなくなってしまったので、1年近く更新が止まった状態になってしまっている。

ちょっともったいないので、自分の(仕事がらみのネタも含む)メモ代わりにしていこうと思う。ただし他人が読んでも興味がありそうなものを書くつもり。

で、第一弾として、先週の話だけど「オープンソースカンファレンス2012.DB」に行ってきたので、その時のメモ。

カンファレンスのサイトは以下。プレゼン資料(一部)や当日のUstream中継が見られる。
http://www.ospn.jp/osc2012.db/

BigDataを迎え撃つ! PostgreSQL並列分散ミドルウェア「Stado」の紹介と検証報告
担当:アップタイム・テクノロジーズ合同会社
講師:永安 悟史

Stado(スタド)の概要
・MPPミドルウェア。PostgreSQLで使用。
・GridSQLの後継プロジェクト。歴史は長い。
・シェアードナッシング
・オープンソース
・DWH/BI向けソリューション
・スタースキーマを対象としてパラレルクエリを実行するためのもの。
・レプリケーションではない。
・高可用向けではない。
・Postgres-XC(マルチマスターのクラスタ)ではない。
・物理サーバ1台に対して複数の論理ノードを設定することができる。
・パーティショニングは以下2種類を同時に使用することが可能。
レンジパーティショニング → CE(PostgreSQL標準機能)
ハッシュパーティショニング → Stado
・集約処理(sum, count)は2段階で実行(ローカル→ノード間の集計)
・実行可能なSQLに制約あり。
・DMLは遅いのでデータ登録はツールを使ったバルクロードを推奨。
・ノードを追加するにはダウンタイムが必要。

導入手順
・PostgreSQL9.1以降、JDK6以降が必要。
・リリース版ではなくリポジトリから最新版を入手してインストールすることを推奨。

検証結果
・検証に使用した環境は以下2種類。
Amazon EC2 8nodes
物理サーバ HDDx4 論理4nodes
・使用したベンチマークはDBT-3 スケールファクタ:10
・countやgroup byではリニアにスケールした。
・ノードをまたぐjoin(クロスノードジョイン)ではパフォーマンスが上がらない。
・クロスノードジョインは一旦TEMPテーブルを作成しているため、DISK書き出しが発生。
・全体的に物理サーバ側ではきれいにリニアにスケールする部分が多かった。
・一方でEC2側ではリニアにスケールする部分もあればしない部分も多く、結果が不安定。
・ほか、結果にまだ不明な点が残るためまだ調査が必要。

以下、個人的な感想。
検証では複数ノードの環境としてEC2を使用していたため、結果の不安定さがStadoによるものなのか仮想環境によるものなのかが不明瞭だった。物理サーバを複数用意しての検証結果も見てみたい(自分でやれという話か?)。
pgpool-II 新バージョン 3.2 登場! ~多機能ミドルウェア pgpool-II の活用で PostgreSQL 利用の幅を広げる~
担当:SRA OSS Inc.日本支社
講師:安齋 希美(SRA OSS Inc.日本支社 技術開発部)

今回は以下2つの新機能の紹介。
1. On memory query cache
2. Watchdog

On memory query cache
・MySQLのクエリキャッシュをパクろう。
・pgpool-IIが以前持っていた旧クエリキャッシュは廃止した。
・クエリをmd5でキャッシュしたものを比較している。
・キャッシュされないselectは以下の通り。
:Immutableではないもの(DATE関数など)
:for update
:失敗したクエリやロールバックしたクエリ
:ブラックリストに載っているもの
:ホワイトリストに載っていないもの
:クエリによって返される結果セットのサイズが大きいもの
:一時テーブル(デフォルトではキャッシュ無効。有効にもできる。)
・キャッシュヒット率が低い場合は使わない方が速い(キャッシュのために余計な処理をしているため)。
・キャッシュヒット率の目安は60%~70%くらい。
・制限事項は以下の通り。
:暗黙的な更新が認識できない。ビューの更新やトリガーなど。
:スキーマを区別することができない。単純にSQL文をハッシュしているため、SQL内でスキーマ指定がなければ同じハッシュになってしまう。

Watchdog
・pgpoolをHA構成で使うための機能。
・仮想IPを使う。
・pingで監視
――――仮想IP

Active pgpool   ←→   stand by pgpool

PostgreSQL1     ←→   PostgreSQL2

・スプリットブレイン対策は、HUB故障時にどちらも仮想IPをdownさせることで行う。
・仮想IPのup/downを行うため、pgpoolをrootで実行する必要あり。
・failover時にパスワードなしssh接続ができる必要あり。
・現時点では取得できるステータス情報が不十分。
・時刻同期が必要。

