ブログエディタを使ってみる その2 IBMホームページビルダー14

ホームページビルダーは、一般の人たちがWebサイトを開くようになり始めた頃から存在する、老舗のWebデザインツールである。その後個人サイトが更新・管理の簡単なブログに移行し、Webデザインツールがプロ向けばかりになっていったため、初心者をターゲットとしていたホームページビルダーはどうなったのだろうかと思っていたのだが、しっかり版を重ね、今でも現役のパッケージソフトウェアとして健在だった。ただ、すでに個人向けビジネスから撤退したと思われるIBMは開発のみを担当し、現在はジャストシステムからの発売となっている。ジャストシステムも文書デザイン系のアプリケーションは得意なはずなので、もしかしたら開発から関わっているのかもしれないが、詳しいことは知らない。

さて、調べてみると、ホームページビルダーも最近の版ではブログ管理をサポートしているようだ。ターゲットから個人ユーザーが大半だと思われるので、ブログに対応するようになるのも必然か。ちょうどIBMのサイトから最新版の14(2009年12月発売)の体験版がダウンロード可能だったので、試しに使ってみることとした。なお、筆者は体験版をインストールしてPCの環境が汚くなるのが嫌いなので、VirtualBoxを使い、エミュレータ上のWindows XPで試用してみた。

今回のチェックポイントは大きく2つ。一つは当サイトの記事を適切に更新できるかどうか。もう一つはbitchが書きためているという記事を楽に移行させることができるかどうかだ。それでは、早速インストールしてブログの管理をさせてみる。

まず、管理するブログの種類を選ぶ画面が現れる。下の画像のように各種ブログサービスに対応しているが、自ら運営するブログ管理ツールでは、MovableTypeにしか対応していない。普通に考えるとここで未対応→終了なのだが、WordPressはxml-rpc APIがMovableType互換であるため、とりあえずMovableTypeを選択して次へ進む。
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ユーザー名とパスワードを入力。
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xml-rpcの設定。MovableTypeの場合の設定例がデフォルトで入っているので、
hpb03

WordPress用にURLを修正する。cgiではなくphpを指定。
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すると、自動的にデザインの読み込みを行い、設定完了。やった。
hpb05

保存して終了。
hpb06

次に、とりあえず既存記事の編集を行うこととした。ただ、なかなか既存記事を検索することができない。試行錯誤の末、とりあえず事前に「ブログの記事を一括取得」を選ぶことで、直近の記事を取得できることがわかった。
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さて編集だ、と思ったところ、先ほど読み込んだはずのデザインの適用がなぜかできず、MovableType風のデフォルトデザインでしか開けない。もうこの時点で面倒になって編集終了。
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全体としては、いまいち操作性がこなれていないなあという印象。あと、このサイトを編集する上ではやはりWordPressに完全対応していないのは致命的だった。そのほか、せっかくホームページビルダーを使っているのに、他の機能との関連性がないようだったのも残念。通常のHTMLで編集した内容をブログ記事に簡単に移すことができればbitchにもおすすめだったのだが、それはできないようだった(もしかしたら対応しているのかもしれないが、この短期間の試用では見つけることはできなかった)。ブログ編集機能だけが独立している印象。

もちろんいいところもあって、それは保存されている下書きがxml形式であるところ。これなら他のテキストエディタでも編集や閲覧ができるので、扱いやすい。保存先フォルダの場所はわかりづらいが。

前回も書いたが、結論としては採用見送りかなと。ただ、貴重な初心者向けHTMLエディタでもあるし、今後もがんばってほしいとは個人的に思っている。

ブログエディタを使ってみる その1 Windows Live Writer

bitchの振り返りのじゃまをしてしまって恐縮だが、その2を読んでふと思ったことがある。記事をローカルに保存しておき、かつ楽にアップロードしたいのなら、ブログエディタを使ってみてはどうかな、と。
そこで、おそらくbitchが本当に思っていることとはずれているだろうとは思うが(たぶん使い慣れたホームページビルダーと自作テンプレートで編集したいというのが肝だと思うので)、ローカルで保存できるブログエディタを紹介してみたい。
とはいっても、筆者自身はブログエディタについて詳しいわけではないので、とりあえず手元にあるWindows Live Writerを紹介してみたい。

Windows Live Writerとは、Microsoftが行っているWindows Liveという一連の個人向けサービスで提供されているツールのうち、ローカルにインストールして実行する「Windows Live おすすめパック」に含まれているブログエディタである。筆者は標準でメールクライアントが搭載されていないWindows7でメールを見るためにWindows Liveメールが、そして実家にいる父親のPCをリモートアシスタンスするためにWindows Live Messengerが必要だったため、それに併せてついでにインストールしていた(もちろん、インストール時に除外することも可能)。これが、Microsoft製品の割には意外に評判がいい。というわけで、早速起動してブログのオフライン編集を行ってみる。

