複数の人種が混在し互いに対立状態のクラスを担当した新米女教師の話。
ハリウッド映画は大小なりとも”アメリカ”そのものを全世界に印象づける、コマーシャル的要素も含まれているだろうから、映画冒頭で描かれたまさに戦争状態の町はあまりに生々しく衝撃を受けた。制作年は前後するが、同じようにリアリティを意識したイーストウッドの「グラン・トリノ」でさえ、本作を観ると「ああ多少はソフトに描かれてるんだな」と思えてくる。本作で描かれたロングビーチの状況は、実話ベースであることや、描写の温度の親近感から考えても、かなり実際の状況に近いのではないかと思われる。正直な感想だが、冒頭を見てこれが日常ならアメリカには行きたくないと思った。
島国・単一民族の日本人が、日本でリアルに人種差別を感じるのは困難だ。これは他の差別、例えば障害者や能力の優劣・単なるいじめなどと置き換えるのは困難な種類の差別である。なんせその根底にあるのは、単純に言うと「顔の色や髪質が違うから」敵であり、「近いから」味方であるというものだからだ。理由は明確だが決して解消される事はなく、実際には無いのと同じだ。
アメリカは人種のるつぼ・多民族国家で、先住民族(ネイティヴ・アメリカン)を駆逐した白人(ホワイト)・奴隷の子孫である黒人(アフリカン)・南米から移って来たラテン系(ヒスパニック)・アジアからの移民であるアジア系(チャイナ・アジア)が混在している。この分類もかなり大雑把なもので、例えば同じホワイトでもアングロサクソン・ゲルマン/ケルト/スラヴ/ユダヤなどルーツによって別れるし、多人種混血もいる。この分類こそが言わばアメリカ建国以来の闘争の歴史であり、その歴史は今もなお、子供のけんか(と言うには死人が出たり規模が凄いが)にまで落とし込められているというわけだ。
だから映画を観ていくうちに段々と理解できたことは、本作が描いた子供達は不良のおちこぼれでは無いという点である。もちろんグレードの低いクラスの話なので、勉強は出来ない子ばかりだが、それも人種に由来する家庭環境の悪さで、単に適切な教育を受けていないから現状出来ないだけだ。外面は悪そうに見えても教育に対する好奇心は、初めてに近く学ぶことの面白さを知ったため旺盛であり、よって吸収も早い。なにしろ素直である。ここらへんが所謂「不良」とは違う。彼らは彼らのポジションを保つため、訳の分からない敵と、訳も分からず闘っているだけであり、「そうするのが正しい」と教育されたので否応なく闘わざるを得ないのである。
従って、本作からは「不良が更正して立派になりました」系の熱血青春映画のような薄っぺらい印象ではなく、もっと根深い、アメリカが抱える社会問題も含めた描写が根底にあるので、ドラマとして非常に重厚である。であるからこそ、通り一遍の恋人とのフィクション的描写パートが異様に軽く、ハッキリ言って邪魔で箸休めにもならない。いやもちろん実話ベースだから実際ミスGがあまりに教育熱心で夫が愛想を尽かして離婚したのかもしれないが、正直映画のメインテーマとはなんも関係がないし、この恋人との離別の件だけ本当に不要だった。
人種間の対立を解消させる手段として、ミスGはユダヤのホロコーストを生徒に教えることから始めた。そもそも「ホロコースト」という言葉を知っているのが白人の子一人だけというのも、あのシーンだけでも教育の重要性を痛感させられる。知らなければ何にも始まらない。知らなければ分からないし、理解もできない。これは本作のテーマと共通する。
今日本でも適切な教育を受けていない(ただし日本の場合人種的要因ではもちろんなく、単に本人の資質による部分が大きい)子供達の中に、WWIIはもちろん原爆が広島・長崎に落とされた事を知らない子もいるという。教育も、高度になればなるほど当然専門的になり、知識の前提は増えて、より狭小化していく。これはこれで必要だが、その前に「知ってて当然」をまさにその状態にする教育、この大切さを感じさせられた作品だった。