以下、個人的な感想。
・pgpool-II自体をほぼ知らなかったので、新機能の話だけ聞いても意味がなかった。しまった。
・講師の人の喋りがたどたどしかった。自分も最近はセミナーやデモを行うことが多いので、聞いているときに自分が喋っている様を想像してドキドキしてしまった。

DBとはちょっと違うけど、分散処理基盤「Hadoop」の概要と最新動向紹介!
担当:Hadoopユーザー会
講師:山下 真一

タイトル通り、ざっくりとした概要紹介だったため全体的な話は省略。
気になった点だけ以下にピックアップ。

・GEではMySQLで50時間かかっていたツイートや記事の分析処理をHadoopで30分にした。
・CBSではWebサイトのログをHadoopに保存している。
・HBaseは数100TBくらいまでのデータ量の実績あり。
・Apache Flume:ログデータを格納するETLツール。
・JavaはOracle Java6 64bitのみサポート。(Java7は未サポートとのこと。)
・Apache BigTop:構築やテスト環境を作成するツール。

以下、個人的な感想。
当日使用するはずのプレゼン資料が壊れてしまったそうで、3月ごろの資料を用いてのプレゼンだった。本来のプレゼンを聞きたかった。サイトにアップされているものは本来のプレゼン資料のようだ。

PostgreSQL最新情報 ~9.2バージョンほか~
担当:日本PostgreSQLユーザ会
講師:高塚 遙(日本PostgreSQLユーザ会)

9.2の新機能・改良点についての紹介。
・CPUのスケールに対応。8.2~9.1までは8~12コアまでスケールしたが、9.2では32~64コアまでスケールする。
・今回のスケール対応は内部的なロック競合を改善することで可能となった。
・書き込みトランザクションの改善。COMMIT遅延が改善された。
・Index only scanが可能となった。PostgreSQLは追記型という特徴のため、これまでIndexのみでスキャンすることができなかった(テーブル側のみでバージョンを管理していたため)。今回はvacuum処理改善のために以前導入されたVisibility Mapを使用し、複数のバージョンを持たない場合(vacuum直後など)に実行できるようにした。
・レプリケーション機能を拡張し、スタンバイのカスケード構成に対応した。

プライマリ → スタンバイ → スタンバイ
|               |
―→ スタンバイ        ―→ バックアップ

・JSONデータ型の追加。配列・行からJSON型への返還関数あり(逆はなし)。現時点ではマルチバイトでバグあり。
・セキュリティバリアビュー。ビュー定義時に設定。
・SE-pgsqlの対応範囲が拡大された。
・parameterzed planの選択が可能になった。パラメータ付きSQLの実行計画を固定しないことができる。
※Oracleでいうバインド変数を使う際の実行計画の共有を止めるという話と一緒かな?
・drop index concurrentlyコマンド。インデックス削除時の表ロックを行わなくて済むようになったという話。

以下、個人的な感想。
インデックスのみを使った検索がまだできていなかったことに驚き。確かに内部構造を考えると難しいのだなと思うのだが、基本的な設計思想が高速化よりもきれいな実装を優先しているのだろうか。

女囚さそり 701号怨み節 ★★☆☆☆

逃げたり捕まったりする話。

「女囚さそり」シリーズ四作目。事実上のシリーズ最終作(この後も「女囚さそり」名義でいくつか作られているが、梶芽衣子主演の作品はこれが最後)にしては、というかそれがため最後になったのか、尻すぼみの終幕であった。テンションも緊張感もなく、ただ陰々滅々とした逃亡劇が繰り広げられるのみで、一言で言うと退屈この上ない。

これにはいくつか理由がありそうだ。一番大きいのが監督の交代だろう。1-3作目は伊藤俊也という監督の作品で、「女囚さそり」シリーズがほとんどデビュー作なのもあって、そのテンションと緊張感は作を重ねるごとにエスカレートし、作品ファンの期待に見事応えていた。監督交代は作風に大きく影響し、交代した監督がそれまでの流れを引き継げないまま、なんとなく雰囲気だけで描こうとするのにそもそも無理はあった。

二つ目に、本作も二作目の「女囚さそり 第41雑居房」同様1973年の”お正月映画”である。シリーズも四作目と言うことで、固定ファンも相当数見込まれ、想像の域を出ないが、興行収入面での期待も大きかったと思われる。これも監督交代の遠因にもなっているかもしれない。そういう事情もあってか、本作には田村正和と細川俊之という、当時の期待の若手俳優クラスが主役級の共演者として名を連ねている。二人はその後順調に日本を代表する俳優となった。

だがむしろ、「女囚さそり」シリーズのB級エログロアクションにとって、ビッグネーム二人は大きな重荷となった。スターゆえ、あまりにエログロい事はできないのだ。さらにそれぞれに見せ場を設けねばならず、結果的にさそりの魅力一本で押し切っていたシリーズの色は薄れ、単なる暗い逃亡アクションになってしまった。

