< UCL2004-2005 FINAL @ Ataturk Olympic stadium 2005.05.25 >
決勝に限って見てみると、優勝したからMOMがジェラードになったが、前半のままACミランが優勝していた場合は間違いなくカカになっていただろう。全得点に絡んだというだけでなく、カカはモダンなトップ下の理想と言えるような動きを常々していて、まあこれはピルロという中盤の底にパサーがいるから成立してるのかもしれんが、トップ下としてのFWへのラストパス出しだけでなく、自ら局面を切り開いてフィニッシュまで結びつけるテクニックもある。一番の特徴はそのシュート精度だ。
試合の流れはもう見たまんま。前半ミラン、後半ミラン、延長ミラン、PKドゥデク。こういう認識で良いと思う。ただ、「後半ミラン」に関しては間の7分だけわけわかんない時間があったということだ。延長に入ってからは、PKで勝つというリバプールのチームとしての意志統一がされたような戦いだった。実際トップのシセと両サイドのルイス・ガルシア、スミチェルがカウンター要因として残っているだけであとはユベントス戦の2nd-leg、チェルシー戦の1st-legで見せたような守備で頑張るチームになっていて、ベニテスの事だからPKまで行けばなんとかなる自信はあったのだろう。
圧倒的に押された側がPKまで凌ぎきると、PKで優位に立てるというのはよくある展開なんだが(先週のFAカップファイナルもまさにその形だった)、実際PKではミランの1・2人目のセルジーニョ、ピルロが立て続けに外してしまった。このレベルになるとPKは技術よりも最早メンタルの要素が強くなるのだろう、その精神的な圧迫感がもろに出た形だ。53分から60分の間での3失点はアンチェロッティも後日談で「なにがなんだかわけわからんかった」と語っていたようにミランも相当まいったことだろう。そして追いついた後はリバプールサポーターも復活し疑似アンフィールドの雰囲気を作り出したし、PKではリバプール有利の要素が大きかったということだ。
<ウリエ→ベニテス 変化と効果>
以前書いた文章では「ジェラードとシャビ・アロンソの、センスの違うロングパスがチームにフィットすれば何かやらかすかもしれん」みたいな事を書いたが、正直アーセナルすら達成していないUCL制覇を成し遂げるとは思ってもいなかった。リーグの優勝が早いうちにチェルシーにほぼ決定となった時点で、UCLにチームの比重をシフトしたと思われる。そのためかUCL直後のプレミアリーグの試合では全く勝てなかった。また現有戦力からして、長いリーグ戦で安定した勝ち点を積み上げるよりも、ホーム&アウェイルール・一発勝負のUCLの方が断然勝ちやすいという思惑もあっただろう。なんせホームは「This is Anfield」、圧倒的なサポーターが文字通りサポートしてくれる。ユベントス・チェルシーに関してはホームの前半30分間主導権を握り勝負を決め、後の60分+アウェイ90分を守りきるという戦術で勝ち上がったほどだ。その守備では要であるヒーピアを中心に、魂で守りこのUCLでDFとしてかなりの経験を積んだキャラガー、両サイドのフィナンとトラオレは激しい上下動で攻守に貢献した。ドゥデクはレバークーゼン戦のホームでのプレゼントゴールなど、ちょいちょいミスはするものの、決勝でも何度と無くみせたように基本的には凄いキーパーである。
ここで今期リバプールの基本フォーメーションを見てみると、パターンは色々あるが最も結果が出ているのは決勝の後半でも採ったジェラードをCH兼トップ下気味に配置した4-2-3-1の形だ。1トップはスピードでガチャガチャ動くタイプのバロシュかシセで、左リーセ・右ルイスガルシアの両サイド固定、そして肝心なのが中盤の位置に長短のパスでリズムや展開を生み出すシャビ・アロンソと、もう一人はハマン・ビスチャンあたりの守備的な役割を置いたことだ。この役割もバルセロナのシャビ・マルケスの関係ほどはっきりしておらず、基本的にジェラードも含めたCH3人は守備もするしロングレンジのパスで展開も作る。またCHが3枚いることで、やや前目のジェラードが大胆に攻撃参加できるというのが一番良いところだ。
