強化週間を振り返る

先週は、エキサイトサーチストリームで半強制的にテーマを設定、それについてなんか書くという超適当な文章を連日にわたって更新した。

これはサイト関係者が3人もいるのに、なんでこんなに更新されてないのよと、古い日記を見てみるとわかるがいいとこ週2-3の更新頻度なので、それを奮起させるために実験的にやってみた。

で、下手に今現在興味のあることを書くとなると、それについては妥協ができないし、なんやかんやでややこしい文章になるかもしれないし、とてもしんどいかもしれない。仮に毎日更新するとなるとゆる~く書くのがいい。

そこで無理矢理テーマを設定したわけであるが、

Cam’s Factory

土止め 地山掘削

作詞

札幌 建築

市町村合併支援

公正取引委員会

三国志

こう見るとあまりにバラバラでどっちかつーとハズレに入るようなキーワードが多かった。「札幌 建築」に関してはいつのまにか「てにをはの由来」になったし。

良かった部分もある。こういう関わり方がなければあまり接点のない無駄な知識が付いた。マジデ無駄だが。結果的に確認できたのは、以外に無理矢理やれば決行できるのではと思ってやってみたものの、毎日更新ってしんどい。

では駄文に戻ります。

今週はサッカーの試合でごついのが何試合かありました。

1.FCバルセロナ - ベティス

     4       -  0

今シーズン要のリバウドが抜け、ディフェンスも不安定になりすっかりリーガでは負け込んでいるバルサ。ソリン加入後彼を左サイドに固定、その分コクーが中盤に戻ることでバランスが保たれてきた。何よりソリンのしっかり感がでかい。

先週のUCLインテル戦を3-0と下し上昇気味のチーム状態、果たしてこれは実力なのか、もう優勝は見込めないリーガでもこの調子でいけるのか、審判の一戦となったベティス戦なり。

この試合ベティスの要であるM・アスンソンがケガで欠場、さらに頼りの両サイド、ホアキン・デニウソンが両サイドで押さえ込まれ展開が作れなかった。運も味方したバルサの勝利。

2.マンチェスター・シティ - アーセナル

      1          -   5

前シーズンもすげかったが今シーズンもすごいことになってるアーセナル。最早プレミアでさえ格の違いを感じる展開はスコアが物語っている。

なんつっても前の方のフランス人どもが活躍してるのだが、その中でもアンリ・ピレスの爆発ぶりは最強な感じ。これでUCL取れなきゃあそれは運が悪かっただけと言えるほどのチームの完成具合である。

惜しむらくは、リュングベリがケガから戻ってくると必然的に中盤の一人が、たぶんヴィルトールが控えに回ってしまうということ。あるいはヴィルトールのFWコンバートでベルカンプすらでれなくなってしまうのではないかということ。前シーズンの大事な試合での活躍ぶりを見るとリュングベリは外せないっすよ。悩ましいところだ。

3.鹿島アントラーズがA3優勝



日本のジュビロ・アントラーズと中国・勧告のチャンピオンチームが総当たりで行われた大会でアントラーズが優勝。

逆に前シーズンの王者ジュビロが無得点全敗の最下位というのははっきり明暗分かれた。試合自体は一つも見てなくて、ダイジェストで見ただけではあるが違いはまあなんとなくわかる。

優勝したアントラーズはディフェンスに大岩とヴェルディへのレンタルから戻ってきた相馬が加入。これはアウグスト・ファビアーノが抜けた穴埋めであるが期待通りの感じなんだろう。伝統的に鹿島は4-4-2でやってきて、両サイドは上がる代わりにセンターは強いのが基本形であるがこの補強がうまくいったところか。

逆にジュビロは高原の穴に新たにFWを獲得はせず、西のコンバートで凌ごうとしたが不発な模様。逆に恐らくコンバートされて抜けた穴も埋まらずバランスが悪くなったのではないかと勝手に推測。外人は相変わらず機動戦士ヴァンズワムとグラウとコバチェビッチみたいな名前のやつしかいないんだから、そのどれかを切ってましなFW助っ人を獲得するのがいいのかもしれん。信男はスーパーサブでこそ価値があるんだし。

しかも好敵手アントラーズに大岩放出て。

ついでに今シーズン注目チーム

ずばり

FC東京!!

