鳴海昇平シリーズ第3弾。鳴海は捕まっていた。捕らわれるまでの記憶を遡ると、女の存在。その女をネタに、殺しを依頼される。ターゲットは元殺し屋。しぶしぶ承諾する鳴海だが、鍵となった女も含めて、それはすべて仕組まれたことだった・・・。
相変わらずのサングラス&銃の手入れ。面白い。要は遊戯シリーズは面白いっちゅうことだ。
投稿者: bitch
シュリ ★★★★☆
現代の朝鮮半島。過去の対立は沈静化し南北友好ムードの中、水面下では北のスパイ工作による諜報戦が続いていた。南の諜報部員、ユジョンヲンは恋人イミョンヒョンとなにげない生活を送りながらも、北の動きを探っていた。そして北の第8部隊が液体爆弾を奪い大変なことに。
この俳優さんどっかでみたな~、韓国だしと思って調べると、やはり八月のクリスマスと同じ俳優さんだった。この人八月のクリスマスではかなりいい表情で、こういうほのぼのしんみり系が異様に似合うなと思ってたんだけど、本作のように熱い漢のドラマで見せる熱い表情もバッチリ決まってます。
あえて言えば、ハリウッドの一級エンタテイメントアクション映画を意識したつくりで、見せ場の一つに長回しのガンアクションがあるところなんか、またいろいろな面で都合良くいくところなんか、さらにそうはいっても話に一本筋が通ってるところなんか、ほんとによく作ってあると思う。なかなか真似しようと思ってもこうはうまくいかんもんだ。
物語の冒頭で見せる、ミンヒョンの思わせぶりな表情や言葉、そして彼は南の諜報部員、言ってしまえば前半で読めるんだけど、この読めるというのがよかった。読みが裏切られたらそれはそれでおもろくなるし、また読み通りでもラストに納得のできる結末さえくれれば、それこそマンセー!!
アクション、アクションで追い打ちかけて、ラストに感動→モノローグ。このパターンはパターン化されようがなんだろうが、話がよければ抜群におもしろいものです。シュリの場合、まずバッキンバッキンに鍛えられた北のスパイの決意めいた意志の強さを見せつけ、そしてわかっちゃいるけどミンヒョンの弱々しい表情とその実との落差、またそれに対抗するジョンヲンも南の諜報としての意志の強さ、熱いハートに漢のドラマあり、最後ミンヒョンも漢になった!
ハリウッドがたまに見せる冷静なアクションとは対照的なこの熱さ。そりゃあハングルでウンジャカ言われるといやでも熱くなります。多少の変な部分とか理不尽さは熱さで吹っ飛んだ。
映画が終わった直後、突然「男の力こぶシリーズ!!」とかって、ドルフラングレンとジャンクロードバンダムという2大超B級スターの映画宣伝が始まった。熱さにまかせて突っ込んだのかもしれんが、モノローグで熱さは冷めとるんです。もう遅い。でもこれとシュリが同列と考える配給会社はどうかと思うぞ。
雨あがる ★★★★★
浪人三沢は雨に足止めをくっていた。同じ旅籠に泊まる農民達に酒を振る舞うのだが、それは武士として御法度である賭試合で得た金でやったことだ。彼はあらゆる野試合で勝てるほど剣の達人であり、その腕を買われて足止めをくってる藩に招かれた。
雨がしんしんと降って降ってもう幾日も降るようなことになると、外に行くのも圧倒的に不便だし、なんかの拍子に濡れるわ大気が冷たくなるわで、あまりいいものではないわけです。自然と気分も沈みがちになる。
三沢は優れた剣客ではあるけれども、一つの藩に長くとどまることができない。その優しすぎる性格がゆえに、体面を重んじる武士にとっては反面的に嫌われるためである。そんな彼も農民にとっては気さくなお侍様、こんなよどんだ雨の気分に自ら御法度を犯しても施しをしてしまう。
