Career Opportunities

下に書いてある通りです。再就職しました。今度は派遣でなく、ちゃんとした正社員。というわけで年金とか保険とかその類のものは基本的に完備。失業保険にも加入してるので、これで安心してクビになったりもできる。年末にはボーナスなんかも出るかもしれない。でも出ないかもしれない。

で入った会社がどんな会社かというと、すいません、ちょっとそれは伏せさせておきます。つっても別にやましいことをしているというわけではなく、業務が割と特殊な会社なので、それを言うと特定されてしまう恐れがあるわけですよ。まあそこまで過敏になる必要はないのかもしれないけど、誰が見てるか分からないのがネットだから。例えば私がこの日記で「上司が常にハミチンしていて困る」などという文章を書いて、それをその上司が見て自分のことが書かれていると気付いたとしたら私の立場上非常にまずいことになるわけでして。

ちなみに私がプーを始めたのは、前の派遣会社の契約が切れた4月1日からなので、失業生活は実に1ヶ月以上に及んだことになる。その間受けた会社は4つ。実際には色んな意味で切羽詰まってたわけだが(いや、失業者って普通切羽詰まってるでしょ)、そのくせに受けた会社は4つだけ、しかも面接にまで至ったのは2つだけ、というこの体たらくは一体どういうことなのだろうか。答えは簡単である。「ファイヤーエムブレム」が私を呼んでいたのだ。就職も確かに重要だが、世界征服を企む悪の帝国を倒す重要さに比べれば屁みたいなものである。

ところで私が受けた4つの会社の内訳だが、一つは当然私がこれから勤務する会社。二つ目は筆記で落とされた怪しい貿易会社。ちなみにその筆記試験の問題が中学生レベルだったことは誰にも言わないように。それで三つ目が何故か英会話塾で、希望職務は当然英会話講師。アホか俺は。一応面接までこぎつけたのだが、そこで待ってたのは面接官の「教えることに対する熱意が感じられない」という言葉だった。感じられないのは当然である。そんなもの初めからないのだから。「君みたいに優秀な人はほかにいくらでも就職口があるんじゃないの?」とも言われ、自分の優秀さに酔い痴れたりもしたが、結局採用されることはなかった。四つ目(何やってる会社か忘れた)は書類選考に二週間かかる所で、書類を送ってからそろそろ二週間になる。というわけで戦績は1勝3敗に限りなく近い1勝2敗1分け。ま、1勝がありゃいいわけだしね。

というわけでさらば無職の日々よ。いやね、私みたいなダメダメ君でもプー生活がこう続くとたまに不安になったりしてたのよ。もうちょっと真人間寄りの人だとそれがより頻繁になり、筋金入りのダメ人間だと全く不安を感じないのでしょう。つまり私は平均よりもちょっとダメ男寄り、といったところだろうか。いずれにせよその不安から解放されたのは素直に嬉しい。でもこれから職安が恋しくなるかも。「俺を励ましてくれたあのおばさん元気でやってるかなあ」って。

最後に一つ。求職活動に関してはbitchには思いっきり世話になったので、この場を借りて礼を言っておきたい。こうしの方には世話になった覚えは全くないので、礼は別に言いません。

そりゃ誰だって幸せになりたいが

私にはちんこがついている。こすればでかくなるし、もっとこすれば変な液が出るし、より強い衝撃を与えるとい、い、痛えよ、ってなる。大事な急所に何てことするんですか貴方は、って。ここで私が言いたいのは、自分はインポではないよ、ということではなく、もっと前の段階、つまりインポかどうかが問題となる状況、つうか、ええい、もうわけ分からん!要するに私はれっきとした男ですよ、って言いたいわけ!ついでにインポでもありません!