まず実行すると、管理するブログの初期設定が実行される。

WindowsLiveWriter01 

このサイトはレンタルサーバにWordPressをインストールして使っているので、「他のブログサービス」を選んで次に進む。すると、以下のブログアカウント追加画面が出る。

WindowsLiveWriter02

見ての通り、サイトのURL(管理画面のURLではない)とユーザ名、パスワードを入力しさえすればよいので(パスワードを保存にもチェックしておくと古いメールをあさってパスワードを確認する必要もない)、入力して次へ進むと、あとはWindows Live Writerが自動的にブログをチェックして設定を進めてくれる。

WindowsLiveWriter03

このプログレスバーが終了すれば完了だ。ブログの設定名を適当に入力して保存すればOK。

WindowsLiveWriter04

実際の使用感は良好。それほど機能が多いわけではないが、さくさく動いて快適であり、通常の編集画面の他、プレビュー画面やHTMLソースの直接編集もすぐに切り替えられる。また、下書きは保存先をローカルかブログか選ぶことが出来、カテゴリ指定や日付の変更もこの画面から行える。なお、当ブログの場合、画像付きの投稿をブログへ保存するためには、FTPの設定を行う必要があった。 訂正。先日WordPressをアップデートしたときにディレクトリのパーミッションがおかしくなっていたのと、レンタルサーバの仕様変更に伴って修正した設定項目が間違っていただけだった。修正したらFTP設定をしなくとも画像がアップロードできた。

image

ただちょっと残念なのが、ローカルへの下書き保存が独自形式でしかもバイナリ形式であること。つまり下書きはWindows Live Writer以外で編集することは出来なそうだ。せめてXMLにしてくれれば良かったのに。

と、ここまでをWindows Live Writerを使用して書いてみた。感想としては常用してもいいかなと思っている。特に、出先でネットワーク環境がないところで下書きを書き進めたいときに重宝しそうだ。bitchにとっては、過去の文章をWindows Live Writerに貼り付けて編集する手順自体は変わらないが、実際の手間はずいぶん減るのではないだろうか。新しい感想は直接Windows Live Writerで書けばよいのだし。というわけでおすすめ。

さて、「その1」としたからにはその2も考えているということだ。実はbitch愛用のホームページビルダーも、最近のバージョンではブログ管理が出来るようになっている。調べてみると、最新のホームページビルダー14は体験版がダウンロードできたので、これを使ったブログ管理にも挑戦してみたのだ。ただ、結論としては「このサイトではちょっと使えないかも…」。というわけで、次回はホームページビルダー14のブログ管理機能を紹介する。

サーバ入れ替え

先日、OSのアップデートをしたと書いたばかりだったが、その直後にマシン自体を入れ替えることとした。
理由は3つ。
まず1つ目。サーバに使えそうな適当なPCが余っていたこと。
このPCは以前ActiveDirectoryの学習用にWindows Server 2003を導入し、常時稼動時の騒音を抑えるためにCPUクーラーの入れ替えも施して1年ほど常時稼動させていた。その後、Active Directoryの学習も一通り終え、サーバの管理も煩雑となったためにサーバ運用は止め、Windows XPに入れ替えてクライアントマシンとしていたが、iMacをメインに使っており、Windowsマシンも他にノートPCがあるために有効利用されていなかった。
2つ目。FreeBSDをWebサーバ以外の用途にも使用したくなったため。
これまでのマシンはWebサーバ等で精一杯の非力なマシンであり(静音化のためVIA Edenのファンレスマシンにしていた)、デスクトップ環境の構築はきつかった。特にFreeBSDの場合、アプリケーションをPortsからインストールすることがほとんどであり、バイナリパッケージのインストールとは比較にならないほどマシンパワーが必要となるため、まともにデスクトップ環境を整えるにはもう少し強力なマシンが必要だった。
そして3つ目。Stableを追いかける運用に限界があったため。
前回のエントリでも書いたように、これまでのマシンではStableを追いかける運用にしていたのだが、アップグレードが面倒でなかなか手をつけていなかった。この場合、セキュリティパッチ当ても遅れてしまう恐れがあるため、基本的にRELEASEで運用し、パッチもしくはアップデートはFreeBSD Updateを使用するように運用を変更することとした。そのためにはOSを7.0-RELEASEまで戻す必要があるため、別のPCに新規インストールするのにちょうどよいタイミングだった。
というわけでマシンの入れ替えは完了した。Webの表示も体感で速くなったので、新マシンの効果はあったと思う。ただ、このマシンでもGNOMEをまともにPortsから入れたら丸1日かかってしまった。これまでより早いとは言え3年前のPC(しかも安物)なので仕方ないか。

