ペテン師と詐欺師 ★★★★★

裕福な女性を詐欺して大金を得ている詐欺師と、その男に弟子入りしたペテン師の対決話。

「端的にいえば詐欺師は役者であり信頼関係など心理的な刷り込みを行うのに対し、ペテン師は口先やもっともらしい理屈を使い、損得の価値観を操って被害者に利益があるように錯誤させ、金品を騙し取る者。」 – Wikipediaより
という違いらしい。

中盤あたり、女が実は歯磨き粉会社のオーナー子女でなくミス歯磨きで、5万ドル払うと文無しになるというのが暴露されたあたりから、本筋とは別の可能性も感じられ実際その通りだったのだが、見る側の予想と実際の結果が同じだからと言って、面白さが損なわれたわけではないのが本作の出来を良く表している。ストーリーは一本道でわかりやすく、時代的にも演出は洗練されていないが、この観後感はなかなか感じることはできない。

この仕掛けというのがよく出来ていて、詐欺合戦という設定上様々な秘密や嘘が手段として用いられるのだが、これらは見る側に全て公開される。一方、メイン登場人物三人のうち男二人はそれぞれ片側(自分)の秘密や嘘についてしか知らず、女については(形式上)何も知らされていない。つまり本作の場合、序盤で情報は見る側のみに全てオープンにされるので、目的に対して使われる嘘や方便・秘密がそれぞれ一々意味を持ち、やがて目的へと収束していくので能動的にならないわけがないのである。

だから男二人が結局女にしてやられた後も、「なんでそんな簡単にひっかかるんだよ」だとか「詐欺しようとして逆にハメられて馬鹿じゃねーの」とかいう感想は一切無く、まるでスポーツの好ゲームを見た後のような、お互いの健闘を称えたいような気持ちになった。ペテン師の動と詐欺師の静が明確に使い分けられ好対照なのもわかりやすい。ハメられた後二人が「いやーすげえ女だなあ」となった後ですんなり別れるというラストでも、その潔さが落語のサゲのようで十分満足いくほどである。

ところがこれでストーリーは終わらなかった。見る側の(少なくとも俺の)予想を上回るラストにさらに満足度は高まった。潔さから一転ルパンの不二子オチのような爽快感に大満足の終幕だった。

キリング・フィールド ★★★★☆

ベトナム戦争に関連したカンボジア内戦に巻き込まれたアメリカ人記者とカンボジア人記者の話。

本作はクメール・ルージュの大虐殺と、アメリカがその原因を作ったにかかわらず放置した事、この2点を生々しく描くことで政治的なメッセージを表しているが、内容はディス・プランの物語である。欧米人ジャーナリストに囲まれて一人カンボジア人であり、時に疎外感を感じたり、また逆に仲間が出国のため奔走してくれる姿を見ていると、すんなり彼に感情移入していった。だからこそ、強制労働からの脱走~タイ脱出までの道のりは鬼気迫るものを感じ、また演出でもその流れを寸断することなく一気に見せた事が功を奏していた。

オリジナルの英語版ではどうなのかわからないが、カンボジア語に日本語字幕が表示されないのは結果的に良い効果だったと、見終わると感じる。見ている最中は「これはどんなことを言っているのだろう」と状況から推測し、時によくわからないままストーリーは進んでいくのだが、これが不安感や緊迫感を煽り映画全体を締めたように感じる。

内容やテーマはとても満足だが、音楽が良くない。記者達が病院からクメール・ルージュのアジトへ連行され、殺されるかどうかの瀬戸際にプランが命乞いをする一連のシーンにおける、なぜかやけに仰々しい音楽は全く場面と合ってなかったし、時代的にも「ランボー2」で聞いたような、「当時としては壮大だったんだろうなあ」と思うような安っぽいオーケストラ演奏も多く、とどめはラストのイマジンである。最初に書いたようにカンボジアにちょっかい出しながら、やばくなったらトンズラきめて放置したのはアメリカなのだが、それで「えんざーわーあああーうぃるびーあずわーん」はねえだろ。