で、私が生物学的に雄であることがここにて立証されたわけだが、しかし私の心の性別は女なのです、GID(性同一性障害)なのです、これがいかに苦痛か分かりますか、我々の権利を認めてください、認めてください、つうか認めないと殺す…ってなるわけがない。いや、性別の不一致に苦しむ人々の権利は確かに認めるべきだとは思うが、この日記の主眼はそれではないし、何よりも私はそのような苦しみを味わっていない。何故なら私の心と体は性別というものに関しては非常によい関係を保っており、私の心はもう、全くといっていいほどの男である。いかに私がデヴィッド・ボウイの“John, I’m Only Dancing”を好んで聴いていようが、それは疑う余地のない事実である。日本人男性のバイブルと言えるであろう「男塾」もちゃんと読了済みだし。

しかしそんな私のささやかなマッチョイズムに疑問を投げかけるような事態が起こってしまった。あまり大きな声では言えないのだが、最近「フィールヤング」っていう漫画雑誌を読んでいるのだ。作家陣は有名どころでいうと安野モヨコ、やまだないと、内田春菊、小野塚カホリ、安彦麻理絵など。つまり思いっきり女性向け。「男が電車の中で堂々と女性向け漫画を読んでる図が面白くて」なんていう理由だったらどんなによかったか。普通に読んでます。結構面白いです。基本的に岡崎京子の漫画が目当てで読み始めたのだが、その連載が終わっても(もうすぐ終わる)買い続けてしまいそうで恐い。まあ男塾だって普通のジャンプコミックの頃は単行本の巻末に女の子の手紙が載ってたりしたわけで(大体飛燕のファンだったような気がする)、こんな雄がいてもいいのではないでしょうか。

ただ当然私はこの雑誌のターゲットオーディエンスではないので、漫画以外のページ(あと一部の漫画も)には相当な違和感を感じる。私は雑誌の懸賞に応募するような人ではないが、仮にそうであったとしても、フィールヤングの懸賞には応募しないだろう。だってセクシーランジェリーなんかをもらってとうしろっつうの?いや、色々と楽しい遊び方もあるだろうが、そんな楽しい遊びをしてる自分はちょっと嫌。

しかし特に目を見張るべきは、裏表紙にある広告。男であるなら男性誌やエロ本で見たことがあるだろう。幸運をもたらすグッズの広告を。この石のおかげでギャンブル運が上がったとか女とやりたい放題だとか。それの女バージョンがあるのだ。まあ女だろうが男だろうが人間である以上欲望に支配されていることに変わりはないので、別段驚くべきことでもないのかもしれないが、それでも初めて見た時はつい笑ってしまった。いきなりホテルに連れ込んだとか、そういう露骨な話になりがちな男性バージョンとは違い、女性バージョンはどちらかというと純愛路線なようだ。今現在手元にある最新号の裏表紙には、顔の非常に不自由な女性とイケメンの男のラブラブな写真が飾られている。エロ本なんかでこういう広告を見る度に「こんなの買う男の顔見てみたい」と思う私であるが、こんなの買う女の顔はもっと見たいかもしれない。

すまん、強化週間はほかの二人で頑張ってくれ…。

さらばハードボイルドな日々よ

お久しぶりです。日記を書くのは実に1ヶ月半ぶりになりますね。いやあ、もうすいませんね遅れて。ただただ反省するばかりの鬼畜学園です。私の場合今まで自分の部屋にパソコンなどという格好いい機器は持っておらず、それでどうしてたかというと、シャレにならないほど恐い上司の目を盗んで職場で書いていたのです。私がしばらく日記を更新しなかったのも、最近仕事が忙しくてなかなか書けなかったというのが大きな要因であったのです。

というわけで私の過去の日記は、内容に関してはもう読めば分かるようにアホっつうか、クソっつうか、まあ要するにそのテの形容詞を並べて頂いて一向に構わないようなものであるのだが、それを書いている状況というものを振り返ると、そこにはやはり一定の緊張感はあったような気がする。周りが一生懸命仕事している間に、私は語尾に「まんこ」が付くような文章を書いていたのだから、それを考えると私の過去の日記は非常にハードボイルドである。

しかしそんなハードボイルドな状況に別れを告げる時が来た。ついに私の部屋にパソコン、そう、パソコン、が導入されたのだ。初めて家にテレビを迎えた昭和中期のちゃぶ台パパのような心境である。街頭テレビの前で近所の野郎共が一丸となって力道山を応援したのも確かにいい思い出ではあるが、やはり好きな時にテレビを見れるということに関して一種の恍惚感を感じずにはいられない。モダンテクノロジー万歳、とでも言うべきだろうか。

