パズーは空から少女が降ってくるのを見た。その少女シータは天空に存在するとされるラピュタの地の正統後継者である。その証である飛翔石を持っていたため、空に浮いていた。ラピュタの力を求める軍、財宝を求める盗賊ドーラ、そしてパズーとシータ、それぞれの思いはやがて収束する。
アニメ映画を大人の鑑賞に堪えうる(東映まんがまつりの列にシラーっと並ぶような種類の大人ではないよ)レベルまで完成させたのが、ジブリもの(宮崎もの)の凄さだ。ナウシカや本作ラピュタは80年代初期の大友克洋を中心とした漫画ルネッサンスと同時代に描かれたものである。当時まだ漫画やアニメといった細分化すらされてなかったであろう「低俗ななにか」を文化的価値のあるものとして認知されるのに、宮崎駿もまた大いに貢献しているのだろう。
誰しも楽しめるテンポのよいストーリー、キャラ設定、脚本、音楽、そして根底に横たわる大きなテーマが示してあるために決して内容が薄くはならない。このへんが世代・時代を問わず宮崎ものが指示される所以だろう。
本作は数ある宮崎もので”自然との共生””繁栄賛美へのアンチテーゼ”などもちろん共通する大きなテーマは横たわっているのだが、同様のテーマを描くナウシカほどそれが強調されず単純な「冒険活劇ファンタジー」を存分に楽しめる点がいい。それはもうストーリーもそうだがキャラ設定の妙に尽きる。
特には盗賊ドーラの存在だ。単純に善vs悪の構図ではなく、こういう「悪いけどいい人」がいるだけでストーリー的にも広がりがでるし、こういう類のキャラクターに人はグッと感じるもんだ。彼らに共通する引き際というか潔さのようなものがいっそう感動を誘うのだろう。同様のキャラ設定にテレビシリーズで「未来少年コナン」がある。是非見てほしい。ダイス船長に男気を感じること間違いなし!
投稿者: bitch
山猫は眠らない ★★★★☆
アメリカ海軍の特殊部隊、スナイパー部隊。そこに属する二人の軍人が政府側からの密命を受けて麻薬組織のボスをぶっ殺しに行っちゃろうと。
スナイパーものです。
最近見たスターリングラードとの一番の違いが、本作はスナイパーオンリで成り立っているということ。この緊張感抜群のスナイプ野郎どもにはあいらーびゅーあいにーじゅーはまったく似合わず、それよりも緊張の続くテンションで押し切った方が全くしまりのある構成になるみたいです。というわけでスターリングラードよりも面白い。
このように汗が噴き出し、血が滾る漢のゆうじょう物語が大好きな方は熱く燃えるような心持ちで鑑賞できるであろうし、そんな暑苦しいのは大嫌いという場合は画面自体はそりゃもうスナイプなもんだから、非常に地味、あまり楽しめないことでしょう。少なくとも、ドルフラングレン先生とかジャンクロード・バンダム先生とかの超B級映画ではない、骨太映画なんでハマれば思い切り楽しんでみれると思います。
でもなんつってもゆうじょう話だなあ。ラストの言わずもがなとか、スコープ越しのアイコンタクトとかスコープ使って口読術とか、スナイパーならでわのゆうじょうがいい。メタルギアソリッドでは何が何でもスナイプでぶっ殺したいとかいう方や、ゴルゴ13が大好きという方は必見であります。
五条霊戦記 ★☆☆☆☆
義経VS弁慶。
この頃からやけに、永瀬正敏と浅野忠信共演の映画が多くなって(PARTY7とかエレクトリックドラゴンとか)、なんか日本映画の間ではそういうブームが起きとんのかなあといった感じだけども、まあ確かに二人とも格好のいいたいそうな役者さんであるから、その共演となると現代日本映画ファンなら誰しも見たい感じの組み合わせではあるが、正直言ってこれら二人の組み合わせというのはどうもしっくりこない。