FreeBSDの更新

このサイトにおいて、本文のコンテンツ作成をbitchに任せっぱなしになってからもう何年もたつが、稼働させているサーバのメンテナンスは比較的まめにやっている。
サーバは自宅のFreeBSDマシンだが、portsで導入したアプリは基本的にいつも最新であるし、このサイトのCMSであるNucleusも、最近になって最新Verへのバージョンアップをすませた。
一方でなかなか手が回っていなかったのがFreeBSD本体のバージョンアップ。基本的にはstableを追いかけることにしているのだが、2月に上げたあとはそのままだった。それ以前も年1回くらいのペース。
一応buildworldとbuildkernelは毎週自動実行させているので、後は入れ替えにかかる1〜2時間程度を我慢すればよいのだが、それでも面倒で放置していた。
そこで昨日はちょっと気合いを入れて最新に入れ替え。以前は6-stableを追いかけていたためにバージョン表示は6.3-stableだったが、今は7-stableに変更しているため、入れ替えた後は7.0-stableになるだろう、と思って実行。しかし結果は7.1-PRERELEASEとのこと。というわけで、おそらくもうすぐ7.1-RELEASEが出るのだろう。
毎回メンテナンスの話しか書いていない気がするので、他のコンテンツもがんばって書こう。
…なんて書いてたら、nucleusのアップグレードがまだ途中だったらしくて投稿できなかった。やはり作業後の確認は大事だ。仕事と一緒で。
さらに追記:この後がんばって、昔の記事にあるイメージのリンク切れ等を直した。やっとすっきりした。

復活

去る7/10に引っ越しをした。
ここは自宅サーバなので、引っ越しの最中は当然このサイトが見られないことになる。さっさと復活させないと問題だなと思いつつ、翌日セッティングしてみると、
電源が入らん。
電源部分から香ばしい香りが。どうやら引っ越しの際にサーバを壊してしまったらしい。どうして通電していないのに壊れたのかは謎だが。もしかしたらセッティング後の最初の通電で壊れたのかもしれない。
幸い、手元には別に安物ルータもあったので(このサーバは今までルータも兼ねていたので、そのままでは家の全マシンがネット接続できないのだ)、これでネット接続をすることにしたのだが、以前買ったときに、設定がうまく行かずにこれ経由でサーバ公開ができなかったので、予備マシンにハードディスクを移植してサーバを復活はさせたものの、公開せずにそのまま放置していた。
今日やっとやる気が出たので、さっきルータの設定をいじってからbitchに確認してもらい、外から見られることを確認。やっと復活と相成ったわけだ。
それにしても、今回の引っ越しは大成功だった。駅徒歩1分だし、バイク置き場はあるし、部屋は広くなったし。というわけで、新井薬師に参拝した帰りにでも、暇だったら寄ってください。
参考:使用している安物ルータ
NTT-ME BA6000

クラブサンドウィッチはいかが?

下に書いてる前から欲しかったうさんくさ学習リモコン「リモコソ(RIMOKOSO1)」をようやく手に入れられたので遅まきながらレビューしておこう。2003年末に登場して話題になり、今年の2月にヤマギワの火事を見に行った時購入しようと思っていたが売り切れ、今回DOSパラに大量にあったんで再入荷しているぽい。この機能で1,500円は安い。うさんくさい分安いんだろうが。たぶんまだあるよ。


学習リモコンとはオリジナルのリモコンから信号を受信し、それを記憶させてボタンに配置させるリモコンのことで、例えばそうだな、テレビ・ビデオ・DVD・エアコン・CDコンポ・なんか変なやつのリモコン・など家庭にある複数のリモコンを一つの学習リモコンだけで操作できるようになる。電気屋によくある便利リモコンとは違って、あっちは有名メーカーのリモコン仕様があらかじめ設定されてあるが、学習リモコンはそれを自分で設定する感じ。その点、たとえテレビがわけわからん韓国あたりのメーカーであろうが(実際おれんとこはディザックというわけわからんメーカーのステレオテレビだし)、便利リモコン以上に使えるということだ。詳しい説明はgoogle検索のトップhttp://techside.net/sp/rimocoso/ここにあるので、以下は私の使用感であります。


