戦後、独立主権の回復した日本では、国内で反政府系組織と国家治安部隊との抗争が続いていた。治安部隊の中でも武力特務隊である特機隊の構成員、伏はテロリストの検挙に躊躇し挙げ句に爆死させてしまう。なぜ伏は撃てなかったのか?そして彼の周り、公安と特機隊には政治的な思惑が巡っていたのだった。
まずアニメのくせに見やすい。これはどういうことかというと、アニメでは口の動きや、体の動きや、風景の流れや、そういう実写ムービーではあり得ない部分で気がかりになる点がどうしてもでてくる。しかもアニメで所謂”アニメっぽい”映像でないものを作ろうとすればするほどそういう細かい点の煩わしさのようなものはいっそう目立ってきて、なんとなく見た後すっきりしないことが多かった。
しかしこの作品はそういう細部がかなり作られている。会話は少ない方なんだが、そのアニメーションのタイミングとか、銃の銃具合とか、ガンアクションのガンアクション具合とか、細かいくせにかなり大事な細部について親切な感じがする。だから見やすい。
ストーリーのポイントとしてある童話が用いられるのだが、その童話と話の重なり様、また離れ様など抽象的ではあれ、見ていて引き込まれる。彼がその童話のどのポジションなのか、また彼女は、これはクライマックスにかけて入れ替わったような感じになるんだがその効果がおもしろい。
はじめ彼は撃てなかった。しかし。互いに組織に生きる者として、殉ずる者として、ああいう締め方は好きだ。「そして彼は狼になった・・・。」か。えへへ。
月: 2001年6月
青春デンデケデケデケ ★★★★☆
かつてベンチャーズブームが起こっていた時代のとある高校。彼らも少なからず「デンデケデケデケ」のオープニングリフにやられたクチだった。やがて楽器を手にし、バンドを組み、文化祭でコンサート(あくまでコンサート)、青春系さわやか映画である。
日本にエレキブームをもたらしたのは間違いなくベンチャーズだ。つまりその、聴く→演奏するというステージを開拓した意味でである。ベンチャーズ自身も日本びいきなようで、何度となく日本に訪れ加山雄三の「君といつまでも」をインストルメンタルカバーしたりしてる。往年のギターサウンドファンにはおなじみの寺内タケシとブルージーンズなんかもかなり影響うけているだろう。
このベンチャーズのサウンドというか奏法は当時相当斬新だったと思う。題字の「デンデケデケデケ」として語られる代表曲pipelineは、スライド(厳密に言えばグリッサンドか)・チョーキング・ハマリング&プリング・そしてアームプレイと、この一曲で基本のテクはかなりちりばめられていて、しかもこの曲は誰でも知ってるキャッチーな曲だから演奏していて楽しいし、しかも基礎を磨けると。アレンジもやりやすいので、pipelineとかdiamond headは練習用にちょうどいい。
映画というかベンチャーズ話になってしまったなぁ。まあこの映画もベンチャーズに魅せられた少年がバンドを組んで、練習して、というおもしろ話なんでいいでしょう。このノリで。
しかしひとつ疑問に思ったのが、伝聞によればこの当時エレキギターは「不良」の象徴だったはず。それが本作では微塵も感じられず、まわりの人間すべてが応援している。それはおそらく方針として、さわやかに描こうというのがあったのだろう。
映画のつくりも非常に初々しい。観てて恥ずかしくなる場面も多少ある。しかしそこはこの映画の全体的雰囲気でゴリ押せてしまう。というか自分自身ベンチャーズ大好きなので、この映画はおもしろく観ることができた。
道 ★★★★☆
大道芸人ザンパーノに新しい相棒ができた。その女ジェルソミーナ、芸はできないわラッパは吹けないわ、ザンパーノは持て余し気味である。そんな二人も各地を旅する間さまざまのことがあり、紆余曲折、やがてそれぞれの道をみつける。
