ディープ・コア2002 ☆☆☆☆☆

地球のプレートが地下核実験の影響で動き出し、気温の上昇で人類が死滅するのを防ぐため、「行って来い」の感覚で核爆発を起こしそれを止めようとする話。
ランダムレンタルのハズレもハズレ、大ハズレ。ストーリーや演技などはどうでもいいので、ツッコミ所満載で、それを列挙するだけにしておこう。
・主役がGOグループの大神源太に激似
・大統領がオーラなさすぎ、あの面だと良くて係長代理
・演技がやたら大袈裟・舞台のような取って付けたセリフの連発
・人類滅亡を背負い込んでる特殊チームの割に、ノリがめちゃんこ軽い
・一人だけ反発する奴は将軍側が送り込んだ刺客で、なにか陰謀があるのかと思わせつつ結局無い→じゃああいつのいる意味は?予算切れor脚本家夜逃げでそのネタを仕込めなかったのか??
・娘を監禁した奴が意味不明
・おまえ娘助ける時銃乱射しすぎand特殊部隊の隊長ならば敵が他にいないか確認すべきandてめえ銃の扱いが雑すぎ よくそれで大佐になれたな
・女ブスすぎ
・ラストの飛行機は無茶あり 他の映画だとひどい部分だろうが、正直この映画ではかすむほど全体がクソ
・とどのつまり、馬鹿ばっかでどうしようもない
以上。

ジョニー・イングリッシュ ★★★☆☆

英国諜報機関MI7に属するMr.ビーンが、英国支配を企むフランス人を阻止する話。
映画の内容には直接関係ないが、MI5とMI6の存在は知っていたけどMI7もあるんだなあと見終わって調べてみると、そういう機関は実在せず、よく架空の諜報機関として映画などではMI7として使われるらしい。
ローワン・アトキンソンが90年代半ばにMr.ビーンとして世界的に認知されるようになってから、本国イギリスではまあなんらかのコメディアン活動をやっていたのだろうが(でないといきなり映画の主役ってわけにはいかんだろうし)、ここ日本では丸々間が空いているのでどうやっても今の段階ではMr.ビーンのイメージを払拭することはできない。それぐらいインパクトのあったキャラコントだったし、イギリスでコメディといえばモンティ・パイソンとMr.ビーンはおそらく並び称されるだろう。
なので、この映画のギャグの部分は総じておかしくて笑えるんだけど、その笑いのうちの何割かは「まだこいつビーンやってるよ」という思いそのものが面白く、そういう意味で見ていて確かに笑っている反面、なんかこっ恥ずかしかった。なんだろうなあ、たとえば志村けんが今いきなり「だ~いじょ~ぶ~だぁ~・・・ウェ・ウァ・ウォ」を突然推してきたとする。それを見たこちらはもちろん笑うだろうが、一部なんか切なく恥ずかしくしょんぼりした気分になってしまう。それと結構似ているかもなあ。
で、この「Mr.ビーンの影」という部分を抜きにしてニュートラルで見てみると、ボケが「前フリがあって、それに対して忠実にボケる」というパターンが多く、これもギャグではなくその笑いの構造自体が「ストレートすぎるだろ」てことで笑ってしまう。正直自分が笑いに対してかなり擦れてしまっているということに気づかされる。筋弛緩剤のところやおなじみMr.ビーンぽいおとぼけコントのような部分は掛け値なしに面白いんだが、「前フリ→忠実なボケ」の構造の部分に関しては、一度とまってから笑ってしまうような感じだ。
ストーリーに関してはコメディなんだから期待してはいけない。ディティールにも目をつぶらないといけない。なんにしろこういうストーリーからして馬鹿馬鹿しいのは「馬鹿馬鹿しいなあ」と思いながら場面場面の逆や笑いを楽しんでいくのがいいスタンスだろう。一々ストーリーに突っ込みいれていたらきりがないからなあ。
ローワン・アトキンソンがMr.ビーンを払拭しようと新境地に挑むのではなく、いつまでたっても、たとえ舞台が映画になり大げさになろうとも根っこの部分でMr.ビーンであることに個人的にはうれしかった。というわけで純粋なコメディとB級映画ではMaxの★3。