リモコソの場合は記憶チャンネルが4つでボタンは全部で32個、最大128個の信号を記憶できて、記憶チャンネルには律儀にTV VCR AUX1 AUX2 と書かれてあるが、テレビをTVに割り当てるとしても、記憶させるボタンはせいぜいチャンネル・電源・音量・ミュート・テレビ/ビデオ切り替えボタンぐらいなので、多くても20ぐらいで済んでしまう。そこでその余ったボタンに別のリモコンの信号を割り当てることができるというのがいい。


だから記憶チャンネルの切り替えもなしに、テレビとビデオとエアコンぐらいならTVにまとめることでシームレスに使用可能となる。これは使ってからわかったことだが(一つの記憶チャンネルで信号の混成はできないと思っていた)非常に便利だ。


ただ自分用にボタン配置をカスタマイズしたとしても、どこにどのボタンか忘れることがあるので名前シールを自作せねばならん。↓





シール作りの作業はかなりせづねぇが、結構死にたくなるが、やったほうがたぶん便利だぞ。


あとボタンの記憶作業はめんどいうえに、機器によっては覚えさせるコツがいることもあった。音量やカーソルボタンなど押しっぱなしにして使うボタンの場合、覚えさせる段階で押しっぱなしにしないと、押しっぱなしボタンとして記憶されない。さらに未だにビデオ2については信号の記憶はできるものの、発信することができない。この辺はまあ、リモコソだし別にかまわん。


参考画像(おもしろ日本語はうさんくささの証)


1.本体 カスタマイズ済
2.RIMOKOSO1 ふざけてない。日本語間違えてそのままなだけ

3.箱 リモコソ!!

4.ボタソ

5.説明書英語

6.説明書日本語 登録作業は一応この通りでOK

サイト移転

この三連休、中途半端に1科目だけ大学の試験があったほかは何もやることがなかったので、暇に飽かせてドメイン取得とやらをやってしまった。ちなみに、つい先日から固定IPアドレスも取得している。

というわけで、今日からここのサイトのURLは、http://dead-pigeon.net/となります。しばらくはdead-pigeon.plala.jpでもアクセス可能にしておきますが、ISPを2社契約するのは無駄なので、今年中をめどにplalaのADSLは解約します。いきなり消えると思うので注意してください。

というわけで業務連絡>bitch

もしURLを絶対指定するなら、dead-pigeon.netの方を使ってください。

ところで、実はasahiネットのFlet’s ADSLセットを契約し、固定IPアドレスを取得したのは1ヶ月近く前なのだが、実際に使用するまでかなり時間がかかってしまった。というのも、2つのISPに同時につないだときにうまくルーティングする方法、いわゆるマルチホームをうまく設定する方法がよくわからなかったからだ。やっとわかったので、今度まとめてみようと思うが、もしかしたら俺と同じところではまっている人がいるかもしれないので、一つヒントを。

片方のISPをデフォルトルートにして、もう片方は、そのインターフェイスから外部のネットワークに出ようとするパケットをそのISPのゲートウェイにフォワードすればよい。

具体的には、ISP1: 192.168.0.1 gatewey 192.168.10.1、ISP2: 192.168.1.1 gateway 192.168.11.1、内部ネットワークを192.168.100.0/24とすると、

1, defaultrouteを192.168.10.1とする。

2, ipfwを用いて(FreeBSDの場合)、ISP2のIPアドレスから外部ネットワークへのアクセスは、ISP2のゲートウェイへフォワードする。

# ipfw 100 add fwd 192.168.11.1 ip from 192.168.1.1 to not 192.168.100.0/24 out

この2の時に注意する点は、ipfwのルールの前の方にフォワードのルールを入れておかないと、フォワードの前に当てはまるルールがあればそれが採用されてしまってフォワードが有効にならないというところだ。俺はそれではまってしまって、「設定したのにうまくパケットが流れないよーん」なんてことになり、tcpdumpしたり外部からポートスキャンをかけてみたりとずいぶん無駄な時間を費やしてしまった。

興味ない人にはつまらん話題になってしまってごめん。

日本ハム東京ドーム最終戦の話と夜間スクーリングの話はこうしの日々是勉強にでも書いておきます、と思ったらなんかつながらないな。

固定IP取得予定

最近さっぱり野球をやっていなかったにもかかわらず、友人の会社の野球部に参加し、ダブルヘッダーで駄目プレーを披露し続けた俺は、野球好きというよりは単なるマゾではなかろうかと考えてしまう今日この頃、皆さまいかがお過ごしでしょうか。