その点、今更ながら室田日出男や小松方正の使い勝手の良さというか、メタクソに雑に扱われるが存在感ばっちりみたいな俳優のコスパの良さがよくわかる。さそりの魅力を決して損なわないが、重要なシーンでは爪痕を残す感じ、スターが必ずしも必要なわけではない、適材適所とはまさにこれである。

三つ目、過激なエログロ路線を捨ててストーリー性を重視した結果、さそりの魅力が激減してしまった。さそりは目力勝負、語らずとも伝わる魅力・勢いがあった。本作では田村正和演ずる元セクトの反権分子のサイドストーリーとつじつまを合わせるため、ラストにさそりらしさが無くなっている。「あなたの中の私を殺した」なんて殺される方にしたら良い迷惑だし、そもそもさそりには殺しの理由など語って欲しくない。語るなら目力のみ使って欲しかった。

以上、監督交代・スター俳優とのバランス・さそりらしさの減衰と、最終作にはなるべくしてなったのだなと感じられる、よいシリーズ物の最後にしては少し残念な作品となった。ただ1-3作に関しては、特に70年代B級アクション好きなら間違いなくオススメできる。同時代の作品群の中でもテンションと緊張感は抜群に高い。

女囚さそり けもの部屋 ★★★☆☆

殺人指名手配中のさそりが逃げ回る話。

「女囚さそり」シリーズ三作目。映画が始まってわずか2分、オープニングクレジット前に、刑事の片腕が庖丁でぶった斬られ!、その腕に手錠で繋がれたさそりが、斬った腕をブラブラさせたまま東京市街地をウロウロするという、おなじみのハイテンションぶりでいきなり度肝抜かれる。ただしもう三作目、”さそり慣れ”しているのでこの程度では物足りない。「おお、今作もこの路線で行くんだな!」みたいな、逆にこちらの期待感が増幅されるプラス材料に働く。片腕がぶった斬られるような、フィクションと分かっていても目を背けたくなるようなシーンが、むしろ好意を持って受け入れられるのが「女囚さそり」シリーズである。

前作までは基本的に女囚としての話で、女性刑務所の内側での出来事だったのが、本作は脱獄後一般社会に身を潜めるさそりの姿を描いている。そのため刑務所と違って街には(特に都会には)エロがはびこっているので、グロ要素よりエロ要素の方が強くなっている。刑務所内では強姦ワンパターンだったのが、売春・近親相姦・マッチ売り・堕胎など、今回はコッチ方面でやりたい放題やっている。

それにより、同じシリーズでも映画全体の雰囲気が微妙に変化した。グロの場合、殺し方や死に方で派手に見せることにより”陽”の要素もあったんだが、エロの場合、そもそも秘め事と形容するような性質のものであり、かつそれに輪をかけてアブノーマルな状況を扱っているので”陽”の要素は全く無い。今回の「女囚さそり」は激しく陰鬱である。同じ劇薬でもアッパー系のヒロポンがダウナー系のヘロインに変わった感じだ。

常に追われているという感覚もあり、緊張感を維持しているさそりの表情が素晴らしい。弛緩しているシーンはほとんどなく、唯一心を許したユキや堕胎施術の上放置されて死んでしまった女の復讐を決意する後半からは、積極的に動いて女アサシンのような雰囲気も醸し出しまた魅力増幅、ラストすべてまとめてケリをつけるシーンは前衛的でもあり、多様な印象が楽しめる作品だった。

これでも前作から8ヶ月後だからなあ。昔のアクション映画すげえ。

女囚さそり 第41雑居房 ★★★☆☆

女性刑務所の女達が脱獄する話。

「女囚さそり」シリーズ二作目。一作目を見たおかげで「見る前の心構え」は出来ていたので、作品のテンションにはなんとかついていけた。ただ本作にはさそり以上の怪物、何だかよく分からないが狂気のババアが登場し(自分で自分の腹を刺して胎児を殺すという、とんでもないアレな人)、こちらの想定をさらに凌駕する演出は素晴らしい。反面、ちょっと行きすぎというか最早悪ノリ、演出というより趣味、な過剰さも感じられ、その劇薬っぷりは同年代のB級アクション映画の中でも屈指の凶悪さだ。

Wikipediaで調べてさらにびっくりしたのは、一作目「女囚701号 さそり」が公開されてからわずか4ヶ月後にこの二作目が公開されている。つまり本作は文字通り「テンションのみ」で制作されている。しかも、これも驚きだが、公開日が1972年12月30日、”東映のお正月映画”てんだからあの時代の異様さがよくわかる。おとそ気分という言葉から察せられるように、お正月映画は軽い気持ちで(家族や友人と連れだって)サクッと見られるのが通例であり、それでも昔はこんなきちがい道まっしぐらなバイオレンスアクションをぶっ込めたのだから凄い。レイプ・拷問・強姦自慢(クーニャンを強引に云々という話はあの時代でもアウトな気がする)・チンポの歌・リンチ殺人・恥辱殺人、等なんでもありで、これがどう正月に見られたのか、非常に気になる。