ヒロミのリーガ式サッカーの真価が試される2年目。果たしてソシエダのようにうまくいくのでしょうか。まもなく開幕Jリーグ。

風邪引いちゃった。

くしゃみ、鼻水が止まらない。のどが痛い。体がだるい。だんだん頭も痛くなってきている。

と言うわけで、風邪を引いてしまった。あーあ、せっかくの週末なのに。

それに加えて、なんかADSLが不安定。ここ一週間くらいのことなんだけど、使っていると突然モデムの「ADSL」ランプが点滅して(このランプが点滅していると言うことは、局から家までADSLがうまく通じてないと言うこと)全然使えなくなる。ここを巡回している人(そんなにいないとは思うけど)も、今日は特につながらないことが多かったんじゃないかと思う。ごめんなさい。

とりあえずNTTのWebサイトから連絡を出したが、自分でも何とかならないかと思い、ノイズ除去グッズを買いに行く。他にも買いたい物があったので、久しぶりに秋葉原へ。あの雑踏は風邪には悪いね。悪化した。

どうにか買い物を終えて帰宅し、早速ケーブルの取り替え、ノイズフィルターの取り付けをするが、結局効果なし。意味無いよ。

とりあえず今のところはADSLも落ち着いていてちゃんと使えているけど、原因は何なのかなあ。向かいで住宅の新築工事をやっているのが怪しいけど。このままだと12Mbps→1.5Mbpsへ逆戻りかな。

俺と三国志

今日は最終日

俺が三国志を初めて読んだのは中学生の頃。といっても通常想定される小説ではなく、横山光輝御大が著した全60巻のマンガである。ちなみに高校卒業まで、読書感想文を含めて一冊読み切ることができた小説は夏目漱石の坊ちゃんだけだった。それも子供が読むのに適しているおもしろ坊ちゃん。

話を三国志に戻すと、当時、原が様々な人に三国志を貸しまくっていたことから三国志ブームが起こった。それを皮切りに、項羽と劉邦ブーム、織田信長ブーム、それが派生して光栄歴史シミュレーションブームなどが起こり、他の部分については全然知らんけれどもある時代についてはやたら知っている中学生がまわりに結構いた。

で、こういう人物がいっぱいでるような物語になると自然と好きなキャラクターができてくる。俺の場合は趙雲で、理由は「ステータスが高レベルでバランスいいから」という光栄シミュレーションありきの発想だった。別に彼が劉禅を守って敵陣を一騎で突破した、劉備をして「趙雲は一騎当千じゃ」と言わしめた逸話はあまり関係ない。

例えば罵倒には馬超と報徳がいて、上から攻められることはないし周りには長路とかヘボしかいないから好き。とか、光尊さんでとりあえず趙雲を劉備より先にキープ、そして劉備をぶっ潰して関羽と張飛をいただくという歴史まる矛盾のやり方が好き。とか、三国志とは変な関わり方をしてしまっていたようだ。

三国志それ自体の話については、赤壁の戦いぐらいがピークであとはいわゆる権謀術数のやり合いにしかすぎないと感じている。胸囲はもっと前の時代に生まれてくれば大活躍しただろうし、なにより劉禅のカスっぷりにはかなり引く。

以上のようにデフォルトのくそったれATOKなりIMEならきょういも

胸囲驚異脅威・・・・要するに俺の欲しい脅威がねえ。で、今頃になって検索してみたらやっぱりあった。

三国志辞書

http://s-g.cside8.com/jisyo.htm

で、

姜維 張魯 馬騰 公孫伯珪

公孫伯珪がなんか違う気もするけど、効果覿面。

ショック!

ローズ帰国!

ノーーーーーーーーー!!!!!!!!!