つってもこれは私のパソコンではなく、このサイトのボスであるこうしの寄贈によるものである。寄贈じゃなくて貸与か。ついでにネットにもつないでないっつうか、そんな金ないっつうか。だからワードで日記を書いて、それをフロッピーに保存し、それを職場で起動させて、コピーし、日記入力のページに貼り付けるという、若干面倒くさい作業を経るのだが、入力及び推敲を全て職場でやらなければいけなかったあのハードボイルドな日々と比べれば、そんなの朝飯前である。ソフトボイルドである。こんな私でも職場で汚い言葉を打つのは多少の恥じらいを感じるものであったが、今はもう恐いものなしである(いや、まあ、上司は相変わらず恐いけど)。チンコでもマンコでもウンコでもオシッコでも、もう何でも来なさい。私は逃げも隠れもせんよ。

Death Or Glory

そろそろ私も日記更新しなきゃな、と思ってたのです。何かネタないかな、と今朝シャワー浴びながら思ってて、で何か適当なネタが思いついて、よし適当なネタが思いついたぞ、それについて適当に書こう、あくまでも適当に書こう、とにかく適当に書こう、何故なら私の日記は(そしておそらくほかの二人の日記も)いつだって適当だから、適当に適当に適当に、となったわけです。ところが今朝出勤してホームページを開いてみたらすでにbitchが本日の日記を書いてるではありませんか。日記を更新すると結果的に前の日記を下げてしまうことになるので、同じ日に日記が二つ更新されるのはあまり好ましくないと常々から思っている私は、当然今日は見送ることにしました。明日があるさ、と。

しかしそんな悠長なことを言ってる場合ではなくなった。ショー・ストラマーが死んだのだ。そう、クラッシュのジョー・ストラマーである。自分が外交官の息子であるということに全くめげずに、”Career Opportunities”や”White Riot”などの曲を歌った、あのジョー・ストラマーである。というわけでbitchよ、すまないが、君の日記を下げさせてもらう。

では私はクラッシュというバンドにどれぐらい思い入れがあるのだろうか。とても。相当。かなり。めちゃくちゃ。死ぬほど。と、まあ、そんな感じの単語を並べてもらえれば。「London Calling」は間違いなく私の生涯トップ10に入るアルバムであり、セックス・ピストルズがどうしても好きになれないのも、クラッシュと比べるとやはり音楽的な幼稚さが目立ってしまうというのが大きな理由だと思う(本当はフェアじゃないんだけどね、そういうのって)。パンクはもちろん、レゲエやダブにも興味を抱いたのも、元はといえば彼らが原因である。

そんなバンドの精神的支柱だったジョー・ストラマーが(音楽的支柱はやはりミックだろう)逝ってしまったのだから、そりゃショックはでかい。ただ泣いたりとか、へこんだりとか、そういうのはない。「そうか、逝ったか」ってのが率直なリアクションである。もちろんショックではあることに変わりはないけど。クラッシュが私が生まれる前にデビューし、鼻ったれのガキの時に解散したというのもあるかもしれないが、超リアルタイムだったニルヴァーナのカートが死んだ時もそんな感じだったと記憶している。

そもそも自分のアイドルが死んだ時に泣き崩れたりする人の神経が分からない。hideや尾崎豊など、「寄るな、とにかく寄るな、何でもいいからあっち行け」と言いたくなってしまうような音楽をつくってた人たちに限った話ではない。カート・コバーンが死んだ時も同様のことが起こったが、ニルヴァーナ好きの私にはそれもやはり理解できない。現に今私の敬愛してるミュージシャン、例えば中川敬や中村達也などが死んでも自分がそのような行動に走るとは思えない。音楽家だけでなく、スポーツ選手や作家、政治家もそうだ。その人たちの作品や功績から我々がどんなに感銘を受けたとしても、本当にその人のことを知ることはできないし、そのような錯覚を抱くのは思い上がりのような気がする。悲しいという気持ちはもちろんあるが、自分の家族や恋人や友人が死んだ時の悲しみとは全く次元が違うだろう(私は実際に大切な人を失った経験はまだないが、それぐらいは容易に想像できる)。言いかえれば、ファンの悲しみなど、実際にその故人に親しかった人のそれに比べれば屁みたいなものであって、度を過ぎた悲しみ方をするのはその人たちに失礼ではないだろうか。

とはいえ、ジョー・ストラマーに関してはその心配はないだろう。カートや尾崎何たらの時とは違って、ファンの多くは分別のあるいい大人であり、醜態をさらすような人がいるとは考えにくい。これが1983年とかだったら話は全く違ってただろうが。おそらくみんな彼の冥福を祈り、自分にとってクラッシュの音楽がどんな意味を持っていたかちょっと考え、酒でも飲みながら「London Calling」をかけたりするのだろう。私も家に着いたらそうしたいと思う。

