新・仁義なき戦い 組長最後の日 ★★★☆☆

戦後まもなくの北九州・小倉、なんとか組のなんとかの一人の戦い。

新編PART3はPART2路線を踏襲し、その後のVシネマヤクザ映画で描かれるような、典型的なヒーローヤクザ像のキャラクターを菅原文太が演じているだけである。アクションヤクザ映画であり、さらに舞台も広島ではなく小倉、なんとか(見終わってすぐ名前も忘れるぐらいキャラに魅力が無い)が属するなんとか組(同左)と対立するなんとか組2も、文太を引き立たせるための舞台設定に過ぎない。新編とはいえ深作仁義はこれで完結するのだが、これはこれである意味自らとどめを刺した(ヤクザ映画だけに)とも取れるのではなかろうか。

こうして見ると、山守や、槇原・旭・江田らがいてこその広能であり仁義であったとよくよく思い知らされる。まあなにしろこれでシリーズは終了、全体を含めてこの評価としておこう。

新・仁義なき戦い 組長の首 ★★★☆☆

戦後まもなくの広島、流れ者黒田と大和田組の争い。

新編PART2はこれまでの流れと大きく異なり、あたかも本編PART2が山中と勝利の人物描写中心だったかのように、流れ者黒田が中心に描かれている。ヤクザの組織としての変化やそれに関わる人々の心理を描くのが仁義シリーズの、単なるアクションヤクザ映画と一線を画する要素だったように思うが、本作は「仁義」の名を借りたアクションヤクザ映画である。

したがってこれまでとは違い、正直見るべき部分があまりない。黒田をはじめその舎弟・ポン中の男・二代目を狙う相原・梶芽衣子やひし美ゆり子の愛人に至るまでことごとく漫画のように記号化された、キャラクターとしてのデフォルメが完結しており人間味が無い。その昔「○暴株式会社」というとても面白いヤクザ漫画があったが、キャラの造形はまさしくあの漫画のように単純でわかりやすく、まあ見ていてつまらないということはない。

ただ「仁義」シリーズにそれを求めている人は少ないのではなかろうか。本編5部作が完結し、次の「新・仁義なき戦い」を新路線でやってみたところ興行収入が思わしくなく、PART2でアクション路線に変更ということなんだろうか。個人的にはこれも新シリーズとして前回となんらかのつながりがあるかと思っていたので拍子抜けだった。さて一応深作作品としての「仁義」は次で最後になるわけだが、この流れだとどういう作風なのか全く読めない。いっそ広能も前の三好も黒田も復活して、もちろん山守・若杉の兄貴・旭・槇原・江田とかもう全員復活して、ドバーッとやりゃいいんでないの。

ただ良かったところ、まず三上寛が黒田の舎弟2として、バランス・オブ・パワーを崩す殺人を犯すという重要な役に抜擢されており、しかも「仁義」シリーズのテイストでは有り得ない、およそ三上らしくない歌まで歌わされて、なぜ三上寛なのか死ぬまでわからなかった。それと当時20代後半と思われるひし美ゆり子、これについては容姿もおっぱいも全て現代でも通用する。誘い方はいかにも漫画だったが。

新・仁義なき戦い ★★★★★

戦後まもなくの広島、山守組内部の争い。

本編PART1 – PART5は5部作として完結し、本作から新たなシリーズとして結局PART3まで作られた。本編からの共通点は山守組長夫婦のみであり、広能昌三以下本編に登場したキャラクターは一人もでない。ただ時代は遡り戦後まもなくからストーリーは始まるので、俺のようにタイトルだけでなんの情報もなく見ると少しわかりにくい。山守=金子信雄はあまりにキャラが強く(本編中恐らく最も、広能よりもキャラが強い)、本編とは別物である事を明示するために、別キャストに変えた方がわかりやすかった。

本編との方向性の違いは、主役である菅原文太の役柄でよくわかる。本編における広能昌三は、ヤクザ者としてのカタギでない極道精神・スジをきっちり通すことを何よりも重んじ、その点で情に厚く見る側も感情移入しやすい、もっといえば(ヤクザ≒犯罪者であるのに)応援したくなるようなキャラクターであった。彼を通してヤクザの抗争を見るにつけ、若い連中が無意味に消費されていく現状や、ヤクザ的初心を忘れ欲や権力に突っ走る重鎮連中のあがきぶりに、ニヒルな社会を投影していたのが本編5部作である。