永瀬は演じようとすれば演じることもでき、逆に自然体もこなせるようなマルチ俳優、一方で浅野は自然体なればこそ生きるような雰囲気でかっさらうタイプなのでそこにIRQの競合が起こってしまう。若大将シリーズのように、青大将は引き立て役であるけれども実は彼自身も裏の主役であるといった関係ではなく、かといって夢のスター共演として割り切ることも能わず、どっちつかずになってしまうのが最近の共演映画の特徴だと思います。
で本作。これはその中でももっとも最悪なパターンで、まず彼ら二人に歴史上のキャラを要求するのが間違ってたんだろう。永瀬はとくにこう、事前の設定のないフリープレイヤーみたいなものだったのでまあなんとかなってはいたが、淺野の方が思いっきり義経だったんでこれはかなりきつかった。現代の若けえ兄ちゃんを演じればこその役者だけに、こう完璧演じなければならないというのはまずハマらない。
さらに追い打ちをかけるのが、ストーリーが全く面白くないという点です。これはもう役者以前の問題で、まあ演出みたいなことも影響してるのかもしれんが、とにかく面白くなかった。
なので、見なくていい。
ミュージックオブハート ★★☆☆☆
バイオリンの先生がどうやら奇跡みたいのを起こしてしまわれたらしい。
題材的には苦手なプチ奇跡もの。でもこれは現実に起こったことを元に話ができているらしいし、だとすれば一介の失業気味バイオリン先生が世界的なバイオリニストとかを集めてカーネギーホールでやっちまうというのはそれはそれですごいことだし、確かに奇跡的なことなのかもしれん。
しかし問題なのが、奇跡ものに付き物のオーバーリアクションが多分にアメリカナイズドされてるというか、そりゃもうアメリカ人がやりそうなリアクションなだけにそこのところが非常にしゃくに障るわけで、いい気がしないわけで、そうなると物語がどうでもよくなり、実際途中昼寝みたいなこともはさんだのにそれでも退屈であり、時間を持て余して結局雑誌を読みながら見てしまうという体たらく、やはり肌に合わない種類の映画を敢えて見てみようなんて考えるものじゃありません。
そしてクライマックスにかけてのあのアメリカ人が好きそうないい感じの成り行きのようなものがとっても嫌いな者にとっては、あまりいい気はしない。やはり私のような歪んでいる者が見てはだめです。昔「買ってはいけない」という本が少し話題になって、それがまた「『買ってはいけない』は買ってはいけない」とかいう本も登場してしまって、どうにもこうにも、アホかと、またこんなん買うヤツも相当なばかたれなのじゃなかろうかと思った時がありましたが、まさしくそれ。「見てはいけない」。
ただこういうアメリカンヒューマンドラマが、たとえばウーピーでウピウピしたいとか、そういうのが好きならそこそこ楽しめるのではなかろうか。私はきつかったです。
マン・オン・ザ・ムーン ★★☆☆☆
オオカミ少年系おもしろ芸人、アンディ・カフマンの話。
まず結論から書く。全然面白くなかった。
先に結論を書いたのは、本作の題材が「面白さの追求」だったから。そういう意味でまず面白いか面白くないかを述べたかった。単純に、カフマンがやったとされているギャグというか笑いというのがどこが面白いのか全然理解できない。ナンセンスゆえの理解不能といえばそれまでだが、カフマンという人間のストーリー以前に彼の笑いが全く笑えないというのが非常につらい。
なんでそうなるかというと、早い話が日本人とアメリカ人の笑いの琴線の違い。これは文化的な背景とか、あと言語が持つ余韻のようなもの、そういうのがまったく違ったならば笑いも全然違う。前に日本の芸人の第一人者と言っていい松本人志が「アメリカ人を笑わせに行こう」という企画をやったがこれまた散々な結果で、日本人がアメリカ人に受ける方法を追求した結果、どっちも笑えない中途半端な映像になってしまったことからわかるように、悲しみ以上に笑いの感覚はまず文化圏ごとに、そしてそこから少しずつ人間一人一人が異なるはずです。
ここまでは「笑い」についての感想。では笑いのことは切り離して、「カフマンがアメリカでは非常に受けた、それはそれはもうおもしろ芸人である」ということを前提に彼自信の話の部分、裏切ることが笑いであるという彼の生き方はどうだろう。