人生は基本的に思い通りにいかない。「思い通りにいかないから人生というとてつもなく膨大な退屈な時間を埋めることができるのだし、人生に意味を見出せるもんだ」のようなことはたびたび語られるのだが、それはある程度思い通りにいっている人間の視点からの意見であるのはもっともな話で、万事が万事うまくいくはずのないダメな種類の人間には全然響かない語りである。
そしてまた、ザンパーノもダメなにおいがする奴だ。浮世家業の大道芸人、しかも演ずる芸はひとつ、それでいて見栄っ張りの強欲家ときたもんで、典型ともいえる。そこに現れたのが純粋無垢なジェルソミーナ、彼女の振る舞いに翻弄されつつもザンパーノは次第に彼自身の心に揺り動かされてしまい、結果的に大きな悲劇を招いてしまう。
ただザンパーノは、最後の最後に運命的なめぐり合わせから救われることになる。いやもう、ここで救われるだけザンパーノはまし。往々にして救われないのだから。そこが悲哀と絶望の分かれ目である。
シックスセンス ★★★★☆
メンタルケアを生業とする医師○○は、ある子供の治療を試みる。どうみても変だとしか思えないその子供の言動、またそれ自体に苦しめられている子供自身、医師はやがて語られる子供の言葉によって事態を理解し、また自分自身をも省みるのだった・・・!
タイトルからして第六感、人間の五感視覚聴覚味覚触覚嗅覚+得体の知れない第六感、それである。このへんで映画の雰囲気から察するにそういう感じの映画かなというのは大体わかる。
したがってそういうものものしい雰囲気を醸し出すため、またラストのああいうもっていき方をするために、物語自体は少々冗長な感もある。が、すべてはラストのための布石であると考えると、観終わった後には冗長さもどこかに行ってしまい、まあいい映画でしたねと締めくくれるのはナイス。
このラストの感じは、福本系漫画に見られる「気付きのシーン」をゆるーくした感じでまあ悪くないです。ちなみに気付きのシーンは↓
ポストマン・ブルース ★★★★☆
郵便配達員の○○は日々を前向きな諦観とともに生きていた。しかし彼の知り合いのチンピラ、××の一言が彼の日々を変えることになる。一通の私信を盗み見たことで知り合った女と殺し屋、彼の周りをとりまいてゆく奴等が彼の運命をも決めるのだった・・・・!
話の中心となる三人の男達は互いが互いの運命を掌握している。その運命にこたえようとする彼らの行動、それが友情というものか。この映画はそこらへんのあからさま友情物語よりもよっぽど友情という感情を抱かせる作品だ。
タイトルからしてかなり切ない感じがするのだが、その切なさを前提に彼らは生きている。苦しい顔して訴えて苦しい苦しいというよりは、その苦しさを前提として前に生きる。それこそがエンタテイメントの提供する楽しさじゃあないのか。
ラスト、三人はおそらく解放されたのだろう、観ている側もすがすがしい気分である。死んだふたりが手をつないで歩く、こういう終わりもこういう映画なら全然アリだね。
デスペラード ★★★★☆
恋人を殺されたギター奏者Mは殺し屋となり、恋人を殺したブッチョを探していた。とある酒場でブッチョの情報を得たMは、自己の目的のため、そして未来のためにブッチョをぶっ殺す。久しぶりに凄まじいガンアクションを観た。
高校の頃この映画の宣伝を見た覚えがあり、そして今の今まで肝心のタイトルを忘れていたんだが今回観て鮮烈に思い出した。当時映画を見始めたばかりでハリウッド系大作アクションを好んでみてたんだが、それがかすんで見えるくらいのガンアクションの凄さ、これは絶対観んといかんだろうと思いながら当時は観ずじまいだったのである。たぶん地方まで配給がなかったし。
