2001年9月11日、アメリカ同時多発テロ事件でハイジャックされ、唯一目標物に激突しなかった飛行機の乗客・テロリストと、アメリカ空軍・連邦航空局(FAA)の話。
2001年9月11日(日本時間)午後10時頃、俺は実家の居間で家族と10時のニュースを見ていた。その当時10時のニュースと言えば「ニュースステーション(Nステ)」が一番人気で、実家でも通常はNステを見ていたはずなんだが、その日はどういうわけかNHKのニュース10を見ていた。で、今調べるとその日日本には大型の台風が接近しており、こういう自然災害系や選挙系のニュースのフォロー具合ではNHKに勝るものはないので意図的にNHKを見ていたのだろう。
そして突然、炎上するWTCが画面に映し出されたのである。刻々と被害が広がり、リアルタイムで見る飛行機の激突、姉か母が確か「こいは戦争たい(方言)」と言った気がする、そして最も鮮明に記憶にあるのが、激突でもWTC崩落でもなく、NHKアナウンサー堀尾が言った「これは映画ではありません。現実の映像です。」という一言だった。その後は夜明け頃まで各局をザッピングしていた記憶がある。今振り返ると、比較的映像録画が好きな俺がなぜこの事件の映像を録画しなかったのだろうか。それぐらい、衝撃がすごかったのかもしれない。以上俺9・11。
でこの9・11事件でハイジャックされた4つの飛行機のうち、2機がWTCの北棟と南棟へそれぞれ激突、1機がペンタゴンに激突、1機は地面に激突。ユナイテッド航空93便は地面に激突した飛行機で、唯一テロを遂行できなかった飛行機だとされている。本作では事件当時の朝の風景からリアルタイムで進行し、「いかにしてテロを遂行できなかったのか」という飛行機内部の描写と、突如発生した大規模なテロ攻撃に対し、政府・軍・管制塔・航空管理がどのように対処したのかを描くという、二つのシチュエーションから9・11を取り扱っている。
まずこういう映画を作る前に、(アメリカという事を勘案しても)ほぼすべての遺族や政府関係者などから映像制作に対しての同意は得たはずだろう。死者だけでも確か約3,000人、他にも現場にいて巻き込まれた人などその対象はものすごい数だったはず。その労力をもってしても尚作り上げた根性は凄い。だってこれ、日本に例えるならばオウム真理教の地下鉄サリン事件のもっとすげえやつだからなあ。サリン事件でさえ、テレビドラマで再現するのに10年かかった。この点は本当に凄い。
ただそこから先があまり無いんだよな。当然ちゃあ当然なんだが。こういう作品に映像作家の過度な主義主張は入れてはならない(この場合絶対に入れてはならない)し、しかもユナイテッド93の乗員乗客は全て死亡しているわけで、当時いかにテロを防いだかを詳細に描く場合、まず客室乗務員が普段どういうマニュアルで行動しているかという事から逆算し、さらに機内からの電話音声を分析して状況を把握するしかなく、そこはどうあがいても想像の域を出ないから、生々しい描写とはいかない。
また非常に薄くではあるが、テロに対処した政府と軍とFAA、それに現場でまさに運行スケジュールを管理している管制塔とのやりとりの不具合を描き、「もっと連携が取れていれば被害は小さくなったかもしれない」という意図が盛り込まれているように感じられたが、やっぱそれは無理な話だ。テロリストはモハメド・アタを筆頭にガッチガチのイスラム過激脳を持っており、そいつらが過去2年ぐらいで飛行機の操縦技術を習得し、ほぼ同時にテロ攻撃を実現したのだから。ここまで(テロ実行側にとって)成功するというのはよほど綿密な計画がないと無理だし、それを後手後手で処理しようとするのは厳しいだろう。
だから結局、映画としては当時の混乱ぶりと機内の状況を交互に描くしかなく、そこには映画である理由は特にない。これはテーマの限界である。
ちなみに、ユナイテッド93テログループでリーダー的存在だったメガネの男、結果からさかのぼると結局出発時間の遅れと彼が実行を躊躇し目標までの到達時間が長引いてしまったことがテロ未遂行につながったと思うが、彼は確かドイツ・ハンブルグに彼女がいて、テロ計画が立案された当時ほどガッチガチのイスラム過激脳ではなく、どこか自分の死(=現世での彼女との別れ)に対して躊躇・未練があったらしい。結構前ディスカバリーchで見た気がする。これは映画で確か触れてなかったので一応書いておこう。
月: 2007年9月
硫黄島からの手紙 ★★★★☆
1945年2月、大日本帝国軍 vs アメリカ軍の戦争の話。