かつての俺では考えられない多忙な週末を過ごしてきたここ1ヶ月だが、この三連休は特に予定も入っていなかったので、友人の野球に参加させてもらったあと、久しぶりにbitchと会った(1ヶ月半帰省していたそうな)。

ところで、bitchの家ではこのサイトが見られないという話だったので自宅でも確認したところ、確かにうちでも見られない。どうやらぷららのDDNSサービスがうまく動いていなかったようなので、サーバを再起動して対処した。そして久しぶりにサイトを見たところ(忙しくて自分のサイトすら確認していなかった)、カウンタがあり得ない数値を示している。なんだこれは?自作カウンタなので何かのバグだろうと思ったのだが、アクセス解析でも確かにそれくらいのアクセス数はあった様子。ここで思い浮かんだのは次の二つ。

1, ぷららのDNSはかなり使えない。
2, 相当行儀の悪いロボットがいるな。

2はどうしようもないが(カウンタのためだけにロボットをはじくのも面倒だし)、1は何とか対処せねば。
というわけで、近いうちにASAHIネットの固定IPサービスに移行することにした。独自ドメインも取得予定。しばらくはここと平行して使用するつもりだが、急につながらなくなるかもしれないので注意して欲しい。

・今日の発見
といっても昨日の話になるが、本屋のタレント本コーナーをぼーっと見ていたら、伊集院光著「球漫」という本が並んでいた。最近ラジオも聴いていなかったのですっかりマークから外れていたのだが、ぱらぱら見た限りではそこそこ期待できそうだったので明日にでも買いに行くことにする。

さようなら、ベーマガ

ニュースステーションで久米宏と一緒に出ている椎名林檎を見ていると、何故か真中瞳を見ているような気がする。ってほくろだけだよな。

どうもMacコミュニティ界隈では開発版Safariのデベロッパへの配布停止について盛り上がっているようで。

発端はデベロッパ向けのみに配布していたバージョンのSafari(ブラウザ)が広く流出してしまったことに業を煮やしたAppleが、これの配布を止めたというまあありがちな話。で、これに関して、日本で有名なユーザーサイトが(このサイトからもリンクが貼ってあるけどここからはもう移転している。早いとこリンクを整理しなきゃ)この流出ファイルに直リンクを貼っていたことがあって、その後リンクは外したものの、流出ソフトを取り上げること自体はサイトの運営方針としては間違っていないという見解を曲げずにがんばっていたところで配布停止が決まったために祭りになった、と言う感じかな。端折りすぎだけど。

最初の時は軽い気持ちでリンクを貼っただけだったみたいだから(だからすぐにリンクを外した)、さっさと軽率だった旨を表すれば良かったのにと思うのだが、なんか言い訳しているうちに著作権や契約の解釈がどんどんおかしな方向に進んでいき、最後には配布停止に対して「よかった」と発言したことがトリガーとなって、特に今回直接被害を被ったデベロッパなどから怒りを買うこととなったみたい。まあ俺がなんか書いてもしょうがないので、同じくうちのサイトからリンクを貼ってあるPoseidon(田中俊光)氏のサイトを読めば参考になると思う。

「マイコンBASICマガジン」休刊

たぶん俺より上の世代でコンピュータ業界に進んだ人たちの大半は読んでいたんじゃないかな。みんなソースリストを見てプログラムを打ち込み、打ち間違えからプログラムを覚えていったんだ。俺も中学の頃、友達の98noteにプログラムを打ち込み、2/3くらいい打ち込んだところで、本体のROM BASICだとフロッピーに保存できないことに気づいて、奇声をあげながらリセットを押した苦い思い出が…。

俺の高校時代の部室には、’84年から当時の最新号まですべて揃っていた。ベーマガを懐かしむ声の中には、判型が変わってから読まなくなったという言葉もあったが、俺が読み始めたのは’91年終わり頃から。確か判型が変わったのが’90年くらいだと思ったので、ちょうど全盛期を過ぎたあたりから読み始めたんだな、俺は。まあもう8ビット機がほぼ絶滅した頃だったからね。Windowsも3.0が出た頃で、ちょうどマイコン文化から新たなPC文化への端境期と言えるだろう。「遅れてきたマイコン少年」だった俺を、Oh!Xとともに導いてくれたのがこの雑誌だった。

結局プログラミングも大してできない軟弱なSEとなってしまったが、未だにプログラミングに興味があるのもこの雑誌のおかげかな。何はともあれ、日本のパソコン文化と歩を揃えて歩んできたベーマガ、そしてスタッフのみなさん、長い間お疲れさまでした。