(おそらく)第二次世界大戦下のフランスの人々の、ドイツから逃げ惑う風景。そこにあっけなく両親と犬を秒殺された少女ポレットもいた。彼女はあてもなく歩くうちに、酪農家の一家の元にたどり着く。そこのドラ息子、ミシェルといろんなことを。
タイトルとともにあまりにも有名なのがあのせづねぇ曲。自分が寮にいたころ同部屋の先輩上野さん(ギター部だった)に教えてもらったクラシック系の曲3つ、Fly me to the moon は完全に忘れてしまい、More than wordsはうろ覚えでコード進行ができる程度、そして最後のひとつ、この「禁じられた遊び」だけが唯一クラシックギターの曲で今でも弾ける曲である。というのもこの曲の構成が、親指でベース音を鳴らしつつ人差し中薬指をローリングさせるような動きで固定されていてわかりやすいのと、教えてもらいながらすぐに弾けるぐらい単純な曲展開、そしてもちろん、せづねぇ曲調がかなり印象的だってのが大きな要因。番外編でCHARがやってたんだけどもローリングの部分を半音ずらす「禁止された遊び」て曲もあります。これが不協和音で、確かに禁止されたような感じがする。
本作の内容もその曲同様かなりせづねぇです。皮肉めいた反戦映画であるとも捉えることができるかもしれんが、それでなくてもこの二人のがきんちょのやりとりや、なんでもない言葉なんかがかなりキとる。
とくにこう、盛り上がりどころのない淡々とした内容なだけに、これらがうまくマッチしたもの悲しい雰囲気に仕上がってます。「悲しいときー」な時に見るとグッとくるかもしれません。
月: 2002年6月
トラフィック ★★★★☆
麻薬密売組織とそれを取り締まる機関、現場で動く捜査官たちの麻薬大戦争。
「麻薬捜査機関のトップとそのヤク中の娘」「現場で動く捜査官」「ヤク密売人のダンナをパクられた若奥様」「メキシコの麻薬取締官」、だいたいこの4者くらいが場面場面で次々に切り替わり、互いが互いに直接・間接的に影響しあうという、結構入り組んだ作りになっている。そしてそれがそのまんま麻薬取引の複雑さを表してると思う。
実際やったこともないし、また一切やりたいと思ったこともないしやるつもりもないので、無理矢理強要される以外これからもやることはないであろうが、麻薬というもんはそんなに気持ちいいもんなんですか。中毒性という意味では煙草とよく似ていると思うが、まあ本作でもそれが皮肉かどうだか煙草をふかすシーンがこれ見よがしによく登場し、なんか思わせぶりな感じなんだけれども、煙草と決定的に違う点、それはまず麻薬は個人の破壊的な死の原因になりうるという点、それから多くが非合法であるゆえに非合法組織の資金源となりうる点、この個人の死に関わるミクロの視点、そして麻薬組織というマクロの視点、この二つが互い違いに絡み合ってるのが本作を面白くしているポイントだろう。
つまり、麻薬を中心とした人間や組織の心理ゲームのようなもので、特にあの若奥様やデルトロなんかが凄くいいんだけども、個人レベルでの駆け引きやタマの取り合い、組織レベルでの勢力争いや摘発なんかがこう、まさしく戦争なんですね。局面での事柄がそのまま戦全体に関わっているという。それがアメリカ社会に根付いている(だって若者の4分の1がやってるらしいし、俺がアメリカに行った時、こりゃヤク中であろうと思われる女が道で寝てるのを数人見たし。そういやあいつもナッシュビルの小学校で注射器がいっぱい転がってたとか言ってたしなぁ。)麻薬だけに、やけにリアルであるし、またデルトロあたりの映し方がなんかドキュメンタリーぽくていい味だしてる。
というわけで、いわゆる戦争を題材にした戦争映画よりも一般の生活レベルに及んでいるという意味でよっぽど戦争戦争している戦争映画であるし、かなりエキサイティングな物語です。ただこれが当事国であるアメリカに住んでいたらまたかなり違った受け止め方、もっとセンセーショナルな映画だったであろうという点で、日本に住んでいる自分に対して-1。
実録 安藤組 ★★★☆☆
財界人になめられて、だまってられない安藤組のみなさんが色々やらかす話。