正直ここも着いていけない。それは根底に「だっておもろくないだろ」というのがバーンと大きく横たわっているんだけども、それを除いてもこいつの芸はダメだ。だって裏切り方があまりにひどい滅茶苦茶な感じで、なぜこの人が伝説的な芸人になっているのかまったく理解不能。なんかもう童話のオオカミ少年を無視する老人どもの気持ちがわかる。ただのアホたれにしか思えん。
・・・ああもう、これじゃ堂々巡りだ。よし、今からおれアメリカ人。カフマン大好き。サイコー。とってもおもしろい。よしこれが前提。前提だぞ。まあでもストーリーはうまくできてるんだよね。素の自分の笑いが相手にされず、仕方なく迎合した反動で自分自身も笑いの方向がずれていってしまうという皮肉っぷり、この辺はいいと思う。だけどなぁ・・・・。
あと変なとこで、主題歌が歌詞にもアンディ・カフマンがでているREMのMan on the moon だったり(多分REMの方が先)、カフマンの恋人役がコートニーラヴだったり、若干ロック寄りみたいです。
禁じられた遊び ★★★★☆
(おそらく)第二次世界大戦下のフランスの人々の、ドイツから逃げ惑う風景。そこにあっけなく両親と犬を秒殺された少女ポレットもいた。彼女はあてもなく歩くうちに、酪農家の一家の元にたどり着く。そこのドラ息子、ミシェルといろんなことを。
タイトルとともにあまりにも有名なのがあのせづねぇ曲。自分が寮にいたころ同部屋の先輩上野さん(ギター部だった)に教えてもらったクラシック系の曲3つ、Fly me to the moon は完全に忘れてしまい、More than wordsはうろ覚えでコード進行ができる程度、そして最後のひとつ、この「禁じられた遊び」だけが唯一クラシックギターの曲で今でも弾ける曲である。というのもこの曲の構成が、親指でベース音を鳴らしつつ人差し中薬指をローリングさせるような動きで固定されていてわかりやすいのと、教えてもらいながらすぐに弾けるぐらい単純な曲展開、そしてもちろん、せづねぇ曲調がかなり印象的だってのが大きな要因。番外編でCHARがやってたんだけどもローリングの部分を半音ずらす「禁止された遊び」て曲もあります。これが不協和音で、確かに禁止されたような感じがする。
本作の内容もその曲同様かなりせづねぇです。皮肉めいた反戦映画であるとも捉えることができるかもしれんが、それでなくてもこの二人のがきんちょのやりとりや、なんでもない言葉なんかがかなりキとる。
とくにこう、盛り上がりどころのない淡々とした内容なだけに、これらがうまくマッチしたもの悲しい雰囲気に仕上がってます。「悲しいときー」な時に見るとグッとくるかもしれません。
トラフィック ★★★★☆
麻薬密売組織とそれを取り締まる機関、現場で動く捜査官たちの麻薬大戦争。
「麻薬捜査機関のトップとそのヤク中の娘」「現場で動く捜査官」「ヤク密売人のダンナをパクられた若奥様」「メキシコの麻薬取締官」、だいたいこの4者くらいが場面場面で次々に切り替わり、互いが互いに直接・間接的に影響しあうという、結構入り組んだ作りになっている。そしてそれがそのまんま麻薬取引の複雑さを表してると思う。
実際やったこともないし、また一切やりたいと思ったこともないしやるつもりもないので、無理矢理強要される以外これからもやることはないであろうが、麻薬というもんはそんなに気持ちいいもんなんですか。中毒性という意味では煙草とよく似ていると思うが、まあ本作でもそれが皮肉かどうだか煙草をふかすシーンがこれ見よがしによく登場し、なんか思わせぶりな感じなんだけれども、煙草と決定的に違う点、それはまず麻薬は個人の破壊的な死の原因になりうるという点、それから多くが非合法であるゆえに非合法組織の資金源となりうる点、この個人の死に関わるミクロの視点、そして麻薬組織というマクロの視点、この二つが互い違いに絡み合ってるのが本作を面白くしているポイントだろう。
