9.11で救助活動中WTCの崩落にあい、生き埋めにされたNYPDの警察官二人とその家族の話。
見終わった率直な感想は「この映画は誰に対してどういう意図で制作されているのか」という強い疑問だ。9.11は地震や津波などの偶発的な災害ではなく明確な政治的背景を孕んでいるというのに、映画の本筋が「生き埋めにされた人の救助で感動的に仕上げる」つーのはどういうつもりなんだろうか。最後にテロップで明示されるが、死者は約2,800人、そして被災者の中で生存した者はわずかに20人、この状況で「20人の人が生き残った」という方に目を向けるような性質の事件ではないというのは、その後のアフガニスタン~イラクへの泥沼ぶりを見れば明らかなはずなんだが。
家族にしても、自分の夫が生きてるか死んでいるかすらわからない、雰囲気的には死んでいる可能性が高いという絶望的な状況、そんななかで「生きている」とわかったときに大喜びする気持ちはすごくわかるし、仮に自分が同じ立場ならばもうそりゃもう、今まで生きた中で一番嬉しいぐらいの大喜びになるだろう。「てめーさえよけりゃいいのか」その通り。当事者であれば、100%てめーさえよければいい。これは間違いないし、そこは理解できるんだよな。個人の感情の問題として。
で、それを不特定多数の人間が見ることを前提とした映画で描くって、どういう根性してんだこの制作陣は。前述の通り、ざっと生存者の140倍、この事件で図らずも死んでしまった人がいるというのに、そっちの感情を封殺し生きてる方で感動を醸し出そうとしたって、そりゃ無理な話だ。どうしたって亡くなった方の感情を慮るし、その点でも9.11は特別な出来事だ。
奇跡の救出劇ならこれでもいい。ただ「ワールド・トレード・センター」と称する以上、なんらかの主張はするべきなんだよな。映画でやるならば。救出ドキュメンタリーじゃないんだから。ドキュメンタリーだったら、当日たまたま消防署の一日を取材に来ていたフランスか何かのテレビクルーによるもの凄いリアル映像もあるしね。その点前に見たヴィム・ヴェンダースの「ランド・オブ・プレンティ」は、9.11に対する作家の主張があったし、そこで自分も考えるものがあった。これは酷すぎるよ。
月: 2007年10月
父親たちの星条旗 ★★★☆☆
1945年2月、硫黄島の戦いですり鉢山の頂上にアメリカ国旗を掲揚した兵士達の話。
上映時期は前後するが、前に見た「硫黄島からの手紙」が、日本側から見た硫黄島の戦いそのものをテーマとした、いわば戦争アクション映画だったのにたいして、こちらは硫黄島の戦い後、戦果を象徴するヒーローに奉られた兵士たちの、世論や時代に翻弄される様を描いたヒューマンドラマ映画として構成されている。そりゃあもちろんアメリカ軍の戦い方としては、1年前のノルマンディー上陸とほとんど変わらないような「力押し」、確実に総員の何割かは死ぬが確実に勝利を得られる物量作戦を選択していたので、戦争行為自体に特別際立った特徴はなかったのだろう。戦争の勝利というのが、最終的に地上部隊が進入してその地域を制圧して初めて達成されるという事は今も昔も変わらないのだが、昔の場合そのやり方があまりに残酷すぎる。
また興味深かったのは、本作では戦争とは全く関係のない形で死亡した兵士達についても描かれてあるということだ。戦争での兵士の被害の内極微少ではあるが、例えば不注意だったり、なんかのはずみで手榴弾のピンが抜けて近くにいた4~5人もろとも死んでしまったり、本作にあったようにドジな奴が海に落ちてそのまま救助しなかったり、というような本当にその戦争において全く、これっぽっちも意味のない死亡事例もあったんだろう。本人の名誉のために、それらは等しく「名誉の戦死」として伝えられたんだろうが、こういうのは見ていて戦闘での被弾による死よりもせづなさがハンパじゃない。なんなんだろうなああの人たちは。
ヒーローがプロパガンダに利用され翻弄されて自分を喪失するというプロットはたまに見るヒューマンドラマの体だ。ただし本作はそれが実話、しかも太平洋戦争末期の国債購入を呼びかけるキャンペーンの犠牲になったという、おまえそれ戦後の共産主義者との戦いを見据えた資金集めをその時点でやっとったのかという感情も相交じってしまった。日本の惨状に比べたら屁でもない悩み事だが、本人達にしてみるととても重要な事なんだろう。いや、見る順番間違えたな。「硫黄島からの手紙」のインパクトが強くて、それありきだとこっちは薄いわ。