主演、安藤昇。この人実録という通り、実際の安藤組(元)の組長でその後に東宝の安藤組シリーズであたりまえのように主役を張ってしまったという、ものすげぇ人です。だって辰ちゃん・文太兄ぃと競演し、夢の3大スターとかいわれてるし。半端なことやってなければ、ヤクザ→スターという方向もありえると。
で、本作はおそらく実際にあった事件をもとに再現というか、まんまというか、安藤組長の思いの丈が詰まっているような感じであります。というのも法の下に反社会的集団であるとされているヤクザという組織が、法でなく漢としてのメンツやなんやに基づいて行動した結果がこうであると、あくまで我々は国家権力という強きを助け弱きを挫く馬鹿者どもにいっちょう一泡ふかせてやるヒーローでありますのですともいわんばかりの画面構成になっている。
たしかに警察組織というのはクソの塊ではある(警察官それぞれの人格を言っているのではない)が、それ以上にクソの塊であるのが反社会集団なわけで、たとえば局部で見るなら警察も彼らも鉄砲を持ってはいるけども、ポリはこっちに対してまず撃ってこないが、彼らはむしろ有利な状況にもっていくツールとして積極的に使ってくるのであり、また200円ぐらいで仕入れたビールを10万円で売ってしまうという、まさしく反社会的な行為をしてしまうわけで、さらに集団で計画的に窃盗したり、ヤクを売ってしまったり、つまるところこういうことをやってしまうから、同じクソでもその抑止力としてポリ公の方がまだましであると。その点安藤組というのは「カタギ」と「スジモノ」をきっちり分けているという律儀なところがありますが、結局その判断基準は安藤御大のさじ加減一つであるという、法の下の平等ならぬ「俺の下の平等」的思考プロセスが横たわってるところが怖いです。
なので、この安藤御大の行動規範によりかかれたならば、それはそれでヒーロー像を見る、まさしく当時のヤクザ映画の王道を見る気分で熱中するのだろうが、殊このような線引きをされたとあっちゃあ、かなりゆるゆるな線引きがなされたままで事が進んでいくという感覚を覚える場合もあるのです。というかオレの場合がまさしくそれ。
ストーリー自体は安藤組を魅せるように作ってあるのでなかなかおもしろく見れたのだが、底辺に横たわる思考プロセスがまったく滅茶苦茶に感じられたのであまりのれなかった。でもまあ、ふつうに見る分にはおもろいんでないの。
ショコラ ★★★★★
フランスの片田舎の街に二人の親子がやってきてチョコレート屋さんを開いた。それを快く思わない村長と彼女らの対決!
話の流れはヒューマン映画にたびたび見られるような、旧態依然の秩序の下で暮らしている人々の所に、ある日突然新参者がやってきて、最初は周りの人々もついていけなかったけれども次第にその人に惹かれてついには再秩序化されてしまうという、ヒューマンドラマの王道的作品です。創造的破壊ってやつ。
でこういうシュンペーター系ヒューマンドラマの場合よくあるのが、その創造的破壊者があまりに突拍子も無い奴であるとか、いちいちちょっかい出したりやけに陽気であったり、そりゃもう「破壊するぜワシは」というオーラパワーがビンビンに出てるという設定が多いのだけども、こういうのは見ていて逆に引いてしまうものです。というか、実際にそんなのありえんやろうがとなる。一つ例を挙げるならば、最近見た中ではそうだな、今思いついたのでライフ・イズ・ビューティフルとかです。あれなんかまさしく。
しかし本作では、破壊者が秩序をぶっ壊すというよりも、秩序の方が破壊されるのを恐れてあれこれ行動するという描かれ方であるから、チョコレート屋の女将に人々が惹かれていく様というのも自然であるし、見ていて純粋にとても楽しかった。
そして最後にがっつり語られてしまったのだが、本作がヒューマンドラマという体裁を借りて古くから存在し今でもありうるという普遍的な観念をテーマにしているというのが、おもしろく魅せる決め手となっているように思われる。それは前に書いた異質なものを受け入れるということ。物理的にではなく、再秩序化するための破壊。これは現代社会でもいろんなとこで、政治にも当てはまるであろうし、官僚組織なんかにもあてはまること。
まあたまたまこういう風に感じてしまったので、難しいような話になってしまったが、別になんも考えずダラーっと見るにも入り込めるようないい映画だと思います。