アメリカン・クライム ☆☆☆☆☆

サーカスの巡業のため、他人に子供を預けた事から始まる虐待事件の話。

本作は1965年の夏-秋にかけて起こった実際の事件を元にした作品である。この時代反ベトナムや公民権闘争によるリベラル思想の反動から、針の逆振れの如くキリスト教的保守主義も一方で強まったわけで、そんな中起きた実娘の妊娠というアクシデントは、冒頭示された敬虔なる南部バプテストの家族にとってとても深刻な事態だったと推察される。そんな中あらゆるストレスのはけ口となってしまったシルビアは運が悪かったとしか言いようがない。

つまり、ガートルードは決して生来の極悪人でもないし、明確な意図や理由があってシルビアを死なせてしまったわけではないことは、本作の展開を見た上でシルビアが息をせず冷たくなってしまった時の反応を見ればよくわかる。こういう場合に「ガートルード及びその子供達もある意味被害者である」と言えるほど俺は人間を信用していないし、結果から逆算すると断罪されるのは当然なのだが、様々な要因が重なって発生してしまった過程を見ると正直なところかわいそうな気もする。これがいわゆる虐待殺人の心理パターンかどうかは、時代や思想の背景があるしそもそも他人の子供に対してのものだからよくわからないが、現代に起こっている老老介護疲れでの殺人や無理心中に近い心理状態にも感じられる。

よってこの事件は以下の要因が重なって起きてしまった事になる。
・ガートルード及びその子供達が強烈に馬鹿であった。
・馬鹿のくせに(馬鹿だからか?)キリスト教には従順であった。
・そういう馬鹿に騙され他人に我が子を預けてしまった。
・シルビア及びジェニーが優しい子であった。
・最後に時代と生活環境。

また子供達には「服従の心理」の典型的なパターンが見られる。ミルグラムやジンバルドの監獄実験も恐らく同時代だったではなかろうか。子供達の行動の責任は唯一の支配者であるガートルードへと環流されるため、理性の歯止めが利かず、また集団で行うことでの同調・範囲の拡大・その場での責任の拡散も生じてしまい、本作のように悲惨な結果につながる。証言台で語ったそれぞれの口が言ったように、行為そのものは母親の指示であり、なぜそうしたか・できたのかは一様にわからないのである。この「わからない」というのがまさにキモ、理由が無いから制限も無いという心理構造は、こういうプリミティブな状況を客観視すると恐ろしさが際立つ。

作品としての評価だが、この見終わった後の胸クソ悪さはどうしても拭いきれない一方で、事件の心理や思考プロセスも理解できるため、例えば単純に「なんでシルビア警察とか児童相談所的なやつに逃げね~んだよ!馬鹿かお前は!自業自得じゃ!」と憤慨することもできず、そういう意味での理不尽さも無いわけで(さらに実話ベースだし)、結果個人的な八つ当たりとしてこの評価にした。作品自体は非常に興味深い内容だった。


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