インソムニア ★★★☆☆

LAからアラスカへ殺人事件の捜査にやってきた刑事が同僚を殺めて不眠症になる話。
結局最後まで、なぜドーマーは正直にハップへの誤射を言えなかったのかがわからなかった。誰も見ていないとはいえ、事実をありのまま語らなければ今回のように証拠は次々に矛盾を示し、それを覆すために自分で自作自演、映画だから成立するがこういうねじ曲げをするにはグリーンベレーとSWATとSEALSとDELTAを足して4で割るぐらいの根性と判断力と技術が必要だろうが、ここでまったくリアリティを放棄したのがまず、まずかったと感じた。
ハップ殺しの隠蔽は、これまでやってきたでっち上げの癖がつい出てしまったのだろうか。それとも内部調査中のハップ殺しが誤射とは認められない可能性を考慮したのだろうか。見終わって改めて振り返ると、例えばウォルターのまいたエサに乗せられ、何の警戒もなく危険な会話を録音されたり、9mm弾の証拠を突きつけられても無理からごまかしたりするのは、(前述したハップ殺しも含めて)すべて「不眠症だったから」で片付けられることではないか。でないと、敏腕刑事のくせにこのゴリ押しぶりは説明できない。
アラスカの白夜かなんかしらんが夜がない環境と、(想定した理由であれば)誤射と内部調査に悶える感覚、そして何より真犯人ウォルターに見た「同じ穴のムジナ」意識が、彼の気を動転させ、根っからの嘘つき癖を存分に発揮、それが不眠症パワーによって不可能を可能にしたのだろう。それが落ち着いたのが結局、ホテルの女将への吐露なのだが、あそこでどうしてふっきれたかもイマイチ謎だ。これも不眠症からくる判断力の低下か?
最後はアメリカ映画的正義描写があったので、筋が一本通ってはいなかったが(個人的には極悪人ドーマーを最後まで貫いて欲しかった=女をぶっ殺しウォルターと共にハッピーエンドを迎える)、確かにタイトルは合ってるけど、なんかパッとしないラストだったなあ。

9デイズ ★★☆☆☆

幼児期に生き別れた双子の兄が死んでしまい、その仕事をやるハメになってしまった弟の話。
クリス・ロックと言えばやっぱMTVアワードでのスタンダップコメディアンぶりというか、今回の映画でも何度か出てきたが相手が反論する間も与えないほどまくし立てる啖呵切りのうまさだ。こういういかにもな黒人コメディアン(サタデーナイトライブとかに出てそうな)は48時間のエディ・マーフィーやらラッシュアワーのジャッキーチェンの相方やら、コップアクションというのが似合うかしらんがやたら多い。今回のクリス・ロックも御多分に漏れずCIAときた。
なので、基本的に陽気な彼と、「脳みそ喰い」でおなじみレクター博士のアンソニー・ホプキンスでは、コメディタッチのアクションものをやりたいのか、本格的なCIAもの(テーマが核爆弾というのも扱いづらいし)なのか、いまいちピントが定まっていなかった。ざっと見た感じ銃の扱いに全く気を遣っていない所から察するに、やっぱこれはアクションコメディなんだろうな。じゃあテロリストが核爆弾云々という、現実でもかなり深刻な問題になりそうなテーマは止めて、なんか変なギャングがわけわかんねえ事やってるぐらいにとどめて欲しかった。
あと冒頭に特に多いのだが、場面とマッチしていないタイアップ丸出しの歌が相当うざい。例えばカーステからそういう音楽が流れる体なら、これでもきついがまだわかるが、場面のBGMとしてうんこラップやヒップホップというのは、そりゃ好きな人にしたら気にならないだろうがきついもんだよ実際。
アクション映画としては、おなじみ中途半端な銃撃戦・カーチェイス・さらに今回は爆弾寸止めまで盛り込んであるので、まったく無意味ではあるが押さえるべきポイントは押さえてある。なんだか、映画会社が一年に数本毎年のアクション映画クオリティを確認するために、とりあえず定番をやっておこうか的な臭いすら感じられ、最早ここまでくると不自然すら感じない伝統芸だ。
というわけで、クリス・ロックが相変わらず啖呵切りの名人であるというのを確認した、という事を除いては、ハリウッド定番のまったく記憶に残らない映画であった。たぶんこれはクリス・ロックを推すための品評作品なんだろう。そういう意味では成功してるから、いいんじゃない。

