組の金を持ち逃げしたチンピラ三木。人里離れた怪しげなホテルに身を隠していると、次から次に変な奴らがやってくる。一方で、ホテルには覗きのための隠し部屋があり、覗きマニアのオキタとキャプテン・バナナがそこから部屋の様子を覗いていた。
正直笑えなかった。
まず、ごめんなさい。感覚がダサくてごめんなさい。スタイリッシュじゃなくてごめんなさい。オキタとバナナの掛け合いがなんだか全然ハマッてなくてぎこちねぇなこの野郎と思ってごめんなさい。ハイテンションはいい味だしてるけど、こうワンパターンのハイテンションが続くとクドくてイタイよボケ、と心の中で思ってごめんなさい。
鮫肌男と桃尻女の感想を読んでもらえばわかるが、自分はこの監督さんの撮る映画のタイプは好きな方だ。もっと言えばタランティーノの映画が絶対的に好きだ。
映画の構成として、導入部は初見ではわからない思わせぶりなところ、それを利用したラストにかかる時間ずらし、そのラストまでの物語が基本的に”カスの論理のぶつけ合い”で連なってるところなんか、伝統的タランティーノ映画を踏襲してて基本の部分は凄くいい。こういう作りが自然にできるというのがまず素晴らしいと思う。
それを踏まえて、これは狙ってそうしてるのかもしれんがまず話に骨がないというのが全然ダメだった。骨太の話の中にああいうちょっとしたユーモアが埋め込まれているというのが許容範囲で、ああも敢然と”はい「笑い」ですどうぞ。はい、笑ってね。笑わなきゃスタイリッシュじゃないからね”という青春のメッセージ全開のシーンがてんこ盛りでは耐えきれない。
うーむ。あとどうしても、鮫肌の二番煎じである感は拭えないよな。鮫肌の感想でも次回作が楽しみ、のようなことを書いたがまんまで出てくるとは思わんかった。我集院と洋八のキャラはまんまだし、キャプテンバナナは田抜よりも全然いけてないし、正直あの原田芳雄の振る舞いはおそらくまだキャプテンバナナになり切れてない。
あとはそう脇役がくどい。ズラのボーイはもう最低だ。くどいんだよおめぇはよと叫びたい。こうなると肝心のスピード感もまったく感じられず「どうでもいい面白い話」がただのどうでもいい話となってしまう。
なんだろうな、やっぱこの監督さんはこんなコメディー調の変化球を投げることなんかせずに、タランティーノが作り出した方法に乗っ取って、+彼の笑いの要素を加味したおもしろストーリーをいくらでも作れると思うのです。事実それが鮫肌のおもしろさだとこの映画を観て反面的に思ってしまう。
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以上はこの現代においてスタイリッシュではない私の主観であり、仮にこの映画を観て、とても面白かった、ずっと笑えた、何遍でも何遍でも観たいというあなたはスタイリッシュであり、正解の人です。笑う犬の冒険等を見てそのスタイリッシュっぷりに磨きをかけてください。
カテゴリー: 映画
燃える戦場 ★★★☆☆
まだ日本軍と連合軍が互角の戦いをしてた頃の太平洋決戦。連合軍は日本軍の通信施設破壊のため数名の部隊を送り込んだ。しかしイギリス兵のなかに一人アメリカ兵がいる、その一人が日本語を話せるという部隊はまったく統率がとれていなかった。
一応ドラマではあるけども、ほんとに一応程度のもので、別に特筆すべきことはない。そこそこおもろい。登場人物のキャラづけが典型的なもので、まさしく巧みなプロットに基づいた旧来からの映画手法を思わせるうえでのその時点での及第点といったところ。
それとは別に、最後にキャプテンとその部下が、日本兵に狙われながらもうぉおおおおおおと逃げまくるシーンがあるのだけど、これもまぁ前半に印象づけた部位のリフレインを用いてて姑息ちゃあそうなんだが、自分としてはその彼ら二人がウネウネと走る姿、それを狙うアンチャン達、またそれをただ突っ立って応援するアンチャン達、これら三者の姿がとても滑稽でよろしかった。
グリーン・デスティニー ★★★★☆
中国全土で剣の名手として知られるリー・ムー・バイ。修行から帰った彼は、ある決意のもと自らが所有する名剣グリーン・デスティニーを手放すことに。そして弟子である女性剣士、シューリンに剣を北京のティエ氏まで届けるよう依頼する。ティエ宅についたシューリンは、そこで結婚を間近に控えた貴族の娘イェンと出会い、親交を深めるのだが・・・。