攻撃に関して変化をもたらしたのがルイス・ガルシアだ。もともとテクニックが非常に巧みで、ポジショニングがいいのでパスの出し手としても、またFWの裏・FWが作ったスペースに飛び込んでパスの受け手としても一番活躍した。
<シーズンコンディション>
プレミアリーグも含めて、今期のリバプールはベストメンバーを組めた試合の方がかなり少なかったのではなかろうか。覚えているだけでもシセ・バロシュは骨系の怪我で長期離脱しリーグ戦用FWとして急遽モリエンテスを獲得したほどだ。チームの中心であるCHのジェラード・シャビアロンソ・ハマンも変わり交代に怪我で離脱しており、この決勝で漢を上げたであろうGKドゥデク・2ndGKのカークランドもたびたび怪我で、ユベントス戦では3rdGKのカーソンが入った。他にもシナマポンゴル、キューウェル、メラー、などなど、端的に言えば名前も聞いたこと無いようなウェルシュ・ポッターという選手がしばらく控えに入るほどの有様だった。
<総括>
正直この優勝は圧倒的な力でねじ伏せて勝ち取ったものではない。仮にACミランが優勝していればその通りだったが、怪我人が多く不利な状況の中、ベニテスの巧みな戦術・采配とジェラードを中心とした気合と根性の組織サッカー、そして「You’ll Never Walk Alone」の野太い声がチームを後押しして勝ち取った一種の伝説的な勝利だ。GL第6節のオリンピアコス戦の逆転劇も後半に3点決めた。交代直後のシナマ、当時リーグも含めてラッキーボーイだったメラー、いかにもジェラードらしい強烈なミドルシュート。そして今回の「7分で3点」は伝説を象徴するにふさわしい。同じイングランドのマンチェスター・ユナイテッドがトレブルを達成したときのUCLバイエルン戦のロスタイム大逆転を想起した人も多いだろう。シャビ・アロンソの加入を機に個人的には注目し始めたリバプールだが、シーズンを追っていって非常に面白かった。優勝おめでとう&ありがとう。
投稿者: bitch
ジェラード スミチェル シャビ・アロンソ
追いついたよすげえな。
PKかー
リーセふかすな
カカはきめる
ドゥデク出過ぎ いいのかあれは
シェフ
がーすげー
あとで色々かこう
FA CUP 2005 FINAL
アンリ抜きでよく頑張った。レーマンに感謝しよう。キーパー補強しろとか言って正直すまんかった。
↑最後のPKを決めた後、ソッコーでレーマンのもとに行ってハグするCPヴィエラ。
↑この後すぐヴィエラはカップをレーマンに渡す。
ターミナル ★★★☆☆
クラコウジアという国からニューヨークにやって来た男が、自国のクーデターのためアメリカ本土に入国できず、ターミナルで待つ話。
前々から人づてに聞いてはいたが、自分がこんなにダメ人間魂を内包しているものだとは改めて知らされてみてびっくりしたものだ。なんだろうこの気持ちの悪い拒絶反応。ハリウッド大作丸出しの感動シーンが挿入されるたび、「いい感じだなあ」と感じる心より以上に「おえーきしょ」という悪の心が飛び出してきて、何とも言えないいたたまれない感覚に陥る。
ストーリーはよくまとまっているし、笑かしてくれる部分も多い。ドリームワークスとその本家本元であるスピルバーグが作った映画なんだから、ストーリーは基本的に破綻するわけが無く、多くの人が「面白い」「いい感じだ」という風に感じるように作られたものだ。この点に関して自分も人間だからそう感じるし、それは娯楽として間違った方向ではない。その反面、これはロード・トゥ・パーディションなど同じような映画で何度も書いたことだが、この映画が一生ものの記憶に残る映画となるということも、絶対にないということである。
実際ビクターが言葉の通じない孤独な国でもがき、やがて様々な人々と関係性を作っていく過程は面白かったし、そのきっかけとなる出来事(キャリーカート・出国審査の女・掃除のじいさん・など)にはすんなり入り込めたし、そこが繋がっていくのもよかった。そういうストーリーの中のショートストーリー群にも淀みがなかったためか、映画の体感時間もかなり短いと言うことはそれだけ集中して見ることが出来たし、また「型にはめられた」ということでもある。