…と思ったんだけど、あのアルバム1年以上前から誰かに貸してるんだよね。い、い、痛え…。まあ「London Calling」が駄目なら「Sandinista」でいっか。

とにかくストラマーさん、素晴らしい音楽をありがとうございます。ぜひロックンロール天国でジョンやジョージに向かって「Phony Beatlemania has bitten the dust」と歌ってください。

隣人が恐い

いや、もうタイトルのまんまですから。隣人が恐いです。何かすごく恐いです。

といっても別に彼がパンチパーマのやーさんとか、暴走族の特攻隊長であるというわけではない。多分。おそらく30代前半ぐらいの、少なくとも容貌はいたって普通の人である。30代前半ぐらいで家賃4万5千円のアパートに住んでるところに関しては何か事情があるのかな、とは思ったりもするが、私もいずれそうなってしまう可能性もあるのでそれはさておき、ということにしておこう。家賃に金使うぐらいならほかのところで贅沢するというライフスタイルを選択したのかもしれないし、何か夢や目標みたいなものがあってそのために節約生活を強いられているのかもしれないし、ただ単に普通に貧乏なだけのかもしれないし、何よりもそれは本人の勝手であって、ネット上のこんなアホサイトで私のようなアホに勝手な憶測をたてられる筋合いは全くないのであって、というわけで隣人さん、ごめんなさい。でもあんた恐いです。

では何が恐いのかというと、キ○○イなんです、彼は。

もともと私は隣人というものに対して割と許容力のある人間だと思う。朝の5時に隣人が女と生殖活動に励んでいる音で起こされても、彼の持続力に感心こそすれ(本当に長いんですよ、これが)、それに対してうんざりすることはない。午前3時に念仏を唱えてても別に全然OKである。彼が倉木麻衣や小柳ゆきなど、少し私の理解の範疇を越えていると言わざるを得ないような音楽をかけてても、私もおそらく彼の理解の範疇を越えているような音楽、例えばザ・フォールなど、をかければいいだけの話である。例えザ・フォールが彼だけでなく私の理解の範疇を越えていたとしても。ていうか私も隣のことを気にせずに音楽を大音量でかけてしまうタイプなので、隣人が同様に私のことを気にせずに色々と不思議な音を出してくれるのは、かえって気が楽である。お互いに相手が発する音に関して文句は言わないという暗黙の了解が成立していると私は勝手に思っている。

しかし最近彼がキ○○イだということに気づいてしまった。

普通でないのだ、彼の部屋から発せられる音が。もちろん音楽や生殖活動の音などは限りなく普通の音ではあるが、そのほかにも彼は大声で奇声を頻繁にあげる。「ウオオオオオ!」「ウキャー!」「ウキョー!」「グエエエッ!」って。ね、普通じゃないでしょ?往年の少年漫画は独特な叫び声の宝庫であるが、それらのキャラがドラえもんのもしもボックスの力を借りるなどして現実世界に足を踏み入れたら、彼らと隣人は次のような会話交わすだろう:

ミスターカーメン「マキマキー!」

ストレイツォ:「MMMMMMOOOHHHHH(ムンンンンンオオオオオオオ)!!」

ジャギ:「あいひひ ぷけけ・・・ どぉえへぷ!! うえ!えお!! へぎ!! ぶひゃ!! であ!! ぶ!! はわわ!! げうっ!! ばわ!!」

隣人:「ウキョー!」

まあさすがに本場の人たちに比べれば隣人のはある程度見劣りするのは否めないが、要はこれで会話が成り立ってしまう、ということだ。恐ろしい世界である。先程「別に全然OKである」で片づけた念仏も、よく考えればちょっと変である。

もちろん本質的に彼の発する音は私にとって迷惑ではない。私が訳の分からない音楽を大音量でかけてる以上、彼にも訳の分からない奇声を大音量で発する権利は十分にあるはずだ。それは分かっている。分かっているのだが、それでも一抹の不安、否、恐怖(と言い切ってしまおう)を感じてしまう。