マトリックスのようなワイヤーアクションが多用されているアクション映画。マトリックス以降、こういう派手派手なアクションはつくづく自分に向いていないんだなぁと思う。というのがおそらくアクションの部分で最も見せ場であると思われる、強いヤツ対強いヤツの組み手争い、逃げたり追ったりのピョンピョン跳びはねるシーンなど、ワイヤー全開のアクションをえらーく長ーく見せられると、正直うっとおしい。
なら端から見なければいいのだが、これまた風聞で知った以外は、事前に内容を知らずにポスターやパッケージの雰囲気のみで観るものだから、当たり外れは承知の上、とりあえずどんなに不適応でも最後まで観るのが自分への戒めだ。意外にそうやって最後まで観ると、「なんだ、おもしろいじゃねえかよ」と帰結する作品も多い。そりゃあ制作者が一応自信を持って作ってるのだから、そうなるのが自然な流れだ。だから★が1や2なんてのはよっぽどでなければ付けてないです。
そんなワイヤーアクション嫌いでも、全然いけてしまうのがこの映画のアクション以外の部分、ストーリー自体が結構よかったからだろう。メインキャラの四人の心理がニュアンスでうまく伝えられていて、それがまたうさんくさいアメリカ野郎の表情でなく、ハリウッドのアジアンテイストというのがよい印象を持つ鍵になったのだと思う。
ハゲのチョウ・ユンファ、その愛人、そしてチョウ・ユンファの仇敵の娘、ピエール瀧似の武人、彼らの心理が納得いくまで丁寧に作られ、その反動としての娘の暴れはっちゃくっぷり、チョウ・ユンファの懐の深さ、淡々と進む中にも生一本な筋がある。要するに話として見応えがある。
マトリックス駄目な自分でもいけたのだから、普通に観る分にはおもしろいのでしょう。ただやはり長回しがきつかった。
AVARON ☆☆☆☆☆
人類が現実に絶望しきった世界。若者はAVARONというバーチャルリアリティーの戦闘ゲームに熱狂していた。うおうおうおうおうおう・・・・・。
↑のようなことがまず映画の始まる前に字で説明される。この時点でやばい感じがした。いきなりこういう説明から入るのは、あるいはその内容の膨大さ、またわかりにくさを補うためにしょうがなくやる場合と、あからさまに狙ってやる場合がある。狙ってやるというのは、映画のストーリーの中でニュアンスとして伝えるということが困難な場合に用いられるのが多いようだ。まあそういう作品は往々にしてつまらん。そしてニュアンスで伝えるという方法は映画の冒頭で放棄されるのだから、当然その後のストーリー中にも数多の『説明シーン』が盛り込まれるということだ。ありがたや。
本作は攻殻機動隊で知られる押井守の作品だ。というだけあって、この映画は生身の人間が演ずる実写映画なのだが作り自体はかなりアニメくさい。登場人物はとかく無表情、ニヒルを決め込み全体的に暗い雰囲気の作りだ。こういうアニメ映画ってとても多い。GHOST IN THE SHELLもそうだし、スプリガン、VAMPIREとか人狼もそうだった。なんというか、全体的な方法がアニメの方法なのである。詳しくはわからんが。いきなり説明ちゅうのもアニメでよくある。「20XX年、人類は地球上のうららうららうららららら・・・」とか。
ストーリーもアニメっぽくて、無敵の女主人公がその無敵のさらに上を目指すというもので、適当に敵がでたり仲間がでたりサイドストーリーがあったりする。
で、なんで★ゼロかというと、映画の最初から最後まで見たが全然つまらんかったのです。劇中に盛り上がりが全くないと見て取れたのである。やーるこーとなーすこーと中途半端!こうも平坦に淡々と進まれると、ほんとやっとられん。
さらにいかんのが前に書いた『説明シーン』がやたら多いこと。変な諜報部員のようなやつがでてきてはしゃべり散らし、戦闘、またしゃべり散らし、戦闘、と思ったら台詞なしで垂れ流し、さらにはどうでもいい賛美歌、この『映画中に歌が思いっきり歌われる』というのもやばい。これは非常にやばかった。
つまり、俺にとって実写でアニメの方法をとられるというのが、全然ダメだった。さらに、1.説明シーンの多用、2.歌をおもいっきり歌いやがる、この2点、数年間映画を見てきて『クソつまらんぞ馬鹿野郎』と感じた映画に共通のダメな部分が直球ど真ん中で放られたというのが致命傷。よって俺にとっては”投資不適格”えーーー。だめです。これ。
バトル・ロワイアル ★★★★☆
未成年者の退廃がもたらしたとされている、大人が抱く子供への恐怖心や社会情勢の不安に対して、国家的な実験が行われる。少年少女が殺し合いを行うことを目的としたBR法。少年七原くん曰く、「なんでそんな簡単に殺し合うんだよ」