つまり、麻薬を中心とした人間や組織の心理ゲームのようなもので、特にあの若奥様やデルトロなんかが凄くいいんだけども、個人レベルでの駆け引きやタマの取り合い、組織レベルでの勢力争いや摘発なんかがこう、まさしく戦争なんですね。局面での事柄がそのまま戦全体に関わっているという。それがアメリカ社会に根付いている(だって若者の4分の1がやってるらしいし、俺がアメリカに行った時、こりゃヤク中であろうと思われる女が道で寝てるのを数人見たし。そういやあいつもナッシュビルの小学校で注射器がいっぱい転がってたとか言ってたしなぁ。)麻薬だけに、やけにリアルであるし、またデルトロあたりの映し方がなんかドキュメンタリーぽくていい味だしてる。
というわけで、いわゆる戦争を題材にした戦争映画よりも一般の生活レベルに及んでいるという意味でよっぽど戦争戦争している戦争映画であるし、かなりエキサイティングな物語です。ただこれが当事国であるアメリカに住んでいたらまたかなり違った受け止め方、もっとセンセーショナルな映画だったであろうという点で、日本に住んでいる自分に対して-1。
実録 安藤組 ★★★☆☆
財界人になめられて、だまってられない安藤組のみなさんが色々やらかす話。
主演、安藤昇。この人実録という通り、実際の安藤組(元)の組長でその後に東宝の安藤組シリーズであたりまえのように主役を張ってしまったという、ものすげぇ人です。だって辰ちゃん・文太兄ぃと競演し、夢の3大スターとかいわれてるし。半端なことやってなければ、ヤクザ→スターという方向もありえると。
で、本作はおそらく実際にあった事件をもとに再現というか、まんまというか、安藤組長の思いの丈が詰まっているような感じであります。というのも法の下に反社会的集団であるとされているヤクザという組織が、法でなく漢としてのメンツやなんやに基づいて行動した結果がこうであると、あくまで我々は国家権力という強きを助け弱きを挫く馬鹿者どもにいっちょう一泡ふかせてやるヒーローでありますのですともいわんばかりの画面構成になっている。
たしかに警察組織というのはクソの塊ではある(警察官それぞれの人格を言っているのではない)が、それ以上にクソの塊であるのが反社会集団なわけで、たとえば局部で見るなら警察も彼らも鉄砲を持ってはいるけども、ポリはこっちに対してまず撃ってこないが、彼らはむしろ有利な状況にもっていくツールとして積極的に使ってくるのであり、また200円ぐらいで仕入れたビールを10万円で売ってしまうという、まさしく反社会的な行為をしてしまうわけで、さらに集団で計画的に窃盗したり、ヤクを売ってしまったり、つまるところこういうことをやってしまうから、同じクソでもその抑止力としてポリ公の方がまだましであると。その点安藤組というのは「カタギ」と「スジモノ」をきっちり分けているという律儀なところがありますが、結局その判断基準は安藤御大のさじ加減一つであるという、法の下の平等ならぬ「俺の下の平等」的思考プロセスが横たわってるところが怖いです。
なので、この安藤御大の行動規範によりかかれたならば、それはそれでヒーロー像を見る、まさしく当時のヤクザ映画の王道を見る気分で熱中するのだろうが、殊このような線引きをされたとあっちゃあ、かなりゆるゆるな線引きがなされたままで事が進んでいくという感覚を覚える場合もあるのです。というかオレの場合がまさしくそれ。
ストーリー自体は安藤組を魅せるように作ってあるのでなかなかおもしろく見れたのだが、底辺に横たわる思考プロセスがまったく滅茶苦茶に感じられたのであまりのれなかった。でもまあ、ふつうに見る分にはおもろいんでないの。
ショコラ ★★★★★
フランスの片田舎の街に二人の親子がやってきてチョコレート屋さんを開いた。それを快く思わない村長と彼女らの対決!