隣人が恐い。

天の声、人の語

朝日新聞という新聞がある。私が何となーく、あくまでも何となーく、購読している新聞だ。実家も朝日だったし、勧誘員の、こっちの態度次第では多分恐い人に豹変すると思われるおじさんが洗剤とかくれたし。ところで「豹変」って「ひょうへん」って読むんだね。今までずっと「びょうへん」だと思ってたよ。今も「病変」としか変換してくれなく、きれそうになったよ。もしかしてみんな、私が勘違いしてることに気づいてた?心の中で「ぷっ」とか言って馬鹿にしてた?キャー恥ずかし!でもそんなお前らも相当性格悪いぞ。全く。

…話をもとに戻そう。そう、朝日新聞。ちなみに大学時代、同じハゲ先生のゼミに所属していたKという友人は読売の記者をやってるのだが、ごめんな、K。まあ、話を聞くとそいつはひどくこき使われているようなので、私がライバル会社の朝日新聞を購読するのは、読売新聞社の劣悪な労働環境に抗議する意味もこめられてるのである。嘘だけど。

その朝日新聞に「天声人語」というコラムがある。朝日のアイデンティティのひとつであると言っていいだろう。もちろん他誌にも似たようなコンセプトのコラムはある。読売新聞には「編集手帳」が、日経には「春秋」が、静岡新聞には「大自在」が、といった具合に。だが歴史と由緒という点において、あの手の新聞コラムといえばやはり「天声人語」なのだ。高校時代、週1回新聞のコラムをノートに書き写すという意味不明な課題を現代国語の先生に課せられたことがあるが、思えばその時もそいつが推奨していたのが「天声人語」だった。本屋で「天声人語」の単行本を見たこともあるし。

では朝日新聞を購読している私は「天声人語」を読んでるのだろうか?ん・・・まあ、読んでる・・・かな?でも正直「これ書いてるやつ寒いな」とか思いながら読んでます。今朝も何か紛糾している道路公団の話を大岡越前の裁定に例えてて、もうお前はアホか、っつう話ですよ。ただ、まあ、あのコラムを書いてるやつは客観的に見れば結構な社会的地位にいるだろうし、そういう人を私のようなちんかす男が否定するのも何なので、世代の違いということにしとこうか。どうせ書いてるやつは50代とか60代でしょ?こっちはピッチピチの24歳、感性があうわけがない。私が女子高生に早川義夫を聴かせても「キショい」の一言で片づけられてしまうのと一緒である。世代は関係ないか、その場合。

しかし、だ。私はいつから「社会的地位」とかそういうことを気にする人間になったのだろうか。寒いものは寒いのであって、書いてる本人は気の利いたことを言ってるつもりなのがさらに寒さを増幅させてると、はっきり言うべきじゃないのか?いやいや、それをしないのが大人というものですから。

返却する私

昨日大学図書館に本を返してきました。市の図書館ではありません。大学図書館。「つうかお前、もう大学卒業したじゃん」と思ったやつ。甘いな。私の出身大学は(どこもそうかもしれんが)卒業生でも申請さえすれば図書館は利用できるのだ。何と素晴らしい制度ではないか。

まあ、申請してないんだけどね。や、申請できるならしたい。市の図書館って(多分)大学図書館よりしょぼいし、利用時間も(多分)短いし、ってか使ったことないし。どこにあるかも分からないし。で、なせ申請してないかというと…

本を滞納してたんですね。在学時から。本を借りたのは多分今年の1月だから、10ヶ月以上の滞納。うへへ。って思わず笑ってごまかしたくなってしまう。もっとひどい輩はいくらでもいるだろうが、それでも図書館側には「%*$#野郎」、とまではいかないとしても(幻想かもしれんが、図書館職員がそんなに下品であってほしくない)、少なくとも「@&%なやつ」、ぐらいには認識されているだろう。多分。

実際私は彼らの仕事を増やしているのだ。本を滞納すると「あんた滞納してますよ」という通知が送られてくるが、それが私のところに何通来たことか。しばらくして来なくなったので、やつら諦めたのかな、しめしめ、と思ってたら親から「早く本返せ」という電話が。何と実家の方に通知を送ってやがったのだ!まあ、当然か。このままでは埒があがらないし、卒業生なので引っ越している可能性もかなりの確率であるし、というわけで基本テクニックのひとつなのだろう。私は24といういい歳になっても未だに親を鬱陶しいと思ってしまう孝行息子であるので、こんなことされては相当迷惑。よっぽど図書館側に「私は引っ越してないので、通知を送るなら私の住所に送ってください、一生のお願いです」という手紙を出そうかと思いましたよ。

