ヴィンセントとジュイスは、マセールスをボスとするギャングの一員。マセールスから命じられ、あるスーツケースを取りに行くのだが、その間に起こる、またその後に起こるギャングの非日常風景を、時間軸をずらすことで、短編映画のおもしろさと同時に、各シリーズの顛末を強烈に印象付け、結局はすべてが一つに繋がる手法はこの映画ならでは。
クエンティン・タランティーノ監督作品第二弾。まず感じるのはその圧倒的スピード感。これは「鮫肌男と桃尻女」にも通じる、映画全体を通じてのスピード感だ(どっちがどっちに影響したかと言えば、まあ作られた年から考えるとパルプが先)。結末を早く知りたいというものでなく、映画の展開が絶妙でそれに酔ってしまってあっという間に終わってしまう。150分が短く感じるんだから凄い。
印象的なのは、殺しのやり方が色々あってその間をどうしようもない理屈と「ファック」の連呼で埋めてあるというタランティーノ流の面白さ。例えばチーズバーガーのヤツには仕事の殺し、カマ掘り野郎には怒りの殺し、ブッチは衝動の殺し、ヴィンセントは間違って殺し、そしてジュイスが行き着いたのは殺さない。その間にメタクソな雑談を交わし、気の利いたセリフがある。実はそれが一番大事だっちゅうぐらいにどうでもいい会話はあちこちにある。
殺す前に話して聞かせるという聖書の一節、要は「正しい行いをしようとする者を邪魔するヤツには懲罰的な制裁を課しても構わない、むしろそうすることが神の意思である」ということだが、自分が神懸かり的に死を免れると、神の存在を近くに感じたとかって急に殺しをやめてしまう。
この映画の中の人間にとって殺すなんて屁でもないことなんである。だから間違って殺したり、急に殺すのやめたり、またクソが終わってトイレから出たら殺された、なんてマヌケな死に方をする。
ギャング映画で重要なファクターである銃殺しが結構いい加減に扱われ、ヤク中を介抱したり、脳ミソをふいたり、バレーボールの格好をしているのが妙におかしい。なんだか日常のギャングとは違う、変な感じの奴らなんである。一番強くてかっこいいはずのボスが掘られるし。
一見非日常的光景に見えるこの話も最も日常的なギャングの光景で、どうしようもない仕事で気疲れしたり、突然神に目覚めるのもギャング的な格好良さの裏っ返しの格好良さ、「格好良いことはなんて格好悪いんだろう」の裏返しの格好良さのような格好良さをジュイスやヴィンセントに感じずにはいられない。
初見の衝撃はでかいと思います。是非見ることをお勧めします。