ツール・ド・フランス出場中に誘拐された孫を捜してベルヴィルにやってきたばあちゃんと犬の話。
映像に偏重したストーリー構成、アニメならではの大胆なデフォルメ、登場人物のキャラ付けの細かさ・うまさ、BGMになっていない音楽の格好良さ、本作は全てにおいて非常に良くできたアニメ映画だ。実写では不可能な手法をふんだんに取り入れて、アニメでしかできない表現でよくぞここまで突き詰めたもんだと、映像メディアの強みを理解し活かしている姿勢は、なんか感動すら感じる。
作家の映像へのこだわりは冒頭から見て取れる。イントロシーンのベルヴィルでのショー、ストーリーにも大きく関わる3人組に続いて登場したのは、その昔奇妙な動きと腹立つ寄り目で映像メディア初期の人気者になった黒人ダンサーだ。名前は忘れたが、「映像の世紀」に登場したのを思い出した。次に登場したタップダンサーも恐らく、なんらかの人気を博した人物と目され、つまりこの監督はストーリーとは関係ない冒頭でこれらの人物を登場させることにより、時代背景の明示だけではなく、アニメによるカメオ、映像文化の歴史に対するリスペクトを表明しているのではないかと感じられた。
というのも、前述の通り本作はセリフらしいセリフがほとんどないのだ。映像とSEによる状況説明、主に目の動きにこだわった感情表現、デフォルメを多用することでデフォルメの奇抜さを標準的な表現とする大胆な体の動きを用いて、セリフが無くともその意図は伝わるし、敢えて制限を加える事は結果的に映像と音声それぞれの重みを増してくれる。
またそれは、キャラクター相互の「以心伝心」効果にも繋がってくる。親を亡くしたとおぼしき孫のために、なんとかしてやろうと試行錯誤するばあちゃんと、それに内気ながら感情を表す孫には、彼ら二人しかない世界の兆しが冒頭からすでに存在し、それに犬が加わりツールという目標が出来て、一つのまとまった小さな世界が生み出されている。主人の帰りを待つ間、いつものごとく定時の列車に吠えまくり、主人が帰ると制限重量に達するまで秤を一点見つめして自分の食事を待つ犬目線の描写からは、もう何年となく日々ルーティーンとして、彼らの世界を変わることなく続けてきている情景が浮かんでくる。一方で電車の中から吠える犬を見つめる「外の世界」の人々の視点がそれを示唆している。
そう、本作での犬はばあちゃんにイジられるよきパートナーとしてかなり強烈な個性を放っている。昨今犬は愛玩動物として、かわいらしさ、(何を間違ったかしらんが)賢さを売りにしているが、犬本来の愛嬌というのは本作で描かれた要素があればこそだ。つまり、愚鈍で、バカで、アホで、意地汚くて、カスッカスで、肛門丸出しでうろうろする、糞みたいな存在だからこそ愛らしいのである。
そしてもう一つの世界が例の3人組だ。自転車のホイールで音楽を奏でる事で、3人組に世界への介入を認められたばあちゃんから、見ている我々もばあちゃん越しに3人組の世界を覗くことができる。STOMPを彷彿とされる打楽器による音楽は非常に魅力的で、本作の見所の一つだ。すげーサントラ欲しくなるなあ。
セリフを省くことでの映像と音楽の融和、アニメのフル活用、思いがけずすごい映画を見てしまった。ほんと、素晴らしい。