そういう型にはめられたことが嫌なのではなく、またこういう王道まっしぐらな映画をいいと思ってしまう自分が嫌ということではない。そういうことではなく、一般に「いい感じ」とされるシーン(出国審査女の結婚・やぎ事件後の空港内の態度の変化・掃除じいさんの飛行機ストップなど)を見て「いい感じ」という感情よりも、なんというか「気持ちの悪さ」が上回ってしまうという、これは御都合シーンに対する理不尽さではなく(そういう感覚はとうの昔に捨て去った)、なんかわからんが単なる「気持ちわりー」という感覚だ。だもんで今も「非常に後味の悪い良い映画見た感」というか、なんとも言葉に表しにくい感情を抱きつつ、自分のズレを感じたわけです。良い悪いではなくて。
インファナル・アフェア3 ★★★★★
ヤンが死んでうまいこと警察に潜り込めたと思っていたラウが、保安部の内部調査を防ごうとする話。
一応この3で完結らしいが、ざっくり言うと1は心理戦・2はゴッドファーザー・で3はまた心理戦に戻る。というのもこの映画の最後まで見ないとイマイチ全体像が見えてこないのだが、そのためかヤン・ヨン・シェンなど似たような名前が多く登場し、しかも早口の香港言語はよくわかんなくて結構同じようなトーンに聞こえるので、個人的には人間関係の把握にかなりとまどった。灰皿でぶん殴れと電話で指示したのがサムだと確定するのも結構後だし、あの場にヨンら保安部がいきなりいるのも引っかかるし、この辺は見る者の意識によって変わってくるかも。(理解しようとする姿勢を強く持ってみればわからんことはない。)
以上のような人間関係の把握以外でも、ストーリーは「ラウがサムの所でスパイをやっていた」という確定事項がわかっているだけで、シェン(大陸の闇貿易商・ひげにサングラス=実はこいつも警察側のスパイ)やヨン(保安部のトップ・メガネでシュッとしてる=サムと繋がってると見せかけて実はラウとサムの関係性を暴くためのおとり)の隠した部分は結局最後までわからないことであり、しかも後半ラウは自分をヤンと重ね合わせてしまうような妄想の世界に突入するので、正直かなりわかりにくい。
つまり1の心理戦は、「誰がスパイか」という心理を巡る攻防のテーマが明確で、それに向けて話を重ねていったり、盛り上がりがあったり(映画館やバスでの携帯など)、そういう肝心な部分は結構かっちりしていたのだが、3の心理戦はラウ以外は誰が誰の対象なのかもはっきりしないし、しかもラウは変な感じになるし、人間の絡み方がわかりにくかった。なので、墓でラウがシェンの顔を思いっきり見てるのはOKなのかとか、最後のテープの仕掛けがなんだか不自然だったり(一瞬なんか映像が映るがよくわかんなかった)、要するにわかりにくさが全体の雰囲気を醸し出す以上に、ストーリーの外観性を損なわせている感じがする。
ただやはり、長編物の強みか、あるいは「インファナル・アフェア」という前後の時間のつながりに意味がある映画のよさなのか、確かにあるシーンで1や2のあのシーンの意味がわかったような部分もあったり(ギブスやヤンとラウの初対面など)、全体の中身を濃くするというのは間違いない。また、1・2見たんだから見なきゃだめだろう。
最後にシリーズとして、こういう時間の流れを感じさせるマフィア物はゴッドファーザー以来で、しかもそれと比肩できるくらいの完成度なんだから、これは面白いシリーズ映画だと思います。
インファナル・アフェア2 ★★★★★
マフィアの大ボスが暗殺され、残った縄張りを巡って抗争が起こる話。
1ではヤンとラウのスパイ合戦の側面が強かったが、2では二人の若い頃までさかのぼった話になっていて、今回は心理戦というよりもなんだか、ゴッドファーザー的血縁・親子関係などが背景にある重厚なマフィア王道物語に仕上がっている。あの結婚パーティシーンやオヤジへの弔いの杯シーンはもろゴッドファーザーを彷彿とさせるし、続編とは言いつつもそのカラーはまったく別物だ。
1で消化不良に終わっていた、ヤンとキョン・ヤンと女の関係やウォン警部とサムの関係などもわかるようになっていて、1をありきとした場合に(この映画は2から見てもそれはそれで違った受け取り方ができるかもしれない)、主要人物のバックボーンをいっそうふくらませる物となっている。確かにヤンが実は大ボスのせがれだったという設定は無理くり感があるが(だってそうだとサムは基本的にヤンを信頼しないはず→表面上ヤンは兄貴のボディガードであり、その兄貴は結果的にサムのせいで死んでしまった)、これはこれでおもろくなってるからよしとしよう。