ペーパー・ムーン ★★★★☆

身寄りの無くなった少女が詐欺師の男と旅する話。

ヴィム・ヴェンダースの「都会のアリス」つながりで知った作品。確かに「ダメな男と気の利いた少女」が「旅する」というのはそのまま当てはまるため、似てると言われるのもわかる。wikiを調べると両方とも1973年制作、ただし「ペーパー・ムーン」の方が公開日は早く、ヴェンダースも驚いたようだ。歴史上同じ時期に同じようなことを考えるという事はありえなくもないので、一応互いの関係は「関連性は全くない、ただし後発のヴェンダースには多少影響した」という感じになる。

というわけで、「都会のアリス」を見て良かったからそれに似ていると言われていた本作を見たので、ストーリーの骨子について言うこと無く面白い。本作で少女は男の詐欺行為に加担するようになり、その分ドラマ性も高いため娯楽作品としてはこちらがより楽しかった。展開がわかりやすく、多少御都合な部分があるが、ストーリーが良ければそれらはどうでもよくなるというのはどんな作品にも共通することだ。

印象としては「ペーパー・ムーン」は陽、「都会のアリス」は陰、になると思う。ラストシーンがそれを象徴していて、前者は二人が別離から再会しての再出発、後者は別離のための列車で余韻にふけるという違いがある。フィクションとしての見終わった後の爽快感や、「良い映画を見たなあ」と素直に感じられるのは前者だが、なんというかこう、見終わった後心の引っかかりを残すのが後者だと感じる。して俺個人としては、後者の方が好きだというのが自分自身の性格に合致してなんかこっ恥ずかしい。同年に同じテーマの作品が制作されたというのも非常に珍しいと思うので、二つ見て自分がどちらに寄ってるか認識するのも面白かった。

226 ★★★☆☆

二・二六事件の話。

二・二六事件は現役陸軍将校の内閣転覆クーデターで、主な決起者は自殺・処刑されたがその後に大きな影響を及ぼした。事態の収束のため広田内閣が新たに組閣され、その際「軍部大臣現役武官制」を復活させた。今で言うシビリアン・コントロールの放棄である。これがどのような意味かは、1年後の日中戦争突入とその後の太平洋戦争突入でよくわかる。

閣僚誅殺決行後、彼らは天皇からの追認を期待するのだが立場が弱い分なかなかそうもいかない。スローガンとして使われた「昭和維新」というのがこの事件の性格を象徴しているように感じられた。つまり彼らはかつての明治維新のような、名も無き若者が自らの意志で行動し社会を変革するという、時代がもたらすよくわからないエネルギーのようなものに憧れ、魅了され、それに陶酔したのだと思う。両者で異なるのは後ろ盾の有る無しだった。計画性の無さからも「維新」のノリでやっちゃったのは感じられる。

映画は事件発生~終わり、1936年2月26日 – 2月29日までの経過を描いていて、事件の背景や当時の状況は冒頭にナレーションによって手短に説明されるのみだ。よっていかにして彼らがクーデターを決意するほど追い込まれたのかはわからず、また陸軍内部がどういう権力闘争にあったかも、映画のみからはわからない。多少歴史を知っていれば情報としての「皇道派」と「統制派」の争いや思想的裏付けも多少わかるためなんとかなるが、映画冒頭からクーデターだと面食らう人が大半だろう。それで後半からの青年将校らの美化(なぜか家族思いを積極的に印象付ける)や死に際の潔さ、最後を「天皇陛下万歳!」で締めるあたり、若干の右翼的な臭いがしてくる。天皇を役者に演じさせないというのもその影響かもしれない。

思想的に寄っていようが個人的には「そういうもの」としてこっちで勝手に補正するので特に問題はないが、ただ歴史物として見て内容は薄い。歴史上重大な事件をタイトルにした割に、内容が将校らの事だけで軍や政治や社会全体の状況が見えないのも残念だった。見る前の期待感が大きすぎたかな。ただ一つ、ホテルを占拠した安藤大尉が言った名言「歴史は狂人が作る」はその通りだと思う。