MicrosoftがConnectixからPCエミュレータのVirtual PCを買収

Virtual PCとはMacで動くAT互換機のエミュレータのこと(Windows版もあり)。このエミュレータ上でWindowsやLinuxを動かすことによって、Mac上でWindowsソフトを使うことができるという優れもののソフト(ただし、とっても遅い)。これを制作元のConnectixからMicrosoftが開発者ごと買い取ったというニュース。これを買う人のほとんどがWindowsを動作させることを目的に買うのだから、本家がこれからメンテナンスをすると言うことで単純に考えると喜ぶべきニュースなのだが、何しろ相手はマイクロソフト。ろくでもないアップデートをしてまともに使えなくなるんじゃないかとか、Windowsバンドル版のみにして(現在はWindows, MS-DOSのどちらかをバンドル)値段をバカ高くするんじゃないかとか、LinuxなどWindows以外のOSを使えないようにするんじゃないかとかネガティブな予想がばんばん飛び交っている状態。まあでも騒ぎを見ていると大方はアンチMSの過剰反応のような気がする。マックユーザーはアンチMSが多いみたいだしね。

ちなみに俺は、昨日ちょうどVer.6へのアップグレードを申し込んだばかりだったので、すごくタイムリーな話題だった。

愛用のハサミの柄が折れる!

「なんだよその超個人的な話題は。」って言われること請け合いだが、このハサミ、小学校に上がるときに支給された「おどうぐばこ」に入っていた物で、それから19年間、ずっと使い続けていたのだ。粘土からケツ毛までいろいろ切ったよ…。考えてみれば、今手元にあると言うことは、大学に入って上京するときも持ってきたってことなんだよな。……何故こんな物を持ってきたんだろ。

時代は移りゆくね!自分を慰めるために、これでも買って幸運でも呼んでみようか。

と言うわけで、今日もサーチストリームネタはお休みの方向で。

ちなみに引っかかったキーワードは「少女」だった。いったい何を見つけたかったのか、すっごく謎。

そりゃ誰だって幸せになりたいが

私にはちんこがついている。こすればでかくなるし、もっとこすれば変な液が出るし、より強い衝撃を与えるとい、い、痛えよ、ってなる。大事な急所に何てことするんですか貴方は、って。ここで私が言いたいのは、自分はインポではないよ、ということではなく、もっと前の段階、つまりインポかどうかが問題となる状況、つうか、ええい、もうわけ分からん!要するに私はれっきとした男ですよ、って言いたいわけ!ついでにインポでもありません!

で、私が生物学的に雄であることがここにて立証されたわけだが、しかし私の心の性別は女なのです、GID(性同一性障害)なのです、これがいかに苦痛か分かりますか、我々の権利を認めてください、認めてください、つうか認めないと殺す…ってなるわけがない。いや、性別の不一致に苦しむ人々の権利は確かに認めるべきだとは思うが、この日記の主眼はそれではないし、何よりも私はそのような苦しみを味わっていない。何故なら私の心と体は性別というものに関しては非常によい関係を保っており、私の心はもう、全くといっていいほどの男である。いかに私がデヴィッド・ボウイの“John, I’m Only Dancing”を好んで聴いていようが、それは疑う余地のない事実である。日本人男性のバイブルと言えるであろう「男塾」もちゃんと読了済みだし。

しかしそんな私のささやかなマッチョイズムに疑問を投げかけるような事態が起こってしまった。あまり大きな声では言えないのだが、最近「フィールヤング」っていう漫画雑誌を読んでいるのだ。作家陣は有名どころでいうと安野モヨコ、やまだないと、内田春菊、小野塚カホリ、安彦麻理絵など。つまり思いっきり女性向け。「男が電車の中で堂々と女性向け漫画を読んでる図が面白くて」なんていう理由だったらどんなによかったか。普通に読んでます。結構面白いです。基本的に岡崎京子の漫画が目当てで読み始めたのだが、その連載が終わっても(もうすぐ終わる)買い続けてしまいそうで恐い。まあ男塾だって普通のジャンプコミックの頃は単行本の巻末に女の子の手紙が載ってたりしたわけで(大体飛燕のファンだったような気がする)、こんな雄がいてもいいのではないでしょうか。

ただ当然私はこの雑誌のターゲットオーディエンスではないので、漫画以外のページ(あと一部の漫画も)には相当な違和感を感じる。私は雑誌の懸賞に応募するような人ではないが、仮にそうであったとしても、フィールヤングの懸賞には応募しないだろう。だってセクシーランジェリーなんかをもらってとうしろっつうの?いや、色々と楽しい遊び方もあるだろうが、そんな楽しい遊びをしてる自分はちょっと嫌。