ノー・グッド・シングス ★☆☆☆☆

行方不明の子供を捜しに来た刑事が、些細なきっかけで強盗団に監禁される話。
キレ役のフープは昔同じような役をやっていたような印象があり、後で調べるとグリーンマイルでのむかつく感じの看守をやっていた役者だった。確かにあの顔で嫌われ役をやると大層しっくりくる。実際5年前ぐらいの映画の嫌われ役が記憶に残っていたわけだし。変な話そういう意味では使い勝手の良い役者なんだろう。
正直とらえどころがない映画だ。まずこの映画で何を描きたいのか、何を伝えたいのかが不明で、仮に前提としてそういう映画ではなく、ただ見て楽しむ映画であるかというとそうでもない(面白くないわけではないが印象には残らない)、ハードボイルドにしては肝心の犯罪計画がしょぼすぎ、など視点がいまいち定まらない。もしかするとエリンが八方美人にいろんな男を取り込もうとする様を視点にして見ると面白いのかもしれないが、実際自分で見ててそこにはほぼ引っかからなかったということは、全く合わない映画だった。ある意味タイトル通りになったわけだ。

パッション ☆☆☆☆☆(評価不能)

キリストが処刑される話。
自分は見る映画を選択する際に、基本的には事前情報をほとんど得ない。もちろん看板やDVDパッケージでわかるような「なんとなくの雰囲気」「役者」「タイトルから推察できる内容」や、「チラ見したCM・たまたま目に入った宣伝文句」などまったくゼロという状況は難しいが、例えばそこらへんの雑誌・TVの情報番組・DVDパッケージの裏などであらすじを知るような事はない。だからそういう事前情報の有無により、映画を見た後の自分の評価が他人の評価(全体的な評価の雰囲気)と結構違うこともある。要するにある情報をありきとすることで、評価の視点も違ってくるわけだ。そしてそれも個人的には面白い要素だと思っている。
で本作は、それが完全に裏目に出てしまった形だ。デフレはレンタル屋にも影響していて、5本1000円は当たり前、TUTAYAなど大手でも月1ぐらいは半額セールをやっている。そうなると一度に借りられる本数も増えるので、自分の様な偏屈野郎は「見たいと思ったやつ」だけを借りるのではなく、5本中1~2本、「この店がなんかしらんが推してるから」だったり、まったくランダムで選ぶようになってしまった。その結果は大体ハズレであることが多いが、たまーに良作や癖のある作品があって、これはこれで面白い。参考ブレイカウェイ
なげー前置き。要するにランダムレンタルなんだよな。そして、俺=日本人・無信教(家的には浄土真宗らしいがノータッチ)なやつが、ある宗教を真剣に捉えた映画を見るのはなかなか難しいもんだ。教祖誕生のようにあからさまに拝金主義宗教をパロディでこきおろすようなやつならまだわかるが、この映画の場合恐らく聖書の内容把握が前提とされているようだ。だって最初のシーンからしてなんだかよくわかんないし、結局最後まで「キリストさんがどうして既存の宗教家によって排除されなければならなかったか」についても触れられない。ということで、そういう内容に関する含みが一切無いため、正直この映画は「キリストが裁かれ十字架に吊されるまで」のドキュメンタリーチックな、記録映画のような感覚で見ていた。
前述した事前情報の有無で言えば、聖書・キリストさん拷問の理由・間に挟まれるショートエピソード(たぶん生前キリストさんが弟子にしてきたことを反芻しているのだろう)の意味が無の状態だから、そういうのをひっくるめて、「キリスト教」という事に関して自分はニュートラルな状態である。そういう自分がこの映画で受けた印象は、信念もって主張を貫いたキリストさんと、それに感化される少数の人間の心理変化、なげー拷問シーン、昔って相当理不尽な裁判やってたんだなぐらいのもんだ。
・・・・正直色々書くのは宗教に対する無関心・無知をさらけ出すだけなので終了。あでも自分が宗教に無関心なだけで、「人が宗教にはまるメカニズム・宗教の違いによる発想の違い」みたいなことには凄く関心あります。
※原題The Passion Of The Christのpassionは汎用意味の「情熱」ではなく「The Passion」でキリスト受難を意味するようです。