タイトルの雨あがるは、文字通り雨があがってそれぞれの旅路が始まることをあらわすけれども、三沢が人々に気付かせるという意味もふくんでいるようだ。情けは人の為ならず、なにをしたかではなくなんのためにやったのか、彼とその妻は人々にこのことを気付かせてくれる。
見ていてかなりスカッとする。いい映画だ。
TAXI 2 ★★★☆☆
ダニエルはふつうのタクシードライバーじゃない。客に頼まれればスピード狂の馬鹿野郎になる。その腕を買われ、刑事エミリアンに協力することになるのだが、今回の相手は日本人のギャング。
前作の1がかなりテンポの良い面白い映画だったので、本作はどうかと思ったが、まあ全体的なノリは変わっていなかった。所々に変なギャグが入り、それがまあ面白いので単純に楽しめる。ダニエルとエミリアンもキャラ濃いいヤツで、また今回は署長がさらにキャラ立ってるので楽しい。
ただし1に比べてやばいのが、ストーリーがかなり薄いってこと。1ではストーリーがまずありきで所々にギャグが入ってる感じだけど、2はなぜかギャグありきのストーリー、それだけにイタリアーノが見るジャパニーズ像ってのが料理しやすい題材だったんだろう。その料理しやすさが異様に鼻につく。
このやばさは、単純にダニエルやエミリアンやその他周りの人々のおもしろさによってカバーされてるんだけど、もしこのギャグすらはずしまくってたらそれはもうとんでもない映画になっていたという、、、博打だ。
救いなのがテンポの良さとわかりやすさ。これだとストーリーの臭さもなんとかいける。90分程度というのもいい。
エクソシスト ★★★★☆
普通に生活している母子に、突然おかしなことが起こる。精神異常になってしまったのではないかと思えるわが子に母もついつい発狂!ついに精神医学に見限られてしまった母が救いを求めたのが、宗教の悪魔払い、エクソシストだった。
なんかで聞いたことだが、これが公開された当時(1980年くらい?)、こういう宗教めいたホラー映画というのはこれが初めてで、なんでもキリスト教に深く関わりのあるむこうの方々なんかはそれはそれはショッキングなムービーだったらしい。
翻って現代の日本男子。無宗教な男子にとってこれがどういうポジションかはよくわかりません。ただ単純にホラー映画のようなものとして見るしかできません。やはり悪魔に乗り移られた女の子の蜘蛛歩きとか、首グルングルンとかが怖さとしてフィーチャーされると思うけど、それ以上に怖いのがカラス神父の表情。
彼はまあ、神父であり精神医学者であり、はじめは悪魔とかそういう概念のものをはなっから否定してはいたのだけれども、それが自分の目の前で起こることで段々とその表情が変わっていき、最後には悶絶してしまう、オギンオギンのゲロンゲロンよりもカラスの方がよっぽどイッてます。
ホラー映画といえば観者の虚をつくような、シーンとしたところでいきなりバ~ン!とか音が鳴ってウリィィイイイイイイイイイイイイ!ピギャァアァアアアアアア!とかなるようなのが多いですが、本作はそういう飛び道具のない、純粋な心の恐怖をついたオカルト映画といえるのじゃないでしょうか。
長崎ぶらぶら節 ★★★★☆
大正時代、長崎の遊郭丸山。芸妓は多くが金で売られてきた貧しい家の子である。今や丸山の名歌い手である愛八もそうだった。くんちの季節、愛八の遊郭に万屋のだんながやってきた!