しかし特に目を見張るべきは、裏表紙にある広告。男であるなら男性誌やエロ本で見たことがあるだろう。幸運をもたらすグッズの広告を。この石のおかげでギャンブル運が上がったとか女とやりたい放題だとか。それの女バージョンがあるのだ。まあ女だろうが男だろうが人間である以上欲望に支配されていることに変わりはないので、別段驚くべきことでもないのかもしれないが、それでも初めて見た時はつい笑ってしまった。いきなりホテルに連れ込んだとか、そういう露骨な話になりがちな男性バージョンとは違い、女性バージョンはどちらかというと純愛路線なようだ。今現在手元にある最新号の裏表紙には、顔の非常に不自由な女性とイケメンの男のラブラブな写真が飾られている。エロ本なんかでこういう広告を見る度に「こんなの買う男の顔見てみたい」と思う私であるが、こんなの買う女の顔はもっと見たいかもしれない。

すまん、強化週間はほかの二人で頑張ってくれ…。

俺と公正取引委員会

今日は五日目

平たく言えば自由競争を促進するための機関で、こういうのがないと急にある商品の値段が上がったり、また逆に競争の行き過ぎで適正利潤を上げられなかったりする。

こういうことは特に大規模な市場に対して措置がなされるもので、かなーりローカルな場面では公正取引委員会も一々勧告・是正を行うのは難儀である。例えば富士山6合目ぐらいには2-3軒の飯処があるけれども、確かに輸送費その他に経費がかかっとんのじゃという理屈もわからんでもないが、いくらなんでも牛丼1,200円はボリ過ぎだろうと。記憶では確かこうだった。

これはその周辺の2-3軒の飯処が結託し、プチ価格カルテルを形成してるとみることもできるし、適正利潤を上げるため無駄な競争はやんない方がいいという暗黙の了解のうちに価格形成がなされているのかもしれないし、その真相は謎である。

富士山七合目で小粋な小料理屋を営んでらっしゃる鳥居荘さん

http://www8.plala.or.jp/yashima3923/fuji/food.htm

あとまもなく始まる商品の内税表示もたぶん公取が絡んでる。

サーチストリームの検索結果は【岩手 センター】だった。

次回の予備テーマは【自転車】です。

よろしくお願いします。

bloodthirsty butchersに田淵正式加入!

強化週間を無視して



http://www.riverrun.co.jp/bloodthirsty_butchers/

このトップですぐわかるように、タイトル通りbloodthirsty butchersに田淵幸一が加入した。もともとナンバーガールとbloodthirsty butchersは毎年恒例で通算3回行われた「Harakiri – kocorono Tour」でおよそ義兄弟の契りを交わすほどの関わり方をしていて、ここの関係はちょっと特殊なものがあった。例えばbloodthirsty butchersの札幌時代からの盟友であり自身ファーストライブから観ているという吉野寿及びイースタンユースとbloodthirsty butchersとは、互いに距離を置きつつ尊重しあうという姿勢をとっていたが、ナンバーガールとはある種家族的な付き合いをしているような雰囲気もあった。

そして昨年10月の解散。その後向井・田淵はそれぞれブッチャーズのライブやイベントに参加したり、解散後も関わり合いを続けていたが、田淵加入が決定的になったのはbloodthirsty butchersのニューアルバム「荒野ニオケルbloodthirsty butchers」の5曲目「悲しみをぶっとばせ」だと思われる。

この曲はインストルメンタルで、演奏には田淵とアヒト・イナザワが参加している。聴いてみるとギターよりもドラムの鳴り具合がすげえ良くて、ブッチャーズがWドラムやったらこんなんなるのかー、つーかアヒトのドラムってやっぱいいよねと感激したものだった。恐らくアヒトは電子ドラムたたいてる。

曲タイトルとサポートメンバー(実質励まされメンバー)。正直欲しい音はアヒトだけど、加入するなら田淵かなぁ・・・。なんてぼんやり考えながら聴いた記憶がある。

bloodthirsty butchersの雰囲気を感じるのに一番直接的なのはインストルメンタル楽曲を聴いてみることだ。傑作kocoronoのアルバムの中での「7月」の開放感、あれは開始後に流れるインストが大きな役割を果たしている。すごく落ち着くものだ。また「プールサイド」という曲は(これまたすごい好きだ)未完成に入っているアレンジバージョンよりも、LUKEWARM WINDの中のインストバージョンの方がよろしい。

