肉体の門(1988) ★★★☆☆

戦後まもなくの東京、米兵相手に体を売るパンスケ達の話。

映画とは関係ないが、「パンスケ」という言葉の響きが好きだ。「売春婦」では重たいじっとりしたイメージがあるし、「売女(ばいた)」は蔑んだ印象があるし、他「淫売」「立ちんぼ」「街娼」「夜鷹」「パンパン」「P」「肉便器」「公衆便所」など、まあ我ながらよくこんな破廉恥な言葉を知ってると思うが、これらの中でも「パンスケ」はライトな感じで語感が良い。

今回は監督の違う「肉体の門」を2作続けて見た。最初は1988年、五社英雄監督作品から。

「吉原炎上」「226」の間に作られた作品と言うことで、作風はその2作に非常によく似ている。大袈裟な演出で、映像のインパクト重視つーか、おっぱい重視の描写が多い。主役級の俳優は前年の「吉原炎上」とほぼ同じで、おっぱい描写OKのかたせ梨乃・名取裕子・西川峰子が、吉原の花魁から戦後のパンスケに変わっただけだ。つーかひょっとすると、「吉原炎上」がそこそこヒットして、その要因を分析したところ「例の、女のおっぱいである」とわかり、おっぱいありきの原作を探していたら、たまたま「肉体の門」を見つけたのかもしれない。内容よりもまずおっぱいというわけだ。

うん、こう考えた方が色々合点がいく。次の感想で書く鈴木清順監督作品と比べると、鈴木版が文学的な印象を受けるのに対して、五社版は正直、不発弾とおっぱい、それからこれも吉原炎上で使われていたが、最後の口に爆風が入ってグワーってなるやつぐらいしか印象にない。女の喧嘩シーンとか、なんかよくわからん意気投合のダンスシーンは見てられないという意味で印象に残ってるが、一つの作品として果たして何を描きたかったのかはよくわからなかった。

そこでおっぱいである。女優の名をもって、大々的に公開される映画作品でおっぱいを見せても構わない女優さんがいて、しかも前述の三人のような名の知れた面々であるならば、これはもう「テーマ:おっぱい」で十分説得力がある。こんなにおっぱいと書いたのは初めてだ。

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