しかし結局それは思いとどまり、親には「今度返すよ」とごまかし続けてきたのだが、それもそろそろ限界だろう。実家に送られた通知も3通ぐらいになったし。ということになって昨日わざわざチャリ5分の図書館まで行って返してきたのです。偉いでしょ。

こんなにも長く滞納してきた理由はいくつかあって、その最たるものは、はい、そうです、面倒くさいから。だが面倒くさいだけだったらここまでにはなってなかったと思う。もう一つの理由:怒られるのが恐いから。だって絶対怒ってるはずだもん、やつら。少なくとも私が逆の立場だったらプンプンのカンカンである。怒られたくないからさらに返却が遅れ、そしてそれによって私の恐怖感は増してさらに返しにくくなるという、ダウンワード・スパイラルである。ナイン・インチ・ネイルズに例えるなら。

だが実際返しに言ったら、私の予想に反して向こうは相当下手に出てた。なぜ再三の通知を無視して10ヶ月も本を滞納するようなゴミ男にそこまで下手に出るのか私には理解不能であるが、とにかく下手に出てたのだ。おそらくあの職員は後で「お前下手に出すぎ」と怒られたことだろう。こんなことならもっと早く返せばよかった。うへへ。

とはいえ10ヶ月も滞納して何もお咎めなしというのはあまりにもムシがよすぎる話であって、やはりペナルティはあるようだ。1ヶ月間の図書館利用禁止。あいたた。なわけはなく、私はそもそも卒業生であり、図書館は利用してない。しかし今後使うことはあるかもしれないので、一応申請はしとこうか。晴れてそれをできる身分になったわけだし。もちろん念のため1ヶ月の時間はおくが。

最後に大学図書館の皆さま、返却が遅れてしまって本当に申し訳ございませんでした。

モルヒネ姉さん

今日はストーンズについて書いてみたいと思う。ご推察の通り、ちょっと前に出た彼らのベスト盤とデッカ時代のリマスターに触発されてます。それらが発売されてから1ヶ月強経ったが、それでも私がよく通う新宿のタワレコの試聴機から消える気配は全くなし。しかもリマスターの方は週替わり(?)で試聴できるアルバムが変わるので、行く度に「おお、次はこれか」と楽しませてもらってる(先週は最高傑作「Beggar’s Banquet」だった)。1枚たりとも買ってないけど。タワレコさん、すんません。でもお前ら輸入盤高すぎるぞ、全般的に。

もともとロックファンには4種類の人間がいて、いちいち挙げる必要もないとは思うがそれでも挙げさせてもらうとそれは?ビートルズ派?ストーンズ派?どっちも好きよ派?どうでもいいや派、の4つである。で当然私は「?どっちも好きよ派」に属する。どっちかを選べなんてそんな無茶な、私が悪うござんした、堪忍してくだせえ、というわけだ。

であるはずなのだが、最近の私は専らストーンズ寄りだ。ビートルズなんかクソくらえ、である。大体何なんだ、あの髪型は、4人がそろって同じ髪型をしやがって。と、ベスト盤とリマスターの影響でここまでになってしまう私はもう相当な単細胞であろう。ゾウリムシ君と呼んでくれたまえ。

ただ私がゾウリムシ君であるという事実に加えて、一般的な知名度ではストーンズが、いくらあのストーンズとはいえ、ビートルズに遥か及ばないのも、彼らを心情的に応援したくなってしまう要因の一つであろう。どんなアホでもビートルズの曲を1曲ぐらい知ってるものだが(大体”Yesterday”とか)、ストーンズの曲を1曲も知らない人というのは、まあ、多分いくらでもいるっつうか、知ってるやつより知らないやつの方が多いかもしれん、悲しい事実であるが。アメリカ生活が長いとはいえども私も日本人、判官びいきというのが遺伝子に組み込まれているようだ。

あと個人的なものもある。私は学生時代はバンドサークルに所属していたのだが、そこの部員がストーンズを全く知らなかったのである。これはかなり驚愕した(まああのサークルで驚愕したのはそれだけではないが…)。その割にはビートルズ好きは結構いて、そうか、そういう世知辛い世の中に住んでいるのか私は、などと思ってしまった。

