女囚さそり 701号怨み節 ★★☆☆☆

逃げたり捕まったりする話。

「女囚さそり」シリーズ四作目。事実上のシリーズ最終作(この後も「女囚さそり」名義でいくつか作られているが、梶芽衣子主演の作品はこれが最後)にしては、というかそれがため最後になったのか、尻すぼみの終幕であった。テンションも緊張感もなく、ただ陰々滅々とした逃亡劇が繰り広げられるのみで、一言で言うと退屈この上ない。

これにはいくつか理由がありそうだ。一番大きいのが監督の交代だろう。1-3作目は伊藤俊也という監督の作品で、「女囚さそり」シリーズがほとんどデビュー作なのもあって、そのテンションと緊張感は作を重ねるごとにエスカレートし、作品ファンの期待に見事応えていた。監督交代は作風に大きく影響し、交代した監督がそれまでの流れを引き継げないまま、なんとなく雰囲気だけで描こうとするのにそもそも無理はあった。

二つ目に、本作も二作目の「女囚さそり 第41雑居房」同様1973年の”お正月映画”である。シリーズも四作目と言うことで、固定ファンも相当数見込まれ、想像の域を出ないが、興行収入面での期待も大きかったと思われる。これも監督交代の遠因にもなっているかもしれない。そういう事情もあってか、本作には田村正和と細川俊之という、当時の期待の若手俳優クラスが主役級の共演者として名を連ねている。二人はその後順調に日本を代表する俳優となった。

だがむしろ、「女囚さそり」シリーズのB級エログロアクションにとって、ビッグネーム二人は大きな重荷となった。スターゆえ、あまりにエログロい事はできないのだ。さらにそれぞれに見せ場を設けねばならず、結果的にさそりの魅力一本で押し切っていたシリーズの色は薄れ、単なる暗い逃亡アクションになってしまった。

その点、今更ながら室田日出男や小松方正の使い勝手の良さというか、メタクソに雑に扱われるが存在感ばっちりみたいな俳優のコスパの良さがよくわかる。さそりの魅力を決して損なわないが、重要なシーンでは爪痕を残す感じ、スターが必ずしも必要なわけではない、適材適所とはまさにこれである。

三つ目、過激なエログロ路線を捨ててストーリー性を重視した結果、さそりの魅力が激減してしまった。さそりは目力勝負、語らずとも伝わる魅力・勢いがあった。本作では田村正和演ずる元セクトの反権分子のサイドストーリーとつじつまを合わせるため、ラストにさそりらしさが無くなっている。「あなたの中の私を殺した」なんて殺される方にしたら良い迷惑だし、そもそもさそりには殺しの理由など語って欲しくない。語るなら目力のみ使って欲しかった。

以上、監督交代・スター俳優とのバランス・さそりらしさの減衰と、最終作にはなるべくしてなったのだなと感じられる、よいシリーズ物の最後にしては少し残念な作品となった。ただ1-3作に関しては、特に70年代B級アクション好きなら間違いなくオススメできる。同時代の作品群の中でもテンションと緊張感は抜群に高い。

女囚さそり けもの部屋 ★★★☆☆

殺人指名手配中のさそりが逃げ回る話。

「女囚さそり」シリーズ三作目。映画が始まってわずか2分、オープニングクレジット前に、刑事の片腕が庖丁でぶった斬られ!、その腕に手錠で繋がれたさそりが、斬った腕をブラブラさせたまま東京市街地をウロウロするという、おなじみのハイテンションぶりでいきなり度肝抜かれる。ただしもう三作目、”さそり慣れ”しているのでこの程度では物足りない。「おお、今作もこの路線で行くんだな!」みたいな、逆にこちらの期待感が増幅されるプラス材料に働く。片腕がぶった斬られるような、フィクションと分かっていても目を背けたくなるようなシーンが、むしろ好意を持って受け入れられるのが「女囚さそり」シリーズである。

前作までは基本的に女囚としての話で、女性刑務所の内側での出来事だったのが、本作は脱獄後一般社会に身を潜めるさそりの姿を描いている。そのため刑務所と違って街には(特に都会には)エロがはびこっているので、グロ要素よりエロ要素の方が強くなっている。刑務所内では強姦ワンパターンだったのが、売春・近親相姦・マッチ売り・堕胎など、今回はコッチ方面でやりたい放題やっている。

それにより、同じシリーズでも映画全体の雰囲気が微妙に変化した。グロの場合、殺し方や死に方で派手に見せることにより”陽”の要素もあったんだが、エロの場合、そもそも秘め事と形容するような性質のものであり、かつそれに輪をかけてアブノーマルな状況を扱っているので”陽”の要素は全く無い。今回の「女囚さそり」は激しく陰鬱である。同じ劇薬でもアッパー系のヒロポンがダウナー系のヘロインに変わった感じだ。

常に追われているという感覚もあり、緊張感を維持しているさそりの表情が素晴らしい。弛緩しているシーンはほとんどなく、唯一心を許したユキや堕胎施術の上放置されて死んでしまった女の復讐を決意する後半からは、積極的に動いて女アサシンのような雰囲気も醸し出しまた魅力増幅、ラストすべてまとめてケリをつけるシーンは前衛的でもあり、多様な印象が楽しめる作品だった。

