チャウシェスク 1918-1989

冷戦時代のルーマニアを独裁政権によって支配していたニコラエ・チェウシェスク。

貧しい生まれ



働けど働けど変わらん



なんかむかつく



15歳で共産党入党



内部権力闘争に勝利(ここはチャウシェスクの才能に依るものが大きいらしい)



47歳で政権樹立



当初はリベラルな独裁で諸外国からも好評

1968年 ソビエトのチェコ軍事介入を強く批判 など



あれ 俺人気あんじゃねえの



勘違い開始



1971年 中国・北朝鮮を訪問 (これがマズかった・・・。)



覚醒

また妻エレナ・チャウシェスクも増長 政治に介入する



急激に圧政に転換 そこら中に肖像画・情報操作など



秘密警察による言論弾圧 虐殺



私腹は肥やします



1989年 ベルリンの壁



ついでに ルーマニアで革命勃発

勃発後一週間でチャウシェスク夫妻は拘束され即席裁判で即死刑

これが東欧唯一の流血革命となった

なおエレナ・チャウシェスクは文盲のくせに独裁的立場を利用して国内の科学者を利用したでっち上げ科学文献を残している。

つーかアマゾンでまさかなと思って調べたらあった

イソプレンの立体特異性重合

チャウシェスク政権樹立から、共産主義終焉に伴う革命まで、一番のハイライトは当初の政策方針が大衆・国際情勢に支持されたのを独裁者があらぬ方向に勘違いした、またその勘違いを指摘する者がいなかったという、独裁者にありがちな落ち度である。89年の革命の最中、本人はイランとの通商条約締結のために国外にいて、その間側近からは革命の事実は知らされず、帰国後あわてて福祉拡充を訴える様は象徴的。

当初支持されていた独裁政権が最終的に革命によって倒された原因は

1 政権側がかなりむちゃくちゃなことをやらかした

例 区画整理との名目で強制的に市民の家をぶっ壊し、そこに集合住宅を建設、管理をもくろむ

2 政権側と大衆の経済格差が顕著

例 チャウシェスク宮殿

3 概ね保守的で諦観を得意技とする「大衆」を突き動かす何かがあった

例 ベルリンの壁がぶっ壊された

現在国際問題となっている独裁国家 イラク・北朝鮮が今後どうなるかはわからんが、少なくとも現在内からの革命が起こっていないし起こせない状況を作っている独裁者はうまいことやってる。チャウシェスクとの一番の違いは、政権内部に入れば豊かな生活を送れるんだぜというシグナルを暗に送りつつ、それが保たれなければ破綻してしまうジレンマのような感覚を与えているのが奏功しているのかもしれない。

と、チャウシェスクから現在のイラク・北朝鮮を見てみようかと思ったがまだ思慮がたりんしよくわかってない部分も多い。今回のイラク戦争に対してもしかり。それでもこういうものを形に残しておくことは、やがて過去の思いを見るという意味では至極個人的に意義があると思いそのまま残した。

でさっき明和の社長が何気なくチューハイのCMにでていたが本人だろうか。

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