硫黄島の戦いを題材とした「父親たちの星条旗」と対をなす作品。本作では大日本帝国陸軍の視点からストーリーを構成しており、元パン屋で赤紙招集により激戦地に派遣された、やや戦争行為自体に懐疑的な一兵卒・西郷と、硫黄島の戦いの指揮官・栗林中将、この二者を主役として描いている。
1941年12月8日に開戦した太平洋戦争で、1944年6月までに日本軍はマリアナ諸島を全てアメリカ軍に占領されており、この段階で東南アジアからの天然資源の補給路を寸断され、B-29による爆撃範囲は東京・名古屋・神戸まで含まれるほどで、戦争の勝敗だけ見ればこの時点で決まっていた。つまり大戦末期の戦闘というのはいわば「いかにして負けるか」、その負けっぷりの奮闘により、アメリカから最大限の譲歩(≒大戦終結まで天皇制維持は断固として譲らなかった)を引き出すという、「負けて勝つ」の戦いだったのである。硫黄島の戦いは日本軍にとってそういう戦いであったと同時に、アメリカ軍にとっては日本本土爆撃をさらに進めるための拠点奪取の戦いでもあった。
史実映画というのは、ストーリー的な起伏よりも、その史実をいかに忠実に、しかも映画のある程度決まった尺の中で描いているかの方が重要だ。その点、硫黄島の防衛陣地構築風景から始まり、栗林中将の長期作戦、実際の戦争の経過もきちんと描いていて、こうして作られた実写を見るとアメリカ軍の物量作戦の強烈さ、また日本軍の(残念ながら)負け戦っぷりが非常によく分かる。そうすると自然な感情として「こんな事はやりたくねえな」と思うはずだ。これが戦争映画の存在意義であり、皮肉にも出来が良ければ良いほどその思いは一層強まる。
さらに史実についての理解も深まる。俺自身、栗林中将が米国に滞在していたという事や乗馬の金メダリストがいた事は全く知らなかったし、当たり前の話かもしれないが「硫黄島の防衛戦は手作業で掘ったんだ」と再認識したし、「上陸に際しては敵を十分引きつけた後、『メディックを狙っていけ』」という細かい作戦も知らないことだった。
地上戦の描写についてはハリウッド大作のなせるスケールというか、例えばこれ日本資本で制作されていたとするとほぼCGでやっつけたような地対空戦や戦車を交えた塹壕戦を、ドッカンドッカンの派手派手に作り込み、冒頭30分の静寂の中での防衛戦構築と対比する形でその衝撃はでかかった。「あーあんなスピードでプロペラ機飛んできて、地対空兵器があんな機関銃だけじゃあ、それじゃあまあやりたい放題だよなあ」と実写で見て分かるのは素晴らしい。艦砲射撃に耐える地下壕での兵士や、硫黄島の戦いでの最強兵器・火炎放射器での丸焼き、集団自決、アメリカによる捕虜の虐殺もきっちり描いていた。
ただいくつか気になる点もある。まず歴史を知らない人からすると、時間の流れが全くわからないと思う。あれでは穴掘りからアメリカ軍上陸まで一気に起きた出来事のようだ。またあの、西郷を日本刀で斬ろうとした中隊長のポジショニングがなんかわからん。たまーに出てきては「あー戦車が俺の地雷を踏んでくれなくてむかつくぜー」的な事を言い、そんならおまえ、爆弾抱えて戦車に突撃しろよと思ってしまう。別にいなくても問題はない。栗林中将を演じたハリウッドでたぶん一番有名な日本人、ケン・ワタナベも実際問題、あんま演技がうまいとは思えなかった。実戦になって全員がハイテンションになり、ある程度ごまかしが利くまでの冒頭30分や、途中に挟まれるアメリカ滞在中のモノローグなんか正直、日本のテレビドラマ級の演技だ。西郷の現代的な言葉使いもすげえ気になる。このへんは、アメリカ制作ということで仕方がない部分かもしれない。
当時の軍国主義meets天皇陛下万歳思想が軍にも一般にも浸透している中、バンザイ突撃することや「生きて虜囚の辱めを受けず」と潔く自決する事というのは正しい行為で、むしろ西郷のように「自分が生きること」を優先することは間違っていた。ただそれを現代の日本人が映画で見る場合、ほとんどは西郷の考え方を正しいと思うことだろう。
2時間弱という尺の問題から、当然描いていない描写もいっぱいある。日米双方共に約2万人ずつの死傷者を出したが、その惨状というのはこの映画からは見て取れない。硫黄島の戦いを理解するならば、本やドキュメンタリーを見た方がいい。ただ総じて見ると、戦いをニュートラルな目線で網羅的に描き、当時の日本軍がいかに負け戦で負けていったかを、活字ではなくインタビューでもドキュメンタリーでもなく、戦闘を実写で見ることのインパクトは相当なもんがあった。次回アメリカ視点で描かれたという「父親たちの星条旗」を見てみる。