まずこれは間違いなく土曜ワイド劇場とかに登場しません。R-15というのは置いといても、学生が拳銃を撃ちまくり刃物で首を切り裂く、血がブシャアアアア、その殺しの描写というのがもの凄い。派手とかそんなんではなくエグい。ヤンエグ。
彼らのオーバーアクションが、こういうわけのわからぬ殺し合いの状況に置かれているということで逆に真に迫り、たまに引いてしまうこともあるけれども、総じてこのオーバーアクションが成功してる。それはただワーワーキャーキャー鬼のブギウギだけではなく、今際の際の「愛してるぜベイビー」的な臭さも全然ゴリ押せてしまうほどもの凄いハイテンションなノリだ。
ハイテンションってすごい。なんでもありになってしまうとこがいい。結局は主人公チーム(あの3人ね)の視点になるんだが、それまで数々の権謀術数、それは相当ショボいのだけどもそこはテンションで押し切る。逆に言えば極端なハイテンション野郎の、ファンデーション使ってない女とか、安藤政信のようなマーダーペニセストはかなりいい。彼らがいてくれてこの映画がある。ペニセスト同士の決戦はなかなかだった。
この前提の下においしいのがやはり主人公チームだ。最後は「やっぱ友情だよな」で締めくくるのがいい。こんだけ殺しといてそうもいかんだろうとは思わない。これはキン肉マン的友情に近い。戦い、戦い抜いた末にたどり着いた場所、それが友情だ!いや、「ゆうじょう」だ。ひらがなだ。
殺し描写が突出してた。深作欣二してた。つまり、やっぱ人は人を殺しちゃいかんよなと正直思う。間違ってもこれ見て「よし、ぶっ殺すぞ!」と意気込めるのはテロリストだ。銃を取れというメッセージはぶっ殺せと言ってるのじゃない。闘えと言ってるんだろう。主な登場人物は、いやもうキタノでさえも少なくともなにかと闘っている。表面的なブシャアアアアで一般的にはNGだけども、今と闘え!というメッセージはビンビンに感じた。それこそ「ガンバレ秋也」である。
ただこれはテンションでは無理だろうよおっかさんと思えるシーンが、特にテンションという武器をなくしたラストはどうもグダグダ気味、さらにこれはどうしても話に没頭できなかったことが、あのパソコン少年が活躍するシーンと、うさんくさいクラッキングの有様、あれなんかもっとこういい感じにならんものかね。
VISUALBUM ★★★★★
りんご編・・・・・システムキッチン/げんこつ/古賀/「都・・・」/ミックス
バナナ編・・・・ずるずる/マイクロフィルム/む”ん/いきなりダイヤモンド/ゲッタマン
ぶどう編・・・・・診察室にて・・・/寿司/巨人殺人/荒城の月/園子
松本人志企画・演出・脚本のコント作品集。セルビデオとして発売。その背景として、「ダウンタウンのごっつええ感じ」をやっていた時、その予算的・時間的・人間的制約が元で、納得のいくコントが作れないと言うことを日頃から感じていた・・・というのがあるらしい。
「ごっつ」をやめざるを得なくなったきっかけが、放送が予定されてた日にテレビ局側が急遽プロ野球の優勝決定試合を断りもなく放送したこと、「俺らの笑いは、そんなどうでもいい野球なんぞに劣るんかい」っちゅう理由で松本ブチキレ、「ごっつええ感じ」終了。・・・人間的制約が一番の問題だろう。
後で三谷幸喜も言っていたが、ライブ的作品に必然として生ずるアドリブのボケ、仕草などをカメラが映像に納めている、これが人間的制約がないっちゅう事だろう。さらにコントに欠かせない小道具、これは笑いが好きな種類でないと演者の想いとかなり離れてしまう。これも人間的制約。
今思えば「ごっつ」の制約はあまりに大きい。一週間で1時間番組という決まり、その内容は「チームファイト」というゲームみたいなコーナー・野球・選挙シュミレート・大食い・その他一発企画もの、そしてコントである。
コントについて言えば「キャラもの」が多かった。キャラありきで、毎週毎週ボケをマイナーチェンジさせれば長持ちするし、作るのに効率的なんだろう。しかしだ、それも面白いは面白いが、一番最初の衝撃、これはもう一辺限りなんである。毎週毎週面白さは薄れていくだろう。これは時間的制約。
金銭的制約は、やっぱ予算だろうな。テレビでは「巨人殺人」なんてカネがかかりすぎて作れない。「チームファイト」は明らかにコントより安いだろう。
と、このような制約を解き放った本作、一体どうなんだろう?