チェンジング・レーン ★★★☆☆

アル中が原因で離婚調停中の保険屋ギブソンと、財団の所有権を巡り裁判中の弁護士ギャビンが車で事故って色々狂う話。
表題チェンジング・レーンは、文字通り車線変更という事と、ふとしたきっかけで人生の道筋が変わってしまうという二つの意味が含まれていると思う。事故によって二人に関係性が生じ、そこから様々な人間や自分の置かれた環境が見えてくるというのがストーリー展開の肝だ。特にギャビンはそれまで人生順風満帆だったはずなのが、この事故により自分や周囲の人物の本性も含めて様々な真実が見えてくる。嫁が遠回しに偽造を勧めてくるシーンは非常に象徴的だ。
で中盤過ぎたあたりから、この映画の結末は両者ハッピーエンドしかありえないという臭いはしてきたが、果たしてどちらが先に譲歩するのかがポイントだった。教会での吐露が決定的な感情の変化に繋がったのかはわからんが、結局この事故でより多くの真実を知ってしまったギャビンの方が、しがらみを振り捨て自分の感情に素直になったというところが大きい。
しかし一時はお互いにぶっ殺そうぐらいの勢いまでいったのによく収まったもんだ。まあ元はと言えばハッカーに頼んでややこしくしたのもギャビン自身だし、傲慢な性格が直って素直になったことだし、ギブソンはなんだかんだで復縁できたわけだし、結果オーライじゃないでしょうか。
とこのように、展開もありふれていて決して悪い映画ではないが強く印象に残るものでもない。ただしかし、ハリウッドによくありがちな「スピルバーグ大先生の教科書」を丸々読んでその通りに作りました的な感じも受けない。ありふれた言葉で言えば「地味な良作」て感じだな。

フォーン・ブース ★★★★☆

嘘ばっかりついてる調子のいい編集者が、電話ボックスで脅迫される話。
約80分というかなり短めの映画なんだが、冒頭から電話のシーンでわけのわからぬ固有名詞が連発されかなり面食らう。いきなりこの焦り様はなんなんだろうと見ていると、何のことはないこれらワード群には意味が無く、ただステュがそういうせわしない人間なんだという状況説明だけだった。
というのもこの映画の構成は、電話シーン~電話ボックスにたどり着くまでの数10m(数100m?)に彼の嘘つきキャラをねじ込んで、あとは実質電話ボックスでのシーンが続く。これは例えば、冒頭30分かけて「ステュは嘘つきで成り立っている人間だ」というのを描き(家とかオフィスとかカキタレとかで)、その後電話ボックスシーンだとして都合100分の映画にすると緩急の緊迫感がまったくでないのだろう。だって正直この映画は緩急だけなんだから。なので、半ば見てる側を置いていくほど冒頭に畳みかけるのは、全部見終わった後では正解だったのではないかと感じる。
電話ボックスでの理不尽なやりとりが展開される中で、最初は「誰が犯人なのか」が肝になるのかなあと思って見ていたが、結局これは電話マンに踊らされるステュの心理変化+刑事とのやりとりを楽しむ映画なんだと徐々に感じ始めた。中盤過ぎたあたりから自分が電話マン目線でステュを見ているのに気付いて、全くステュに同情する気が起きないのだ。むしろ、嘘で塗り固めた野郎が虚実入り乱れた電話マンの口上と実力行使に圧倒されているのを見ながら結構楽しんでいる。
要するにプレイだ。電話マンはステュという格好のネタ満載野郎を徹底リサーチし、この電話ボックス撤去記念として最初で最後の”ステュ”プレイを楽しんだにすぎない。そしてそれに観客(少なくとも俺)も乗っかったわけだ。
なので、ピザ屋がフェイクだという事は瞬時にわかったが、まさか最後に実物を出すとは思わなかった。あー電話マン的には、ステュにびっくり大どんでん返しを味わわせ、そのびっくり顔を拝んで初めてプレイ終了なのかもしれんな。しかもジャックバウアーて。なんでだよ。