ベスト盤の話をさせてもらう。思い入れのあるバンドがベスト盤を出す時は、料理を食す海原雄山の如き鋭い眼でそれを吟味し、熟考に熟考を重ねた上で評価を下すのはファンとして当然のことだと思う。私の場合このベスト盤は試聴機でざっと聴いただけであり、それが「料理を食す海原雄山の如き鋭い目で吟味」に、またその時の曖昧な印象が「熟考に熟考を重ねて」に値するかどうかは異論はあるかもしれないが、まあ細かいことは言うな。

では評価を下そう。

“Salt Of The Earth”が入ってないのはやはりいただけない。そりゃ”Sister Morphine”や”Connection”などの隠れた名曲が入ってないのはある程度しょうがないかもしれんが、”Salt Of The Earth”はストーンズ史上に残る曲である。全くもって理解に苦しむと言わざるをえない。”No Expectations”も同様。”Sympathy For The Devil”と”Street Fighting Man”が入ってるからこれ以上「Beggar’s Banquet」の曲は入れられないだと?!うるさい、黙れ、死ね。あと、「Exile On Main Street」からの2曲がなせ”Tumbling Dice”と”Happy”なのだろうか。阿呆めが、”Shine A Light”を入れないでどうする。

と、ついつい文句を言ってしまいたくなるような部分はいくつかあるが、それらを除けば比較的よい選曲ではないのでしょうか。B通しぐらいかな。以前この日記で言ったように私は一部の例外を除いてベスト盤は買わない派なので、当然これも買わんが。

ただリマスターは欲しいのです、まじで。同じアルバムなら当然音のいい方がよいですよ、そりゃ。私は「音をいじるなんてけしからん!」みたいなことをいう純粋主義者ではありません。やり過ぎて逆効果なリマスターもたまに見かけるけど、試聴機で聴いた限りでは今回のはその類ではないし。でも今持ってるストーンズを売っても二束三文にしかならんもんなあ、どうせ。うーむ。

というわけで、誰か私に新しい「Let It Bleed」と「Beggar’s Banquet」と「Satanic Majesties」と「Between The Buttons」と「Aftermath」と「December’s Children」を買ってください。お礼として今持ってるリマスター前のやつをあげます。ケース壊れてたりしますが。CDも傷だらけだったりしますが。

日曜日と香取慎吾と外国人

日曜日。することがない。暇だ。ああ。

そんな時は音楽聴いたり漫画読んだり「ああ暇だ」と一人で呟いたりするわけで、特に見たいものがあるわけでもないのにだらだらとテレビを見たりするわけ。そう、だらだらと。かといって、何故に俺の生活はこんなに充実してないんだ、と今さら嘆いたりするわけでもなし。まあ、こんなもんっしょ。

テレビにおける日曜日の午後~夕方の時間枠なんて、こんなだらだら人間のためにあるようなものだろう。この時間帯で積極的に見たいと思えるテレビ番組など、はっきり言って皆無、皆無、皆無。どうでもいいような芸能人の案内による旅番組なんぞを熱心に見る輩などいるだろうか(いや、いるまい)。せっかくの週末だというのにすることのない人間が、まあ、こんなもんっしょ、とか思いながら見るのである。テレビ側もそれを存分に承知しているから、番組内容は非常にゆるい。そして我々もゆるくて当然というスタンスで視聴するので、文句など出るはずもなく、そうやって世の中は進んでいく。

で一昨日たまたまテレビつけたら「天声慎吾」が。まあ見るでしょ、当然。ゆるい番組だし、こっちもゆるさを求めてたわけだし。だから、見る。何か出演者が外国人を何人笑わすことができるかという、ほかでも何回も見たことがあるような企画をやっており、心が相当ゆるい状態であった私はゲラゲラ笑う。ゲラゲラ笑った所でCMに入り、ゲラゲラ笑ったからもういいや、テレビ消そう、ということで消す。はい、おしまい。

そう、そこではい、おしまい、ゲラゲラ笑えてよかったね、で終わるのが我々視聴者である。出演者やスタッフにしても、日々の仕事をこなしたに過ぎない。だがある人々にとっては、この番組は日常とは程遠い体験になった。それは言うまでもなく、牛乳を口に入れさせられ、目の前で日本の芸能人がわけの分からないことをするのを見るはめになり、平たく言えば全国ネットでさらし者になった外国人たちだ。