で実際に田淵加入による影響を鑑みるに、元々ナンバーガールの曲は向井が一人で担当し、田淵自身はギター職人であったため曲調への影響は少ない。一番デカいのはライブだろう。ジャガーかジャズマスターかわからんけどでっかいギターを鳴らす様はかっこのいいものだ。音も厚くなるだろうし、彼らのサウンドが好きなものとしてこの変化はうれしい。

でこれを本当に田淵幸一の出来事であると想像するのも結構楽しい。

俺と市町村合併支援

今日は四日目

昨日、こんな住民投票があった。

「リコール:合併反対の村長失職 群馬・富士見村」

現在、全国の市町村は合併に揺れ動いている。慢性的な財政不足のため市町村を減らしたい国は、2005年までに全国の市町村数を1000程度まで減らすよう、特別法などを作って各自治体に合併を促している。これを「平成の大合併」という。

「平成の」というからにはもちろん以前も似たようなことが起こったわけで、大合併は以前に二度行われている。

まずは「明治の大合併」。1889年(明治22年)に市制町村制が施行され、全国の町村が合併により71,314から15,859へ一気に減らされた。次に「昭和の大合併」。1953年(昭和28年)から1961年(昭和36年)までの間に行われた合併で、市町村数は3,472(昭和36年6月時点)となった。

例として、北海道札幌市を挙げてみる。札幌は明治の大合併では特に変化はなかったが、昭和の大合併の前後で周辺町村を軒並み編入している。

昭和16年4月円山町を合併。

昭和25年7月白石村を合併。

昭和30年3月琴似町,札幌村,篠路村を編入。

昭和36年5月豊平町を合併。

昭和42年3月手稲町を合併。

戦前の円山町は別として、札幌の中心部以外の地域は軒並みこの時期に合併した部分だ。この間に札幌の面積は合併前の約14倍となっている。

今回の「平成の大合併」でも似たようなことが起こってくるだろう。有名なのは浦和、与野、大宮が合併してできた「さいたま市」だが、今後メインとなってくるのは小規模自治体同士の広域合併となると思われる。例えば、静岡県裾野市も、こんな合併論議の中にある。

合併向け具体的研究へ 東部広域都市づくり研究会

研究会の様子(Googleキャッシュ)

こんな感じで、各市町村でも合併か否かということでずいぶん揺れ動いているようだ。

それでも全国では着々と市町村の合併が決まってゆく。干拓問題で揺れる長崎県諫早市と周辺5町は2005年3月に合併する。合併の際にいつももめるのが、対等合併か吸収合併か、新しい市名は何になるのか、だが、このケースの場合、それぞれのメンツを保つために対等合併とする一方、市が諫早市だけなのでそれほどもめなかったのであろう、新しい市名は「諫早市」、市庁舎も現諫早市庁舎を使うことが決まった。(関連リンク)

で、これら合併推進の総元締めが市町村合併支援本部というわけだ。市町村合併マニアは是非チェックしておくと良いと思う。

次回の予備テーマは【公正取引委員会】です。

よろしくお願いします。

俺と 札幌 建築

今日は三日目

札幌の建築物で一般に一番有名なものは、恐らく札幌時計台になるだろう。それについてはhttp://www.tokeidai.co.jp/tokeidai/このサイトを見ると詳しく書いてある。

そもそもアプローチが違うんだろう。仮に彼が札幌時計台についての情報を求めていれば直接そのキーワードを指定したであろうし、また「札幌」「建築」個々の情報が欲しかったのでもないと推測される。またいくつかの検索エンジンを用いてもトップヒットは札幌建築デザイン専門学校となっているがこれも直接キーワード指定するはずだ。わざわざ区切ってand検索するような輩であるから、そのようなバカタレがやりがちのミスは犯さない。

次に考えられるのは季節とのかねあいだ。今は全国的に冬真っ盛り、そのなかでも日本の最北に位置する北海道の中心地を指定するとはこいつはやりおる。その北札幌での冬の建築といえばそう、札幌雪祭りの雪の建築物である。

■第54回さっぽろ雪まつりは7日間の会期を終え閉幕いたしました。

完全に途絶えた。

次の方法として、てにをはを絡めてみる方法がある。ちなみにてにをはとは弖爾乎波・天爾遠波と表記し、博士家(はかせけ)のヲコト点の四隅の点を左下から右回りに続けて読むと「てにをは」となることからの名称である。つってもなんのこっちゃわからんので調べた。