ハリウッドガンアクションの御都合的な部分(主人公は絶対急所に当たらない、主人公のショットは当たるが敵のはハズレる、など)は初めから考えない。ガンアクションの要は派手さよりも緊迫感。御都合部分を考えてたらそもそも緊迫感なんて生まれない。
この映画はジョン・ウーの派手さとタランティーノの緊迫感があわさったような、凄まじいガンアクションなんである。タランティーノは出演しているものの、むしろジョン・ウー的エッセンスの方が濃い。弾はガンガンに撃ちまくるし、ここぞの一対一は緊迫感抜群。
でもまあ、こういう映画を続けざまに観てるとだんだん飽きてきて、また受けつけなくなりそうだから、たま~に観るのが一番適した映画の種類なんじゃないかと思った。
最も危険な遊戯 ★★★★☆
国防システムの巨額な受注を巡って二つの企業が争う中、一方の企業の社長がもう一方の企業とつながりのあるギャングに誘拐された。そこで、誘拐された側の企業の会長が殺し屋鳴海昇平(松田優作)に、社長を取り戻すよう依頼する。しかし事態は逆に進展し、鳴海自身が狙われるハメになるが・・・。
松田優作の魅力が堪能できる作品。つーかそれだけ。十分それで満足できる。まず優作がもつ独特の雰囲気、いかにも殺し屋みたいな雰囲気で十分。「野獣死すべし」ではキレ役だったが、こういうバックボーンを感じさせない殺し屋みたいな役は、純粋にアクションを楽しめるのでいい。
前半ではガンアクション。かっこいいとしかいえない。で、後半は走る。松田優作の走る姿は本当に様になる。もうなんというか、これがオーラかという感想です。「ここのところがいい」とかでなく、走る姿全体で見てかっこいい。まあ話の内容でなく、松田優作ありきでどうしても観てしまう。それはそれで満足するんだからしょうがない。
人間の証明 ★★★★☆
ファッションデザイナー八杉恭子はデザイナーとして絶頂期にあった。その折、ある黒人男性がファッションショー会場のエレベーターで死ぬ。手には詩集。麦わら帽子の遺留品。「キスミー」「ストーハ」などの言葉を手がかりに、刑事棟寄(むねすえ)が黒人男性の素性を知るため渡米する。
話が進むに連れて、登場人物それぞれの過去が実は折り重なっていたという、「おお!」なんて思ってしまう話の作りにまず飽きがこない。棟寄が自分の過去の傷に直接でなくガラス越しにケリをつける、この辺に棟寄なりの人間としての理性、まさしく人間の証明があってグッときた。
映画の中で何度となく詠まれる西条八十の詩、それを棟寄が八杉恭子に向かって「かあさん、あのむぎわらぼうしどうしたでしょうねえ・・・」と語りかけるんだが、優作独特のズ太い声が哀愁を誘う。そう、とにかく悲しい人の総マクリなのである。
しかしこの映画はなんと言っても「ジョー山中」だろう。どんな人かは知らんがこの映画の主題歌「ママァ~、ドゥユゥリメンバァ~」このフレーズは耳に残る。残りすぎる。というかこの映画のテーマにぴったりの主題歌なので、異様に耳に残ると言うことだ。
ラスト、丘に立って真犯人を逮捕しようとするときキーアイテムの麦わら帽子が空に舞い上がるシーンは印象的だった。
話は面白いし推理の積み重ねなので間延びしない。ただ「野獣死すべし」を角川作品、松田優作作品両方で見ても最高傑作と思うので、どうしても★はひとつマイナスせにゃならんな。
中国の鳥人 ★★★★☆
宝石の鉱脈を探し、中国奥地の辺境目指す和田と、和田の上司の借金取りで中国くんだりまで追いかけてきたヤクザ氏家が、ウサンクサ通訳とともに辺境にやってきて、あまりの美しさに世知辛い現代社会に嫌気がさす、こんな感じの話。