話の流れはヒューマン映画にたびたび見られるような、旧態依然の秩序の下で暮らしている人々の所に、ある日突然新参者がやってきて、最初は周りの人々もついていけなかったけれども次第にその人に惹かれてついには再秩序化されてしまうという、ヒューマンドラマの王道的作品です。創造的破壊ってやつ。
でこういうシュンペーター系ヒューマンドラマの場合よくあるのが、その創造的破壊者があまりに突拍子も無い奴であるとか、いちいちちょっかい出したりやけに陽気であったり、そりゃもう「破壊するぜワシは」というオーラパワーがビンビンに出てるという設定が多いのだけども、こういうのは見ていて逆に引いてしまうものです。というか、実際にそんなのありえんやろうがとなる。一つ例を挙げるならば、最近見た中ではそうだな、今思いついたのでライフ・イズ・ビューティフルとかです。あれなんかまさしく。
しかし本作では、破壊者が秩序をぶっ壊すというよりも、秩序の方が破壊されるのを恐れてあれこれ行動するという描かれ方であるから、チョコレート屋の女将に人々が惹かれていく様というのも自然であるし、見ていて純粋にとても楽しかった。
そして最後にがっつり語られてしまったのだが、本作がヒューマンドラマという体裁を借りて古くから存在し今でもありうるという普遍的な観念をテーマにしているというのが、おもしろく魅せる決め手となっているように思われる。それは前に書いた異質なものを受け入れるということ。物理的にではなく、再秩序化するための破壊。これは現代社会でもいろんなとこで、政治にも当てはまるであろうし、官僚組織なんかにもあてはまること。
まあたまたまこういう風に感じてしまったので、難しいような話になってしまったが、別になんも考えずダラーっと見るにも入り込めるようないい映画だと思います。
愛のコリーダ ★★★★☆
アベサダ。
なにぶん直接的な表現をする方が適切である場合が多く、ただそれにつけピンポイントで不愉快である方もいらっしゃるでしょうから、伏字を多用します。意志を介在させときゃいいでしょう。
えーーーと、アベサダ事件。テレビか何かで見たにしろどこかで聞いたにしろ、知っている人も多いと思うけど一応簡単に補足しておくと、昭和10年頃阿部定という人が愛人を殺してそのちんちんをちょん切ってしまったという、当時にしても仮に今の事件であってもかなり衝撃でかい事件です。さらにその続きがあって、数日後に彼女は逮捕されるわけであるが、そのときの表情が恍惚の表情を浮かべていたという・・・。実際テレビで当時の写真を見たことがあるが、確かに恍惚ってた。
本作はその事件を題材にしたっちゅうか、まんまなんです。それ以上にいろいろな事柄がまんまなんです。まず本作はそのほとんどが結合シーンの連なりで描かれているわけであるが、それが「やってるふり」じゃなくて「マジでやってる」てのが一つ。そして主演である藤竜也のちんちんには一応ボカシがいれられているもののそのおおよそは想像がつき、でなぜかサオにはボカシあるにもかかわらず、キャンタマふぐりは丸出しという不可解っぷり、さらに定とか舞妓のほうの万個はもうそら、まるみえっていうか、まるみえ。
で、以上のような特異部分はまあよしとして内容をきちんと見てみると、これはかなり見応えがある。まあまず普通の成人男子であれば、ちんちんは吉のように勃起しっぱなしであろうし、その結合云々よりもシチュエーションでやられている感じでエロいのです。ラストにかかる盛り上がりもよくわかるし、定が行き着いたところはおそらく自分自身にはないであろうけれども、否応なしに客観的には見れない、定と吉の語り合いをうまく最後のところで描いていると思う。そらまぁ、ちんちんぶった切ってもアリなんじゃないかと。それが彼の本望であるし、彼女の想いであると考えるのが自然なのでしょう。
あとこれは全然関係ないですが、どうも見てる最中に気になったところが、本作と単体系AVとの違いはなんなのだろうかと。単体系って大体どうしようもないドラマがあるでしょう。加藤鷹が先生役でAV女優がその生徒役とか。そこんとこが、フランス人も大絶賛した「芸術性」とかいうやつなんだろうか。