ボーン・スプレマシー ★★★☆☆

記憶喪失になったボーンが自分は何者かを追求していく話。の続き。
前作が「なんじゃこりゃ。」だったので見る前のハードルというか期待感は相当低い。続編らしいので一応なんらかの結末を迎えるんだろうが、CIAのトップが死んでしまってどういう構成にするのかが見所だった。
まずびっくりかついい決断をしたなと冒頭に感じたのが、ボーンの足かせとなっているファン・ニステルローイをあっさり無くしてしまったことだ。これによって、再びボーンがルーツを探るという動機付けにも合理性が出てくるし、なによりああいうあっさりとした切り捨て方は、前回のダメな部分を踏まえていますよという意思表示にも感じられた。
そして、前作ではコメディ映画かと思うほど馬鹿たれの集団だったCIAが意外とまともな集団になっていたことだ。それはもちろん、前回最後に馬鹿すぎて消されてしまったコンクリンよりもあの女ボスの方が優れているというのもあるし、女ボス自体がトレッド・ストーンの事について疑問を持っているという部分も関係している。
またボーンの相手である殺し屋も基本的には強敵一人に絞り、CIA内部にも女ボスと前作にも出てきたじいさんとの間に謎の部分を残し、見る側もボーンと共に段々そういう大きな謎に迫っていくという期待感もあおっている。その過程でボーンは情報を得るために組織と駆け引きをするのだが、その際暗殺者らしい気の利いた行動が随所に現れ、ストーリー的にもおもしろくなるし、ボーン自身にも感情移入しやすくなる。
結局最後にロシアの黒幕が捕まる部分は、唐突すぎてまたもや無理矢理感があったが、前作に比べれば遙かに見れる映画になっていて驚いた。きっと制作者がスポンサーに前作の試写会で相当怒られたんだな。
ただやはり前作同様、古来伝統のアクションとカーチェイスは未だ健在で、アクションに関しては今回敵が絞られ、世界各国の警察組織と言うことでまだいけるんだが、カーチェイスに関しては長い+車載カメラを使いまくってるので映像がぶれてなにやってんのかよくわからず、気持ち悪いという部分がなんだかなあという感じだった。
まとめると、前作に比べて
     前作                         今作
中途半端なアクション → ボーンVS組織の色合いが濃くなり、ライバルも絞られましな感じに
中途半端なカーチェイス → 変わらず+画面ブレで気持ち悪い
中途半端なラブ      → ファン・ニステルローイはあっさり死亡
中途半端な陰謀     → CIA内部にもさらに含みを持たせて広がった
とこのように、前作ありきで見ると相当進化していると思われる。

ボーン・アイデンティティ ★☆☆☆☆

記憶喪失になったボーンが自分は何者かを追求していく話。
一言で言えば「なんじゃこりゃ」。中途半端なアクションに、中途半端なカーチェイス、中途半端なラブ、中途半端な陰謀、もうこの映画全体に対して、ちゃらんぽらんに「ちゅう~とはんぱやな~」とダメ出しして欲しい。
まずはアクション。主人公のボーンは、ロボコップやターミネーターほどではないが一応超人設定されていて、そこら辺のポリ公はもちろん、同じ殺し屋の中でも圧倒的に強い。なので、アクション自体が見せ場ではなく「ストーリーの進行上なんかしらんがアクションするような状況になってしまった」という感じで、はっきり言えばしょぼいのだ。、ドラマの展開上超強力なライバルドーピング野郎が現れ、しつこくボーンを追い回すような展開ならば、よくあるパターンではあるがそれはそれで勝手に面白くなるし、まあこれだけでも見応えあるものにはなる(「逃亡者」とかはそのまんまだし)。それがなく殺し屋はヘボいのが何人も自動的に送られてくるので、盛り上がりどころがまったくない。ボーンと殺し屋どもの因果関係が希薄というのもでかい。しかも、あの殺し屋紹介シーンの部分はゲームやアニメを想起させるような映像になっていて、作っている側はかっこいいと思ってるのかしらんが、なんかダサい。
次にカーチェイス。2003年の映画らしいが、こういう年になっても未だカーチェイスを続けるのは最早制作側がやりたいからとしか思えん。あんなもんに今更ドキドキするのは映画初見の中高生ぐらいだし、「結局逃げ切るんだからさっさとやれ」的な思いは絶対ぬぐえない。前見た「60セカンズ」ぐらい、カーチェイス自体が主題となっている映画ならまだ見応えあるんだが、この映画の場合は大昔からある古来伝統のカーのチェイスが繰り広げられているだけで、うんこだ。
次にラブ。まず女がいかん。個人的にはどうもあの長めの馬面にファン・ニステルローイの影がちらついて「かわいい」とも「美人」とも思えなかった。して二人の感情の煮詰まり方も特に描いてはおらず、結構急に好きになってるらしい。それおめえ話の都合上女をこれからも連れて行くため、無理矢理ラブシーンしてねえか。
次に陰謀。この映画の特徴でもあり、大きな悪い部分でもあると思うんだが、映画冒頭からすでに黒幕がわかっているというのは何なんだろう。これだとボーンが自分のアイデンティティを求めていって最終的にCIAに行き着くまでの謎めいた感覚が希薄になるし、どうせ「まだ捕まらねーのかよ奴は」とか言ってるだけだったから別に隠しておけばよかったのではなかろうか。
とこのように、映画全体に対して色々な部分でひっかかる箇所があり、これが全体を通していい映画であればそういう部分は差っ引いて見るというかむしろ気にならなくなるのだが、この映画では気になりまくったということで、そういう映画だったと言うことだ。結果的に自分の中に残ったのは映画の内容ではなく「今の時代になぜこの映画を作ったのか」という点だ。