クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶモーレツ!オトナ帝国の逆襲 ★★★★☆

ノスタルジーの世界にどっぷり浸かってしまった大人達を救うため子供が奮闘する話。
まず前置きなんだけど、俺は「クレヨンしんちゃん」をこれまで見たことはなかった。何曜日かの6-7時ぐらいにテレビ放送があることも知っているし、アクションで連載されている(されていた)ことも知っている。ただ、知っているだけで見たことはない。かといって毛嫌いしているわけではない。特段興味がないから見てないだけです。
ではなぜわざわざこの劇場版アニメを見たのかというと、色んな雑誌やインターネット上の口コミなどでこの映画が「ふつうに見ておもろい」という感想を散見したからで、その点期待度は見る前から大きかった。
感想の中では特に子持ちの30代・40代と思しき人々から概ね好評で、それは本作のテーマが簡単に言えば「家族・人として生きること」といった人生を重ねることで深くなるものだから、それが恐らく「クレヨンしんちゃん」を見たい子供を映画館へと連れて行く、あるいはビデオやDVDとして購入したりレンタルする当該子持ちの親に対して直球ド真ん中で放られるからなのだろう。
要するに一般を対象とした宮崎アニメ以外の、東映まんがまつりとかアニメ映画の想定観客はまず子供、基本的にこういう場合それに付帯する親の存在はツモ即切りなんだけど、本作の場合その付帯する親の方に重点を置いている。それは子供が絶対わからない街の風景やオート三輪などなど、「昔」というのが説明なしに配置してあることからも見て取れる。
たとえばしんちゃんの父親が自分の靴の臭いを嗅いで現実に戻ってくる、まさにその時に自分の人生を振り返っていった部分では、多くの大きいおともだちが自分の人生と重ね合わせ、最後のしんちゃんの言葉に己を省みたことだろう。だからして、人によってはもんのすごく深遠で壮大な、未来と過去と人間の想いというのを感じまくるのだろうな。
ただ俺はそこで制作者側の意図を猛烈に感じたので、あまり乗り気にはなれなかった。むしろ一応子供がいて、一緒に子供映画をサラッと見に行くぐらいの家庭がある親というポジションならば意図が見えても感ずるものがあるかもしれん。その点自分は若すぎた。この映画のノスタルジーが醸成されているほど年を重ねている訳でもなく、かといってテーマがわからない訳ではない中途半端な年、そこはこの映画の適正年齢に合っていない。俺にとって高橋名人ぐらいがド真ん中のノスタルジーであって、60年代・70年代は通過していない、未知のものなのだから。
それより最後の歌で高校の頃の弁当を思い出し、ちょっと感動してしまった。このへんが若さ故の過ちだな。

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