一方今作から続く新編3部作における三好万亀夫は、スジは通すものの欲もあるし権力も望んでいる。利用できる状況は己のメリットになるよう活用し、要領よく立ち回るのである。青木の弾避けとして連れて行った女に言った本音:
「ほいじゃわりゃなんなら!こっぱ銭で体売る朝鮮Pじゃろうがい!おう!!!!」
ここで俺は方向性の違いを強く認識した。三好は、広能ではないのであると。
※朝鮮P=朝鮮パンパン または 朝鮮prostitute と思われる

ストーリーの流れは本編5部作と変わらず、というかどんな規模であれ「戦争」が起きる時というのはそういうものなのだが、何らかのきっかけ(仁義シリーズの場合誰かの出所または死)でバランス・オブ・パワーが崩れ、また均衡状態に戻すために各自がそれぞれの思惑で動くというものである。しかし、それに関わる人間模様が、本編と新編では明らかに違っている。人によってどちらが好きかは好みの問題になるだろう。個人的には、つーかアキラが出てるし、ニヒリズムで描かれる本編至上主義者だ。

仁義なき戦い5 完結編 ★★★★★

戦後20年頃の広島、広島ヤクザを統一した天政会とそれに反発する広能昌三らの話。

PART5では、PART2で山中として散った北大路欣也が天政会理事長・松村として復活。そして松方が広能の兄弟分・市岡として三度復活。またPART1で広能と同じチンピラ連中であった伊吹吾郎が広能組若頭・氏家として復活。まだいる復活、PART2で爆弾小僧として暴れ回った大友勝利が広島の重鎮として復活、でもなぜか千葉真一でなく宍戸錠に変更されている。

ついに本編の完結、PART1からしぶとく生き残った槇原が死ぬシーンは逆になんか感慨深いもんがあった。PART2からの江田もここで死亡。二人とも、名も無きチンピラに無碍に殺されるというのがいかにもこのシリーズらしくていいではないか。山守のオヤジ・おかあちゃんはまだしぶとく生きてます。

今回もまたまたPART3からのそのまんま続き、パワーポリティクスの世代交代が敢行される。シリーズ通してみるとかなり良い作品だった。広能さんおつかれさまでした。

ミーハー目線:最後までアキラは最強であった。

仁義なき戦い4 頂上作戦 ★★★★★

戦後戦後15年頃の広島、明石組+打本組+広能昌三 VS 神和会+早川組+山守組の争い最終戦。

PART4で松方が岡島組の若頭・藤田として復活。ついでに岡島組組長を演じた小池朝雄だとか、端役でころころ変わっている川谷拓三も度々復活している。

実質PART3のそのまんま続きとして描かれている作品。チンコロされた広能逮捕によりバランス・オブ・パワーが崩れ、堰を切ったように状況が激変していく様はまさに政治的で面白い。こういうのを見ると、いかに映画的に脚色されたストーリーがあるとは言え、現実の戦争に至る国同士の政治圧力や外交姿勢と通ずるものはあるように感じられる。

そしてついに暴力を凌ぐ国家暴力・警察が介入。戦前・戦後と必要悪的に有効利用されてきたやくざ連中も、組織が大きくなり影響が増すことで排除されていくのである。かつての博徒・テキヤはいなくなり、彼らは暴力団となったのが仇となったのだろう。この一連のやくざ潰しは、その筋の専門家である宮崎学も指摘する所である。

ミーハー目線:ここに来てアキラの最強さがついに最強になる。アキラ・文太・梅辰・松方の啖呵切りがかっこよすぎてたまらん。アキラと文太だけで構成されるラストシーンは最高。

仁義なき戦い3 代理戦争 ★★★★★

戦後15年頃の広島呉、山守組と結託した打本組に反発した広能昌三らの話。

PART3でついに旭が登場。そして梅辰が明石組の広島担当・岩井として復活。

シリーズ中ストーリー的見応えでは恐らく最高の作品。代理戦争の名の通り、上の連中の思惑が交錯する中で、若い連中が無碍に消耗されていくストーリーは、現実のパワーポリティクスさながらで、各自の身の置き方が様々に移り変わるのが醍醐味だ。ここにきてようやく広能が中心に描かれるようになったが、今回もやはり彼の一本気なスジ重視の考え方は受け入れられず、欲や権力によって次第に追い込まれるのがせづねえ。