あえて主役と言えばウォン警部とサムになるのだろうか。こいつらはやっぱ2で漢を上げたな。
インファナル・アフェア ★★★★★
マフィアにスパイとして加わった潜入捜査官と、警察にスパイとして加わったマフィア野郎の話。
香港映画でこういうハードボイルドなコップ・マフィアものと言えば、少し前まで男たちの挽歌シリーズが代表だったけど、ああいうドンパチがメインの映画ではない。そういうハードボイルドを背景とした読み合い・だまし合いといった心理描写の面が強く感じられる。ラウにしてもヤンにしても、さすがスパイと言うだけあってお互いの対象のわずかな行動や言動から察知し、スパイ活動していく様はまさに戦いの描写であり、それが刻々と変化していく様はスリリングだ。
これがハリウッド等モダンなやり方を香港流に噛み砕いたものなのか、サウンドや場面構成でクールを装っていてもやっぱりキン肉マン的漢の「ゆうじょう」話の側面が非常に強かったり、香港丸出しの歌が挿入されたり、恋愛描写もなんだか鈍臭かったりだと、そういう良い意味でスタイリッシュになりきれていないところがまた味があってよかった。
最初の方の絡みが実はかなり重要だったということが後々にわかってくるのだが、そこを敢えてスピーディーにわかりにくくすることで伏線にしていくという手法を取っている。またなぜウォン警部(稲中に出てきそうなフェイスの人)とサム(マフィアのボス)がちょっと親しげなのかとか、キョン(梶原善に似てる人)がヤンにやたらやさしいとか、あの久しぶりに会った女とか、よくわかんないまま処理されていった登場人物とその背景も目に付く。にしても、ウォン警部の時計の伏線は非常にヤラレタ感が強くてよろしい。
やっぱどちらかの視点で見てしまうんだろうが、自分は断然ヤンの方が好きだ。トニー・レオンのワイルドな表情も凄くいいし(振り返るシーンはマジかっこいい)、ロウの正体が判明した瞬間、(ドラマということを抜きにするなら)すぐさま全員の前で「これは俺が潜入している時に書いた字で、なんなら筆跡合わせてもいいぞ、つーかおめえなんでこれ持ってんの」とわめきちらせばソッコーでラウが捕まるものの、敢えて行方をくらませて自分でオトシマエを付けようという漢気、最後のエレベーターのせづなさなど、こいつはパーフェクト超人だ。
あいつのようになりたいか。俺もああなりたい。
復讐するは我にあり ★★★★☆
強盗殺人を犯し、詐欺をやりながら金を作って逃げ回った連続殺人犯、榎津巌の話。
世界の至る所には、過去から現在に至るまでこの映画のように人を(だましまくって/殺しまくって/レイプしまくって/)いくような輩がまれにいるものであり、そういう輩の実話はたいていの場合インパクトがあるので書き物や映像でメディア化されやすい。表面的には、そいつがどうやって逃げ回り、どういうきっかけで捕まったのかという部分が目立ってしまうのだが、肝心な部分はやはり「なぜそいつがそうなってしまったのか」を描くということだ。
これはこの映画の場合、榎津本人が及び知る範囲のものではない。なぜなら、その「なぜ」を知っているなら人として理性というブレーキがかかり、このような連続殺人の事態には到ってないからである。もしかしたら最初のしょぼくれた強盗殺人で歯止めがかからなくなり、ついに5人の因果なき人間を殺めたのかもしれないし、なにか原因があるのかもしれない。その一つが幼少期の父親に対する記憶なんだろう。または、戦後のアメリカ統治下での日本の惨状を見て「あーやってらんねーあほくさ」感が強まったのかもしれない。ただやはり、人として情が移るであろう旅館の女将をいとも簡単に金銭に替えられる神経は普通の人間にはわからんことだし、この映画で榎津を見てきても「そういう人間だから」という他ない。