内容はハッキリ言って薄い。きちんと編集すれば削れる部分を、何かしらんがわざとスローモーション使ったり(尺稼ぎか?)、逆に前後のつながりを無視した編集をしたりと、これもやりたい放題やっている。趣味と書いたのはその辺だ。悪ノリとテンポの悪さで冗長に感じるシーンも少なくない。例えば姥捨てのばあさんが呪いをかけるようなシーン(なんというシーンだ)、ストーリーとは何も関係無い。クライマックス刑務所長の処刑シーン、車につっこむ死体が明らかに人形(ビニール人形?)なのは良いとして(本作ではこんなもんは最早”ツッコミどころ”ですらない)、さそりが何遍も刺したり斬ったりしてるのに全然死なない。おまけのラストは、女囚全員で明日に向かって走るという妄想全開な趣味もあり、再度書くがこれが正月映画というのがびっくりする。

そしてさそりの無言の存在感(本作の梶芽衣子は特別かっこいい)と双璧をなす、狂気のババアの暴れぶりも面白かった。さそりの妖艶な美しさとは真逆の憎々しさがよく出ていて、本作のテンションを最後まで保てた功労者だろう。演じた白石加代子という女優さん、その後舞台を中心に活躍し(狂気の女優というのがキャッチフレーズらしい。さすが。)、近年紫綬褒章まで受章されている。白石加代子さんきっかけで本作を見た人も、この狂気には満足出来たのではなかろうか。いや期待に違わぬきちがい映画だった。

女囚701号 さそり ★★★☆☆

騙されていけにえにされた女が女性刑務所で頑張る話。

「女囚さそり」シリーズ一作目。これはちょっと、どこから書けばいいかよくわからない。うーん、、弱った。昔日本ではこのような作品が作られ、作られただけでなく、そこそこ受けてシリーズ化できてしまったという、どうも・・・・・、色んな意味でショックがでかい。

今まで見てきた70年代日本のアクション映画は、勢いある当時の雰囲気を反映しているものとして、好意的に解釈できた。例えばよくあるのが、斬られて血がありえないほどドバーッと吹き出す描写、「あーこういうの、やっててテンション上がるんだろうなあ」と、制作者の心境が想像できる。本作ではそれがまるで無い。「これ何のやつだよ!!!」と思うシーンがあまりに多く、ノリが不可解すぎて、比較的こういうのに寛容な俺でも受け入れるのがしんどかった。

要は「ツッコミどころ満載」という一言で片付けてもいいわけだが、一応こちとら「70年代日本のアクション映画」という大きな器の一作品として位置づけながら見ているわけで、そうした視点からはどうしても不可解さを「ツッコミいれて瞬間的に処理する」ではなく「解釈」したくなる。そういう意味で、あまりに謎が多すぎて処理に困り、冒頭の「うーん、、弱った。」という状態になっている。

そしてさらに悩まされるのが、これも重複するが「そこそこ受けてシリーズ化できてしまった」という事実である。当時映画館で見た人は本作の「これ何のやつだよ!!!」をどう処理したんだろうか。例えば風呂場での格闘シーン、怒りに震えた女が突如お化けのようなメイクを施しガラスの切れっ端を持ってさそりに突撃、それが教官の目に突き刺さり!、その教官は目に突き刺さったまま特に動じず女を絞め殺す!という非常に不可解なシーン、通常あんなのは笑い飛ばして処理するしかない。俺が気になったのは制作者がどういう意図でこういう演出をしたのかである。笑って瞬間的に処理するにはあまりにもったいない、本作特有の魅力があるのは間違いないんだが、それが多すぎてもてあます感じだ。

ベースはB級定番のエログロナンセンスで、おっぱいは何の前置きもなく当然のように登場する(本作では梶芽衣子のおっぱいも登場)。女性刑務所が舞台と言うこともあり、おっぱいがそこかしこに偏在するので、それが特別な事ではなくなっている。通常、おっぱいは作品のハイライトになりうるポテンシャルを秘めているが、本作では「日常の風景」なのである。これも全体の異様さに繋がっているのかもしれない。

で結局俺自身、笑って処理するしかなかったんだが、見た後ちょっともったいない気になってこういう感想になった。もし丹念に見る気力があれば、何度も見てその魅力を確かめた方が良いだろう。俺は無理だ。評価はB級最高の★3。