え~まず自分が長崎出身なので、長崎を舞台とした映画には興奮するわけです。というのも、長崎は(とくに市内)山に段々畑のように家が建ってるというのが多くて、住むにはあんまりどうかと思うけども、なんぞを観たり観光したりというのは、そりゃもう江戸時代初期の唯一の対外公益施設だった出島も今は復元されてるし、また維新の時代にそれこそ丸山は異人さんもやってくる、吉原や祇園とは一風変わった遊郭として志士や貿易商に愛され、自然といろんな名所旧跡が残っててそれが映画ではここぞとばかりにババーンとでてくるからうれしく興奮するんです。
上の文がめちゃくちゃなのも、滅茶苦茶故郷を愛しているという証拠だ。あらすじのとこで書いたくんちというのは祭の名前で、竜のようなものを棒でウネウネさせてジャンジャラジャンジャラ、これが代表的だけども、それ以外にも色々へんてこなギミックが登場しておもろいのでくんち見に、それだけのために長崎来るという人も多い。たしか9月か10月頃だったと思う。
ここで長崎話は終了。きりない。
で映画自体は吉永小百合meets渡哲也という往年の黄金バッテリーが主演で、この二人のショットだけでもそれはそれは様になる。
題字ぶらぶら節にも関係するが、この映画は歌の美しさが際だって、愛八姉さんの堂々とした歌いっぷり、踊りっぷりに感動する。こういう生一本なシーンだけでも十分堪能できるんだが、やはり一番要となるのは愛八と万屋の関係だろう。
キッズ・リターン ★★★★☆
まさるとしんじはなんとなく生きていた。もともと殺気立って気の荒いまさると、一見おとなしいのだが内に毒気のあるしんじ。いつものようにカツアゲ・煽り・どうしようもなくくだらないことばかりやってる。それがあるきっかけからボクシングを始めた。
これまでの北野作品と違い、表面的に拳銃やら刀やら、血がブシャーっとかそういう見た目の殺伐とした雰囲気ではなく、内に秘めた殺伐さというか、全体的な絶望感というか、それでいて実は最後の最後にいいやそうじゃないよと語られるというのがまず非常に良かった。
単純に青春挫折、自己の限界を知る、なんて言葉でくくってしまうとあまりに安直すぎて、実際それは枝葉末節にすぎず、ううむ、なんというか怨念めいたすさまじい生きること、それでも生きていくことへの決意のようなものを感じるわけです。観た後で。
というのも、映画の主人公はまさるとしんじだけども、この映画に登場するやつすべてに生きることがあり、例えばラーメン屋の○○ちゃん(名前忘れた)やあからさまに下っ端ヤクザの○○(これまたあからさまに下っ端な感じで区切りがつけられる)、登場する背景のある人物すべてに絶望的な生きることの影がちらついている。
今→昔→今、という構成なんだが、最初と最後に登場する漫才のシーン、それを傍らで見つめる某、この某の存在が何気ないようでかなりインパクト強い。まさるやしんじのように一瞬でも光を見た様子がなく、それでいて笑っていられる。もう凄かった。
ラストがああなるのは青臭いとか綺麗すぎとか思うかもしれないが、この映画でこの構成、そして周りの人物との兼ね合い、映画としてカルト的な支持よりも、観る側を含めて登場人物すべての退廃的絶望感救済のためには、ああいう終わりしかないんじゃないかと思う。
自分にとってはまさるとしんじの生き方よりもその周りの人々の生き方の方が断然インパクトだった。モロ諸岡演ずる○○さんなんてもうなんだろ、彼さえいなければ!ではないけど、こういう場面があるから観てる側は自分の過去、また生き方について一瞬なりとも考えるのではないかと思います。
あとね、ああこの暗い湿っぽい青がキタノブルーかよ!って思うと思う。
U-571 ★★★★★
第2次世界大戦中の連合軍は、ドイツ軍の新しい暗号解読ができなかったため、潜水艦Uボートの前に劣勢だった。そのドイツ軍の暗号装置”エニグマ”を奪い取るため、連合軍はアメリカ海軍艦S33をドイツの戦艦と偽装して、ドイツのUボート U-571を奪い取る作戦を決行する。
戦争映画ではあるが、プライベートライアンやシンレッドラインのような戦争主義映画ではなく、戦争を舞台にした超パニックアクション映画といえる。ザ・ロックとか乱気流とかコンエアー系の、御都合だけどそれ以上に見ててドキドキ面白いアクション映画。
アレがこうなってから以降は(肝心なとこなので具体的には書かない)もう緊張の連続で、絶対そうなるはずないのにまるで自分がUボートの乗組員であるような感覚を持つというか、主人公らが圧倒的不利な状況にあるので、話にグイグイひきこまれる。
全体的に静寂と緊張がバランスよく展開されていて、ドッカンドッカンはまあいいにしても、静寂の部分の緊張感というのはかなりうまい。Uボート映画は色々あって、海事戦を描くのはあるけれども、静寂のなかのドッカンドッカンの恐怖というのは見てるだけでも緊張してくる。
というのも彼らが常に大量の汗を噴出させてるわけで、そこには汗が似合う濃い顔、ヒゲ面、黒人、なんかしらんけど臆病っぽいやつ、これだけ逸材がそろうと汗の表現で緊張を演出できる。
また一方で副長タイラーの極限状態での成長ってのもありそうなんだけど、まあこれはよくある定番のテーマでもあるが、この映画ではそういう臭いはうすい。物語の序盤で「ダメ副官」のレッテルを貼られてるのに、実際ヘタレもへったくれもない、やればできるいい子なんです。この子。
非常に面白いと思います。
サイダーハウスルール ★★★★★
医療施設も兼ねている孤児院で育てられたホーマーは、辣腕産婦人科医ラーチによって医師としての技術や知識を教え込まれる。そうして彼は自ずから、またもって生まれた天性から、医師として一通りの事ができるようになった。しかしその感覚がない当の本人。そこにある若い連れ合いが堕胎手術のために孤児院を訪れた・・・・!
