<%@page import="java.sql.*"%> <%@page import="atmarkit.MyDBAccess"%> <%@page contentType="text/html;charset=EUC-JP"%> 江夏の401奪三振
江夏の401奪三振
江夏は21球だけじゃなかった。

オールスター9連続三振もあるが、長いシーズンの間に残った逸話として昭和43年(阪神入団後2年目のシーズン・20歳)の王との対決で残した401奪三振は現代では考えられないような強烈な話だ。

この前年江夏はルーキーイヤーとしては素晴らしい記録を残したものの、後の大投手としては普通の成績だった。それもそのはず、この頃江夏はプロ野球選手のくせにストレートしか放れなかったのである。そして2年目のキャンプ、林義一コーチからピッチングフォームの矯正とカーブを教えられ、後の江夏のベースができあがった。

43年シーズン終盤、当時の奪三振記録更新がかかった巨人とのダブルヘッダー、優勝争いの中江夏は王の第二打席目に353個目の奪三振を奪った。ただ前日マスコミに出した「ライバルである王から奪三振記録の354個目を奪う」との公約を遵守するため、王の第三打席までの一巡を、三振なしの打たせて取るやり方で凌いだのである。

そして王の第三打席、江夏は思い通りのピッチングの組み立てができ、4球で王から三振を奪い記録を達成した。すげえ。しかも自らサヨナラヒットで締めくくった。

結果後当時の大リーグ記録も上回る、401奪三振を達成したのです。