博士家とは菅原道真など平安時代の博学者の家柄のことであり、ヲコト点とは漢文を読み下す際に用いるカタカナの送り仮名である。

現在の漢文は通常すでに送り仮名は振ってあり、ヲコト点を気にする必要はないが、かつては「点図集」という表のようなものを用いて漢文を読み下していた。その中の一つに博士家の点図集があり、それが

       二○      ム○       ヲ○

                        コト○

       カ○

                        ト○

       テ○      ス○       ハ○

となっていた。例えば「我」という漢字の右下に○が書いてあれば、それは「我ハ」と読み下す。この博士家の点図集=「ヲコト点」の四隅をぐるっと読むとてにをはとなる。

次回の予備テーマは【太陽誘電】です。

よろしくお願いします。

俺と作詞

今日は二日目

音楽を積極的に聴こう、よりかっこいい・楽しい音楽に触れてみたい、こういう感覚を持ったのは中2まで遡る。その点が曖昧なものでなくおよそ断定的に言えるのは、それまでなんとなく周りに合わせて聴いていたJ-POPと決別し、セックスピストルズに出会ったから。当時学校内でちょっとしたバンドブームのようなものが起こって、それは少なからず「特攻の拓」「金持ちのバカ息子」というワードと関係があるんだけども、そんな中楽器演奏の未熟者が最初に演奏しようとしたのがパワーコード重視で曲展開もわかりやすい70年代UKパンクだった。今聴いてみると彼らの曲はかなりまどろっこしく、遅く、単調なリズムにうんざりしてしまうというのが本音だけど、当時はなんだかスピーディーでとても格好の良いものに聞こえた。パンクのファーストインプレッションなんてそんなもんだろう。

ともかく中2でパンクに出会った。これがそもそもの転落人生の始まり。中3の頃にはアメリカンハードロックに移行し、ガンズ・ディープパープル・レッドツェッペリン・元リークルー・ミスタービッグ・メタ理科・スキッド郎・盆所美・エアロスミスその他色々、高2ぐらいまでこういうの「しか」聴かなかったし、また好んで聴いていたというのがそもそもの間違い。やっと高3ぐらいでブルースロックも範疇に含まれ幾分拡大したものの、基本は変わっちゃいない。要するに、殊音楽における青春の大切な時代、一般にその頃はヒットチャートにどっぷり染まっていなければいけないのだが、その大切な時期を洋楽のみに費やしてしまうというきちがいの所業をやってのけるのである。

その後オルタナティブロック・ブリットポップ・日本語ロック・歌謡曲・アニソン・民謡・みんなのうた・詩吟・まあ音楽という音楽なんでも聴けるようになった。一頃は蔑視していたヒットチャート系の音楽も余裕でスルーできる。様々の音楽に触れ、確実に中2の頃と比べて音楽に対する理解は深まっている。ただし、その過程で犠牲にした大きなものがある。それが今回のテーマである、「作詞(≒歌詞)」だ。ここのニアリーイコールの微妙さは勘弁してくれ。だって最初に思いついたのがこの流れなんだから。

これは様々の人からダメだし喰らい、かなり特殊な音楽との接し方なんだろうが、筆者は歌詞を軽視してるつーか、まったく気にしていない。要は音のつながりしか音楽にない。音のつながりが純粋に好きで、何言ってるか全くわからない洋楽の英語詞を聴きまくったのが原因である。

歌詞に共感できるという聞き手、この曲でこういうことを伝えたいええ是非伝えたいのです私はという音楽作家はまあ、多いけれども、この感覚がまったくないのです。ごめんなさい。CDを買っても歌詞カードはまず取り出さないし、曲名すら知らない大好きな曲も多い。ここ数年間は日本の歌を聴く方が多くなった。もちろん歌詞の言葉も聞き取れるし、まあ空耳も多いけど、意味もわかる。がその歌詞の意味というのは筆者にとってどうでもよく、音しか聴いてないんです。そこに見るのは音の繋がりと、歌ってるやつ・演奏してるやつの佇まいしかないが、これで十分なんだからしょうがない。

あ、歌詞それ自体がおもしろい感じのおもしろソングは例外だな。

次回の予備テーマは【ゴビ砂漠】です。

よろしくお願いします。