この差は一体何なのだろうか。なぜ彼らはさらし者になって、我々はなってないのだろうか。なぜ彼らは香取慎吾やキャイーンを生で見ることができて、我々はブラウン管を通してしか見れないのだろうか。理由は簡単だ。彼ら、外国人、我々(てゆうか少なくとも私)、日本人。外国人である、ということに関しては、我々日本人は彼らの足下にも及ばないのだ。

そんなのずるいじゃないか、彼らは外国人ってだけで、我々より優れてるわけでもない。それなのに何でSMAPの一員が目の前で一所懸命ギャグをしてくれるんだ!などと不平を言っても無駄である。滑稽ですらある。負け犬の遠吠えとはまさしくこのこと、テレビの世界では外国人というのは、それだけで付加価値を有しているのだ。もちろん誰しもがデーブ・スペクターやセイン・カミュの領域に達することができるわけではないが、一昨日「天声慎吾」に出てた外国人たちはその世界の最下層であることは間違いないが(てゆうか素人だろ、というツッコミは無視)、何の付加価値ももたないそこら辺のやつよりはやはり価値があるのだ。

思えば私にも「外国人」という肩書きを欲しいままにしていた時代があった。アメリカに住んでいた頃だ。しかし私はその付加価値を有効利用することは全くしなかった。10年近くアメリカに住んでいたにも関わらず、口の中に牛乳を入れて、生でアメリカの芸人に笑わされてそれを吐き出すというような体験を何一つしなかったのである。外国人なのに、だ。悔しい。ものすごく悔しい。また始めからアメリカ生活をやり直したい、とすら思う。

というわけでみんなも付加価値はあるうちに使おうね。って俺に言われたくないか。

ベスト盤

最近すごくない?何かって?え、いやあ、タイトルにある通り、ベスト盤のリリースラッシュですよ。9月末に出たストーンズの、決定盤とも言える内容の二枚組を皮切りに、筆者が確認しただけでも、90年代U2、ニルヴァーナ、ビョーク、デビッド・ボウイと、大物中の大物がこぞってベスト盤を出してる。ホフディランも活動休止にともなってベストを出したが、それなどかすんでしまうほど(ごめんなさい!)。何なのだろうか、一体。



まあ今の私の音楽ソースは新宿タワレコの視聴コーナーのみなので、もしかしたら私の知らない所で「みんなで仲良くベスト盤を出そう同盟」なるものがレコード会社間で組まれて、それが「ロキノン」なんかで特集されてるのかもしれない。表紙で目線の入ったレコード会社役員どもが握手してたり。



ただこういっぺんに出るとみんなとまどうのではないかね。上述のバンドの購買層は結構被ってるだろうに、もうちょっとタイミングとかをずらせばいいのに、と余計な心配までしてしまう。



とはいっても、洋楽初心者にとってこれはいい時期なのかもしれない。ホフディランはともかく(って別に彼らが嫌いなわけじゃないよ、っつうかむしろそこそこ好きだよ)、ほかのはいずれも「これは知らないとやばいでしょう」の部類に入るバンド/アーティストなので、洋楽に入るきっかけとしては申し分ないかと。誰かに、特に一定年齢以下の若者に「ニルヴァーナ?何それ?」なんて言われた日には、私はどうしたらよいのか全く分からなくなるので、そのような気まずい状況に私が置かれる可能性が少しでも減れば、それは非常に歓迎されるべきことである。



とか言ってる私は、おそらくどれも買わない。基本的にベスト盤を買うのは、そのバンドのほかの作品を買うつもりがハナっからない時に限られており(例えばフランク・ザッパやスパイダーズ)、上述の連中はそれにあてはまらず。ニルヴァーナの未発表曲は確かによかったけど、その1曲のためだけにアルバム1枚買えるかアホ。ってなるわけ。



ただ正直U2は結構惹かれます。だって初回限定でB面曲集がアルバム1枚分ついてるんだもん。しかもさらにライブ映像のDVDまでついてる始末。何かここまで気前がいいと逆にむかつく。まあ、でも買わないだろうね。同じくB面曲集がついてた80年代ベストの時も迷った挙げ句買わなかったし。そのうちB面曲集はB面曲集で、別アルバムとして出してくんねえかな。