ソウル・フラワー・ユニオンの2枚目である。といっても前作の「カムイ・イピルマ」が、ソウル・フラワーのデビュー作というよりもメスカリン・ドライヴのラスト・アルバムという性質の方が強かったことを考えると、この「ワタツミ・ヤマツミ」が彼らの実質的なデビューであるといっても、差し支えはちょっとしかないような気がする。ただ彼らはこのアルバムでアイヌ文化をさらに掘り下げているので、前作との連続性は大いにある。やはりソウル・フラワーの始まりは「カムイ・イピルマ」だったのだ。ってどっちだよ。うーん、どっちでもいいんじゃない?と、私は窮地に陥ったらすぐ投げやりになる傾向がある。軽蔑してくれて構わないぜ。あ、ちなみに「ワタツミ・ヤマツミ」はアイヌ語で「海の神・山の神」を意味するらしいです。
しかし上の議論(?)に付け加えるとしたら、彼らはこの後アイヌから離れて朝鮮やアイルランドに接近するので、別にアイヌ=ソウル・フラワーってわけではない。それに1枚目と2枚目ではリード・ボーカリストもメイン・ソングライターも別なので(内海洋子がメインで歌っているのは9曲中1曲のみ、伊丹英子が作曲に参加してるのも1曲だけ)、詞のテーマはともかく、音楽的には相当違う。またベースの永野かおりが脱退して、「メスカリン・ドライヴ+中川敬と奥野真哉」という布陣も崩れる。ていうかその布陣がそもそもメスカリンだし(彼らはメスカリンのアルバム制作に思いっきり参加してる)。以上のことから、あくまでも私個人の中では「ワタツミ・ヤマツミ」が彼らのデビュー作となっている。ま、本当にどうでもいいんだけどね、そんなの。
ただこのアルバムが中川敬を中心に作られているのは結構でかい。ほとんどの作曲を手かげているというのももちろんそうだが、彼がリードボーカルをとっているというのは、「中川敬、ミック・ジャガーの生まれ変わり説」を日頃から唱えている私にとっては決定的だ。そう、中川敬はミック・ジャガーの生まれ変わりなのだ。「ミック・ジャガーまだ生きてるじゃん」と、ついツッコミを入れてしまいたくなる気持ちも分かる。分かるのだが、そこは自制してほしい。うん、自制してくれ。
とにかく「ワタツミ・ヤマツミ」なのだ。これはもう、曾孫の代まで語り継がれるべきアルバムである。特に最初の2曲、「もののけと遊ぶ庭」と「レプン・カムイ」がすさまじい。「壷の中で眠る人よ/鬼の村で踊ろう」。中川が「もののけ」の冒頭でそう唄いあげ、雷が、大地が、風が唸り声をあげる。「はあ、何言ってるの?」とか言わんでくれ。それぐらい説得力があるのよ、このバンドが鳴らしてる音には。ドラム、ベース、ピアノ、笛、ギター、そしてこの曲の最重要楽器であるサックス、それらがすべて天変地異を演奏している。そしてそれを引き起こしているシャーマンが中川敬なのだ。
そして2曲目の「レプン・カムイ」。これは「もののけ」以上にやばい。ギターと笛のイントロで曲が始まり、リズム隊が入ると同時に笛が全開になる瞬間のこの高揚感!昇天!天国行き!死んでもいい!そんな感じの曲なのである。モー娘。の「ハッピー・サマー・ウェディング」を初めて聞いた時、「まんまソウル・フラワーじゃん」と思った人は結構いたはずだ。コーラスとかが。ソウル・フラワーは基本的にあまり売れてないが、つんくを通して彼らの手法が全国に、それこそ小っちゃなガキから爺さん婆さんにまで、浸透したのも興味深い。ピクシーズやリプレイスメンツの手法をニルヴァーナがメインストリームに持ってきたのと似てるかも。
ええい、そんなのはどうでもいい!まあこのアルバムは、この2曲があるだけでも「買い」なのだが、ほかの曲も当然素晴らしい。さすがに「もののけ」と「レプン・カムイ」ほどではないが。「陽炎のくに、鉛のうた」のリズムはやたら気持ちいいし、「向日葵の夢」の内海・伊丹・中川の3人による歌のかけあいは「きゃー」ってな感じだ。「戒厳令下」も「夕立ちとかくれんぼ」もいいよね。「アイヌ・プリ」も。「たこあげてまんねん」も。ただ「リベラリストに踏絵を」はどうしても好きになれない。「アイヌ・プリ」できれいに終わった方がよかったような気がする。しかしそれも許容範囲内。ほかの曲がよすぎるんだもん。
とにかくこんなバンド、世界中のどこを探してもいない。と思う。実際に探したわけではないので。前人未踏の道を歩んでるのだ。没個性な音楽が幅をきかせている今の日本で、彼らのような存在がいることは非常に頼もしい。私は日本政府に、彼らを人間国宝として指定することを進言したい。本人たちは嫌がるだろうけど。
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