以上はリアルでの話。この映画はノンフィクション(実話を元にしている)らしいが、父親と榎津の関係性を連続殺人の重要な動機と設定している以上、完全にそうとは言えない。ただそれがありきになってしまうと、尾形拳と三国連太郎という配役はかなりはまっている。こういうヘンテコな狂人を演じさせると尾形拳はぴったりだ。九州出身の自分からしても尾形拳の方言は結構パーフェクトだし、詐欺をやっているときは方言を隠し、本性を見せると方言丸出しになるのはリアリティがある。最初専売公社の二人を、一人は鈍器で、もう一人は包丁で殺すシーンが非常にえげつなくて、それ以降の殺人シーンが意外と簡単に片付けられてしまうのは、榎津の殺人に対する感覚マヒを意味しているのかもしれない。
そう、安い方の包丁を買ったり、何処で覚えたか弁護士や教授の真似したり、ババアに仕送りしたり、死体あんのにそこに住んでしまったり、二人ぶっ殺しつつも質屋には気前よかったりと、やっぱこいつ相当変なやつだ。ミヤコ蝶々がパチンコ屋で言ったとおり、道を間違ってなければ大人物だったかもしれん。
(後付け)
表題「復讐するは我にあり」とは、聖書の引用で「罪の裁きは神にまかせろ」的な意味があるらしい。榎津親子は長崎の五島出身だそうで、あのへんの平戸とか対馬とかは昔からキリシタン(隠れキリシタン)が多かったし、そういうのを含んだタイトルらしい。
ロック、ストック&トゥー・スモーキング・バレルズ ★★★★★
ギャンブルに破れ多額の借金を負った4人が、悪人から金を奪って返済しようとする話。
いまでこそスナッチで有名なガイ・リッチーの初監督作品。スナッチを見てからこれを見ると、なるほどそのテイストは最初からあったのかと思わせられるが、ガイ・リッチーってなんぞやの頃にこれを見るとかなりの衝撃だっただろう。それだけ、俳優や予算に頼らない「アイデアのみ」「編集・撮影効果のみ」の映画であり、インパクトのポテンシャルはこの映画だろう。
最初のうちは登場人物が多すぎて、しかもいくらかキャラの説明はあるものの基本的にニュアンスでつかめ方式なので、なにがなんだかわからんうちに序盤は進行していく。ただ事の発端であるギャンブルの負け以降、それまで相互に関連性の無かった人物が間接的に関わりを持つことで俄然面白くなっていく手法は見事だ。一言で言えば「因果応報のズレ」をエッセンスに、最後にどかんと集約させるのだが、それがおもしろおかしいほどピースにはまっていく様は爽快で、最後に確実に勝利したのがナイス・バイプレイヤーのクリスだというのもいいし、またラストでああいう結末を残したのもいなせな感じがする。
てことでその因果応報のズレをせっかくなので書き出してみた。こう見ると、意外に「バカ2人」がかなり重要なポジションにいて、「黒人アフロ」はキャラの割に直接的には関与していない。
しかしまあ、「シートベルトは締めておけ」がまさか伏線になろうとは思わなかった。面白い映画だと思います。
三上工務店が歩く
今期のブラジル全国選手権でサントスを優勝に導いたルッシェンブルゴがレアル・マドリーの監督に急遽就任してしまった。
前期はクルゼイロを勝ち点100という独走状態で優勝させ、今期途中から監督就任したサントスでも最終節までもつれたものの最終的には優勝させたことで、向笠さんもかつてのテレ・サンターナ級の監督と言っていただけに、ブラジル全国選手権における名将が去ってしまうのは正直残念だ。
そもそも前期終了後、クルゼイロからばっさり切られた後にヨーロッパ進出を図っていたルッシェンブルゴは、その頃ポルトガル語の通じるスーペル・リーガの強豪(ベンフィカかスポルティングだろうな)を踏み台に、やがてはトップリーグの監督へとステップアップを考えていたらしい。それがヨーロッパ進出に際していきなり世界一のレアル・マドリーからの招聘というのは皮肉な状況だ。
今期のサントスはエメルソン・レオンでスタートしたものの調子が悪くルッシェンブルゴに交代したのだが、監督交代後に彼の意向で獲得したと思われるバジーリオやヒカルジーニョが活躍したことが優勝の大きな要因だった。レアル・マドリーも冬の移籍市場での選手獲得を見込んでこの時期の就任発表になったのかもしれない。前監督(ガルシア・レモンは無視)のカマーチョが選手との確執で辞任したこともあり、ブラジルの名将であれば大物ぞろいのチームの中で中心であるロナウド、ロベルト・カルロスらを操縦できそうなのも一つある。ルッシェンブルゴの攻撃サッカーは通用するのか。それとも数多のブラジル人選手のようにフィットせずに出戻るのか。レアル・マドリーだしなあ。どうかなあ・・・。