本作には、いろんなタイプの笑いがある。「げんこつ」「ずるずる」「マイクロフィルム」「荒城の月」のように、思いっきり下ネタで、それが逆に全然ヤらしくない、むしろそれぐらいさらけ出されると気持ちいい。例えばずるずる。「切らんとあかんネー」「え~・・・・・チンチンを、」「そうチンチンを」是非映像で見て欲しいが、この笑いはなんだか爽快感さえある。
要は下ネタオンリで笑いを取ろうとはしていない「下ネタ4割」の笑いなのである。マイクロフィルムは出てくるモノそれ自体が笑いだし、荒城の月は字も含めたヴィジュアルとしての笑いである。
その他笑いどころや話の筋が分かり易いモノも何本かあるが(寿司など)、ここでしか見れない作品に触れたい。それは俺が思うに「システムキッチン」「古賀」「いきなりダイヤモンド」「診察室にて・・・」、この4本。
その中で、システムキッチン。一本目(りんご)の一作目がこれなんだが、挑戦状のようなコントなんである。この作品に所謂「ボケ」はない。恐らく万人が万人笑いどころが違うと思う。人によっては全然笑えないだろう。それぐらいやばい。
おすすめは上の他、「都・・・」「ゲッタマン」とかか。実は何遍も見たのはシステムキッチンとゲッタマンだったりする。「カラン」とか、毒アゲハ人間のおはぎ、衣装さん、何遍見てもおかしい。
キャラありきのコントは信用しちゃいかんぞ!!
ナチュラル・ボーン・キラーズ ★☆☆☆☆
現代版ボニー&クライド。ミッキーとマロリーは、誰彼かまわずブッ殺しまくる猟奇殺人者として警察に追われるが、マスコミの過剰な報道により彼らの行動はカリスマ性を帯び、やがて彼らもそれに酔いしれる。警察は威信に懸けて逮捕したが、それはナチュラル・ボーン・キラーを呼び起こすきっかけにすぎなかった・・・。
クエンティン・タランティーノ脚本作品。監督はあのオリバーストーン。自分の主張を作品に盛り込み押し付ける弘兼憲史みたいなヤツだ。なのでこれは純粋なタランティーノ映画とは言えない。
この映画は友人が言うには、アメリカのメディアの異常な過熱ぶりを皮肉った「意味付け」のある映画らしい。
しかしねぇ、自分が見た時はそういう事前の情報、例えば宣伝広告とか見てないのでそんな押し着せの主義主張なんか、いざ映画を観てるときに感じ取ろうとか考えてないわけです。そんなのどうでもいいわけ特にこの映画は。俺の印象では題字通り「とにかくブッ殺しまくろう!」っちゅうことなんだから。
例えばオリバーストーン作品に「プラトーン」があるが、それはテーマそのものがベトナム戦争、いわば主義主張の塊。だからプラトーンは絶賛された。当時中学生の自分も少なからずベトナム戦争を考えたよ。ええ。
そう考えたのも束の間、せっかくのタランティーノのいい脚本骨子がオリバーストーンの過剰演出の前に砕け散っている。例えばマロリーがナイフを投げるシーンで瞬間的にナイフの動きを遅らせる演出、そのためにBGMをロックからクラシックみたいなのに変えるんだがこれがたまらなく古くさい。嫌になる。さらにマロリーとミッキーの出会いをこれも皮肉だかなんだかしらんが、テレビのどうでもいいコメディ仕立てにしている。これなんか最低。死にたくなる。
そうなると映像からなにから全て古くさく見えてくる。これは時代的古くささでなく、いかにも斬新さを狙った演出が見ていられないほどに古くさく感じるというものだ。これは最初から最後まで、とくにクライマックスの刑務所長が締め上げられるまで延々と垂れ流される。
オリバーストーンも題材によるなと思った。この映画はマスコミの過剰演出が反面のテーマなので、自らも過剰演出してみたのが裏目った。タランティーノが撮り直さねえかな。
RONIN ★☆☆☆☆
戦争・冷戦がなくなり、必要の無くなった戦争のプロが、雇われ殺し屋となる。そんな折、とある雇われ殺し屋にスーツケースを奪うという依頼が来たのだが、それが大きな災いとなる・・・。
題字のごとく主役は現代の浪人(たぶん戦争とか冷戦とかなくなっていらなくなった人達)で、ある人物に雇われてスーツケースを手に入れようとする。そのスーツケースを色々な組織や国家が狙ってて、そこに裏切り、欺きなどがあるという、・・・・・まあなんというか題材としては分かり易さ全開だ。