この類の感動は好きだ。涙なしの感動。感動物語では登場人物に泣かせて、観る側にも涙アリの感動をある種強要するというか、ここは泣かんといかんやろうみたいな場面をつくりだすものもあるんだが、というかこういう風に考えてる時点で感動するに値しない人間なのかもしれないが、そういうの嫌いです。
この映画のように、じんわりとした感動を与えてくれる作品は意外に少なく、テレビ番組なんかでも変なタレントを辺境の地にホームステイさせて、同じ様な感動を作り出そうと必死だが、如何せん映画は見せ方が断然うまい。鳥人学校の先生の歌は、英語のような中国語、過去と未来をつないでいるような感じで、素直にしびれる。
通訳のやつがわざとかどうかはわからないが、とんでもなく胡散臭い日本語を使うのでかなりおもろい。本編とは関係ないけど。
最後には鳥人が空を飛んでいるシーンがあって、そう、あれは飛べなきゃダメなんだろう。どうもこの辺境の村の生命線、文明と非文明との分かれ目はこの鳥人の存在らしい。そのつなぎ目がかつて世俗にまみれていた氏家というのもなかなかオツな終わり方だ。
四角いジャングルPART1-3 ★★★★★
ストーリーはない。
『映画とは何か』という問いに対して、それはもう一冊本が書けるくらい深い問いではあるけれども、簡潔明瞭な答えは『映画館で上映されるもの』で足りる。そういう意味ではこれもまた映画の方法としてアリなのだろう。
この映画・・・・というか映像は、梶原一騎先生の熱い情動と、当時のプロレス・格闘技ブームとが重なってどうやらやってしまった作品らしい。これが映画として成立する、要するに『梶原一騎な時代』って凄い。基本的には当時盛り上がっていたアントニオ猪木の異種格闘技戦やマーシャルアーツがメインなんだが、映像ごとに前後のつながりがなく、ブームに任せて撮影したものを思いついたままに映像化したような感じで、映像ごとに脈絡がなくまたナレーターの鼻に抜ける声がシュールさを演出している。順を追ってみよう。
オープニングでは、ウィリー”クマ殺し”ウィリアムズが登場。クマとの対決映像は何度となくみたことがあるのだが、あれはたぶん「サーカスのクマとじゃれあっている変なカラテカ」だ。
突然画面が変わってイノキ・ボンバイエvsモハメド・アリ。この試合はよく知られているように、度重なるアリ側のルール変更要求(当然ボクシングに有利)をすべて受けたイノキが、最早ローキック(のちのアリキック)しか方法がなかったという、歴史的凡戦だ。
また画面が変わってフジシマ登場。この人がタイのムエタイ王者を破る。
また画面が変わってマーシャルアーツチャンプ、ベニー・ユキーデ登場。ベニーは敬虔なクリスチャン。でもぶん殴る。この人は当時かなり有名だったぽい。彼のKOシーンは凄まじい。
そしてなぜか当時の若者の話。ナレーター「今若者達の間では、格闘技が静かなブームである。青春の溢れ出るエネルギーを格闘技にぶつける若者、また格闘技に限らずさまざまなスポーツ、そして日本の伝統芸能、みこしの中にも若者達のエネルギーは大きく羽ばたいている。」・・・・みこし!?なんでみこし・・・・。そう考えているうちに延々とみこしを担ぐ映像。しかしなんで・・・。
みこしから急に新日道場・・・。そしてこの後イノキの異種格闘技戦がいくつか見られる。あとアンドレザジャイアント戦も。
実際見る価値大アリ。昔の埋もれた異種格闘技戦の映像は恐らくもうこの映画でしか見れないし、みこし映像笑えます。
以上がPART1の内容である。PART2・3も基本的な方法はかわらず、例えば2はマーシャルアーツ・ムエタイ・空手のような打撃系を重視したり、そんな感じ。
PART2では極真の演舞も見れる。大山マスタツの手刀ビール瓶割、とか。