山守のオヤジはPART3にしてそのキャラクターを見事に掴みきり、槇原は相変わらずヘタレており、槇原よりヘタレな打本、江田と松永の言うだけ番長ぶりもお見事、唯一広能の味方になるのか・・・?と思われた旭ですら、結局バランス・オブ・パワー重視の政治的配慮で大きな流れに飲み込まれてしまった。孤立する広能を助けたのはPART1に続きまたもや梅辰、ただし若杉からの復活で明石組の岩井としての立場からである。従って、若杉のような純粋な任侠道的発想ではなく、あくまで明石組の広島進出という政治的な力が作用するというのはなんとも。ここにきてヤクザ映画から暴力を背景にした政治ドラマへと、シリーズの作風を最も色濃く出している作品になっている。

ミーハー目線:アキラかっこいい!!!!アキラがセリフを言う度に心の中で「かっけー」とつぶやいていた。美空ひばりとの離婚会見で山口組三代目・田岡が同席したのはこれより前だったのだろうか、その後借金問題などでスター街道からは外れてしまったが、それでもアキラは最強クラスのスターだと今でも思う。

仁義なき戦い2 広島死闘篇 ★★★★☆

戦後まもなくの広島呉、山守組を離れた広能昌三と村岡組組員山中・大友勝利らの話。

PART2は本筋を離れ山守組の連中はあまり目立ちはしない。ただ後の重要人物となる江田(山城新伍)や松永(成田三樹夫)はここで登場する。実質、山中と勝利の物語である。

PART2にして恐らく最もカチコミシーンが多く、つーかこの頃の勝利は血の気が多すぎてなんでもかんでも当たり散らすまさに爆弾小僧な印象なんだが、室内での乱闘シーンが多いので、正直画面がぶれまくりよくわからない状況が多い。当時はこのカメラワークもかなり意識して作られていたようで、「このブレが逆に乱闘の臨場感を醸すだろうから、フィックスでなく手持ちで撮影する」ということになったのだろうか、しかもこういう撮影だとやり直しがきかず一発勝負であるため、実質どのように撮られても使わざるを得ない。要するに、見づらい。このPART2は勝利の動と山中の静の描き分けで十分魅力的だが、乱闘シーンのごちゃごちゃぶりについてだけ不自由だった。

ミーハー目線:成田三樹夫が最強すぎる。あのコブシのきいたような話し方はいつからやり始めたのだろうか。

仁義なき戦い ★★★★★

 戦後まもなくの広島、山守組組員となった広能昌三とその他の話。

急に仁義シリーズを最初から見たくなり、とりあえず本編PART5まで一気見することにした。この感想は一気見後のものであり、単体作品としてのものではない。今回はシリーズ1作目にして最高傑作、広能昌三の魅力全開なPART1。

PART1では戦後の混乱期、チンピラ連中が既存の実力者の下に連なり徒党を組んだこと、それが後の山守組結成に至った経緯から、組織が次第に大きくなるにつれて内部の権力闘争が起こる様を描いている。シリーズの主役である広能昌三は本作中で2度も刑務所に服役し、彼がいない間に山守組の上層部(かつてのチンピラ連中が規模の拡大に伴い自動的に偉くなった)に軋轢が生じて、あくまでカタギでない極道の筋を重んじる広能と、金や出世など己の欲を重視するその他の連中との葛藤が見所である。

したがって本作における広能は、演出上のコントラストをもたらす触媒のようなものであり、ストーリー上重要なキャラはまず組長・山守、兄貴分・若杉、同期の坂井・槇原・上田など、広能を時代に取り残していったり、同じ考えを抱いたりの連中が中心になる。

中でも印象深いのは山守夫婦だ。この二人は全編にわたり、ケチ・ずるい・卑怯・セコい・エロいという、人間の欲の中でも最低な種類の性格を具現化した存在であり、であるからこそ緊迫感のある本物ヤクザ連中の中では(後の打本と並び)際立つダメキャラである。またキャラとしてコミカルな山守は目立って当然だが、それに随伴しベストのタイミングでトスを送る山守の女房もえげつない。

結果ほとんどは死に、最低の組長とヘタレの槇原が生き残るというのも諸行無常な感じで良かった。槇原はなんとPART5まで生き残り、山守夫婦や大老らを除くと広能と共に残った初期メンバーということになる。

ミーハー目線:若杉の兄貴がめちゃんこ格好良い。梅辰はこれよりちょい前ぐらいに不良番長シリーズを当てており、恐らく一番良い時代に「広能と共に任侠道を追求する粋な極道者」を張れたのではなかろうか。この後アンナが誕生し羽賀健二のトラブルに巻き込まれるんだからすげえギャップだなあ。