原作・脚本が小説家のものらしいので、というかガープの世界と同じ作家らしい、まあふつうに考えられるのはその原作小説を大幅にハショッたのが映画になったんだろう。当方小説はあんまり読みませんので、その具合というのはわかりません。が、往々にして小説の映画化は最早別物、比べることはできないほどだというものであります。
でこの完全オリジナルの映画は、戦争の時代設定で「堕胎」を中心テーマと起きながらも実はさにあらず、これは主人公ホーマーの流板武者修行日記のようなものであります。孤児院やら堕胎やら、テーマは重いんだけど映像はかなりサラリと観れる。
それはホーマー自身が最初から孤児院にいて、そして堕胎が身近にあって、彼自身感情の高ぶりも見せず淡々と振る舞う、また先に書いたようにこれがテーマであってテーマでない、テーマはホーマー自身だということがあるからだろう。
むしろホーマーに感情移入してしまうような、別れのシーンや最後のレントゲンやラストシーンや、彼が大きくなっていく、またなっているシーンに大きく感情が高ぶり、あ~なんかやっぱこういう映画っていいなこのやろう。
そこであらためて思うのがサイダーハウスルールっていうタイトルなわけで、そこには『流板ホーナーの武者修行日記ではださいからこのタイトルで』という流れは当然なく、それはたしかにそのルールが2度登場するんだけど、そこでサラッと語られる事がこの映画を象徴してる。思えば堕胎がありやなしやにしても、愛情の裏っ返しの×××にしても、それこそサイダーハウスのルールにしても、すべて己らが決めているってこと。
こういうテーマの重さに対して、この爽快感!いい映画だった。
全く関係ないが、ホーマーっていう名前を打つとき、ついホーナーって打ってしまい(mとnって近いでしょ。キーの位置。)、あのヤクルトのホーナーを思い出し、たしかめがねデブだったよな、あれがあのヤクルトの青いというか水色みたいなユニフォーム着てたんか、そうかそうか、バントでホームランか、ってなりました。頭ん中で。
ジャッキーブラウン ★★★★☆
銃の密売屋であるオデールの周りには愛人の女、相棒、そして現金の運び屋のジャッキーがいる。ジャッキーが現金運びの途中に捕まってしまい、自分の事をあれこれチクられることを恐れたオデールは、保釈金融業者を使ってジャッキーを助け出す。そしてジャッキーとオデールは、彼の全財産50万ドルを運び出すためにある計画をブチ立てるのだが・・・。
クエンティン・タランティーノ監督作品第3弾。
第1弾の「レザボアドッグス」をまだ見てないのだが、パルプフィクションと比べると、なんだかスピード感が感じられない。かといって面白くないわけでなく、最後なんかよくできた話である。しかしあの「どうでもいい話の連発」とか、「不条理」なんてものがあんまりないのである。ただそこはタランティーノ作品、表面的にはないが各人それぞれが身勝手な「カスの主張」を持っていて、それがてんでバラバラ、最後には一気に吹き出してしまうというエッセンスは感じられる。
時間軸のずらし方など見せ方のうまさは相変わらずだが、見終わって率直に「スゲェな」とは感じない。なんかフツーの感じなんである。だけど面白い。今回は自分の好きな音楽をいっぱい入れてきたような気がする。
しかし俺はタランティーノにタランティーノ的なものを求めるのである。パルプフィクションの印象があまりに強烈だから、またそれが残ってるばっかりだし、それも仕方ない。