人類の歴史は戦争の歴史であるが、それを包囲攻撃の変化から見るとおもしろい。
そもそも単なる縄張り争いであった人と人の戦いが、居を構えそれが発展し、城と城(実際には人と城)の争いへと変化していった。これが包囲攻撃用兵器の登場の序である。
初期の包囲攻撃用兵器は、そういった人と城の争いで人の攻撃をサポートする役目であった。それは城側の兵士を投擲で牽制したり城を攻める兵士を遠目から攻撃するためである。
そして城や砦が強固なものとなり、最早人に破れなくなった時には包囲攻撃用兵器と城の城壁の厚さの戦いと変化する。この段階ではこれまで圧倒的に有利であった城側の兵士も包囲攻撃用兵器の進化でその優位性もなくなった。たとえば弩や梯子車の登場である。
この頃の包囲攻撃用兵器は、主に てこの原理や張力を利用したエネルギーの反動を用いた投擲兵器であった。
次に10世紀ごろ火薬が登場しこれを利用した包囲攻撃用兵器が生み出された。後の大砲である。初期の大砲は命中率も射程距離も投擲兵器に及ばず、どちらかといえば威嚇目的の武器であり、16世紀頃まで主流は未だ投擲兵器だった。
大砲が攻城戦の主役となった近世頃、城や砦もこれまでのような城壁重視から変化せざるを得なくなった。この頃の大砲の命中率や破壊力を考慮すると城壁自体は最早意味をなさず、それ以上にどれほど敵に対し大砲攻撃ができるかが重要となったのである。これにより城の形態も高く厚くから低く多くへ変化していった。
そして19世紀から20世紀初頭、主役となったのは戦車である。戦車は城壁の重厚さと大砲の攻撃力を併せ持った包囲攻撃用兵器として一気に普及した。このため戦争の形態も城での攻防より地上戦でどれほど優位に立ったかが戦局を左右する要因となった。地上戦における砦はこれまでのような城壁型ではなく、地上戦の塹壕型へと変化していったのである。
現代ではGPSを利用した巡航ミサイルが包囲攻撃用兵器の流れをくんでいるとされるが、これはあまりにも射程距離や命中率が高精度であるから、保有による威嚇の側面が強い。
このように包囲攻撃用兵器の歴史は
投擲兵器→大砲→戦車→巡航ミサイル→かぼちゃ投げ選手権
戦争形態の歴史は
人と人→人と城→道具と城→道具と道具→道具による威嚇
へと変化していった。これは他の兵器についても言えるのかもしれないが、包囲攻撃用兵器はいつの時代も戦いにおける主要な武器として活躍したのであるから、その変化とともに考察してみるのもおもしろいのである。