浪人役の中に本作の目玉であるロバート・デ・ニーロとジャン・レノがいて、まあどっちがメインかと言えばデ・ニーロになる。というかこの映画は凄くデ・ニーロ臭いのである。まず題材が「奪い合い」。当然戦う。どうやって戦うかというと銃火器。バンバンバンバン。で一通り撃ったら逃げる。どうやって逃げるかというと車。そこには当然カーチェイス。カーチェイスにつきものの市民の逃げる様。店の品物をブチまける。延々この繰り返し。そうはいっても2~3回しかないけど。でラストに近づくにつれて、裏切り+欺きが増える。当然バンバン+カーチェイスも。
でラスト。特になんもない。予想通りハッピーエンド。デ・ニーロandレノ組の勝利。
ここまで淡々と書いたが、ほんとに何の感慨もない、爽快感もないふつーの作品という印象を受けた。こういう類の作品は雨後の竹の子の如くあるし、それの頂点にあると思う「ヒート」(確かこれもデ・ニーロ)を高校の時ぐらいに見てるんで、今更どうともないのはまあ自然ですな。
例えばこれが映画見るの初めて、とか言う人なら楽しめるのかも知れないが、如何せん自分は最早スレているので、なんもなければ素直には見れませんな。
いや例えば「普通さ」を狙った作品なら十分楽しめますよ。でもデ・ニーロ出てんだもん。もうなんというか分かり易いんだよ。
2時間返せとは言わないが1.3時間ぐらい返して欲しい。
マトリックス ★★☆☆☆
コンピューター関係の会社に勤務する普通のビジネスマン、○○はある日自分が狙われていることを知らされる。思いつくフシはハッキングぐらいのもんで、命の疑いには及ばない。しかし事は彼が思い描く「現実世界」とは別の「現実世界」、真の生身の人間が生きる話の事だった!本当の現実世界と、現実だと思っていたマトリックス、これが虚構と現実を徘徊するような話だったら面白そうだが・・・・。
コンピューターグラフィックスによる視覚効果をフルに活用した作品として話題になった。確かに素晴らしい。グニャグニャ動いたり止まったりオーバーラップしたりと、まあすごいすごい、ハイハイってなもんで、こう言いたい。「てくのろじいとかいうもんをみるためにえいがみてるんじゃあないよ」
つまり、・・・・・話がものすごぉくつまらんのである。どうしようもなくつまらんのである。その上さらに”俺のつくったテクノロジー”オナニストがいたらしく、その映像は目も当てられない。
わざわざ凄さを見せるためにカラテだか拳法だかの組み手や対決をかなり長まわしで見せて、あからさまに「この動きすごいだろ?!」というオーラをバシバシに感じるのである。それはいいって。ブルース・リーがやってるから。しかもテクノロジー無しで。
ストーリーも単純きわまりなく、裏切り、展開、帰結まであからさまに読める。気付いてしまうとこの映画は退屈なだけ。見ないがマシだった。
世間一般論に流されてはいかんとはこの事か。
白痴 ★☆☆☆☆
長い長い戦争の中で人々の心は荒み、娯楽は国家が提供するテレビ番組だけだった。そのテレビ局で作家として働いている男、このような現実感のない今にうつろな彼が、一方で虚飾の権化であるテレビに虐げられ、一方では白痴の女にリアルを感じる。
手塚眞監督作品。新感覚ヴィジュアリストなどと呼ばれていたが、はたしてそのヴィジュアリストが映画をつくったらどうなるか、しかも主演は浅野忠信、これはなかなか面白いのではとの期待はあった。
しかし・・・・。なんというかその、方向はわかる。どうしようもなく見るに耐えない映像を頻繁に用いることでアイロニックにその現実を描いていること、その現実に気付いていてもどうしようもない側と、気付いてないのか気付こうともする気力すらないのか、甘んじて享受するしかない一般人ども、これを際だたせるための演出なんだろうかもしれんが、はっきりいってウザい。
あんなどうしようもないテレビ局でのシーンをこれでもかと長回しで見せられると、もうそれはそれは耐えられない苦痛になり、それのどこが新感覚なんだよと疑いたくなるほどの古くささである。仮にアイロニックゆえの古くささだとしても、それに対する新感覚的新鮮さの感じられる映像が全く見られない。
あの爆撃か?う~ん、確かにすごいけどなぁ。凄いだけ。
浅野主演の「孔雀」の方がよっぽど新鮮さは感じるし、つきつめるなら松田優作監督の「ア・ホーマンス」ぐらいのツキヌケ方が欲しかった。うんこだった。