近視のセルマは、日々の労働での稼ぎと趣味であるミュージカルに生き甲斐を感じていた。金を貯めて自分の息子ジーンに遺伝性の近視手術を受けさせるためである。同時にミュージカルのリズムは生きる術であり、周りを巻き込んで踊り狂う。ところがそのお金に関する事件が起こる。
ホモジェニックなビョーク主演です。まずこの配役はこの映画にしてアリだと思う。この映画は決してミュージカル映画ではなく「主人公の趣味がたまたまミュージカルだった」だけであり、惚れた漢が極道だったという極妻となんらかわらない。なので自分のように「アンチミュージカル」のポジションの方々でもひとまず鑑賞することはできる、普通の映画だ。そこでこのビョークをあてがうというのが、彼女の声はそりゃもうホモジェニックでありガンガンに響くし、歌うときの至福の表情はいい。
ただ前述したように俺はミュージカルが大嫌いなわけで、もちろんこの映画におけるミュージカルシーンでは新聞を読んで過ごしたのだが、だってさぁ、ストーリーの途中でそれまでの人間関係や背景なぞ関係なしに全員一致で変な歌と踊りを展開してしまうなんて、あんなもん見てて気持ちが悪くなってくる。正直、ミュージカルが全開に好きだとか言ってしまう人は敵かもしれん。
↑はミュージカル全般に対する自分の思いであり、この映画にはなんら影響しない。まあそらいい気がしないのは確かであるが。それよりも問題ありありなのがこの映画の人物描写と、納得いかないストーリーである。ある事件がもとでセルマは犯罪者になるのだが、それからの彼女の息子に対する強烈な偏屈っぷりは全然わからない。もちろん客観的に見たセルマは、彼女の自己犠牲的所業に自分で納得しそれを受け入れたのだから、客体視した見せ方ならばある程度理解できたかもしれん。しかしこの見せ方というのがリアルタイム撮影とでも言おうか、セルマの表情を真に迫って映し出してるのでそうそう客観的に見ることもできない。
要するにセルマの言動にはいちいち納得がいかないし、そもそもそういうセルマに置いてしまう周りの状況、ストーリーの進み具合がクソだった。すべての元である事件にしたって全然理解できない。あれを理解しろ、理解しなきゃ感受性の薄っぺらな呆け者だと言われようがなんだろうが、俺は理解できない。
ネタバレになるが、たとえば自分の子供が間違いなく失明する危険があり、それにかかる手術の金を巡って殺人者になってしまったとしたら、セルマになるかもしれん。ここは理解できるし、考えようによっては納得もできる。ただしこの状況を打開する策はいくらでもあるわけで、やっぱりストーリーは理不尽。冬木よりも理不尽。さらに映画のような娯楽ぐらいは、こんな神妙にならんでもファンタジックに描いてもよろしいのではないかと。こういうリアリティの追求の形は、物語にされると相当イヤだ。
というわけで、映画としてダメとかではなく俺に合うタイプの映画ではなかったと。意味ある★1です。