これでも前作から8ヶ月後だからなあ。昔のアクション映画すげえ。

女囚さそり 第41雑居房 ★★★☆☆

女性刑務所の女達が脱獄する話。

「女囚さそり」シリーズ二作目。一作目を見たおかげで「見る前の心構え」は出来ていたので、作品のテンションにはなんとかついていけた。ただ本作にはさそり以上の怪物、何だかよく分からないが狂気のババアが登場し(自分で自分の腹を刺して胎児を殺すという、とんでもないアレな人)、こちらの想定をさらに凌駕する演出は素晴らしい。反面、ちょっと行きすぎというか最早悪ノリ、演出というより趣味、な過剰さも感じられ、その劇薬っぷりは同年代のB級アクション映画の中でも屈指の凶悪さだ。

Wikipediaで調べてさらにびっくりしたのは、一作目「女囚701号 さそり」が公開されてからわずか4ヶ月後にこの二作目が公開されている。つまり本作は文字通り「テンションのみ」で制作されている。しかも、これも驚きだが、公開日が1972年12月30日、”東映のお正月映画”てんだからあの時代の異様さがよくわかる。おとそ気分という言葉から察せられるように、お正月映画は軽い気持ちで(家族や友人と連れだって)サクッと見られるのが通例であり、それでも昔はこんなきちがい道まっしぐらなバイオレンスアクションをぶっ込めたのだから凄い。レイプ・拷問・強姦自慢(クーニャンを強引に云々という話はあの時代でもアウトな気がする)・チンポの歌・リンチ殺人・恥辱殺人、等なんでもありで、これがどう正月に見られたのか、非常に気になる。

内容はハッキリ言って薄い。きちんと編集すれば削れる部分を、何かしらんがわざとスローモーション使ったり(尺稼ぎか?)、逆に前後のつながりを無視した編集をしたりと、これもやりたい放題やっている。趣味と書いたのはその辺だ。悪ノリとテンポの悪さで冗長に感じるシーンも少なくない。例えば姥捨てのばあさんが呪いをかけるようなシーン(なんというシーンだ)、ストーリーとは何も関係無い。クライマックス刑務所長の処刑シーン、車につっこむ死体が明らかに人形(ビニール人形?)なのは良いとして(本作ではこんなもんは最早”ツッコミどころ”ですらない)、さそりが何遍も刺したり斬ったりしてるのに全然死なない。おまけのラストは、女囚全員で明日に向かって走るという妄想全開な趣味もあり、再度書くがこれが正月映画というのがびっくりする。

そしてさそりの無言の存在感(本作の梶芽衣子は特別かっこいい)と双璧をなす、狂気のババアの暴れぶりも面白かった。さそりの妖艶な美しさとは真逆の憎々しさがよく出ていて、本作のテンションを最後まで保てた功労者だろう。演じた白石加代子という女優さん、その後舞台を中心に活躍し(狂気の女優というのがキャッチフレーズらしい。さすが。)、近年紫綬褒章まで受章されている。白石加代子さんきっかけで本作を見た人も、この狂気には満足出来たのではなかろうか。いや期待に違わぬきちがい映画だった。

女囚701号 さそり ★★★☆☆

騙されていけにえにされた女が女性刑務所で頑張る話。

「女囚さそり」シリーズ一作目。これはちょっと、どこから書けばいいかよくわからない。うーん、、弱った。昔日本ではこのような作品が作られ、作られただけでなく、そこそこ受けてシリーズ化できてしまったという、どうも・・・・・、色んな意味でショックがでかい。

今まで見てきた70年代日本のアクション映画は、勢いある当時の雰囲気を反映しているものとして、好意的に解釈できた。例えばよくあるのが、斬られて血がありえないほどドバーッと吹き出す描写、「あーこういうの、やっててテンション上がるんだろうなあ」と、制作者の心境が想像できる。本作ではそれがまるで無い。「これ何のやつだよ!!!」と思うシーンがあまりに多く、ノリが不可解すぎて、比較的こういうのに寛容な俺でも受け入れるのがしんどかった。

要は「ツッコミどころ満載」という一言で片付けてもいいわけだが、一応こちとら「70年代日本のアクション映画」という大きな器の一作品として位置づけながら見ているわけで、そうした視点からはどうしても不可解さを「ツッコミいれて瞬間的に処理する」ではなく「解釈」したくなる。そういう意味で、あまりに謎が多すぎて処理に困り、冒頭の「うーん、、弱った。」という状態になっている。

そしてさらに悩まされるのが、これも重複するが「そこそこ受けてシリーズ化できてしまった」という事実である。当時映画館で見た人は本作の「これ何のやつだよ!!!」をどう処理したんだろうか。例えば風呂場での格闘シーン、怒りに震えた女が突如お化けのようなメイクを施しガラスの切れっ端を持ってさそりに突撃、それが教官の目に突き刺さり!、その教官は目に突き刺さったまま特に動じず女を絞め殺す!という非常に不可解なシーン、通常あんなのは笑い飛ばして処理するしかない。俺が気になったのは制作者がどういう意図でこういう演出をしたのかである。笑って瞬間的に処理するにはあまりにもったいない、本作特有の魅力があるのは間違いないんだが、それが多すぎてもてあます感じだ。

ベースはB級定番のエログロナンセンスで、おっぱいは何の前置きもなく当然のように登場する(本作では梶芽衣子のおっぱいも登場)。女性刑務所が舞台と言うこともあり、おっぱいがそこかしこに偏在するので、それが特別な事ではなくなっている。通常、おっぱいは作品のハイライトになりうるポテンシャルを秘めているが、本作では「日常の風景」なのである。これも全体の異様さに繋がっているのかもしれない。

で結局俺自身、笑って処理するしかなかったんだが、見た後ちょっともったいない気になってこういう感想になった。もし丹念に見る気力があれば、何度も見てその魅力を確かめた方が良いだろう。俺は無理だ。評価はB級最高の★3。